教室から世界へ!教師が夢を語らずに誰が語る!!


2014年はセミナーで模擬授業を2回!実践を加速させるぞーー!!

    授業法

    反転授業
    http://www.asahi.com/articles/ASFDH0RB8FDGULZU009.html

    私はいまとってもワクワクしている。

    なにが「反転」なのか。

    教室で授業を受け、家で課題に取り組む従来のやり方を「反転」させた。生徒は事前にパソコンなどで講義ビデオを視聴し、授業では個別に反復学習や練習問題をする。

    つまり、これまでは

    学校で講義、家庭で復習や練習問題だったのを反転させたのだ。


    アメリカでは2000年後半から高校で広がってきて、成果も出ている。

    私の知っている大学付属中学校の授業では教科書の内容はやらない。
    授業では、時事問題をテーマに議論をしたり、プレゼンをしたりする授業ばかりをしている。
    それでいて、テストは教科書の内容だというから驚きである。
    教科書の内容はやれて当たり前、プラスの力を鍛えるのだ。


    私はこれまで、国語の授業で生徒同士がつながり、学びあることのできる授業の取り組みをしてきた。
    ひとりの気づきをシェアし、全体の気づきに、だれもが認められるチャンスをつくり、自己肯定感を高めつつ、授業に積極的に参加する雰囲気を醸成することで授業への意欲を増させ学力アップをはかるという実践を続けていきた。ワールドカフェの実践もその中のひとつだ。
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    中学校2年生「走れメロス/太宰治」
    真の勇者とはどんな人だろう?という課題で議論した。


    間違いなく、一斉授業の時代は終わる。
    ひとりの教師が大人数にティーチングだけする授業は終わる。
    必要とされてないからだ。
    迎え撃つのは私たちの世代。
     

    いまのやり方が一番いいとは思ってない。

     

    憧れの先輩をコピーすることは難しく感じるし、

     

    めざすゴールまでどう進んだらいいのか?

     

     

     

    ゴールが見えない。

     

    ゴールへの道筋がみえない。

     

     

     

    すると、実際はさほど難しくないことでも

     

    夢のまた夢の目標になってしまう。

     

     

    だから、教える立場にあるすべての人は、

    この2つ(+1)のことが大切。

     

           ゴールをはっきりと見せる

     

           ゴールへの道筋を教える

     

    そして、3つ目は、

     

    ③ スモールステップで課題を設定する

     

    ゴールへの道をできるだけ、

     

    人それぞれにあった段階をふませること、

     

    小さな階段を少しずつ登っていくことが必要。

     

    昨日の記事とあわせて読んでいただくけるとうれしいです。

    http://blog.livedoor.jp/fumiakimorning/archives/6248144.html


    今年いちばん挙手の多かった質問はこれだ。

     

    「まだ時間ほしい人」

     

    びっくりした、ほぼ全員の手が挙がったのだ。

     

    圧倒的に、時間が足りないと言うこともるだろうが、

     

    なぜ、全員の手が挙がったのか?

     

     

    やばい。誰かがあげないとこのまま終わる(使命感)

     

    やった。私はもっと時間がほしい(当事者意識)

     

    よかった。きっとみんなも足りないだろう(安心感)

     

     

    この3つのことが予想された。

     

     

    こんな話を聞いたことがある。

     

    人気のある路上ライブするミュージシャンの話だ。

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    駅前や人通りの多いところでやっている

    路上ライブに足を止めた経験はあっても、

     

    その後、一曲すべてきいたり、ましてや10分、20分と

     

    聞いたりしたことがある人は少ないだろう。

     

    しかし、

     

    彼にかかれば、いったん足を止めたら

     

    必ず一曲聞き入ってしまい、そして人が人を呼び、

     

    たくさんの人があつまるという。

     

     

     

    彼はどんなミュージシャンなのかと言うと、

     

    歌がメジャー級にうまいかと言うとそうではない。

     

    ルックスが飛びぬけて素敵なわけでもない。

     

     

     

    彼が他の路上ミュージシャンと圧倒的に違ったのは、

     

    歌いはじめに一人ひとりの心に語りかけるのだ。

     

     

    「このうたは、そんな経験のあるあなたに、

    あなたのために歌います。聞いてください。」

     

     

    きいているすべての人が、

     

    「これは私のための歌だ」

     

    「おれの過去を歌っている」

     

    「すごい共感できる」

     

    という思いになる。

     

     

    彼にかかればどんな歌だって、

     

    メジャーのミュージシャンに劣らない。

     

    メッセージを込めることができただろう。

     

     

     

    僕たちが授業で生徒に語りかけるとき、

     

    または授業で質問をするとき、

     

    「これは、あなたのために聞いているよ」

     

    「いいかい。君に答えてほしいのだよ」

     

    というメッセージを伝えることができたら、

     

    もっと気持ちのいい挙手が増える、

     

    待ってろ!全員参加のすてきな授業!!

    短歌の授業で、

    6つの短歌からお気に入りを1つみつけましょう。
    どんなところが気に入ったかも書いてください。

    という普通のことをやりました。


    中学生の授業をやっていて本当に面白いなぁと感じるのは、
    それぞれの経験からくる感じ方が、実は大きく違うことに気づく瞬間に出会えることです。

    14年も生きている訳ですから。。


    普通のことをやるまえに、こんな質問をしました。

    「太陽」って何色のイメージがある?

    すると、「赤!」「黄色!」「オレンジ!」

    と口々にいってきます。ほうほうそうか。

    じゃあ「数学」は?

    「青」「水色」

    これは結構、まとまってるね。

    「理科」は?

    「オレンジ」「エッ!緑でしょ」

    わかれたな〜〜ちょっと変えて、

    「明日」は?

    「青!」
    「どうして?」
    「空の色だから、あしたって空の向こうにある感じ!」

    「白!」
    「いいね!理由は?」
    「まだ、なにもはじまってないから。」



    こんな感覚、感じ方の違いがあっていいね。それぞれ理由を言えて、共感できるね。

    って話してから、短歌について考えたらたくさんの気に入った理由がかけたみたいでよかった。



    やっぱり、中学生はいいね☆

    感謝っす!

    虹色のパンというものを見つけました。

    そのことから思ったことを書きます。
    「人にみせるためもの」を日常的にするべきか?と言うことについてです。

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    このパンは結婚式の引き出物などでよく売れるそうです。

    見ていてきれいだし、虹ということで幸せな気持ちになります。

    しかし、虹のパンが毎朝家庭で並ぶとは思えません。



    もうひとつ、

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    ネイルコンテストの作品です。ネットから素敵なのを引っ張ってきました。
    (よくよく見ると、肩もつけまもヘアもすごい!)

    すごいですよね!
    テンションあがりますね!
    きっとこのおねいさんもさぞ嬉しいことでしょう!

    でも、このままでは幼稚園児の頭をなでることはできません。
    パーティーでシャンパンをもつこともできません。
    ピアノを弾くことも難しく、鼻をほじることもできません。

    コンテストのための作品。ということです。



    教師にも人にみせる授業があります。
    研究授業といいます。
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    このように普段は使わないものをたくさん使います。
    黒板の掲示にぺたぺたはっているものは普段はつかいません。


    「人にみせるためもの」を日常的にするべきか?

    確かに、これらのレベルのことを毎回行うのはすごいことです。
    でも、そのすべては本当に必要なものでしょうか?

    同時にむずかしいことです、ひとつの作品をつくるのに数ヶ月もかける訳にはいきません。

    「人にみせるためのもの」は大切です。
    しかし、最終の目的が「みせるため」であってはいけないと考えます。
    それが目的になって、それだけのため、そのときだけではだめ。

    日常の力に還元させてこそ意味があるのです。




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