お安御前 










 美馬郡半田の山あいに、天をつくようなくすの大木がありました。

長い間、山の主として村の人たちから厚い信仰を得ていたが、
ある日のこと、豊臣秀吉が朝鮮征伐のため、巨大な軍船を建造するため、村にくすの木を切り倒して差し出すようお触れが来た。

しかし、村人はたたりを恐れて誰一人協力しなかったので、藩庁から奉行が多くの木こりを連れてやって来た。

そして最初の斧がくすの木に打ち込まれたとき、空はみるみるうちにかき曇って暴風雨になりました。
それでも木こりはふるえおののきながら、木のまわりを五・六寸切り込むことができました。

ところが翌朝になって行ってみると、不思議なことに一夜にしてすっかり元のように癒えているので、木こりたちは肝をつぶしてしまいました。 そして三日目の朝も同じことでした。
木こりたちはすっかりおじけてしまい、恐ろしくなって逃げ出す者もでる始末。

 そこで、奉行は修験者にお願いして山の主の怒りを鎮めてもらうことにしました。
修験者は奉行や村人達が見守る中で、護摩をたいて祈祷を続けていましたが、やがて
「なみなみのことでは山の主の怒りは鎮まりません。主のいうことには、はらみ女の生き血をいけにえにせよということですぞ」

これを聞いた村人たちはびっくり。 奉行も殿様に相談に行ったが、殿様はどうがこうでもくすの木を切り倒せと命じました。
奉行は、「自ら願い出た者には、厚くその菩提を弔い、残った家族には手当てをつかわす」との御触れを出した。

ところがこともあろうに、これを聞いた奥方のお安がはるばる徳島からやって来て、「わたしがいけにえになりましょう」と名乗り出ました。
奉行はびっくりして思いとどまらせようとしたが、お安は、「私が名乗り出なければ、外の誰かが無理矢理いけにえにされるでしょう。」といって夫の説得を受け付けません。

お安はまだ十九歳になったばかり、花のように美しい若女房でした。
腹にはやがて生まれてくる小さな生命が宿っておりました。

奉行の苦悩をよそに、やがていけにえを捧げる日がやってきました。
村人たちは、「ああ、ありがたいこっちゃ」、「ほんまにもったいないこっちゃ」と、あちこちからうめき声とすすり泣声が聞こえてきます。

 やがて誰からともなく読響の声が起こり、村人たちの合唱が山々に響き、修験者は乱心したかのように祈り続け、木こりたちは斧を打ち続けました。
お安は立ち上がったかと思うと、くすの木の切り口の側に寄っていき、奉行の眼を悲しそうにじっとみつめ、村人たちににっこりと会釈をしたかと思うと、切り口に身をおどらせました。

するとくすの木からは真っ赤な血潮が吹き出しました。
木こりたちは放心したかのように斧を打ち込み、のこを挽(ひ)き続けました。

やがて、さしもの大くすの木も、どどどどっと山が崩れるように地響きをたてて倒れました。

 奉行は、放心したかのように病の床に伏してしまいました。
やがて大くすの木を材料にして大船が建造され、お安の名前にちなんで「大安丸」と名付けられました。

しかし、どうしたことか、鳴門の海峡にさしかかると、あっという間に沈没してしまいました。 春三月の大潮の日には、大安丸の不気味な姿が海底深くに見えたという。
それから後、村人たちはくすの大木跡に小さなお堂を建て、お安母子の悲しい霊を慰めたということです。
  (湯浅良幸・緒方啓郎共編「阿波に民話 第一集」より)