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芙蓉峰の如是我聞

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21 3月

今年の春分は、ちょっと特別でした

本日、321日は、二十四節気の春分(chun1 fen1/チュンフェン)でした。

春分とは、太陽の黄経が、ちょうど0度に達したときを指し、太陽は真東から出て真西に沈みます。
また、昼夜の長さがほぼ等しいと言われています。

本日は、二十四節気の春分です


日本では、彼岸の中日であり、祝日です。

もともと、春季皇霊祭の日でしたが、お墓参りの風習があったため、国民の祝日になったのだと思います。

中国では、春分は普通の出勤日です。

ただ、次の節気である清明(qing1 ming2/チンミン)が、お墓参りをする日であるため、法定休日になりました。

で、そんな春分ですが、今年の春分はちょっと特別だったようです。

まず、本日は、春社(chun1 she4/チュンシャ)の日でもありました。

春社とは、春の社日(しゃにち)であり、簡単に言えば、土地の神を祭る日です。

甲骨文の中にも記載があり、商や周の時代からあったようですが、秦、漢、魏晋と時代により、それぞれ日にちは異なったようです。

それが、唐の時代以降、立春のあとの5番目の戊(つちのえ)の日を社日とするようになったと言われます。

土を祭る日だから、戊(つちのえ)の日になったのでしょう。

戊の日は、10日に1回やってくるので、立春から数えれば、だいたい春分の頃が春社となるのですが、今年は春分と重なりました。

これをめでたい!という人もいるようですが、私は別にめでたいとは思いません。
ただ単に、へえ!と思いました。

更に本日は、天赦日(tian1 she4 ri4/ティェンシャリ)でもあります。

天赦日(てんしゃにち)とは、天がすべての罪を許してくれる最上の吉日なのだそうです。

そして、春は、戊寅(つちのえとら)、夏は、甲午(きのえうま)、秋は、戊申(つちのえさる)、冬は、甲子(きのえね)の日が天赦日とされています。

本日は、戊寅の日であるため、ちょうど、天赦日になりました。

これまた、めでたい!という人もいるようですが、私は特に、めでたいとは思いません。

ただ、昔の人が、どうして春の戊寅の日を、いいね!と思ったのかには興味があります。

更に、本日は、旧暦では、二月三十です。

旧暦で三十日は、月の最後の日であり、これを晦日(hui4 ri4/フイリ)と言います。

三十日のことを指すため、日本語では、晦日(みそか)と読むようになりました。

ということで、本日、321日は、春分であり、春社であって、天赦日でもあり、そして、晦日でもありました。

あくまでも、たまたまであり、めでたい訳でもありません。

ただ、ちょっと、へえ!と思いました。

 

21 3月

中国で行われる、春分のイベントは何か?

本日、321日は、二十四節気の「春分」(chun1 fen1/チュンフェン)です。

太陽の黄経が、ちょうど0度に達したときで、これを「春分点」と呼んでいます。

春分の日に行われるイベントと言えば、何と言っても「竪蛋()」(shu4 dan4/シュダン)が有名です。

タマゴを立てる遊びですが、春分は、昼と夜の長さが同じで釣り合っているため、この日はタマゴが立ちやすいのだそうです。

そんなことはないでしょ!と思うのですが、そう言われています。

もっとも、よく言われるのですが、実際にやっている人を見たことはありません。

南方の方では「喫春菜(吃春菜)」(chi1 chun1 cai4/チチュンツァイ)と言い、野生のヒユナ「野莧菜(野)」(ye3 xian4 cai4/イェシェンツァイ)を食べるのだそうです。

ヒユナがどんな野菜なのかわかりませんが、この時期にしかない、旬のものを食べよう!ということなのかもしれません。

なお、中国語で野菜は「蔬菜」(shu1 cai4/シュツァイ)と言います。

「野菜」(ye3 cai4/イェツァイ)と言うと、野生の食用植物、山菜という感じです。

また「春祭」(chun1 ji4/チュンジ)と言い、お墓参りに行くこともあるのだそうです。

お墓参りは、中国語で「掃墓()」(sao3 mu4/サオム)と言います。

もっとも、今の中国人は、春分よりも、次の節気である、清明にお墓参りに行くのが一般的です。

ただ、客家の人たちは、今でも春分にお墓参りに行くことが多いと聞きました。

これは、もともと、春分が、太陽を祭る日であったことと関係があるのだと思います。

これを「祭日」(ji4 ri4/ジリ)と言いました。

日本で春分の日にお墓参りに行くのも、その影響を受けたもののような気がします。

 

21 3月

本日は、二十四節気の春分です

本日、321日は、二十四節気の「春分」(chun1 fen1/チュンフェン)です。

太陽の黄経が、ちょうど0度に達したときであり、これを「春分点」と呼んでいます。

「分」とは、分ける、ということです。

春とは、立春から、立夏の前日までを指します。
春分は、ちょうどその真ん中に当たるため、確かに、春を分ける日になります。

「春」(chun1/チュン)とは、本来、草冠に「旾」(chun1/チュン)と書きました。

「屯」(tun2/トゥン)は、群がることを表し、草が日を受けてむらがる季節という意味になったのだそうです。

決して「三人の日」ではありません。

春分から、次の節気である清明までの約15日間を3つ分けたものが、春分の三候です。
それぞれに、その気候を表したコメントが付けられました。

なお「気候(气候)」(qi4 hou4/チホウ)とは、二十四節気の「気」と三候の「候」をあわせた言葉です。
そのときの大気の状態などを指すようになりました。

最初の5日間の初候は「玄鳥至(玄)」(xuan2 niao3 zhi4/シュェンニャオジ)です。

日本語では、玄鳥至(げんちょういたる)と読みます。

「玄鳥」とは、黒い鳥、ということで、ツバメ「燕子」(yan4 zi/イェンズ)を指すのだそうです。

この時期、ツバメがやって来るということなのでしょう。

日本では、雀始巣(すずめはじめてすくう)と言います。

スズメが巣を構え始めるという意味になります。

実際に、ツバメがいつ頃やって来て、スズメがいつ頃巣を作るのか知りませんが、そんな感じかもしれません。

次の5日間である次候は「雷乃発声(雷乃)」(lei2 nai3 fa1 sheng1/レイナイファション)です。

日本語では、雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)と読みます。
雷の音がし始めるということです。

日本では、桜始開(さくらはじめてひらく)と言い、桜の花が咲き始めるという意味になります。

これはそうかもしれません。

最後の5日間の末候は「始電(始)」(shi3 dian4/シディェン)です。

始電(はじめていなびかりす)と読み、稲光(いなびかり)が初めて光る、という意味です。

日本では、雷乃発声(らいすなわちこえをはっす)と言い、中国の次候をここに持ってきました。

この時期、雷が鳴ることが多く、激しい雨が降るということなのだと思います。

確かに、そんな時期かもしれません。

 

20 3月

昌楽は、どうして昌楽と言うのか?

山東()(shang1 dong1/シャンドン)省濰坊(潍坊)(wei2 fang1/ウェイファン)市の管轄に、昌楽(昌乐)(chang1 le4/チャンラ)という県があります。

山東半島の中部、濰坊市の西側に位置します。

東に約180㎞行くと青島(青岛)(qing1 dao3/チンダオ)、西に170㎞ほど行くと、省都の済南(济南)(ji3 nan2/ジナン)になります。

濰坊市内までは約30㎞、北に80㎞ほど行くと渤海に出ます。

何でも、サファイア「藍宝石(蓝宝石)」(lan2 bao3 shi2/ランバオシ)の産地として知られているのだそうです。

諸説あるようですが、ここは、周の武王が、太公望を斉に封じた際、都のあったところと言われます。

当時は、営丘(营丘)(ying2 qiu1/インチウ)と呼ばれました。

春秋時代になると、縁陵(缘陵)(yuan2 ling2/ユエンリン)と改称されます。

また、漢のときには、営陵となりますが、隋の時代には、再度、営丘になりました。

宋の時代、962年に、昌楽県が置かれます。

「都昌」と「長楽」という2つの地名のお尻の文字を取って「昌楽」になったと言われます。

「昌盛安楽」という意味もあったようです。

 

19 3月

東営は、どうして東営と言うのか?

山東()(shan1 dong1/シャンドン)省に、東営(东营)(dong1 ying2/ドンイン)という市があります。

勝利油田のあるところとして知られます。

山東省の北部に位置し、渤海に面しています。
また、黄河の河口のあるところになります。

東営は、主として、広饒(广)(guang3 rao2/グアンラオ)、利津(li4 jin1/リジン)、墾利(垦利)(ken3 li4/カンリ)の3県から設立されました。

明の時代、このあたりに、呉家営という集落があったのだそうです。

きっと、呉さんというお金持ちの土地だったのでしょう。

この呉家営の間には、南北に一本の河が流れていて、その東側を、東呉家営、西側を、西呉家営、略して、東営、西営と呼んでいました。

その後、東営、西営という村ができます。

中華人民共和国になってから、1961年、この東営村で油田が発見されました。

このときは、広饒県辛店公社の村だったと言われます。

広饒は、どうして広饒と言うのか?

そして、1980年代に、勝利油田が中国で第二位の油田になると、その管理をより強化させるため、1983年、近くにあった県などを集めて、東営市が設立されました。

村の名前が、市の名前になった訳ですが、東営村以外の人たちにとっては、ちょっと複雑な思いがあったかもしれません。

なお、東営にある空港は「東営勝利機場(东营胜利机场)」と言います。
東営勝利空港という感じでしょうか。

空港は、中国では「空港」(kong1 gang3/コンガン)とは言わず「機場(机场)」(ji1 chang3/ジチャン)と言います。

また「東営(东营)」(dong1 ying2/ドンイン)と全く同じ発音の言葉に「東瀛()」(dong1 ying2/ドンイン)があります。

日本語では、東瀛(とうえい)と読みますが、日本のことを指します。

この空港名を聞くたびに、東営勝利空港って、いい名前だ!と思うのでした。
 

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