tokiyori ここまで傀儡将軍をたてて鎌倉幕府を陰で操った執権・北条時頼(1227-1263)を悪人扱いしてきたが、水戸黄門のモデルとも云われ人間味あふれた名君だったとの評価もあるようだ。

寛元4年(1246)病弱だった兄・経時に代わり19歳で第5代執権に就いた時頼は、「宝治合戦」(1247)で最大の御家人・三浦一族を滅ぼしてその地位を盤石なものにした。

建長4年(1252)には4代将軍九条頼経に続いて5代将軍藤原頼嗣も京都に追放して、新たに御嵯峨天皇の皇子・宗尊親王を擁立するとともに、評定衆の下に引付衆を設置して訴訟や政治の公平や迅速化を図った。

 また、庶民の救済策も積極的に打ち出し”仁政”を施したことからさまざまな逸話や伝説が各地に生まれた。
能「鉢の木」では、ある雪の晩に上野国・佐野に住む所領を失い落ちぶれた佐野源左衛門常世の家に旅の僧(実は時頼)が宿を借りに来た。 僧をもてなす焚火にすら困窮している常世は、秘蔵の鉢の木を伐って薪にする。「落ちぶれはしてもひとたび事があるときは、一番に参上する」と「いざ鎌倉」の覚悟を語る。  

関八州に鎌倉招集の軍令が下ると、みすぼらしい姿で馳せ参じた常世は、そこで旅の僧が回国修行の最明寺入道時頼だったことを知る。
時頼は常世に所領を安堵し、さらに梅・桜・松の鉢の木に因んだ新領地三か所を与えた・・。