2011年12月

”ビーターマイア”

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 また、パプスブルグ家にまつわる話なんですが・・、

1789年フランス革命のあとナポレオンが登場するが、1812年ロシア遠征に失敗。エルバ島に流されてウイーンで平和会議が行われた。

その後の30年余り、メッテルニヒによる保守反動体制下での生活を”ビーターマイア”というらしい。

それ自体はどうでもイイことなんですが、その中味が興味を惹く。
「政治には背を向け、家具調度品は、素朴でシンプル、かつ安楽と快感をむねとして、居心地の良い家に住み、家族と団らんのを何よりとする。 グルメを楽しみ、休日はゆっくりと憩いの時を過ごす・・。」

 と書くと、何だか現在の日本の状況がオーバーラップしてくるでしょう。 政治から目をそらし、ひとり楽を求め家族とのささやかな幸せに浸る・・、

結局、1848年圧政に耐えかね暴動、デモが頻発し、メッテルニヒは退陣、亡命したのですが、
現実から目をそらし、その場しのぎの享楽に耽っても解決にはならず、何時かは精算を迫られる時がくるということですよね。
  (加藤雅彦「パプスブルグ帝国」参照)

最後まで美味しい

TS3H0402 今、浜田省吾の「19のままさ」を聴いている。
’76の曲だが、その当時は知らなかった。改めて気に入り何度も聴き直している。

その詩の中に、「いつまでも忘れない、目を閉じれば19のままさ」、「もう二度と あの日のきらめき この腕に取り戻せない」
という一節がある。

 数多くの歌手がデビューし、一時期ヒットを連発することがあっても、何十年もトップの地位を守り続けることは稀だ。
ある時期に華が咲いても、輝き続けることは難しい。

そのことは人も同じだ。
青春の輝きは、後になって思うものだが、気がついたときにはもう手にすることができない。

マイク・タイソンが言った。
「利口になったときはもう遅かった」

 切れてしまった蛍光灯は、もう点灯することはないだろうけど、
まだ寿命が残っていれば、チカチカとたまに火を灯すかも知れない。
そう、何時だって輝いていられる、例えその光は小さくとも・・。

美味しい料理は、最後まで美味しい。

男の趣味

TS3H0662 昨夜、酒に酔った勢いで買ったフォードGTをモデファイして発売されたモデル、フォード・シェルビーGR-1Concept です。(2005にフォード100周年を記念して1,500台発売された。)

正気では、まず買わない結構な値段ですが、店のマスターのおだてにその気になって買ってしまいました・・。
(「オートアート」と言う名の製品ですが、その道は詳しくないので、よく分かりません。ハイ)

 でも、他の古い名車ではなく、新しい、余り知られていないクルマを選んだ気持ちは、まだ若いのかな、なんて今ごろ思ってます。

いくつになっても、夢は未来でなくちゃ、昔を懐かしんでも仕方ない。
「見果てぬ夢」「叶わぬ夢」であっても、心には抱いていたいものです・・。
 (フォードGTについては、4/20に別項「名車讃歌」あり。)

メディテーション

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 正直、フリー・ジャズに溺れてからのコルトレーンにはついて行けなかった。

メディテーション」が録音されたのは’65.11。 マッコイ・タイナー、エルビン・ジョーンズの加わった最後のレコードである。

翌年、日本に初来日(1回来ていないが)、記者会見で「神に一歩でも近づきたい」と答えたと。

 本題は、日本語意味「瞑想」のことである。
以前、「プチ座禅の薦め」を紹介したことがあるが、目をつむると、今心の中で何を想っているかが浮かんでくる・・。

日ごろ、会社や家で生活していると、目の前のことが気になって、どうしても現象的なことに捕らわれてしまう。

風呂やトイレで一人目をつむると、落ち着いて自分自身に帰れることは、誰しも経験があることだろう。
別に、座禅をしなくとも、目をつむりメディテーション〈瞑想〉することは、自分を取り戻すひとときとなる。

マリア・テレジア

Maria_Theresia どういう訳か、100戦争、30年戦争と戦争の話を始めたら、パプスブルグ家の話にはまり込んでしまった。
と言うことで、今回は7年戦争マリア・テレジア、マリー・アントワネットの話。

30年戦争(1618-48年)から凡そ100年。 皇帝カール六世には男子の世継ぎに恵まれず、1740年マリア・テレジアが23才でパプスブルグ家を相続する。

これに、フランスが台頭してきたプロイセンなどと計らいパプスブルグ帝国の分割を画策。
介入してきたイギリスの後押しもあり帝位を死守するが、鉱物資源の恵まれたシレジア地方を与えるハメになった。(「オーストリア継承戦争」1740-48)

 マリア・テレジアは領土奪還の機会を窺い、今度はフランスと同盟。 フランスは大国となった東のプロイセンの脅威に対し、手を結ぶことにしたのだ。

1756年、「七年戦争」(~1763年)が始まったが、同盟国のロシアが手を引き、結局シレジアの奪還は叶わなかった。

歴史的なライバルであったフランス・ブルボン家との同盟関係はさらに進展しし、1770年には末娘、当時15才のマリー・アントワネットをルイ16世に嫁がせた。

 マリア・テレジアは、夫フランツ一世亡き後は、死ぬまで喪服を脱ぐことはなかったと云う。
ある日、金のない乞食女に出くわした。 乳が出ないというので自分の乳を飲ませたといい「国の母」として民衆からも慕われたと。

 (加藤雅彦「パプスブルグ帝国」、歴史の謎を探る会:編「世界史は戦争を知ればよくわかる」参照)
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