2013年04月

「すべてを捨てる」

20110217-hijiri3 一茶は「四国紀行」で伊予に滞在し、阿波に来ることはなかったようだが、
同じ伊予、「一」で共通する一遍は没する直前に阿波に足を踏み入れている。(大麻比古神社に)

 一遍(1239-89年)は伊予の武将・河野通信(1156-1222年)の孫。 河野氏は旧北条市河野の出自で、通信の妻は北条時政の娘、政子の妹なので源頼朝とは義兄弟となる。

三好義長を遠祖とし、芥川季範が河野氏を称したことは以前にも触れた。(三好之長の子・長光は摂津・芥川家を継承)

 一遍は、1280年42歳のとき奥州を巡っているが、その時に「承久の乱」で朝廷方について陸奥国江差に流罪となり、亡くなった通信の墓を供養する様子が「一遍上人絵伝」に描かれている。(写真 これをキッカケに北上市稲瀬町水越に「聖塚」として墓所が築かれた)

15年間歩き続けた一遍は阿波で病になり、明石を経て摂津国兵庫の観音堂で亡くなったが、持ち物をすべて焼き捨て、葬式などはせず、亡骸は野に捨てて獣に施せと遺言したと。

「心をば こゝろの怨(あた)と こゝろえて こゝろのなきを こゝろとはせよ」 



一茶の「西国紀行」

20100621_030 世はゴールデン・ウィークながら、百姓にとっては田植えの時期。

「もたいなや 昼寝して聞(く) 田うゑ唄」(「書簡」)
「道とふも 遠慮がましき 田植哉」(「西国紀行」)

 小林一茶は寛政四年(1792)三月西国行脚に江戸を出発。九州から後半は四国・京阪を巡り、同十年(1798)十月まで足かけ7年間の長旅だったが、これにより独自の俳風へと大きく飛躍したと。

四国には都合4回訪れている。(寛政4年秋、6年春、同暮~翌春、8年秋から翌春) 残念ながら、阿波には足を踏み入れていないようだ。

 ところで余り語られることはないが、一茶の晩年は惨憺たるものだったよう。
1814年、52歳にして親子ほども年の離れた”きく”(28歳)と結婚し、2年後に長男が生まれたが1ヶ月後に死亡、’18年長女が生まれるが翌年、’20年にも生まれた次男も1年で死亡している。
そして、’22年に生まれた三男は妻とともに翌’23年に・・。

’24年に二妻”ゆき”と再婚したが、3ヶ月で離婚。
’26年三妻”やを”と結婚するも、翌’27年6月に自宅が類焼、11月19日に土蔵で65歳の生涯を閉じている。

「目出度さも ちう位也 おらが春」
「ともかくも あなた任せの としの暮」
代表的な句集『おらが春』は’19年、そんな中で生まれている・・。 
  
(矢羽勝幸「あるがままの俳人・一茶」NHKカルチャーラジオ参照)

”バニシング・ポイント”

チャレンジャー







 「おぎやはぎの愛車遍歴」に出演した中尾明慶さんは弱冠24歳。 ’71年式のダッジ・チャレンジャーに乗っている。

何でも、映画”バニシング・ポイント”を見て一目惚れしたのだと。

あの映画は覚えている。
アメリカン・ニュー・シネマと言われ、’73年に日本公開されたS・スピルバーグ監督の「激突」と同様に衝撃を受けた作品だ。

 主人公・コワルスキー(バリー・ニューマン)が”チャレンジャー”の陸送を請負ったが、スピード違反でパトカーに追いかけられ、最後にはバリケード(ブルドーザー)に訳もなく激突する・・。 

何だったのだろう・・。今もって不可解だが印象に残っている。

”ロンギヌスの聖槍”

ロンギヌスの聖剣 今、何故ヒトラーなのかと言われても困るが、「右翼化」と揶揄されているこの頃でもあり頭に浮かんだ・・。

この聞き慣れない”ロンギヌスの(聖)槍”とは、ヒトラーをヒトラーならしめたとされる聖遺物。

1938年、ヒトラーは若き日にウィーンで目にしていた”ロンギヌスの(聖)槍”をオーストリア併合時に持ち帰った。

 ロンギヌスとは、イウス・カシウス・ロンギヌスというローマ兵の名で、十字架上のキリストの死を確認するため脇腹を刺したと『新約聖書』に記述されていると。

ヒトラーは初めてこの槍を見て「未来の窓が開かれた。動脈の中の私の血がいつか我が同胞の『民族の魂』の血管を流れることを・・」と槍の霊気に触発されて”ESP(超感覚的知覚)”を得、「所有するものに世界を制する力を与える」との伝承を信じたようだ。

「共通善」

31-1  世の中、知らないことが多い。
だからこのブログも続けられるのだが・・。

今朝の新聞コラム『漢話字典(前田安正監修・笠原宏之早稲田大学教授)の「」の話は面白い。

「正」とは、一般的な「線で踏みまって考えるもの」という解釈は間違っている。
「止」は足跡を表し、「歩く」「進む」の意味がある。
「一」は、「城郭」を表しており、口(「国」などの部首、くにがまえ)が変化したもので、

「正」の意味は「城郭」+「進む」で、「城郭に向かって進む」→「攻める」であると。
行くという意味の「彳」と合わさり、征服の「征」。攻め入って税を取るとの意味。「政」は統治することで、「正」は強者の論理から生まれた漢字だと。

 もう一つ今朝のニュースで、今まで日本に好意的であったアメリカのマスコミが、安倍首相の「侵略の定義がなされていない」などの発言を批判している。

少し前、「正義」の講座で話題を呼んだマイケル・サンデル教授は「一人ひとりの主張する正しさより、共通に善いことが優先される」とし、個人にとって正しいことでも、それが社会にとって善いこと「共通善」とは言えないと指摘しているが・・。
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