山西(shan1 xi1/シャンシ)省に、晋城(jin4 cheng2/ジンチョン)という市があります。
山西省の東南部に位置します。
南側には、河南(he2 nan2/ハナン)省の焦作(jiao1 zuo4/ジアオズオ)と済源(济源)(ji3
yuan2/ジユエン)があります。
晋城の領域には、丹河(dan1 he2/ダンハ)と沁河(qin4 he2/チンハ)が流れています。
昔は、建興(建兴)(jian4 xing1/ジエンシン)、建州(jian4 zhou1/ジエンジョウ)、澤州(泽州)(ze2 zhou1/ザジョウ)などと呼ばれました。
春秋時代の末期、というか、戦国時代のはじめに、晋(jin4/ジン)の国は、韓(韩)(han2/ハン)、魏(wei4/ウェイ)、超(赵)(zhao4/ジャオ)に分かれます。
これを「三家分晋」(san1
jia1 fen1 jin4/サンジアフェンジン)と言います。
また、ここから山東省のことを「三晋」と言うようになりました。
このとき、これまで国王であった晋静公は、庶民にさせられ、今の晋城市沁水(qin4 shui3/チンシュイ)県である、端氏邑(duan1 shi4 yi4/ドゥアンシイ)に移されたと言います。
秦が36郡を置いた際は、晋城は、西側は、河東(河东)(he2
dong1/ハドン)郡、東側は、上党(shang4
dang3/シャンダン)郡に属しました。
河東というのは、黄河(huang2 he2/フアンハ)の東であり、この地は、黄河の北にありますが、黄河の東でもあります。
東晋の時代に、建興郡が置かれ、北魏のときに、建州となりました。
隋の時代に、澤州になっています。
近くに、管轄する地域に、濩澤(濩泽)(huo4 ze2/フアザ)県があったことから、澤州となったのでしょう。
唐の時代、澤州の下に、晋城県が置かれました。
昔、晋の国王が住んでいたところ、ということで、晋城となったようです。
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5月
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