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芙蓉峰の如是我聞

中国語から故事成語、最新の中国事情、実際の中国ビジネスまで、中国に関連する様々なことを紹介します。 特に、中国ビジネスは、中国での10数年間に私が自ら体験した、捏造一切なしの、真実のレポートです。 お問い合わせ、ご相談はこちらまで。 furongfeng2583@yahoo.co.jp

29 9月

突然ですが「櫻」という字について考えてみました

突然ですが「櫻」という字について考えてみました。

別に、何があったという訳ではありません。

ふと、思いついただけです。

今は「桜」と書きますが、以前は「櫻」と書きました。

昔の人は、これを「二階(貝)の女が、気(木)にかかる」と言って覚えたと聞いたことがあります。

うまい!と思ったのを覚えています。

なお、中国の簡体字では「」(ying1/イン)と書きます。

中国語の試験で「桜」と書くと、バッテンになってしまうので、気を付けましょう。

この「櫻」という字は「木」と「嬰」から出来ています。

「嬰()」(ying1/イン)とは、赤ちゃんのことで、嬰児(えいじ)とも言います。

「貝」が2つありますが、これで、首飾りを意味しました。
昔は、貝殻をつなぎ合わせて、首飾りを作ったのでしょう。

これに「女」が付いて、女性の首飾りを表し、ここから、めぐらす、まとわる、という意味になりました。

女性にまとわりつくもの、ということで、赤ちゃんの意味になったのでしょう。

よって、木の周りにまとわりついているから「櫻」なのか!と思いました。

なるほど!と思ったのですが、どうも違うようです。

「櫻」とは、首飾りのような実を付ける木、という意味で、もともと、ゆすらうめを指しました。

植物のことはよくわからないので、辞書で調べてみます。

すると、ゆすらうめとは「桜桃」とも書き、バラ科の落葉低木で、4月頃、葉より早く、白または淡紅色の5弁花が開くのだそうです。

実は丸く、6月頃赤く熟し、食べられ、中国の原産で、庭などに植えるとありました。

どうも、私がイメージしているサクラとは異なるようです。

私は、サクラとウメとを、はっきり区別する自信がないのですが、もともと「櫻」が「うめ」のことであったのであれば、似ていて当然なのかもしれません。

 

28 9月

ベトナムは、どうしてベトナムと言うのか?

ベトナムは、中国語では「越南」(yue4 nan2/ユエナン)と言います。

どうも「越南」を、ベトナム語で読むと、ベトナムになるようです。

ということで、今回は、越南は、どうして越南と言うのか?という問題について考えてみることにしました。

なんて、そんなたいした話ではありません。

昔は、中国の南方にある国を「越」と言いました。

俺たち中華だぜ!と威張っていた中原の人たちから見て、遠いところ、という意味だったのでしょう。

呉越同舟の「越」が有名ですが、それだけではなく、いろいろな「越」があります。

これを「百越」と言い、いろいろな越という意味で「諸越」とも言いました。

この「諸越」が日本に入って来て、諸越(もろこし)と呼ばれるようになります。


とうもろこしとは何か?

今、広東省のことを「粤」(yue4/ユエ)と言います。

広東語は「粤語(粤)」(yue4 yu3/ユエユ)、広東料理は「粤菜」(yue4 cai4/ユエツァイ)です。

もっとも、もともとは、広東と広西の両方を指していました。

そして「粤」と「越」は同字です。
字形は異なりますが、同じ字ということで、同じ意味です。

よって「粤」は「越」であり、広州に「越」が付く名前が多いのはそのためです。

で、ベトナムも、昔は韓国同様、中国の従属国でした。

もともと「交趾」と呼んでいて、漢の武帝は、交趾郡を置いています。

唐の時代は、安南都護府があったため「安南」と呼ばれました。

968年に、丁朝が独立すると、国号を「大瞿越」としますが、1054年、李朝は「大越」とします。

もっとも、中国では、ずっと「安南国」もしくは「交趾」と呼んでいたようです。

1802年、阮福映がベトナムを統一し、阮朝を建てました。

その際、これまで使用していた国号である「大越」を止め「南越」にしようとします。

南の越!ということなのでしょう。

前の政権との違いを出したいというのは、よくあることです。

そこで、宗主国である清の嘉慶帝に、お伺いを立てました。

ちなみに、韓国、というか、朝鮮は、明の朱元璋に「朝鮮」と「和寧」のどちらがよろしいでしょうか?と尋ね「朝鮮」と名付けてもらったと言われます。

韓国は、どうして韓国と言うのか?


ところが、清は、うんと言ってくれません。

そして、お前らは、越の南じゃ!ということで「越南」になったと言われています。

 

27 9月

ベトナム人には、どうしてグエンさんが多いのか?

よく言われることですが、ベトナム人には、グエンさんが多いのだそうです。

このグエン、漢字では「阮」(ruan3/ルアン)と書きます。
もともとは、中国の姓でした。

「阮」という姓の有名人には、竹林の七賢の一人であり「白眼」で有名な、阮籍(ruan3 ji2/ルアンジ)がいます。


白い目で見る

魏晋南北朝の時代、北方の異民族が攻めて来ました。

すると、これまで、俺たち中華だぜ!と威張っていた中原の人たちは、その多くが南へ逃げたと言われます。

そして、阮籍の孫である、阮放は、今の広東、広西とベトナムの北部を含む地域である、交州(jiao1 zhou1/ジアオジョウ)の刺史となりました。

ということで、阮氏は地元の名士となり、ベトナムの貴族になったと言われます。

ベトナムでは、十世紀頃から独立政権が出来、丁朝、李朝、陳朝など興りました。

ただ、政権が倒されると、今まで威張っていた人たちが殺されてしまうのは世の常です。

よって、丁さんや李さんや陳さんは、多くが、阮さんに変えたのだそうです。

例えば、1225年に、陳朝が李朝に代わったときは、多くの李さんが、阮さんになりました。

これにより、阮さんが増えたと言われます。

更に、1887年、フランスがベトナムに侵略し、植民地にした際、ベトナム人には姓のない人が多いことに気づきました。

そこで、侵略国フランスは、すべてのベトナム人に姓を持つことを強制します。

その際、これまで姓の無かった人を、すべて阮にしたのだそうです。

これにより、多くのベトナム人が、阮さん、すなわち、グエンさんになってしまいました。

どうも、ベトナム人にグエンさんが多いのは、侵略国フランスの乱暴な政策が原因だったようです。

 

26 9月

日本では「床前看月光」ですが、中国では「床前明月光」です

唐の時代の詩人、李白(li3 bai2/リバイ)の有名な五言絶句に「静夜思」(jing4 ye4 si1/ジンイェス)があります。

日本語では、静夜思(せいやし)と読みますが、こんな感じです。

床前(しょうぜん)月光を看(み)る
疑うらくは是(こ)れ地上の霜かと
頭(こうべ)を挙げて山月を望み
頭(こうべ)を低(た)れて故郷を思う

確か、中学校の教科書に出て来たような気がし、ほとんどの日本人が、覚えているかは別としても、一度は聞いたことがあるでしょう。

もともと中国から来たものなので、当然ですが、中国でも有名です。

ただ、中国では、こんな感じになっています。

床前明月光(chuang2 qian2 ming2 yue4 guang1/チュアンチエンミンユエグアン)
疑是地上霜(yi2 shi4 di4 shang4 shaung1/イシディシャンシュアン)
挙頭望明月(举头望明月)(ju3 tou2 wang4 ming2 yue4/ジュトウワンミンユエ)
低頭思故郷(低思故)(di1 tou2 si1 gu4 xiang1/ディトウスグシアン)

日本では、第1句は「床前看月光」ですが、中国では「床前明月光」です。

また、第3句は、日本が「挙頭望山月」であるのに対し、中国は「挙頭望明月」となっています。

どっちが正しいか?と言うと、喧嘩になるのであまり言いたくありませんが、どっちがオリジナルか?と言えば、どうも、日本の方がオリジナルのようです。

よく、日本は宋代版で、中国の方は、明代版と言われます。

何でも、この「静夜思」は、唐の時代の詩集には、ほとんど取り上げられておらず、宋の時代に有名になったのだそうです。

このとき「床前看月光」でした。

ただ、元の時代に「看」と「望」は同じ意味で重複だよね!となって、誰が書いたのか知りませんが「床前明月光」と注釈をつけたのだそうです。

そして、明の時代になると「床前明月光」が正しい!となってしまったと言われます。

と、最近、本当はね「床前明月光」じゃなくて「床前看月光」なんだよ!という文章を見かけました。

へえ!と思う人もいたのかもしれませんが、日本の漢詩を学んだことがある人なら、知っていた!という人も多かったのではないでしょうか。

で、「床」とは、ベッドを指すと言われています。

ただ、ベッドと解釈すると、部屋の中になります。

部屋の中に月が差し込んで、それが霜に見えるって、そんなことある?と思う人もいたようです。

よって、ここでの「床」は、外にある腰掛けのことだ!と唱える人も出て来ました。

すると、外で座っていると、いや、座っていなくてもいいのですが、月の光で地上に霜があるように見えた、となって、なるほどね!と納得できるのだそうです。

まあ、詩ですから、正解はなく、いろいろな解釈があっていいのだと思います。

ちなみに、中国では、たまにこんな解釈を見かけます。

ここでの「明月」とは、月のことではなく、若い女性の名前です。
そして「光」には、服を脱ぐという意味があります。

よって、こんな感じになりました。

ベッドの前で、明月が裸になりました。
あまりの白さに、地上の霜かと思います。
頭を上げて明月を見ると
故郷にいる奥さんを思い出し、頭が垂れてしまいました。

「静夜思」を書いたとき、李白は26歳だったと言われます。

本当かどうかわかりませんが、こんな解釈があってもいいのかもしれません。

25 9月

当然です!韓国の歴史年表に、高句麗がありませんでした

韓国()(han2 guo2/ハングオ)とは関係ないのですから、無いのが当然です。

もっとも、自分たちの祖先であると勘違いしているかの国では、何じゃコリア?の騒ぎになったようです。

最近、中国の国家博物館で、日中韓の古代青銅展なるものが開かれました。

そこでは、韓国の歴史年表も飾られていたのだそうですが、そこに、高句麗(高句)(gao1 gou1 li2/ガオゴウリ)が含まれていなかったのだそうです。

よって、韓国は、中国に対し、早急に修正し謝罪するよう求めました。

しかしながら、中国が、謝罪などするはずがありません。

そもそも、高句麗とは、今の中国の東北地方にあった政権でした。

その国が、朝鮮半島の北部まで勢力を伸ばし、平壌(平壤)(ping2 rang3/ピンラン)を首都にしたこともあったというだけの話です。


高句麗は、どうして高句麗と言うのか?

高句麗は、高句麗であって、別に、中国でも、韓国でも、どこの国のものでもありませんが、どこにあった国かと言えば、今の中国の東北地方、昔であれば、満洲にあった国で間違いありません。

北朝鮮が、俺たちの祖先!というのであればまだしも、朝鮮半島の南にあり、高句麗の領地でも無かった韓国が、俺たちの祖先!というのは、ちょっと違うような気がします。

まあ、そうは言っても、クルクル回ってしまっている彼らが、聞く耳を持つはずがないこともよく承知しております。


韓国人が敬う広開土王って、中国人ですよね

中国も、言っても無駄で、面倒くさいと思ったのでしょう。

これは一つの学術の問題だ!と言ってお茶を濁し、そして、年表を撤去してしまいました。

できることなら、ここは、中国には頑張って、高句麗と韓国とは関係ない!と主張してもらいたかったところです。

また、韓国は、この年表に、大祚栄の渤海国が無いことも批判していました。

渤海国も、間違いなく、今の中国の東北地方にあったところであり、これまた韓国とは関係ありません。


韓国人が敬う大祚栄って、中国人ですよね

かの国の人たちは、自分たちに都合よく、歴史を作ってしまうことで有名ですが、宗主国である中国は、そろそろ、違うものは違う!と言った方がいいような気がします。

 

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