釈迦に説法という言葉があります。

辞書では、知り尽くしている人にそのことを説く愚かさのたとえ、と説明されていますが、中国語では「班門弄斧(班门弄斧)」(ban1 men2 nong4 fu3/バンメンノンフー)がこれに当たります。

「班」(ban1/バン)とは、魯班(lu3 ban1/ルーバン)のことで、魯般(lu3 ban1/ルーバン)、公輸般(公输般)(gong1 shu1 ban1/ゴンシューバン)などとも言われます。

春秋時代、魯国の人で、名匠として知られ、大工の始祖としてもあがめられています。

「弄」(nong4/ノン)とは、もともとは、いじる、とか、いじくる、という意味ですが、変な意味ではなく、やる、とか、する、の意味にもなります。

「弄斧」(nong4 fu3/ノンフー)は、斧をいじくる、という訳ではなく、斧を扱う、ということです。
よって、「班門弄斧」は、名匠である魯班の家の門の前で、大工仕事をする、という意味になります。

そこから、専門家の前で、腕前を見せびらかそうとする、という意味になりました。

身の程を知らない、という意味で使われますが、自分のことを謙遜して用いる場合もあります。

明の時代の詩人に、梅之焕(mei2 zhi1 huan4/メイジーフアン)という人がいました。
安徽省(an1 hui1 sheng3/アンフイション)の馬鞍山(马鞍山)(ma3 an1 shan1/マーアンシャン)に「採石磯(采石矶)」(cai3 shi2 ji1/ツァイシージー)という名勝があります。

「お話」では、唐の時代の詩人、李白(li3 bai2/リーバイ)が、水中に映った月があまりに美しく、それを取ろうとして、水に落ちてしまい、そのまま亡くなった、と言われています。
あくまでも「お話」です。

ただ、有名な「お話」であるため、皆、李白はここで亡くなったと信じており、李白のお墓も建てられています。

そして、梅之焕も、李白のお墓にやってきましたが、そこに、いろいろ風流を気取った人たちが、勝手に詩を書いているのを見つけました。

私に、詩の良し悪しは判断できませんが、詩人である梅之焕は「何だこの詩は、ダメよ、ダメダメ」と思ったのでしょう。

そして、自分も一つ詠んでみました。

採石江辺一推土
李白之名高千古
来来往往一首詩
魯班門前弄大斧

ピンインを振るのは大変なので割愛です。

李白の前で、詩をよむとは何事だ、と批判しておきながら、自分もよんでいるということで、ちょっと矛盾してはいますが、まあ、有名人だから許されるのでしょう。

この「魯班門前弄大斧」(lu3 ban1 men2 qian2 nong4 da4 fu3/ルーバンメンチェンノンダーフー)の部分が「班門弄斧」に当たります。

ただ、宋の時代には、欧陽脩(欧阳修)(ou1 yang2 xiu1/オウヤンシウ)が「班門弄斧」と言っているので、明の当時は、既に有名な成語だったのかもしれません。

それにしても、大家(たいか)の前で講釈できるのは、若いからかもしれません。

これを「初生之犢不怕虎(初生之犊不怕虎)」(chu1 sheng1 zhi1 du2 bu4 pa4 hu3/チューションジードゥーブパーフー)と言います。

「犢(犊)」(du2/ドゥー)とは子ウシの意味で、生まれたばかりの子ウシはトラをも恐れない、という意味です。

トラがどんなに怖いかを知らなければ、確かに恐れることはないかもしれません。


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狂っています