すまいるさんの記事『スーパーでの葛藤』を読んで、刺激をもらっていろいろと考えた(そして、TBさせていただきます)。経済力と子供の数について。

日本人的にはもっともだろう、「十分な収入(金)がないのにどうして子供を作るのか?」という疑問は。自分の学歴や仕事暦をちゃんと観察すれば、定年までにどのくらいの給料をもらい続けるのかは簡単に予想がついて、一人の子供が高校もしくは大学卒業までにかかる教育費の概算もできる。

すると、何人の子供を持つ経済力が自分にあるのか、自己判断できてしまうのだろう。

で、この判断をきちんとできないと、せっかく授かった子供をまずは経済的に不幸にしてしまうことになる。だから、事前にシュミレーションする必要がある。自分の子供を幸せにしてあげたいのであれば、しっかりと計算しなければならない、といったところであろう。

僕も以前はそう思っていた。いろいろなことに対して、事前に計算して準備して予定を立てなければ、物事はうまく進まないと(それでも日本を飛び出したが……)。

そんな典型的な僕は、この島でとんでもないカルチャー・ショックを受けた。

この土地では、予定を立てることはほとんどない。予定を立てるとしても、ザルだらけの予定である。そもそも、「先のことは自分には分からない。」と開き直ってしまう。

だから僕は、とてもイライラした。ザルだらけの予定だから、継ぎ接ぎだらけの修正が必要となる。その修正を施すのに、疲れる。準備がちゃんとできていないと、「何て俺はとろいんだろう!?」と自暴自棄になる。計算ができない。予定が立てられない。明らかにお馬鹿さんということになってしまう。

ところが、家族と突然思い付きで海へ遊びに行くと、天気が良くて満ち潮だったりする。でも、僕が予定を立てると、なぜだか突然雨になる。

気合を入れて大きな本屋へ行くと、探している本が品切れだったりする。で、別の用事で外出した際に別の小さな本屋へ寄ると、あるのだ。

子供の宗教儀式のために数ヶ月前から資金を用意していたのに、突然物価があがって結局予想外の出費となったり、洗濯機を買い換えようとお金を貯めていたが、車のエアコンが故障して新洗濯機購入は延期となった。

こんな経験の連続である。この土地では物価はすぐ上がる。けど、収入は増えない。貯金するよりローンを組んだほうが現実的な買い物ができる。

それに僕は、十分なお金がないという現実に、この土地で初めて直面している。日本にいたときには、十分でないということはあまりなかった。ところがこの土地では、いつも十分ではない。貯金どころではない。

僕は実際に自分が経済的に苦しい状況に置かれることで、ようやく、この土地の人たちのお金に対する考え方が少しずつ理解できているのだと思う。仮に僕がお金に余裕のある人だったら、きっと、「何でこの土地の人たちは事前に計算しないんだろう!」と、いまだに毎日イライラしていたことだろう。

そんなハプニングだらけとなるこの土地では、子供の数を事前に計算するような人は少ない。子供を産めないことが大きなマイナスとなるこの土地では、子供が大事な跡継ぎであるこの土地では、子供は少ないより多いほうが善しとされ、毎日が楽しくなる。また、子供は授かるものであり、作るものでもないのかもしれない。

僕も、子供は2人で終わりにしようと思っていたのだが、3人目をもうけてしまった(この裏には、後先を考えずにもう一人欲しいという僕の明らかな希望があったはず)。そのおかげで、子供に使うことができる予算全体を三分の一にしなければならず、子供一人当たりの予算が小さくなった。至極渡り前のことだが……。

でも、それ以上に楽しい毎日があるわけで、さらには人生なんて何とかなるもののようだ。そんな、いい加減とでも言えるような姿勢を掴みかけている僕として、子供の数は経済力からの影響を受けないと思えてしまう。

そんなこの土地でも、僕の近所の家庭のように一人っ子政策を実施していて、我が家の長男の学校の月謝代の3倍もする学校に通わせているところもある。この家庭は計算している、というより計算したいのであろう。

僕は計算できていない。そう、もう既にすべてが計算できていない。でも、これって、『自由』なことでもあるのかなぁ〜と考えている。




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