肥田式強健術の腰腹同量の力・正中心は、武術、万芸の極意と謳われ、
聖中心は、悟りの境地と謳われる一方、肥田春充一代の奇跡のメソッドとも囁かれている。
肥田春充の変貌振りがあまりにドラマチックで伝説的なだけに、
シンプルな肥田式強健術に、肥田春充の超人性を求めてしまう。
初歩中の初歩である正中心の尻尾である腹力を肉体的に捉えるだけでも、
飽くなき情熱、探究心、繊細な感性、肉体の柔軟性、テーマ性、俯瞰、
それと動きの本質を見極める基準の確立が必要になる。
世界で最も夢中になりやすいスポーツは、ゴルフだと思うが、
ゴルフの上達理論は、ゴルファーが100人いれば、100通り存在する。
肥田式強健術も、100人いれば、100通りの理論が存在する。
肥田春充でさえ、当初は、正中心・中心力の概念はなく、
代わりに、肉体と精神を統一する腹筋の緊張法である気合いを運動の基礎にしていた。
人は、姿勢が機能的に正しいという前提があるが、無意識の時は統一体になっていることが多いが、
作為的な動きや姿勢では、統一体が崩れてしまう。意識が肉体や目的に向かうと統一体が崩れて、
動きがギクシャクするので、無心、平常心になるか、意識的に統一する方法の必要性が発生する。
意識的に統一体にするには、丹田感覚が必要であり、丹田感覚は、
仙骨の意識化による中心軸感覚の養成が必要になります。
高岡英夫氏のゆる体操とDS理論を学んだことがありましたが、
DS理論は、動きを導く身体意識が主体で、当時は、相性が悪かったのですが、
伊藤昇氏の動きそのものに焦点を当てた胴体トレーニングを通したことで理解が深まりました。
20代の肥田春充の武術的強さは、自分に都合が良く、相手に都合が悪い角度の研究にあったようだが、
川合式強健術による力の込め方は、元々柔道から採用しているので緩急の呼吸も得ていたはずです。
肥田春充は、柔道において腰を決めると不動となり、師範にも投げられなくなったというが、
通常、軸足は拇指丘に体重が落ちるが、片側の足は小指側に体重が落ちるので、
物理的に身体を前後左右に分ける正中線と、重心や姿勢による機能的中心軸はズレが大きく、
両脚立ちで不動体を得るのさえ至難の業である。
片足立ちのほうが不動体感覚を得られやすいが、片足立ちの不動体を得て、
三振王からホームラン王になった王貞治は、バッティングの神様・荒川博さえ真似できない
と脱帽した努力の天才であった。
簡単に統一体になるには、踵を紙一枚浮かせる(すり足と同じ)だけだが、
踵を浮かすことで、足裏の重心が股関節に集まり、仙骨を締めて脊柱を立て、
胸骨が開くことで脇腹が締まり、上下前後を連結させるためである。
ただ胸骨が腰に乗っていないと、部分的な緩みと凝りが生じ、
上体の重心が股関節からズレるので、統一体にならない。
上下の重心を股関節に集める身体意識が中心軸であり、重心部が丹田になる。
簡易強健術は、両踵を均等にガツッと踏み込むことで股関節を緩めながら、
仙骨を骨盤の中に押し込む、という高度な操作が必要になるが、意識的には、
仙骨を締めて骨盤を立てることで、吐気が下腹に圧縮される。
拇指丘に、重心が乗っていないと重心が股関節から流れるので注意。