2015年12月

「正月の神さん」

鏡餅 「むかし、あるところに爺さんと婆さんが住んでおりました。
正月の十五日に、爺さんが隣り村から帰ってきよると、家の近くの松の木の下で七人の旅人が雨宿りをしておりました。

爺さんが、
「まあまあ、むさくるしいところじゃが入ってお休みなされ」
と言って家へ案内してきました。 しばらく休んでおりましたが、雨が降りやまぬので旅人が、
「傘を借してもらえまいか。正月にはきっと返しにくるから」
と爺さんに頼みました。

 爺さんと婆さんは大そう親切な人であったので、よろおんで貸してあげることにしました。
爺さんと婆さんが家の中を探して、蓑と笠をやっと四つだけ出してしました。
やっと婆さんが番傘を日本とり出してきたので、これを二人にわたしました。 どうしても一人に着せるものがないので、爺さんの着ていた合羽を貸してあげることにしました。 七人の旅人はよろこんで雨の中を外へ出て行きました。

 それから一年間、何事もなくうち過ぎましたが、やがて大晦日の晩がやってきました。
爺さんが、
「これ婆さんや、貧乏人は困ったもんじゃのお。正月がくるというのに餅もつけんとはのう。どうれ、もう寝るとするか」
と言いながら寝かけておりますと、門の前でがやがやはなし声が聞こえます。
しばらくすると、
「今晩は」
と言って、七人の旅人が入って来ました。
爺さんが、
「おお、おお、これは、この前の方々、ほんまにようきてくださった。こんなむさくるしいところじゃが、上がって休んでつかはれ、さあさあ」
と座敷へ上げました。
旅人の一人が、
「これ、爺さん、婆さんや、わしらは年取り(正月)の神じゃ、お前さん達が、親切で心のやさしい人なので、正月の福を授けにやってきたのじゃ、何でも欲しいもんがあったら遠慮なく言いなはれ」
と言いました。
爺さん婆さんは、急なことで大へんびっくりしました。
「ほんなら、うちんくは貧乏じゃけん年取りが出来まへん。お金と米をつかはれ」
と頼みました。

神さんは、それはやさしいことだと言って、小槌を出して、
「これは打ち出の小槌というて、なんでも好きなもんが出てくるんじゃ」
と言って、爺さんに渡しました。
七人の神さんのうち、爺さんの合羽を借りた一人の神さんだけが残り、六人の神さんは帰っていきました。
あとに残った神さんが、
「これ、爺さんや、まだなんぞ欲しいもんはないか、あったら遠慮なく言いなはれよ」
と言いましたので、爺さんは、
「神さん、ほんならわしら子供がないけん、子供を授けてつかはれ」
と言いました。 
すると神さんは、それはやさしいことだ、そんなら元日の朝、夫婦がお早うございます、と挨拶しさえすれば若返るから、それから子供をつくりなはれと言って帰っていきました。

 夜が明けるそうそう、夫婦は神さんにいわれた通り、
「お早うございます」
と挨拶すると、急にわかしい(青年)になりました。
それから夫婦には子供が生まれて、この家は繁昌しました。」

  (湯浅良幸・緒方啓郎共編「阿波の民話 第一集~阿波郡」未來社より)
 

「松飾り」

image 「幾霜に 心ばせをの 松飾り」(芭蕉:幾星霜を経ても我が庵の春は、庭の芭蕉を松飾りとするだけの初春である)

はや12月も29日となってしまった。
まだ正月飾りを終えていないのだが、29日に飾るのは「苦立て」とされ縁起が悪いようだ。

 門松の風習は平安末期から鎌倉時代にかけて普及したという。
門松は立てられないので、注連縄を飾るのが一般的だ。
この門松は年初に訪れる神の依り代で、注連縄は厄神が入ってこないように結界をつくる意味もあるよう。

この注連縄と鏡餅がどこの家庭でもする定番。 鏡餅の鏡は八咫鏡(やたのかがみ)をかたどっており、上にのせる橙は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、串柿は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)
で「三種の神器」をかたどっているのだとも。

「尾をすこし はねあげ注連を 飾りけり」(高井北杜)

『日本歳時記』(貝原好古編 貝原益軒刪補)には、「しめ縄という物は、左縄によりて、縄のはしをそろへぬものなり。天照大神の天の岩戸を出給ひし時、しりくめ縄とてひかれたるは、今のしめなはなり」とある。 (「新日本大歳時記」講談社参照)


「上桜城の一本松」

01 「上桜城には、伊勢の大神宮さんが祭られていて、秋のお祭りには芝居や相撲があって、遠方から見物人が大勢集まって賑わっていたそうである。
それで、城跡を「大神宮さん」という。 また、別にここを「一本松」ともいうが、それには次のようないわれがある。

「上桜城の木を切ったらたたりがある」ということは、ずいぶん昔からいわれていたので、城跡一帯には二抱えもある杉や檜や松の大木がうっそうと茂っていて昼でも薄暗く、その中に「大神宮さんのお使い」という大きな蛇が住んでいた。 この蛇を見たという人も大勢いて、跨いで通っても別に害を与えるようなことはなかった。

 いつの頃からか、徳島の材木屋がこの木を買って伐り出すことになった。
土地の木挽(こびき)たちは、たたりがあるのを知っているので、誰も伐るというものはなかったが、材木屋はそれを無理やりに説き伏せて仕事をすることになった。

いよいよ明日は「ちょうな初め」をするという前夜、木挽の枕元に大きい蛇が現れて「どうぞ城跡の木はきらんで下さい」と頼んだそうである。
さてちょうな初めの当日、木挽が杉の大木に斧を打ち込んだところ、そこから真っ赤な血が流れ出た。
色を失った木挽が「実は夕べこんな夢を見たんじゃが」と、蛇に頼まれたことを話すと、ほかの木挽や材木屋も同じ夢を見たことを話し合って真っ青になった。

しかし、この商いに自分の運命をかけている材木屋は「おまいらはわしに雇われている人夫じゃけん、わしの言うとおりに伐れ。もしたたりがあるんならわしにたたったらええんじゃろうが。」と言って片っ端から伐ってしまった。
その時、村の人々の強い願いで松を一本だけ残すことにした。 これが上桜城の一本松である。

ここの木を切って間もなく木挽や材木屋もみんな不幸が重なって、病人や死人が続いた。
そして、その後蛇を見たという人はなくなった。 ただ、一本松だけはその後も川島の町を見下ろすように立っていたが、昭和六十年頃松くい虫のために枯れてしまった。」
  (「川島町の昔話」より 喜多弘・湯浅安夫共著「麻植の伝説」)

「とらわれの松」

平重衡 治承4年(1180)12月28日平重衡の南都焼き討ちにより、東大寺、興福寺などの堂塔伽藍は焼き尽くされた。

4月以仁王(後白河法皇の第3皇子)は源頼政のすすめによって平家打倒の令旨を発するがあえなく鎮圧され、6月清盛は福原への遷都を強行したが、その背景には南都を中心とする大寺院の影響力を弱めるねらいもあったようだ。

しかし、頼朝に続き、9月には義仲も挙兵し、10月19日「富士川の合戦」で水鳥の飛び立つ音を夜襲と勘違いして撤退するなどの醜態を見せると、園城寺や興福寺など寺社勢力も不穏な動きを見せ始め、清盛は11月23日京都に帰った。

12月になると園城寺を焼き払い、近江源氏・山本義経らを打ち破って近江を平定すると、次に背後の脅威を一掃するため畿内最大の反平氏勢力だった興福寺に狙いを定め重衡を大将軍に任じて4万の大軍を動員した・・。

『平家物語』では、明かりを点けるため民家に火を放ったところ、折からの風にあおられて延焼してしまい、重衡の思惑を超えたものだったとするが、大参事となり寺院勢力の平氏に対する敵意はこれまでになく燃え上がり、翌年2月4日清盛が熱病で急死したのも天罰が下ったに違いないと噂されたと。

 この重衡(清盛の五男)は、寿永3年(1184)2月「一ノ谷の合戦」で捕らえられ、翌4年(1185)6月22日東大寺の使者に引き渡されて23日木津川畔で斬首され奈良坂にある般若寺門前に梟首(さらし首)された。


「ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて すまでのむこの 濁り酒なれ」

Shigehira神戸市須磨区にある「平重衡とらわれの松跡」は、捕らえられた重衡が近くにあった松に腰かけているところに、村人が濁り酒を差し出したところ、喜んでこの句を詠んだと。 (侍女となった千手の前については2013.6.7『千手』の記事あり)


「矢止めの松」

矢止めの松 木曽義仲を射止めた矢は高越寺領の地頭だった中原親能の放ったものだったとも云われ、阿波とかすかな繋がりを見出したが、平家打倒の令旨を以仁王と結んで出した源三位・源頼政は讃岐と縁がある。

頼政(1104-1180)の若いころの経歴は定かでないようだが、讃岐に下向して多度津郡三井に住んでいたと地元は伝える。

 その善通寺市の筆の山に大百足が住んでいて人々を苦しめていたのを、頼政が退治に向かった。
しかし、弘田に生えていた松の木がジャマになって当たらなかったが、三本目にやっと命中して大百足は死んだ。

その史跡が「矢止めの松」として、頼政の屋敷跡は若宮神社として残っており、近くには頼政の子孫という大庄屋・須藤家がある。


「埋もれ木の 花咲くことも なかりしに みのなる果てぞ 哀れなりける」

 頼政に二条院讃岐という娘(二条天皇の女房)がいる。 百人一首にも登場し「沖の石の讃岐」との異名をとる。
歌才に優れ『詞花和歌集』以下勅撰和歌集に62首入集している頼政の薫陶を受けた女流歌人である。

「わが袖は 塩干に見えぬ 沖の石 人こそ知らね 乾く間もなし」

摂津源氏の末流・頼政も由緒では劣らない。
清盛の信頼も厚く、74才となって公卿に列する従三位への破格の昇進を受けたが、77才の高齢となっていたにもかかわらず叛旗をひるがえした・・。 

 
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