32 梅雨の晴れ間。 昨年は9日には明けていたが、最も遅く梅雨入りとなった今年はいったい何時梅雨明けとなるのだろう・・。

「瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」(崇徳院)

 あらためて思うに、上皇・天皇を佐渡島に配流するとは畏れ多い事だった。

そう云えば、土御門天皇の曽祖父にあたる崇徳天皇も「保元の乱」(1156)を起こし讃岐に流され、のちに阿波に来た。


この崇徳院の歌に由来する銘をもつのが柿の蔕(ヘタ)茶碗「瀧川(根津美術館)
高麗茶碗の一種で、李朝(1392-1910)時代初期に焼かれ、その色合いから「柿の蔕茶碗」と呼ばれる。
他に、「京極」(徳川美術館:写真)、「毘沙門」(畠山記念館)、「大津」(藤田美術館)がある。

 ところで、崇徳上皇が乱を起こしたのは弟・後白河天皇が即位した翌年のこと。
後白河天皇は、即位するまでは「文にも武にもあらず、能もなく芸もなし」と暗愚、資質に問題ありとされ、子である守仁親王(のちの二条天皇)が幼少であるために繋ぎとして即死したのだが、結果は以後五代にわたって院政を続け、類まれな政治力を発揮した。

nachi-no-himatsuriその後白河法皇は、合計34回も熊野御幸を行っている。

有名な”那智の滝”は、那智48滝の「一の滝」のことで、熊野那智大社の別宮である飛龍神社の御神体であり、7月14日には「火祭り」が行われる。 
(高森明勅著「歴代天皇事典」参照)