2012年01月

西光と信西そして清盛

西光

 阿波忌部の話は、藤原師光”西光”( ? -1177)により歴史の表舞台に表れた。

西光は吉野町柿原、今の阿波高等学校のある場所で豪族・麻植為光の子として生まれ、中納言・藤原家成の養子となって後白河天皇の近臣となった。

そして子の師高、師経が比叡山で紛争を起こし処罰されたので、西光が後白河天皇に訴え天台座主・明雲を伊豆に配罪させたが、そのせいかどうか、「鹿ヶ谷の陰謀」(1177年)を密告され、清盛に捕らえられ平氏を罵ったため斬首された(口を引き裂かれた)・・、くらいしか記録がない。

 なので、彼の仕えた少納言・藤原信西(通憲)(または高階通憲)(1106-1160)について記すことが西光の立場をよく理解できると思う。
信西の家系は、代々学者(儒官)で祖父・季綱は大学頭であったが、父・実兼が急死したため、高階家の養子となった。

通憲は、鳥羽上皇の第一の寵臣である藤原家成と親しい関係にあり、彼を通じて平清盛とも交流があった。(平 清盛の正室は高階基章の娘。清盛の嫡男・重盛の妻は家成の娘・経子=西光の義姉妹)

中宮・藤原璋子(侍賢門院)の係(中宮少進)、及び蔵人(秘書)そして璋子の子・崇徳天皇の蔵人も務めた。
1127年、妻・朝子が第四皇子・雅仁親王(後の後白河天皇の乳母に選ばれた。
通憲は鳥羽上皇の北面に伺候するようになったが、高階性となっていたので大学寮の役職には就けなくなっており、失望して出家し信西を名乗った。

そんな中、1155年信西の策動により雅仁親王が即位することになり(後白河天皇)、直後の「保元の乱」では対立していた崇徳上皇・藤原頼長を討ち、清盛の援護もあり権勢を振る舞うことになる。
それが、藤原信頼、源 義朝らの反感をかって「平治の乱」(1159年)となり、信西は自害したのだが、信頼・義朝も熊野詣から帰った平 清盛に討たれ、以後武士が軍事力のみならず政局を左右する時代へと変わったのだった。
 



「海幸彦と山幸彦」

浦島太郎

 海幸彦と山幸彦の神話は、兄弟物語。

ある日、弟の提案で山と海との領分を交代したが、山幸彦は海で魚が釣れない。そこに、潮流の神が現れ海神宮(綿津見宮)に導かれる。

そこで暮らすうち海神の娘・豊玉毘売(とよたまひめ)と恋に落ちて楽しく過ごした・・・、と以前にも触れた「浦島太郎」伝説(1/24)と似た話の成功譚である。

どういう訳か、『古事記』では因幡の白兎神話もそうだが、弟が主人公となる物語が多い。 結局は、火遠理命
(ほおりのみこと)が大和朝廷の先祖となり、天皇の祖の誕生を表しているのだという。

 日本人の魂の源泉でもある『古事記』は、古代の人々にとっては憲法であり、哲学・道徳であり、歴史でもあった。 人が人だるためには現代人にも神話が必要だとも。   (「サライ」2012.2月号より) 



つれづれなるままに

 800px-Yoshida_Kenko 
  兼好法師は、明日はどうなるかわからないような動乱の世に生きた出家人、つまりは勝ち組でもない、いわば好事家でした。

徒然草』は、日常の意見や感想の断片を書いたもので、「人生論」ではない。
書いた当時は注目されることなく、江戸時代に書かれた注釈書によってその存在をしられものという。

「蟻のごとくあつまりて、東西にいそぎ、南北にわしる。 ・・・いとなむところ何事ぞや。生を貪り利を求めてやむ時なし。」と、
何をセコセコ生きているのかと人間社会を見下しています。

「人の身に止むことをえずしていとなむ所、第一に喰う物、第二に着る物、第三に居る所なり。 この三つには過ぎず、飢えず、寒からず、風雨にをかされずして、閑かに過ぐすを楽(たのしび)とす。」と、
大事なものは衣食住の三つで、あとは心静かに日々を過ごすことを人の楽しみだと言っている。

 なかなか、そんな心境にはなれないのですが、今も「徒然草」が注目されている背景には、彼の生き方が今の時代にも共感を与えるということでしょう。

 (荻野 文子「100分で名著 徒然草」参照)

日向ぼっこ

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 冬の晴れ間にする”日向ぼっこ”ほど気持ちのイイものはない。
風のない昼時前、南向きの陽の当たる場所でまどろむのは天国にでも居る気分。

サンルームなどない我が家なので、南東の隅の日だまりを見つけ、しばし時を過ごすこともある。

「日向ぼっこ 日向がいやに なりにけり」(久保田 万太郎)

家の中にいると寒々とするが、しばらく日を浴びていると暑いくらいになる。

「日向ぼこ 百まで生くる 顔ばかり」(杉山 豊女)

並んで日向ぼっこする老人ホームを連想させる句だが、高齢化社会を考えると笑えない。

「ひとの釣る 浮子(うき)見て旅の 日向ぼこ」(山口 いさを)

風景が目に浮かぶ一コマである。

タンポポ咲く

たんぽぽ まだ1月末だというのにタンポポが咲いているのを見つけました。

南向きの緩斜面という立地条件が良い場所なのでしょうか。

タンポポ(蒲公英)の若葉は食べることができるらしいですよ。根も薬用となるという。


「蒲公英に 寝て見る空の 広さかな」
長谷川 零余子)

やはり、タンポポは春を象徴する花です。
若草の上に寝そべり青空を眺める様は、幼いころの思い出がよみがえる気がします。


「たんぽぽや 日はいつまでも 大空に」(中村 汀女)

まだまだ寒い日々ですが、日も長くなりはじめ春の予感を感じさせる頃でもあります。何となく心がうきうき、穏やかな気分にさせてくれるのがこれからの季節。

「出たがりの 靴を磨いて たんぽぽ野」星野 和子)

弁当を持って、春野の山に出掛けた頃がなつかしい。
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