綴ることの再開にあたって、すでにこの土地の人たちの生き方や価値観や慣習や宗教から、特にこれといった驚きを感じえることがなくなったと明言した。

ほとんどのすべてを、理屈だけでなく、体で理解し終えていると思う。

そうなると、この土地だからこそ感じる驚きというよりも、もっと基本的な、もっと根本的な、もっと普遍的なテーマについて自問自答しなきゃいけなくなってくる。

北海道にいる友人の言葉を借りると、「精神の古層」について考えを巡らせなければならなくなってくる。

結局は自問自答による自分探しなのである。

と、ウダウダと綴り出したところで、「責任」という言葉について。。。。。。。。。。。。。。

僕の生まれた国では、「責任」という言葉は非常に重要で大事で格好よい意味合いを持った言葉であると思う。

だけど、僕の生まれた国に、「逃げるが勝ち」といったフレーズもある。

基本的には、僕たち人間はその生活の基盤であるコミュニティーの中で、様々な役割を担いながら、様々な責任を負っている。責任を果たせることや責任をまっとうすることはとても大事なことであり、そうでない場合には失格者的な評価を受けることになってしまう。

でも、僕は今、その「責任」という言葉がとても苦手である。いろいろな「責任」から逃げられるものなら逃げてしまいたい。果たせない責任やまっとうできない責任のほうが、果たせてまっとうできる責任よりもはるかに多いような気がする。

「責任」という概念を果たしきることが正しい的な発想は、実は人工的に作り出された虚構的理想論もしくは虚構的道徳でしかなく、事実はそんな綺麗なものではなく、役割を果たせなかったりまっとうできなかった「責任」も腐るほどあり、そんな事実に目を向けるのも1つの思考角度だと思う。

だって、そんなクソ真面目に責任感強く頑張っていたら疲れてしまう、、、、、と思っちゃうのである。。。

「責任」って、自分の外にある誰かやある組織に対して果たさなきゃいけないものではなく、自分自身に対して果たされなければいけないものような気がする。

もっと、もっと、自分自身に近い世界や自分自身に近い宇宙の中で責任を果たせるように頑張ればいいんだと思う。

例えば、「ひとりひとりがそれぞれに頑張ってそれぞれの責任を果たしていけば、全体として最大の成果が得られる」的なフレーズも、組織構成員としての役割重視的な考え方から来ているのだろうし、組織構成員として歯車的な役割が期待されているんじゃないかと、僕は思う。

そんな、みんながみんな的な発想はある種の洗脳でしかないような気もするし、そもそも、そんな平均的な生き物ではないんじゃないかと僕は思う、人間というのは。

もっと、いい意味で自己中心的いいように思うんだ。


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