2013年01月

アテルイと田村麻呂

アテルイの碑 大河ドラマ「北の英雄~アテルイ伝」は少し縁遠い話。

桓武天皇の時代、蝦夷地は蝦夷(えみし)とよばれる先住民によって支配されていた。

その中心となっていたのが阿弖流為(アテルイ)と盟友・母礼(モレ)で、胆沢地方(岩手県水沢市周辺)を中心に勢力を握っていた

 791年坂上田村麻呂は大伴弟麻呂を征夷大使とする蝦夷平定軍に副使として同行。
この時はアテルイを討つことはできず帰京、793年にも蝦夷地に赴き、797年には我が国初の征夷大将軍に任ぜられている。

801年4万の大軍を率いて侵攻、翌年2人の投降によってひとまず収束。 平安京に戻った田村麻呂は、両人の器量を惜しみ蝦夷地の経営に登用するよう朝廷に嘆願するも容れられず、2人は河内国で処刑された。

 京都・清水寺の創建は778年身籠もった夫人・三善高子の病を癒やすため鹿の生き血を求めて狩りに来た田村麻呂と僧賢心(後の延鎮)
との出会いにはじまる。
798年にも陸奥と平安京を行き来するなかで仏殿を造営した。

その清水寺の一角に、「阿弖流為 母礼之碑」と刻まれた石碑が立っている。 やがて田村麻呂は正三位大納言まで上り詰めた。
  (「古寺を巡る 清水寺」小学館参照)

”紫式部”

紫式部 毎日メジロが餌台に用意したミカンを食べにやって来る。

時には、ひよどりが邪魔をしてキィー・キィーと威嚇するような鳴き声を発すると飛び去り、何処かで暫く様子を見ている・・。

そう言えば、庭の端にムラサキシキブの小木があったのだが、邪魔になると母に切られてしまった。 在れば、その実もかっこうの冬の餌になっていたろうに・・。

 ”紫式部”は、山野に自生するクマツヅラ科の落葉低木。
10月から11月頃紫色の実をたくさん着け、葉を落とした後には実だけが残り印象的となる。 そんな実を鳥たちが見逃すはずはない。

「うしろ手に 一寸(ちょっと)紫 式部の実」(川崎 展宏)

  今春、再び訪れることになる西国13番札所の石山寺(滋賀県大津市)には、「源氏の間」という部屋があるらしい。
紫式部が参籠して『源氏物語』を起筆、書き始めた様子を再現していると。
また、源頼朝によって寄進されたという運慶・湛慶による東大門の仁王像に会えるのも楽しみにしている。

「神をも恐れぬ所業」

ご神木 最近、神社のご神木に薬剤を注入し安く買い入れるという文字通り「神をも恐れぬ所業」のニュースを聞いた。

何とも、日本人もここまで来たかと驚かされる事件。金のためなら「神も仏もあるものか」と謂わんばかり。
一日も早い犯人逮捕を望むばかりだ。

 「神をも恐れぬ所業」といえば、信長が築いた安土城には石仏が使われているというし、比叡山の焼き討ちで僧兵のみならず女こども数千人を殺した。(ルイス・フロイスの書簡では1,500人、『言継卿記』では3,000~4,000人

 しかし、これは戦国時代の覇権を争う中での出来事。京へのルートを確保するためのことであるから、同情の余地はある。

それに比べて、他に大木が無くなったと神社仏閣の境内のご神木に毒を盛るなぞ同情の余地なく、さぞ当のご神木は嘆いておられることだろうと・・。

源 道義

永楽通宝 三好氏や信長が手にした多くが室町幕府8代将軍足利義政が財政逼迫により切り売りした”東山御物”だった。

これらの多くは3代将軍義満ら足利将軍家が巨万の富を得た明との「勘合貿易」で収集したもので、源 道義は義満の出家名・法名。

 1401年”日本准三后道義”と署名した上表文を明国に送り、翌年9月2代皇帝建文帝より”日本国王源道義”との返詔を持った使者が到着。(「准三后」とは「准后」と同義。太皇太后、皇太后、皇后(三宮)に准ずる公家の頂点を指す。)

 義満の時代には約60隻の遣明船が往復し、1547年まで19次100隻以上が派遣され、明から銅銭、生糸、薬草、砂糖、青磁器、書画、漆器などが輸入され、日本からは、刀剣、蒔絵、扇、金などが輸出された。

当時、日本には輸出できるほどの銅産出国で銅銭をつくる技術も持っていたが、義満は国際貿易への参加を考え、アジア圏の国際通貨になっていた明銭を導入した。
これにより京都が政治・文化だけでなく経済の中心地にもなった。

 しかし、義政の時代になると財政に困窮し1516年には利権を大内氏に譲り、その他にも細川船、三十三間堂船、相国寺船など、守護大名や寺院による私貿易へと変貌した。

”永楽通宝”は、1411年建文帝を継いだ永楽帝の時代に造られた銅銭だが、どういう訳か中国国内では好まれず日本に持ち込まれ、1636年国産による寛永通宝が鋳造されるまで流通していた。
 (古寺を巡る「金閣寺 銀閣寺」小学館参照)


 

「こんな××に誰がした」

流れ星 











  円安、株高が”期待”通りに進行している。

「アベノミックス」ともてはやされて安倍首相の弁舌もさわやかだ。
「今までとは違う」「レジームチェンジ」と言われて国民もその気になっている。

 では、一体誰がデフレが続く借金まみれの国にしたのか。
ゼロ金利なので、後は金をばらまくしかないのでは?。 いつか通ってきた道のような気がするのだが、そうでないことを祈りたい。

「♪ こんな女に誰がした」は昭和22年の歌謡曲『星の流れに』の一節。
元は、菊池章子という人が歌っていたが、美空ひばりなど多くの人がカバーしている。私的にはちあきなおみが歌ってるのが印象的。

蛇足ながら、もうこうなったら「時の流れに身をまかせ」、「みんなで渡れば・・・」と覚悟を決めるしかないようだ。


記事検索
プロフィール

fumi

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ