02-1 北条時頼は京都に追随するのではなく、鎌倉に新しい武士の文化を築こうと建長寺を創建した。(1253)

建長寺の初代住持となったのは蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)。
当時、中国ではモンゴルの勃興により南宋はしだいに衰退しつつあり、多くの僧侶が渡海してきており、道隆もそのひとりだった。

執権にとなった時頼は、積極的に中国文化を取り入れようと、中国で盛んであったが京都では既成の仏教団の勢力が強くて限定的にしか受け入れられてなかった「禅」に目をつけ建長寺を日本初の禅の専門道場とした。
そして、後に京都・建仁寺も円(天台)・密(密教)・禅の三宋兼学から臨済禅専門に改めた。

蘭渓道隆亡き後には子・時宗の招きで無学祖元(1226-86)が来日し、建長寺第5世住持となっている。

 建仁寺を開いたのは臨済宗の開祖・栄西(1141-1215)で、彼は日本に茶を飲む習慣をもたらした。
鎌倉に下った栄西は北条政子の帰依を受け、二日酔いに悩む3代将軍源実朝に『喫茶養生記』を献上している。
栄西が茶を勧めたのはもっぱら健康のためであったが、後に儀式化され「茶道」という日本独自の文化が生まれることとなった。(「仏教を歩く 栄西」朝日新聞出版参照)