季節・自然・こよみ

「社日」騒動

PA0_0035 秋は祭りの季節でもある。

最近では行われることが少なくなった「社日」は、「秋分の日」に近い「戊
(つちのえ)」の日に、産土神に感謝する祭りであるが、今年はひと悶着あった。

今年の「秋分の日」9月23日は「癸
(みずのと)」で、近い戊の日は18日と28日があり、そのどちらで行うかで論争になったのである。

調べてみると、①秋分になった瞬間が午前の場合は前の戊の日とし、午後の場合は後の戊の日とする場合と、②前の日とする、とされているようだ。

「秋分となった瞬間」とは、太陽が「秋分点」を通過する瞬間のことだろう。
「秋分点」は、黄道と天の赤道が交差する2つの交点のうち、黄道(太陽)が北から南に交わる点のこと。

 ところで、「春分の日」「秋分の日」には昼夜の長さが同じになるというが、実際は同じではない。

これは、①日の出入りは太陽の上辺で定義されるので、太陽の半径分だけ日の出は早く、日の入りは遅くなる。
(角度で15度、時間は約1分)

また、大気の影響で光が折り曲げられ、浮き上がって見える効果=大気差が考慮され2分強
(35度8分と仮定)だけ日の出は早く、日の入りは遅くなり、かつ日本付近では太陽が斜めに昇ることから合計約4分づつ日の出は早く、日の入りは遅くなる。

つまり、昼の長さは12時間+約4分
(日の出)+約4分(日の入り)で、12時間8分となり、夜はその分短くなる。 (片山真人著「暦の科学」参照)


「実盛虫」

01 秋雨前線が停滞して梅雨を思わせるような長雨が続いており、九州には大雨をもたらすとともに、収穫期を迎えた地元でも農家を悩ませている。

写真は、最近よく話題になる「秋の七草」フジバカマに海を越えてやって来るアサギマダラ。
我が家でも初めてフジバカマを植えてみたが、まだアサギマダラはやって来ない。

 稲に大きな被害をもたらすウンカ(浮塵子)もジェット気流に乗ってベトナムや中国からやって来るのだと。
雲霞
(うんか)のごとく大群をなして飛んで来るのでこの名があるとも。

「むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす」(芭蕉)

齋藤實盛 斎藤実盛(1111-83)は、木曽義仲追討のため平維盛とともに北陸に出陣したが、加賀国の「篠原の合戦」で、義仲軍の手塚光盛に討たれた。

この時、馬が稲の株につまずいて落馬したところを討ち取られたので、実盛が害虫となって稲に害をもたらすとの伝承から、ウンカは「実盛虫」とも呼ばれる。

 ところで、農家も高齢化の進行等により耕作放棄地が増えているが、特に山間部の棚田は手間がかかることから一層荒廃化が進んでいる。

この棚田が増えたのは、戦国時代から江戸時代にかけてのことだと。

三好長慶が居城とした越水城や芥川山城・飯盛山城も”山城”だったが、山城を築くための土木技術の発達により、それまで田んぼをつくることができなかった山間部にも水田を拓くことが可能となった。

「堀」をつくる技術により水路を引くことができ、「土塁」を築く技術で畦をつくり、「石垣」を組む技術を用いてより強固な田んぼを作ることができるようになった。
また、河川には土手を作って洪水を防ぎ、遊水地帯を水田に変えたり、人工河川をつくって水のない場所も新田を拓くことができた。

戦国時代も終わり頃になると、国境も定まって来て領地を増やすことが難しくなり、棚田を拓くことで石高を増やしたのだと。
 (丸山宗利著「昆虫はすごい」、稲垣栄洋著「イネという不思議な植物」参照)

十九土用

unagiset18 異常に暑かった今年の夏も、この台風が去れば少しは涼しくなるだろうか・・。

立秋も過ぎたが、本来18日間ある「土用」が19日となる年(
十九土用)は暑いと云われる。

「十九土用とて、人皆しのぎかね、夏なき国もがな、汗かかぬ里もありやと・・」
(井原西鶴『好色一代女』)

今年の(夏の)土用は7/20~8/7で19日間だった。(ちなみに、昨年は7/20~8/6で18日間)

 現在は、四立の18日前ではなく、太陽の黄経18°前(297°・27°・117°・207°)で決められており、太陽の年周運動は黄経の同じ角度を進むのに夏はよけいに日数がかかるため、春と夏の土用は18~19日間、秋と冬は17~18日間となる。

 『好色一代女』(1686刊)が刊行される直前の貞享元年(1684)に824年ぶりに「宣明暦」が「貞享暦」に改暦された。

「宣明暦」は、貞観4年(862)時の太政大臣藤原良房が藤原政権の安泰と長久を祝して改暦したものであり、藤原氏が続く限り宣明暦も続くものとして改暦されなかったとも。(天文暦法の学術が衰えていた)

「宣明暦」では、1年365.2446を一気15日ごとの二十四節気としたときの端数5.2446を、1年365.2446で割った端数が1日に達するごとに「没日」(もつにち)を置き、これを「凶の日」としていた。
そしてこれが夏の土用にあるときは夏は暑いと云ったのだと・・。 (倉嶋厚著「季節の365日話題事典」、歴史読本「万有こよみ百科」)

鈴虫と松虫

Suzumushi「あれ松虫が鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろちん
  あれ鈴虫も鳴き出した りんりんりんりん りいんりん・・」

立秋となり、夜10時も過ぎると涼しくなって虫たちも鳴きはじめる。
鈴虫は「涼しい虫」と思うのだが、どうでしょう?

「飼ひ置きし 鈴虫死んで 庵(いお)淋し」(子規)

鈴虫の鳴き声には清々しさを感じる。


22 正直、松虫の「ちんちろちん」との鳴き声は判別できない。

どこか雅な音色は、昔から鳴く虫の第一とされているようだ。
謡曲「野々宮」で、「人を待つ」という風情があると云うのだが・・。
「誰待つ虫の声 りんりんりんとして 風茫々たり」

「秋の野に 人待つ虫の 声すなり われかと行きて いざ訪(とぶら)はん」(『古今和歌集』詠み人知らず)


能の演目『松虫』では、松虫の声を聞くと言ったまま草原に分け入り、帰らないのでもう一人の男も後を追った・・。
男色関係にある男がさまざまな虫の音の響き合う中で舞い遊び、夜明けの鐘の音とともに消えて行く・・。
  (村山湛著「能の見どころ」参照)



「大暑」

33 まだ梅雨も明けないうちに「大暑」となった。

「兎も片耳垂るる大暑かな」(芥川龍之介)

 「二十四節気」は、四季を冬至・夏至とその中間の春分・秋分の「二至二分」に、立春・立夏・立秋・立冬の”四立”を加えた八節を三分割したもの。

現在も、国立天文台が「定気法」(天保15年(1844)より明治6年に「太陽暦」が導入されるまで使用された『天保暦』で採用されたもの)により発表している。

 古くは冬至を基点として、ほぼ15日ごとに節気間を均等にしていた「平気法」(恒気法)によっていたが、『天保暦』以降は春分を基点とし黄経15度ずつに配置する「定気法」が採用された。

「定気法」では、太陽の移動速度がやや遅くなる夏至の頃には一節気は16日余りで、反対に早くなる冬至の頃には14日余りと不均等であるが、より天文に忠実となっている。
「二十四節気」は、月の満ち欠けで日付を決めていた和暦・太陰暦を補うための太陽暦でもある。

 「七十二候」は、さらに「二十四節気」を約5日ごとに分割したもの。
「二十四節気」が古代中国・黄河中流域の気候に基づいて名付けられたものが現在でもそのまま継承されているが、「七十二候」は日本の気候風土に合わせて何度か変更されている。

渋川春海(1639-1715)による初の国産暦「貞享暦」(貞享2年(1685)から70年間使用された)では『本朝七十二候』が作成されている。  (「日本のならわしとしきたり」徳間書店 参照)
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