「♪ しののめの 上野が丘に~・・」
池田高校出身でなくとも甲子園での活躍で覚えた校歌、今は久しく聞くことがない・・。
「しののめ(東雲)」は明け方や明け方の東の空の雲の意味。
夏の甲子園の真紅の優勝旗は「白河の関」を越えて東北仙台育英にもたらされたが、西の四国に住む者の負け惜しみながら、関東と関西を分ける「不破の関」(岐阜県関ケ原町)を基準にするとまだ6対4で西の方の優勝回数が多いようだ。
東の空と云えば、「かぎろい(ひ)」という言葉がある。
「東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かえり見すれば 月傾(かたむ)きぬ」(柿本人麻呂『万葉集』巻一・四十八)
「かぎろひ」は、日の出前に東の空が赤くなる現象のことで、軽皇子(後の文武天皇)が父・草壁皇子の故事にならい皇位継承をアピールする狩りを安騎野(奈良県宇陀郡大宇陀)で行ったとき従駕したときの歌。
平安京から東の鎌倉に武士政権を樹立した頼朝三代を継いだ北条氏の初代執権時政(1138-1215)には伊東祐親の娘や牧の方の他にも妻がいて、その娘は一部は貴族の他はほとんどは東国武士に嫁がせた。(時政の祖父・時家は在京活動をしていた軍事貴族で、伊豆の在庁官人をつとめ「北条介」の一族に婿入りし土着して北条氏の祖となったことから、京都に繋がりがあった)
その中に、西国伊予の豪族・河野通信(1156-1223)にも嫁がせている。
河野氏は、河内源氏2代目棟梁源頼義(988-1075)が伊予の国司に任じられ、子・親清が河野親経の娘と結婚して河野姓を継いだ。
その孫が通信で、「源平合戦」では屋島の戦いや壇ノ浦の戦いに水軍で加勢している。
しかし、「承久の乱」(1221)では朝廷側についたため通信は奥州江刺に流罪となり、その地で亡くなった。
子の通久は母(時政の娘)とともに鎌倉に住んでいたため、病弱であった通広とともに難を逃れたが、所領はすべて没収され河野家は没落した。
この通広の子が時宗の祖・一遍(1239-89)。
また、一遍の母親は大江季光の娘で、季光は今『鎌倉殿の13人』で度々登場する公文所(後の政所)別当・大江広元(相模毛利庄を本拠)の四男。
季光の娘は第5代執権北条時頼(1227-63)の妻でもあったが、「宝治合戦」(1247)で三浦氏に加担し自死した。 しかし、子孫は安芸・毛利氏となり名を残している。 (「万葉集歌の力」徳間書店、山本みなみ著「史伝 北条政子」、桜井哲夫著「一遍と時衆の謎」 参照)
池田高校出身でなくとも甲子園での活躍で覚えた校歌、今は久しく聞くことがない・・。
「しののめ(東雲)」は明け方や明け方の東の空の雲の意味。
夏の甲子園の真紅の優勝旗は「白河の関」を越えて東北仙台育英にもたらされたが、西の四国に住む者の負け惜しみながら、関東と関西を分ける「不破の関」(岐阜県関ケ原町)を基準にするとまだ6対4で西の方の優勝回数が多いようだ。
東の空と云えば、「かぎろい(ひ)」という言葉がある。
「東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かえり見すれば 月傾(かたむ)きぬ」(柿本人麻呂『万葉集』巻一・四十八)
「かぎろひ」は、日の出前に東の空が赤くなる現象のことで、軽皇子(後の文武天皇)が父・草壁皇子の故事にならい皇位継承をアピールする狩りを安騎野(奈良県宇陀郡大宇陀)で行ったとき従駕したときの歌。
平安京から東の鎌倉に武士政権を樹立した頼朝三代を継いだ北条氏の初代執権時政(1138-1215)には伊東祐親の娘や牧の方の他にも妻がいて、その娘は一部は貴族の他はほとんどは東国武士に嫁がせた。(時政の祖父・時家は在京活動をしていた軍事貴族で、伊豆の在庁官人をつとめ「北条介」の一族に婿入りし土着して北条氏の祖となったことから、京都に繋がりがあった)
その中に、西国伊予の豪族・河野通信(1156-1223)にも嫁がせている。
河野氏は、河内源氏2代目棟梁源頼義(988-1075)が伊予の国司に任じられ、子・親清が河野親経の娘と結婚して河野姓を継いだ。
その孫が通信で、「源平合戦」では屋島の戦いや壇ノ浦の戦いに水軍で加勢している。
しかし、「承久の乱」(1221)では朝廷側についたため通信は奥州江刺に流罪となり、その地で亡くなった。
子の通久は母(時政の娘)とともに鎌倉に住んでいたため、病弱であった通広とともに難を逃れたが、所領はすべて没収され河野家は没落した。
この通広の子が時宗の祖・一遍(1239-89)。
また、一遍の母親は大江季光の娘で、季光は今『鎌倉殿の13人』で度々登場する公文所(後の政所)別当・大江広元(相模毛利庄を本拠)の四男。
季光の娘は第5代執権北条時頼(1227-63)の妻でもあったが、「宝治合戦」(1247)で三浦氏に加担し自死した。 しかし、子孫は安芸・毛利氏となり名を残している。 (「万葉集歌の力」徳間書店、山本みなみ著「史伝 北条政子」、桜井哲夫著「一遍と時衆の謎」 参照)