2012年06月18日
さてさて、6/16のブログ『日光茶屋』からの続きです。
天然氷のかき氷食べたし東照宮お散歩(参拝)後編です。
で、依然うっとおしい雨と躾けの悪い小学生達の攻撃に苦戦が続いております。
に、しても人、人、人
榛名神社とは大違い
世界遺産恐るべし
wikiによるとこちら東照宮、
工期僅か1年5カ月、総工費金56万8千両(現在の貨幣価値で400~500億円!)。
遠く大阪からも大勢の職人さんを呼び寄せた超大型公共事業との事。
きっと学校で習ったのでしょうが今更ながらその全容を知ってドビックリです。
家康ちゃん金持ってたのねw
大型重機などない時代、
全て人力で建設されたのは承知の通り。
いったい何人で作ったのでしょうねこんな山奥に。
その他に食事や宿なのどどうしていたんだろ?
今更ながら興味が湧いて来ました。
工事や大工の総責任者には大棟梁甲良豊後宗広(こうらぶんごむねひろ)とHPにありますが
今で言えば現場監督、所長さんですね。
そしてこの規模の工事を請け負う訳ですから今で言えばゼネコン。
それもJV(共同企業体)だったのでしょうね。
それの総轄ですから天才級の建築士だったんでしょうね。
なんだか想像すると楽しい
映画化されないかなw
正に絢爛豪華な装飾。
神社仏閣が軍事基地的に使われていた時代と違い平和な時代の建物です。
で、現在改修中のようです。
僅か1年5カ月の工期。
電気なんてない時代ですから突貫工事とは言え夜は作業は出来なかったでしょう。
夜明けから日没まで沢山の大工やら職人が仕事に精を出したのでしょうね。
そして日光の山奥まで大量の物資の搬送。
牛車なのが使われたのでしょうが途中道中の宿場も其れに伴う東照宮特需に沸いたのでしょう。
景気が良さそうな時代を感じます。
それと標高約500mから約800mの東照宮周辺。
冬の寒さは厳しい土地。
暖を摂るのも困難な時代、
大量の木屑が出るからそれで焚き火?
でもそれこそ重要な木造建造物ですし消化技術も未熟だった時代です。
どうしていたんだろ?
興味は尽きません。
で、ぬこ
有名なスリーピングキャットw
さぁ~て、お散歩もここから正念場。
登り坂の洗礼が運動不足で鈍りきった足にジワジワと…
石段を登るだけでも大変(ジブン)なのに
作った人は本当にエライ!
ノミとトンカチだけでこんなの作っちゃうだもんね。
ヨッコラショ、奥宮(おくみや)到着です。
なんでもその昔はエライ人しか来る事を許されなかったそうです。
躾けの悪い小学生達の専属ガイドさんがそんな事言ってたのを盗み聞きです。
で、こちら東照宮の一番奥まった処です。
疲れたワン!
行きはユイヨイ
帰りは足ガクガクw
本気(マジ)疲れました。
ホームの榛名神社はいつも余裕ありますが
完全にアウェーの洗礼を受けました。
雨に濡れスリッピーな石段。
スベラーズ張ってくり~ぃ
鳴龍。
混んでるし靴脱がなくっちゃだし
撮影&録音禁止だし
メンドクセー
ので、僕はパス。
連れの御婦人だけ入りました。
この時点で疲れ困憊状態でブーたれてますが
改めて、荘厳な造りだわ~
古(いにしえ)のゼネコンさんへリスペクトです。
んでは、東照宮散歩はお終い。
古の時に思いを馳せ
1時間半程でしょうか
雨降ってたけど楽しかった来て良かったです。
脚ガクガクですがwww
to be continued