子ども達がよりよく生きられるか。
また、そのように感じられるかを考えています。
「期待をかける」
自分が経験したことです。
高校のときに出会った先生にちょっと物静かな理科の先生がいました。
痩せていて、色も白くふらふらしていていつも体調がわるそうにしてました。
表面的なアツさは無かったけれど思えば生徒のことをよく考えてくださっていた先生でした。
その先生はぼくに会うと決まって、
「朝岡君、期待しているよ」
「おはよう、期待しているからね」
と声をかけてくださるのです。
高校時代のぼくはとくに期待させるようなことはなにもしてなかったので、
なにをいっているのかなぁ
と思っていました。
しかも、期待しているというだけで何にかはずっとわかりませんでした。
高2で授業で見ていただいて、高3では離れてしまったその一年を
ずっと廊下で会うと少し話をして「期待しているよ」と言ってくださるのです。
いまでもふと、その先生の事を思い出しては、あの期待にぼくは答えられているかな?
と自分をみなおすことがあります。
「期待しているよ」
ぼくもこの気持ちをどんどん伝えていこう。
また、そのように感じられるかを考えています。
「期待をかける」
自分が経験したことです。
高校のときに出会った先生にちょっと物静かな理科の先生がいました。
痩せていて、色も白くふらふらしていていつも体調がわるそうにしてました。
表面的なアツさは無かったけれど思えば生徒のことをよく考えてくださっていた先生でした。
その先生はぼくに会うと決まって、
「朝岡君、期待しているよ」
「おはよう、期待しているからね」
と声をかけてくださるのです。
高校時代のぼくはとくに期待させるようなことはなにもしてなかったので、
なにをいっているのかなぁ
と思っていました。
しかも、期待しているというだけで何にかはずっとわかりませんでした。
高2で授業で見ていただいて、高3では離れてしまったその一年を
ずっと廊下で会うと少し話をして「期待しているよ」と言ってくださるのです。
いまでもふと、その先生の事を思い出しては、あの期待にぼくは答えられているかな?
と自分をみなおすことがあります。
「期待しているよ」
ぼくもこの気持ちをどんどん伝えていこう。