2013年12月

”アイアン・ホース”

images  来年の干支は「甲午」。ウマ年である。

「ウマ」と言えば、”アイアン・ホース”。
私がバイクを買った仲ノ町・谷モータースのルーリング・クラブの名前でもあった。

また、ルー・ゲーリックの愛称でもある。
2130試合という、とんでもない記録を持つ「鉄の男」故のニックネームなのだろう。
彼はまた今も記録となっている満塁ホームラン23本を打っている。


 そう言えば、フェラーリのエンブレムも跳ね馬だ。
そこに書かれているS・Fの文字は、”スクーデリア・フェラーリ”というレーシング・チームの頭文字で、その紋章はエンツィオが第1次世界大戦の伊・撃墜王であるフランシスコ・パラッカという人物に出会い、彼の部隊のマークを譲り受けたものだという。

そのフェラーリを駆って、ワールド・チャンピョン7度という不滅の記録を残したミハエル・シューマッハは、カンバックしたメルセデスで成績を残せず不本意な形で去ったまでは許せるが、スキーで転倒して意識不明となったのはいただけない。

どこかの知事が金に目がくらみ、誰もが一度は座ってみたいシートから転がり落ちたのと同じで、みっともない結末だ・・。

ネアンデルタール人の絶滅の理由

main 「昔を偲ぶ」と言ってもネアンデルタール人の話はチト大昔過ぎるが、彼等の絶滅の理由の中に「社会性の欠如」が挙げられていることは、世界で孤立しかねない現政権のあり方にも何らかの示唆があるかと・・。

 ネアンデルタール人は20万年から3万年前、北アフリカからヨーロッパ、中央アジアにかけて分布していたホモ族の一種。
現代人とネアンデルタール人は約50~60万年前に共通の祖先から分かれた兄弟のような関係にあるらしい。

ホモ・サピエンスは5~6万年前にアフリカを出発し、4~5万年前にヨーロッパに進出した。(クロマニヨン人)

4万3000年前には気候が一段と厳しくなったことと、現生人類の進出によりネアンデルタール人は地中海沿岸の限られた地域に追い込まれ、2万8000年前頃に滅びた。

 ネアンデルタール人はずんぐりむっくりした寒冷地に適した体格で、5000キロカロリーのエネルギーが必要だったとも言われるが、居住地域をほとんど変えず、活動範囲が狭かったにもかかわらず、淡水魚や植物を加工して食べることなかったようで、その上言語能力も劣っていて交易の概念がなかった。 すなわち現生人類のほうが生存能力が高かった。

3万~2万3000年前には寒冷化がイベリア半島南部まで及んでいたことも、視界が開けた場所では投槍器を持ち、長身で細身の現代人類の方が有利だった。

両者はほとんど直接顔を合わせることはなく、狩猟採集民は相手を避け、排除しようとするなどさほど平和的ではなかったと。

「見るも憂し 思ふも苦し」

images 質量が太陽の8倍以上の恒星が寿命をむかえると「超新星爆発」を起こす。

7200光年の彼方での超新星爆発によりばら播かれた元素がガスやちりと衝突するなどして輝いている姿が、足を広げたカニのすがたに似ていることから「かに星雲」と呼ばれている。

1054年、突如明るい星が出現したと藤原定家(1162-1241)は『明月記』に記している。
実際の超新星爆発は今から8000年ほど前に起きたことになる。

「見るも憂し 思ふも苦し 数ならで 古(いにしへ)を偲びそめけむ」(二見浦百首)
・・・今のこの世は、見るのもイヤだし考えるのも苦しい。数にも入らない身なので、どうして昔を懐かしく思い始めたのだろうか。

戦乱の時代が歌の背景にあっての述懐らしいが、「現在を厭い過去を慕う」心情は古今同様のようだ。
特に、年令を経るとその思いは深まるもの。

 2014年も今日で終わり。
気分絶頂のトップに対し、中国や韓国の憤懣は爆発寸前。
アメリカやロシアを巻き込んで孤立無援状態にあるニッポン。
見るも憂し 思ふも苦し」と思う国民は多いとはず。取り巻きもマスコミの声は小さく頼りは世論だけなのだが・・。

「武士とは・・」

images  「行かねばならぬ」の記事で「武士とは・・」と書き、稲田家臣の北海道移住の顛末を書いて、北海道・函館に消えた土方歳三を思い浮かべた。

 明治元年(1868)10月20日、土方歳三は榎本武揚と合流して函館の北方・鷲ノ木に上陸、26日には五稜郭が無血開城させた。

明治2年4月6日、新政府軍1500人は江差の北方・乙部村に上陸し、10日には木古内へと進軍を開始。

土方は300名弱の兵で函館から江差に続く街道の中間、二股口(中山峠の麓)の台場山に本陣を置き守備についていた。
13日1000名の新政府軍が進撃してきて銃撃戦を展開。
一進一退で両軍にらみ合いとなったが、29日退却命令が届き五稜郭に引き上げた。

 榎本軍の勢力範囲は函館市内だけとなり、5月11日新政府軍は総攻撃を決定。
黒田清輝率いる兵は、意表を突いて断崖となった函館山の裏側から攻めて占領、山頂に大砲を据え付けた。

榎本軍は弁天台場、一本木関門も攻撃にさらされてついには五稜郭まで退却した。
土方率いる一隊は、弁天台場にいた新撰組を救出しようと一本木関門に兵を進め、馬上から獅子奮迅の戦いを展開したところ、腹部に銃弾を受け、近くの小屋に運ばれ手当を受けたが絶命、享年35歳であった。

 ”武士らしく”戦い、仲間を救出せんとして散った土方の生き方に共鳴する人も多いようだ。
その後、弁天台場は全滅、最後の砦となった五稜郭も17日には明け渡すことになった。
 (「幕府に忠義を尽くした男たち 新選組」三栄書房参照)

「ジャイアント・ステップス」

無題  突然ですが、TVでアポロ11号の初の月面着陸(1969.7.16)の場面を見て、N・アームストロング船長の有名な「これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな(偉大な)飛躍(Leap)である」のセリフから、ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』(1959.4.1-12.2)を。

 マイルス・デイビスの名盤『カンド・オブ・ブルー』の録音(1959.3.2,4.22)と相前後して録音。(4/1,5/4.5,12/2 録音日に12月2日、私の誕生日が含まれているのが嬉しい。)

マイルスのグループを退団して独立後最初のアルバム。
「ジャイアントステップス」とは、偉大なマイルスの袂から離れる大きな転機、決心を意味しているのだろう。

♪=240という超ハイテンポの演奏で、本格的な”モード奏法”に入る前だが、従来の”ハード・バップ”から脱却し、「コルトレーン・ジャズ」の旗揚げを示した作品。

翌年には『マイ・フェイヴァリット・シングス』を録音し、以後’67年肝臓ガンで死亡するまでアドリブを極限まで深めるとともに、肌の色を超越した人間の精神と音楽の関わりを追求した。

 彼は不器用で30歳を超えるまで正当に評価されることはなかった。
しかし、片時もサックスを手放さない練習の虫だったと。
一方で神を求め精神的なものを求め、音楽を通して人間の生き方を追求した。

相棒のベーシスト、ジミー・ギャリソンは「彼の生き方は大きな音楽作品そのものだった」、「彼にはどこか神聖ななところがあり、お互いに尊敬と愛があった」と述べ、。

コルトレーン自身は「音楽は私にとってより高い理想を実現するための表現である」、「何になりたいかって? 僕は聖者になりたい」と語っている。
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