ゆうこのゆるゆる通信

おとぼけ天然キャラ(*^_^*)箏奏者・福田優子の周りで起こる、日々諸々のこと

沢井一恵リサイタル Kazue Sawai plays Yoichi Sugiyama(1/3)

7月18日(火)、杉並公会堂にて沢井一恵先生のリサイタルがありました。
イタリアはミラノ在住の作曲家、杉山洋一さんの作品のみを取り上げる企画。

前回の一恵先生のリサイタルで何人かの作曲家の作品を取り上げた際、杉山洋一さんの作品は、一恵先生が生き生きと演奏していたので一番印象に残っていました。
目指している音楽や世界観が、一恵先生のそれとかなり近いのではないかと感じ、杉山さんと一恵先生は相性が良いという感想を持ちました。
そう言う訳で今回のリサイタルは、理想を同じくする作曲家と演奏家の組み合わせという、聴く前から期待の高まるものでした。

そして、本番はあまりに密度の濃い素晴らしい内容で、感じた事が沢山ありすぎて整理がつきません。言語化できない印象も沢山あります。
取り敢えずプログラム順になんとか書いていきましょう。

前半のプログラムは
・復元五絃琴のための「手弱女(たわやめ)」
・十七絃箏のための「鵠(くぐひ)」
・復元七絃琴のための「真澄鏡(まそかがみ)」
の三曲でした。

"復元五絃琴のための「手弱女」"は、万葉集に収載された、狭野茅上娘子(さのちがみのおとめ)の歌、

「逢はむ日の 形見にせよと手弱女の 思い乱れて 縫へる衣ぞ」

をモチーフとしています。
これは、流刑に処される夫、中臣宅守(なかとみのやかもり)へ送った歌です。
五絃琴は大変音の小さな楽器です。
「手弱女」は、まるで呟くように似たような旋律を繰り返し、耳をそばだてないと聞こえません。
それなのに、ボロンボロンと微細な音をたてる度に、楽器の周りに「哭」の感情が降り積もっていく感じがしました。
能の「狂女物」で、表情の殆ど変わらない面から激しい感情が流れてくるのと似ているかもしれません。

一転、次の"十七絃箏のための「鵠」"では、
大きな音量に我に返ります。
強く弾いている訳ではないのにとても大きく聞こえ、演奏会用に作られた楽器だと言う事がよく分かります。

この曲は、作曲家三善晃の死を悼んで書かれました。
雅楽で「誄歌(るいか)」と言う葬礼楽があります。天皇の葬儀の時に歌われるもので、日本武尊(やまとたけるのみこと)の死を悼む四つの歌からなり、和琴の伴奏が付きます。
「鵠」はこれをモチーフにしており、「誄歌」にならい四段からなります。
グリサンドが印象的で、そう言えば十七絃の音は和琴と似た雰囲気があると思いました。
一恵先生も恐らくは和琴の音色を意識して、張力を思い切り緩めていました。
さて、不勉強につき「誄歌」の存在を知らないまま聞いた私。単純にその音の印象から水辺を飛翔するイメージだけで聞いていて、あまり追悼と結びつきませんでした。
リサイタルが終わってから「誄歌」について初めて調べ、その過程で昭和天皇の大葬の礼の際に奏された「誄歌」も聞き、自分が全く無知だったことに気がつきました。これは先に「誄歌」を知っていたら、もっと多くのことが聞こえたはずだと残念に思いました。悔しいからもう一回聞きたい。

三曲目の"復元七絃琴のための「真澄鏡」"は、一曲目の「手弱女」の相手、中臣宅守の歌で

「真澄鏡 懸けて偲へと奉り出す 形見のものを 人に示すな」

がモチーフになっています。
七絃琴も非常に小さい音色の楽器ですが、五絃琴の「手弱女」と随分異なり激しく鋭角的な印象を受けました。
開放弦だけではなくポジションを押さえたりハーモニクスを使うせいでしょうか?
同じ、会えない相手に託した形見についての歌を題材にしていますが、こちらの曲の方が感情がダイレクトに出ているような印象を受けました。

七絃琴は孔子が重んじた楽器で儒教のイメージが強いせいか、五絃琴と七絃琴を男女に割り当てるなら、私は七絃琴を男性に割り当てます。
杉山さんの選択の根拠は分かりません。
ただ、なぜ二つの曲に二つの違う楽器を用いたかは、恐らく後半の「峠(たむけ)」の構想があったからではないかと想像しますが、今回はここまで。

若者の瞬発力

高校時代からの箏仲間、小林真由子ちゃんの長男君が今年大学生になりました。
早いものです。
練習する真由ちゃんの背中でスヤスヤ寝ていた赤ちゃんが…エスの階段を次男君を従えて元気に走り回るやんちゃな男の子になり…背が伸びると共にだんだん寡黙になっていって、声が低くなっていって、気がついたら大学生…
長男君、とても楽しい大学生活を送っているようで、箏のサークルにも入ったそうです。

さて話は変わりますが、三浦可栄先生がご主人の仕事の都合で上海にお引越しされ、生徒さんのHちゃんの代稽古をする事になりました。
Hちゃんも大学1年生。
そして箏のサークルに入ったそうです。

6月初めの代稽古初日、レッスンを終えて7月のレッスン日を決める段になって、

「7月1日の学生三曲連盟の定期演奏会でやる『石筍』の17弦が弾けなくて苦戦している」

ということが判明しました。
なんでも真由ちゃんの長男君が箏のソロ、そして同じ沢井箏曲院だからとHちゃんが17弦のソロになったとのこと。
しかも曲が決まったのが5月くらい。

ん?今は6月で本番は7月1日?

そして6月下旬は大学の定期試験?

え?ええ〜〜〜?

今日のレッスン、「石筍」の17弦やれば良かった〜〜〜〜!

取り敢えずこの日は苦手だと言う所の練習方法を伝授し、6月中旬、最初の合奏練習の2日前に、「石筍」のレッスンをする事にしました。
レッスンはその日しかできないので、3時間みっちり特訓しました。

石筍の17弦はとても大変です。
テンポは早いし、意外に手が細かく、やりにくい所で転調があり、パワーもいる。
しかも、後半は箏がとても走りやすいので、特に学生さんが弾くのであれば、若い勢いに任せて過酷な速さになる事は容易に想像できます。

7月1日は仙台にいて本番を聞けなかったので、どうなったか気になっていました。
そうしたら!
真由ちゃんのご主人が本番の様子をYouTubeに上げておりました!!

こちら→石筍(沢井忠夫作曲) 関東学生三曲連盟定期演奏会

おお〜〜まともに弾いている!
若さ全開、最初から高速で飛ばしてるのに、ちゃんと付いていってる!
立派だ!!

この仕上げの早さは若者の瞬発力の賜物です。
私も若い頃はこう言う芸当ができたんだけどなぁ、
羨ましいぞ

と見ているうちに、
2週間でここまでで仕上げられるんだったら、前もってレッスンを何回かできれば、さらに高いレベルにできたのになぁ。
と言う気持ちがムクムクと湧いてきました。
まったく私は欲深いですね。
ともあれ、成功裡に終わったようでホッとしました。

ちなみに、動画をアップした真由ちゃんのご主人とは関東学生三曲連盟の同期です。
合奏練習で、真由ちゃんと私が両側から挟むようにしてダメ出しを連発していたのが懐かしいです(当時の私は怖かった)。
今でもつい最近の事のように感じられるのですが、いつの間にか自分の子供達の世代が同じ関東学生三曲連盟で演奏するようになるなんて、不思議なな気分です。
私、本当に中高年のおばさんになったんだなぁ!

夏の涼風コンサート

7月1日、日立システムズホール交流ホールにて、沢井箏曲院の大先輩、梅岡先生と菊池先生の教室との合同コンサートに参加させて頂きました。
名付けて、

「夏の涼風コンサート」

タイトルどおり、暑い時期にそよそよと爽やかな風がそよぐような、和やかな会でした。

私のお教室は沢井忠夫先生の「夏の日」を演奏いたしました。
3月末から4月いっぱい、沢井先生の方の用事などでアワアワと過ごしていて全く計画性のなかった私、もうちょっと前もって計画していたら、生徒さんに負担をかけないで済んだな、と反省しきりです。

でも生徒さん達は良く練習してくれ、本番はとても落ち着いていて、いつもとほぼ同じ出来栄えで弾き通したのでびっくりしました。
普段通りに弾くってなかなかできないことなのに、みんなすごいです。
おかげでつつがなく演奏を終えることができました。
何より生徒さん同士の繋がりができて楽しそうにしていたのが嬉しかったです。

蓋を開けてみたら、現支部長の菊池先生と長らく支部長を務められた梅岡先生のお教室に挟まれて、指導者としてもプレッシャーのかかるコンサートでしたが、上手くいって良かったです。

皆様お疲れ様でした。

さて、手作り感満載のコンサートにつき、当日、会場入りしてから急に調弦係から司会進行係に変更と言う小事件がありました(笑)。
何も準備していなかったので楽譜と睨めっこで曲を思い出し、曲間の楽器を転換している間、ほぼアドリブで喋り倒しました。
転換が3分くらいだと楽なのですが、面数が多かったり手間取ったりして5分を超えてくると、ネタが切れてきてキツいですね。
普段人前で喋る機会が多いのが役に立ちました。

白河スーパー薪能

東北本線「白河駅」の目の前に、小峰城と言う小さいながらも趣深いお城があります。
5月27日、ここの二の丸特設舞台で「白河スーパー薪能」と言うイベントがあり、薪能好きの母と共に行ってまいりました。

プログラムは
◆杉山洋一作曲「盃」(さかつき)
17弦:沢井一恵
電子音響:有馬純寿
◆白河提灯まつり行列
◆ライティングショー
◆仕舞「高砂」
◆能「石橋(しゃっきょう)」

有馬純寿さんと言えば、「東京現音計画」など気になる企画を主催していて、一度聞きたいと思っていた方です。
正確には、2010年のトリスタン・ミュライユの公演と、2011年の「瀧の白糸」で聞いているのですが、これらは純粋に音響と言う感じで、音楽性を聞く感じではありませんでした。
その有馬さんと一恵先生が共演するというのであれば、絶対に行くしかありません。

幸い招待券を頂き、S席を確保することが出来ました(後から購入した母はA席)。
当日、入場するとまずは調整卓を探し、すぐ前の席を陣取りました。
調整卓で音を聞いて操作するので、必然的にこの辺りが一番音響的なバランスの良い場所になるはずです。
舞台正面なので能を見るのにも良い位置です。

さてさて開演
小峰城の南には南湖と言う湖があります。李白が洞庭湖(南湖)で遊んだ詩の一節に「南湖秋水夜無煙」と言う句があり、それをイメージして作ったそうです。
杉山洋一さんの「盃」はその李白の詩を使って作曲されました。
漢字一字に対し17弦の短い旋律を当て、弾く順番は任意だそうです。
一方電子音響の方は17弦の音を拾って増幅させたり加工したりします。方法・手法にはある程度指定があるようですが、即興に近いのではないかと思いました。
有馬さんの演奏(音響?)は素晴らしく、一恵先生に引きずり込まれることなく対等のスケール感で演奏していました。
一恵先生と即興をすると、先生に飲み込まれたり、先生の音楽の手の平で奏する人が割と多い印象でしたので、これは凄いと思いました。

秀逸だと思ったのは、一恵先生が17弦の張力を思い切り緩めた事でした。

今まで、生楽器の演奏をリアルタイムで取り込んで加工する形態を3回ほど聞きましたが、いずれも音響と生楽器が融合して境界がなくなる感じになりました。

一方一恵先生の17弦は、ボソボソの粗野とも言える素朴な音色が、電気的に処理した音と良い対比になり、存在感を放っていました。
初体験の電子音響との共演でこんな判断をする先生はすごいです。

灰色に曇った空の下、小峰城の天守を臨む石垣を前に、17弦はゆっくりと思考を巡らすようにポロン…ポロン…と旋律を奏で、それが電子音響によって様々な響きに変わり空へ昇っていくのは、実に幻想的でした。

そこに洞庭湖はないのに、まるで李白が船を浮かべて酒を飲みながら月を愛でているようでした。

李白の世界そのものだ…

陶酔してひたすら静謐な音響に身を委ねていると、次第に聴覚だけが研ぎ澄まされ、同時に視野の端から風景がぼやけはじめ、ついには一恵先生しかハッキリ見えなくなり、それからフワッと何処かに飛んでいきそうな不思議な感覚になりました。

後ろで見ていた母によると、私は石のように固まっていたそうです。

一方母は、電子音響系が苦手なので心配したのですが、こちらは私とは別の楽しみ方をしていました。曲の途中、寝ぐらへ帰る鳥の群れが石垣の上を飛んで行ったそうで、宇宙を感じながら風景も併せて音楽を楽しんだようです。

余韻の覚めやらぬうちに白河提灯まつり行列。お囃子が母の郷里、八戸の三社大祭で奏されるお囃子によく似ていて、不思議な感じがしました。

ライティングショーは、私の席からは全貌は見えなかったのでちょっと残念でした。

能は仕舞い「高砂」から始まりました。
この日のメイン「石橋(しゃっきょう)」、ちょっとがっかりしたのは、舞台装置として紅白の牡丹が置かれたのですが、赤い牡丹の固定が悪く何度も倒れてしまい、その度に後見が直す事でした。
後見が直すたびに雰囲気がぶち壊されるので残念でしたが、能では何が何でも直すのが作法なんでしょうか?

もう一つイマイチだったのは、クライマックスの獅子の舞の部分で唐突にライティングの演出があった事です。しかも、ライティングショーの使い回し。
能は密度の濃い芸能なので、中途半端な演出を加えると落差が酷く興ざめになります。
やるならもっと綿密に演出を考えれば良いのにと思いました。

内容は、文殊菩薩の浄土に繋がる石橋のもとに辿り着いた寂昭法師に対し、童子と仙人によって、いかに渡るのが困難かが二回に渡り説明され、そのまま留まるように諭されます。その後獅子が現れて舞を舞います。この舞は、最後の最後にご褒美的にあり、まさに功徳と言う感じがします。

実は地歌にも能から題材をとった「石橋」と言う曲があります。
こちらは歌詞から察するに寂昭法師は放浪しているのだろうけれど、最初から蝶や花が舞っていて、修行を描写しているとは思えないほど華やかです。
曲調も派手なので、獅子が現る前からうきうきとめでたい感じがします。

能の「石橋」が出来た時には、人生の厳しさ、浄土へ救いを求める気持ちや、しかし「人間は生身のままではどう足掻いても浄土に行けないよね」という達観があったのだと思いますが、地歌はそれに比べると随分享楽的だなぁと思いました。
時代の雰囲気を比較できてすごく面白かったです。
勉強になりました。

7月18日(火)に杉並公会堂で一恵先生のリサイタルがあります。
杉山洋一さんの曲だけを取り上げる企画で、「盃」も再演します。
詳細はこちら
今から楽しみ。今一番のおすすめ演奏会ですので興味ある方は是非!
当日は、開場前に行って絶対に良い席取ります!

「にっぽんの芸能・演奏家の肖像〜沢井一恵」の感想

以前告知しました、Eテレ「にっぽんの芸能・演奏家の肖像〜沢井一恵」、
ちょうど放送日はテレビのない実家におり、我が家は録画する機械が壊れたままで見られなかったのですが、ありがたいことに生徒さんから録画したものを頂く事ができました。
ゲリラ豪雨の中DVDを持って来て下さったOさんありがとうございます。

観た感想

改めてとても勉強になりました!

一恵先生と音楽の話をする事はあっても、内容はどうしてもその時話題に上ったものに集中し、断片的で偏ったものになります。
番組では、経歴の紹介やスタジオでの会話を通して一恵先生の思想が網羅され、そう言えば最近忘れがちだったな、と言うものもあり、初心に返った気持ちになりました。

私は、一恵先生は芸術家と呼ばれるべきだと思っています。
最初にそう思ったのは学生時代。
高橋悠治作曲「昼は燃えつきた」の演奏で、手に持った筒に、まるで魂を吹き込むように詞を囁きながら舞台を徘徊する姿を見て
「箏がなくてもこんな表現をする先生は、演奏家を通り越して芸術家だ!」
と思いました。

今回の番組では「箏曲家」という肩書きで紹介されてはいますが、番組ディレクターさんが、芸術家としての「沢井一恵」を余すところなく伝えていて、とても嬉しかったです。
特に、スタジオインタビューで「中国の昔の賢人の域に達したいものです」(細かい言葉は違うと思います)と言いながら五絃琴を爪弾いているところでは
「先生!もう半分その域に達しています!」
と、鳥肌が立ちました。

ものすごく沢山映像を撮っていましたから、この瞬間は編集でカットされる事だってありえました。
番組の打診があってから何ヶ月もたっていないと思いますが、こんな短期間に先生を観察して表現し尽くすなんて、ディレクターさんはすごいと思いました。
そして本当に嬉しい。

ところで私、番組内で先生について少々コメントしております。
合奏練習終了後の片付け中、ちょうど17弦置場でインタビューを撮っていて、なかなか撤収ができませんでした。
カメラが止まったのでちょっと退いてもらおうと
「すみません」
と声をかけたら、振り返ったディレクターさんと目が合い
「あ、じゃ、次お願いします。」
と言われて吃驚、呆然、唖然。

「え?私ですか?」

これを藪蛇と言うのでしょうか。
(そうと分かっていたら口紅ぐらい塗ったかも)
全国放送で沢井箏曲院の偉い先生方も見るだろうと思ったら、ものすごいプレッシャーで膝が震えました。

化粧について考えたら意外に深かった

ツイッターで化粧に対して面白い投稿を見ました。
こちら
ユーザー名をクリックすると、一連の連投として見られます。

化粧には仮面の機能があります。
一般的には服装などとトータルで、認知して欲しい「自分」を表現し、演じる事を容易にします。
先日の収録で、十年振りぐらいにフルメイクをしたら、普段しないだけに心理状態の変化が如実に分かり、面白く感じました。
自分ではない何かになった感覚になるので、新たな「自分」を創りやすいし、他人と付き合う上で本当の自分を隠し安全地帯を確保すると言う機能も、間違いなくあると思います。

逆に普段ばっちり化粧をしている人が化粧を落とすと、心許ないでしょうね。
コミュニケーション能力が低下する事は大いにありえると思います。
(私の最初の返信はこのツイートの趣旨を些か誤解していますね)

この他に化粧には、マナーという側面もあります。
私も演奏仕事と冠婚葬祭ではさすがにポイントメイクくらいはするのですが、それは主にその場に求められる雰囲気に合わせ、相手に悪印象を与えない事が目的です。

ところで、ツイッターのこの方が投稿した背景には、イギリスに行った際に、普段は化粧もせず地味な格好で過ごし週末はドレスアップする女性達をみて、常に着飾っている人の多い日本との違いを感じた事があるようです。

これはよく聞く指摘です。
ヨーロッパに何度か行っている母も同じ事を言います。

何故日本人女性は四六時中着飾っているのか?
改めて考えてみて、いくつか理由を捻り出しました。

(1)そもそも着飾るのが好き
江戸時代の錦絵などを見ると、都市部の庶民の女性は普段から化粧をしていたようです。顔に何かを塗るのが当然と言う感覚が、ファンデーションに置き換わって現代まで続いても、不思議ではありません。

1813年に「都風俗化粧伝」(みやこふうぞくけわいでん)と言う美容・ファッションのマニュアル本が出版されました。庶民向けとしては世界初で、100年間ほど再版を重ねたそうです。
伝統的にヨーロッパより派手なんだと思います。

(2)社会が化粧して身なりを整える事を求める。
若い頃、年上の女性から、よく
「化粧くらいしなさい」
と注意されました。
服装に無頓着だと、これを着ろあれを着ろと勧めてくるお節介が必ずいます。

化粧をしてきちんとした装いをする事が「大人の女性」を表す記号になっていて、社会の秩序に従っている事を示すのだと思います。
結果的にさほどお洒落に関心がない人でも、化粧をしてそれなりの格好をして外に出る事になります。

(4)同調圧力の強い社会なので、素の自分は出さず、加工・調整できる「自分」を表に出したほうが都合が良いかもしれません。

(3)理想化された自分を見てもらいたい。
日本人は自己肯定感の低い人が多いです。こちらは文科省による若者の調査。自分の欠点ばかりに目が行き、素の自分を人に晒したくない人は意外に多いかもしれません。

化粧と着飾る日本人について考えてみましたが、意外に複雑な要素を持っていました。

ネットで「都風俗化粧伝」の一部を公開しているサイトがあります。
目次・叙・前書きを読むだけでもかなり面白いです。
日本人女性の美意識、今とあまり変わりません。

名古屋帯の柄が正面に出ない

この数年で大分太りまして、若い頃からウエストもヒップも8cmくらいずつ増えました。
衣装は深刻な問題です。
洋服はもちろんのこと、着物も例外ではありません。

まず、帯締めの長さが微妙に足りなくなりました。
帯締めの長さは大きく分けて3種類あるようなのですが、中ぐらいのサイズでも商品によって差が大きく、ちょっと短めの物はピンチです。

それから、名古屋帯の柄が正面に出なくなりました。
補正として厚手のタオルを2枚使っていたのを、
→薄手のタオル2枚
→厚手のタオル1枚
→薄手のタオル1枚(イマココ)
汗取りにもなるのでこれ以上減らせません。

先日、しばらく振りに締めた帯の柄が全然前に出ないので、そんなに太ったのかしら?
と思いながら帯をギュウギュウ締めていて、ふと昔は力任せに締めていたと気がつきました。
若くて力があるので、締め過ぎて窒息するかと思った事もありました。

着物を頻繁に着るようになって十数年。
着付けも上達し、着物での動きも自然になって着崩れなくなったので、帯も自然に楽に緩く締めるようになったのでしょう。
そうなると誤差は10cmを超えるかもしれません。
太くなった上に緩く締めたのでは、柄が出るわけはないな、と思ったのでした。

今年の夏は朝顔の柄の絽の塩瀬の名古屋帯を締められるかなぁ。

スリムになりたいものです。
livedoor プロフィール
福田優子箏演奏会
〜物語ること6〜

日時:2016年5月8日(日)
開場:14:00/開演:14:30
詳細はこちら

仙台で行っていたコンサートシリーズ「物語ること」を東京でも開催いたします。
是非お越し下さい。

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