2012年02月11日

「ソーシャルワーカーなしには考えられない」

 守秘義務があるので,詳細を記すことはできませんが,このところ厳しいケース対応が連続しています。児童相談所のワーカーに近い状態になりつつあるのかな,という感じです。

 それでも,少しでも「こども達の利益」になっているのだとしたら,とてもうれしいことですし,やりがいのあることだと思っています。


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2012年02月06日

「年金システム」はもう一度(以上)トラブる

 先週後半,私宛に日本年金機構から「ねんきん定期便」が届きました。

 そもそもこれも無駄のような気がするのです(インターネットで見られるようにして,希望制にすればよい)が,それ以上に,未だに公務員時代の「共済年金」(当然「一階部分」の国民年金があります)の加入歴が,全く反映されていません。

 毎年送られてくる度に「公務員共済年金等については,各組合と経歴について確認中です」と書かれているのですが,前政権(安倍首相)時代に発覚してからもう5年近く経過していて,未だにこの体たらくですから,正直あと何年かかると公務員年金が正しく情報として反映できるのか,全くわからない状態に思えます。

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2012年02月02日

再び・・・謙虚であること

 2009年1月10日付で「謙虚であること」という記事を記しました。

 要は「○○出来ている」と言う人・組織ほど,実は出来ていないのではないか,謙虚に「出来ていない」ことを認めている人・組織の方がいい仕事ができているのではないか,という主旨の記事なのですが,最近同じことを感じる出来事がいくつか重なっているので,同じことを記そうと思います。


 教育現場で仕事をするようになり,多くの学校や教育関係者,相談援助関係者・機関等とお付き合いをさせていただいてきました。

 そしてお話しをさせていただく中で,上記の記事と同じようなことを感じることが多いのです。


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2012年01月29日

普段どおりでよい・・・でも難しい

 最近,こどもの虐待に関し,現場で具体的にどう対応すべきかを話してほしい,という依頼があり,ちょっと困っていました。
 私は社会福祉士で,「相談援助」の専門職です。こどものケアワーク,すなわち「保育」は専門外の領域であり,具体の場面でどう対応するかということについて,きちんとお話しできる材料は持っていないのです。

 でも,依頼を受けてしまった以上,全くわかりませんというお話しをする訳にはいかないので,いくつか手持ち文献やネットで調べられる範囲で調べていくなかで,とりあえず言えることは

 普段どおりでいい

 ということだ,ということに気付きました。





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2012年01月24日

メッセージありがとうございます

 今日,1月24日は誕生日です。Facebookに,たくさんの方々からメッセージをいただきました。本当にありがとうございます。


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2012年01月19日

「公共の福祉」から考える

 今週前半,旧国鉄の赤字路線への考え方について,故田中角栄首相が国鉄の赤字線廃止が議論された時,「利益がでる事業は民間がやればよい。利益が出なくても公共性が高いからこそ,国鉄がやる必要がある」という主旨の発言が,日本列島改造論の中であったとTwitterでつぶやいたところ,ある方からこんな返信がありました。

 「ある島に3人の住民が住んでいる。その住民のために,橋を架けるとか空港を整備するとかは,公共性があると言えるのか」


 私はこう答えました。

 「憲法第13条にいう「公共の福祉」に,島で生活することが反するのであれば,島から移住してもらうという選択肢もあるかと思います。しかし反しないのであれば,「本土」との連絡船を確保することは,「公共の福祉」だと考えます。」


 以降その方からは,返信はありません。



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2012年01月17日

17年前のことから今を考える

 1995年1月17日,阪神大震災が発生した時のことは,当時(今も)関東地方に住んでいるので,「地震の揺れ」という点では記憶がありません。ほとんど揺れなかったのです。

 しかし,仕事に行くため起床し,テレビをつけた時に「大騒ぎ」になっていたこと,まだ暗い神戸市内が映された時に,あちこちの電信柱が倒れていた映像であったことから,「ただごとではない」と感じたことは,記憶をしています。

 その後仕事に行き,お昼に係長・数人のワーカーで一緒に食事をしていた時に流れた映像をみて,とんでもないことになっていることを知りました。
 その時に,「応援要請があるかもね」と係長がつぶやいていたことを思い出します。


 甚大な被害があることを,その日帰宅してテレビをみながら改めて知り,「行政職として,ソーシャルワーカーとして何かできることはないか」と考えていた時に,係長から「全市で応援に行ける人を募集すると通達があった」と聴きました。
 しかし1月は,保育所入所関係の事務の繁忙が頂点を極めること,そして自身が担当していた保育園が,待機児童ワースト10に入るような人気園であったこと等から,「お前さんは出せない」と課長から言われてしまい,結局現地に応援に入ることはできませんでした。


 後日,応援に入った仲間(事務職・ワーカー)から話を聴き,現地はすさまじい状況であったことを知りました。
 そして,「こういう時だからこそ,ワーカーとしてやるべきことは何か」を考えるようになりました。(今も,この時に応援に行けなかったことが,後悔となって残っています)

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2012年01月15日

ラベル貼り

 昨今,「公務員」とか「教員」という職業に対する批判が厳しくなっています。こうした職業に「ラベル」を貼って攻撃することで,多くの人の支持を得られている政治家も少なくありません。


 これまでも私は,「元公務員」であることを明かし,その上で公務員にも,これまでの働き方への反省をしなければならない点は多々あるが,「公務員叩き」で社会はよくならない,ということを主張してきました。

 改めて,同じことをお話しさせていただこうと思います。


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2012年01月13日

リスクを把握し対応する

 2005年4月に発生したJR西日本の福知山線脱線事故で,JR西日本の前の社長に対して,無罪という判決が出ました。以下,毎日新聞1月11日付記事を引用します。


福知山線脱線事故:JR西前社長に無罪判決…神戸地裁


 乗客106人が死亡し多数が負傷した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故(05年4月)で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長、山崎正夫被告(68)に対し、神戸地裁は11日、無罪(求刑・禁錮3年)を言い渡した。鉄道事故を巡り、巨大事業者の経営幹部に刑事罰を科せるかが焦点だったが、岡田信(まこと)裁判長は「JR西に多数存在するカーブの中から、現場カーブの脱線転覆の危険性を認識できたとは認められない」と、事故の予見可能性を認めなかった。

 一方、岡田裁判長は判決で、JR西の組織としての責務について、「カーブでの転覆リスクの解析や自動列車停止装置(ATS)整備のあり方に問題があり、大規模鉄道事業者として期待される水準に及ばないところがあった」と言及した。

 山崎前社長はJR西の安全対策を一任された鉄道本部長在任中の96年6月〜98年6月、(1)事故現場カーブを半径600メートルから304メートルに半減させる工事(96年12月)(2)JR函館線のカーブでの貨物列車脱線事故(同)(3)ダイヤ改正に伴う快速列車の増発(97年3月)−−により、現場カーブで事故が起きる危険性を認識したにもかかわらず、ATSの設置を指示すべき業務上の注意義務を怠り、事故を起こさせたとして起訴された。

 判決はカーブの工事について、「同様のカーブはかなりの数存在している」と指摘。ダイヤ改正も「上り快速のダイヤに大幅な余裕を与えるもので、事故の危険性を高める要因とはならない」と判断した。さらに、函館線脱線事故は「閑散区間の長い下りで貨物列車が加速するに任せて転覆した事故で、本件事故とは様相が異なる」として、危険性認識の根拠とは認められないとした。

 また、ATS設置については「当時、義務づける法令はなく、カーブに整備していたのはJR西を含む一部の鉄道事業者のみだった」と述べ、現場カーブで個別に整備すべきだったとの検察側主張を退けた。証人の供述調書については「被告の過失の有無とは関係がないので、信用性の判断は示さない」と述べた。

 10年12月に始まった公判は、現場カーブの変更当時に事故を予見できたかどうかを最大の争点に、JR西や同業他社の関係者、鉄道専門家ら30人が証人出廷した。山崎前社長の元部下に当たる当時の社員らはカーブの危険認識を認めた捜査段階の供述を法廷で次々に覆し、「カーブの危険を感じたことはない」などと証言していた。【重石岳史】


 ◇JR尼崎脱線事故

 兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口−尼崎駅間で05年4月25日午前9時18分、宝塚発同志社前行き快速(7両)が制限速度70キロの右カーブに時速約115キロで進入し、1〜5両目が脱線した。乗客106人と運転士(当時23歳)が死亡。負傷者は県警発表で562人、起訴状では493人とされた。当時の国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は07年6月の最終報告書で、運転士のブレーキのかけ遅れが主因と断定。県警は運転士ら10人を書類送検し、神戸地検が09年7月、山崎前社長だけを起訴した。


 ◇刑事責任追及に限界

 今回の事故で神戸地裁は安全対策の最高責任者だった経営幹部の刑事責任は問えないと判断した。業務上過失致死傷罪の成立要件である予見可能性について、具体的でなければならないと指摘。従来の司法判断をおおむね踏襲し、刑法で大事故の組織責任を事実上追及することに限界があることを示した。

 検察は今回、大勢の乗客を運ぶ鉄道事業者には運転士の速度超過を含めた「あらゆる事態を想定する高度な責務」があり、「いつか起こりうる程度」に事故を予測できれば過失認定できるとの主張を展開した。

 これに対し判決はまず、「予見可能性は無前提にその有無が問題になるのではない」と指摘。「カーブ一般の脱線転覆の抽象的危険性に対する認識にとどまらず、事故現場カーブについての具体的な危険性認識を前提として結果回避義務を考えるべきだ」と判断した。そのうえで「検察側主張の予見可能性は危惧感と大差がない」と述べ、結果の重大さにかかわらずこうした解釈を認めなかった。

 また、組織上の立場と個人の過失責任について、「鉄道事業者の責務が、被告個人の予見可能性の程度を緩和する理由にはならない」とくぎを刺した。

 判決は、個人責任を認定できなかった一方で、JR西の組織としての安全対策に問題があったと指摘した。公判では事故から約8年前の現場カーブ設置時点の危険認識に争点を集約せざるを得ず、運転士がなぜ大幅な速度超過をしたのかという本質的な原因に迫ることもなかった。重大事故の再発防止につながる真相究明のための調査と捜査のあり方について、抜本的な議論が必要だ。


(引用ここまで)


 事故で亡くなった方のご冥福を,改めてお祈りしたいと思います。


 また,この事故や判決は,私たちソーシャルワーカーにも考えさせられるものであると思っています。



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2012年01月09日

「うつ病」とはこうあるべき,と決めつけないでほしい

 「新型うつ病」という名前を聴くようになって久しいのですが,相変わらず理解がきちんとなされていない,と(元)うつ病患者としては気になっています。改めて(元)患者として,「新型うつ病」についてちょっと考えていきたいと思います。

 Googleで「新型うつ病」と入力すると,たくさんのページが検索され表示されますが,比較的わかりやすく書かれていたのは,医療法人和楽会の,貝谷理事長先生が書かれているページでした。

 貝谷先生のHPによると,新型うつ病の特徴は,
☆夕暮れ時に出現することが多い
☆他責的で、過眠や過食が特徴
☆会社に出勤している間は憂うつで仕事が手につかないが、家に帰れば好きな趣味に熱中できる
☆自分に好ましい状況下では抑うつ感が消失して行動的
 とされています。

 そして治療に必要なこととして周囲の理解をあげ,「誰も自分のことを理解していないと嘆く。したがって周囲にいる人は、患者は気まぐれに見えても病気であることをまず認識し、理解して接することが大切である。さらに励ましの言葉も、状況によっては非常に有効である。ただし、言葉に対して過敏であるから、本人を傷つけるような言葉は一切避け、やさしく接することが必要である。いずれにせよ最終的には人格の成熟を促すための、息の長い治療が必要」としています。



 自分自身,うつ病で厳しかった時,考えてみれば「新型うつ病」の特徴を数多く持っていたと思いますし,実際病気でしんどかったときにかけられた,自分にとっては辛い言葉は,今も頭の中に残っています。
 特に労務担当の管理職から,呼び出されて職場近くまで出向いた挙げ句言われた,「詐病」という言葉は,今も頭に強く残っています。本当に辛かった時に「サボり」呼ばわりされた時のつらさは,忘れることができませんし,この言葉がますます病気を悪化させたようにも思えてなりません。(あっ,これがすでに「他責」なんでしょうね)



 「新型うつ病」は,「従来型」といわれるうつ病との比較の中で,「わがまま」「困ったうつ病」という書かれ方をしていることが多い,と感じます。それがすでに「他責」なのでしょうが,(元)患者としてはそうではないのだ,ということを知ってほしいと願うばかりです。
 と言いますか,そもそも治療者ではない者が,「うつ病患者とはこうあるべき」という見方をしていることが,「新型うつ病」という言葉を生んでいるのではないか,という気がしますし,「うつ病患者とは○○であるべき」という見方があるがゆえに,「仕事以外では活動的」であることが「わがまま」に見えてしまうのだと思います。

 個人的には,ずっと自宅で療養しているだけでなく,時には旅に出た方が治療効果があることも多いのではないか,と思います。

 様々な誤解や偏見がある新型うつ病ですが,基本的には「しっかりとした」精神科疾患です。治療を根気強く行える環境が必要ですし,何よりこうした誤解や偏見を取り除いていく活動が,まだまだ必要なのだと思います。



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