海外に暮らして生きることを考える-livedoor Blog共通テーマ

基本的に糞真面目な僕は、ここ数年、ムキになってしまって考えていることがある。

この土地ではヨガが盛んである。ややプリミティブなインドなどのような国々へ行ってヨガをする人も多いようだが、少しは垢抜けたこの土地へ来てヨガを学ぶ人も多い。
ヨガを学ぶ人が多いと言うことは、それだけ教える人もそこそこの数いると言うことなのであろう。この土地でも、多くの外国人がこの土地の人たちをはじめ、外国人たちにヨガを教えている。お金をもらって。

そう、ヨガをするのにはお金が掛かるようだ。

ヨガをする目的はどのようなものなのだろうか?

そして、ヨガを極めた人が先生をなってヨガを教える、ヨガを広めるということはどのようなものなのだろうか?

ヨガみたいなテーマって、僕はどうもお金に絡めて考えることができない。そういう分野のテーマではない、と思えてならない。

この土地の先生たち、生徒を集めるのに一生懸命であるようだ。

どこどこでヨガを学んだ、誰々にヨガを学んだ、という先生の背景が生徒集めのひとつの武器にもなるようだ。

そんなことを知り始めたころ、ある外国人先生の生徒募集告知を目にした。

どうやらその先生は、インドの辺鄙な土地でとても有名な指導者のもと、ヨガを学んだらしい。

はてはて、はて、である。

その、インドの辺鄙な土地の有名な指導者は、どういう目的でその外国人にヨガを教えたのであろうか?

その、インドの辺鄙な土地の有名な指導者は、その外国人からお金をもらったのであろうか?

その、インドの辺鄙な土地の有名な指導者は、その外国人に世界で指導者として通用する卒業証明書を発行したのであろうか?

その、インドの辺鄙な土地の有名な指導者に師事したその外国人は、最初から、職業としてのヨガの知識を深めるためにインドへ行ったのだろうか? それとも、一個人として悟りを開くためにヨガを学びにインドへ行ったのであろうか?

個人的には、スピリチュアルな世界は、お金から遠いところにいてほしい。



だから、僕は、ちょっと話がずれるけど、日本語を教えることを職業とすることはあきらめた。日本語を教えることで家族を養うという夢を捨てた。

少なくとも僕にとっては、日本語を教えることは、それ自体が目的であり、そこから金銭収入を得るということは、もう、おかしな話になってしまうのである。

日本語を教えることで収入を得ようとする人を手伝ったり、助けたりすることはこれからもあると思う。

でも、僕自身が日本語を教えるということを金銭収入をあげるものとしての職業とすることは、もうありえない。

僕にとって日本語を教えるということは、きっと、そういうものなのだろうと思う。

それと同じような考え方を、精神世界を極めるヨガの先生たちにも期待してしまうのは、僕の勝手なエゴであるわけだ。

ヨガを教えてお金を得ようが得まいが、そんなことは人それぞれで、僕の関知するすることではないのだ。

少なくとも、ヨガを教える先生たちはみんな善良な人たちあることは間違いない。

天邪鬼な僕は、ときどき、流行みたいなものに素直に従えないときがあって、ヨガにも興味があったのだが、あんなにいろいろな流派があったり、お金が掛かったりすることもあり、瞑想に興味を移して、独学している。

僕の悪い癖だが、実践よりも理論が中心となてしまっているのだが……。

でも、独りでの学習はなかなか精神力が要るようで、ネットでちょっと、瞑想教室みたいなものを探してみた。

どれも、ビジネスみたいなだった。

瞑想もヨガと同じか? 唯一違うところは、瞑想もしくはメディテーションという言葉は、ヨガという語彙ほどブームにはなっていない、ということだけだろうか?

最期に念を押しておかなければならない。

僕は、ヨガ自体やヨガの先生をどうのこうのと綴りたいのではなく、ただ単に、僕自身が天邪鬼なだけで、そんなことだから、いつも独学ばかりで、学習進歩が遅いのではないかと、僕自身の分析をしてみただけなのである。

でも、いいんだ。ゆっくり、独りで瞑想を学

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