新田 水戸黄門、そして茶が話題に上がったので、水戸徳川家に伝わる名品、唐物肩衝茶入「新田」のことを。

「初花」、「楢柴」とともに”三肩衝”とされる「新田」の名がどこで付けられたのかは定かでない。

また、所有者の変遷についても、①細川晴元大友宗麟→豊臣秀吉 ②村田珠光→三好政長(宗三)→織田信長→大友宗麟→豊臣秀吉などとされているが、三好政長(~'49)が所有していたものの信長に献上したというのは合点がいかない。(信長は’34年生まれで’46年に元服、’59年に初上洛)

三好長慶と戦った細川晴元(~1563)から大友宗麟の手に渡ったというのはどういう経緯からだろうか。
’58年11月六角義賢の仲介により主君である将軍・足利義輝と長慶は和睦、5年ぶりに京に入洛し、諸国の大名と修好に図り、大友宗麟は足利将軍家にもっとも親しい守護大名で、この時期多額の献金(3,000貫)をして新たに豊前・筑前・筑後三ヵ国の守護に任ぜられ(豊後・肥後と合わせ合計6ヵ国)、九州探題にも補任されている。 しかし、この和睦のさいにも晴元は坂本に留まっているのだが・・。

 とにかく、名物「新田」は家康が大坂城落城の跡から回収して修復された。
元は海松色(みるいろ:黒色がかった黄緑色。英名オリーブ・グリーン)であったのが黒褐色となり、三肩衝の第1位であったのが「初花」にその地位を奪われたとか。

 ところで、徳川光圀の名は3代将軍・家光から一字もらったもので、中国の史書『晋書』の「徳龍興して大國を光有す」に由来するものだが、晩年大国を光有するのは大名の職ではないとして國を圀と改めたのだと。