第七劇場のヨーロッパツアーに特派員として
ユニークポイントから派遣された古市裕貴のパリ日記です。
意味があるのかないのかわかりませんが、お楽しみください。
写真もすべてふるさん。山田が代理投稿しております。

2011年3月11日(金)

 ほとんど寝ることなく日本に到着しました。あ~あ、帰ってきてまった。でも、楽しかった!
 日本に帰ってきてまず食べたいのは、蕎麦です。早速大好きな蕎麦屋へ荷物(キャスター付でない登山用リュックサック)を背負って駆け付けました。やはりこのダシの味は堪りません!贅沢に天ぷらも頼んでしまいました。ああ、パリで食べた料理も素晴らしかったが、和食はやっぱり美味しい!ご飯が食べたい!ミソ汁も納豆もヌカ漬けも梅干しも!贅沢に寿司も!!やっぱり日本人です。
 家にたどり着き荷物を下ろしてホッとしたのも束の間、アパートが揺れ始めました。“日本に拒否されてるな、オレ”などと冗談を言っていたら冗談ではない揺れになってきました。かなり長い時間揺れました。これは只事ではないと思い揺れが治まると外に出ました。近所の人達もワラワラ出てきました。お向かいさんが
「うちのばあさん寝たっきりだから」と言うので背負って外に連れ出しました。すると同じアパートの女性が泣き崩れています。阪神大震災を経験していて思い出してしまったそうです。若い女性なので私が介護するのを躊躇していると大家さんが察知してくれてその女性を介護してくれました。その後何事も起こらなかったので部屋に戻り、テレビがないのでラジオをつけました。東北で大きな地震があり、津波のおそれがあると伝えています。阪神大震災の時名古屋にいたのですがそれでも揺れで目が覚めました。その時よりも大きな揺れを感じました。と、地響きと共に再度大きな揺れです。治まってまた外に出ると人々がまたワラワラと出てきます。先程の若い女性はもうアパートに戻ろうとしません。寝たきりのお婆さんは息子さんが帰るまで庭に移動しました。その後も余震が続くのでラジオをつけっ放しにしておきました。あまりのことに買い物を忘れていました。冷蔵庫には何もありません。夜9時を過ぎ、お腹が空いたので今夜は弁当を買おうと思い第一京浜に出ました。そこで異常な光景を目にします。車は動かず人々が道に溢れかえっています。そして弁当屋に食べ物
がなく、仕方なくコンビニエンスストアを四件回りましたが食べ物をほとんど手に入れることが出来ずに帰ってきました。帰国したばかりでお風呂に入りたいのですが、もし入っている時に大きな地震が来たらと考えてしまうと…諦めました。横になる時も懐中電灯を持ち豆電球とラジオを付けておきました。
 パリ紀行の最終日に、日本が大きく変わろうとしているのを感じながら。

2011年3月10日(木)

パリとお別れの日が来ました。船(宿)をあとにし、空港に向かいました。地下鉄は混んでいましたが、通路をみなさん右側通行しているので人の流れはスムーズです。正直、フランス人は自分勝手なイメージがありましたが流れに逆らって近道をしようとする者は見当たりません。それでもぶつかってしまった時はお互い目を見て謝っています。見ていて非常に気持ちいいです。電車の乗降りも降りる人が優先でみなさんよく守っています。日本人のほうがよっぽど勝手な人が多いと気付きました。携帯電話を見ながら歩いてる人もほとんどいません。RERに乗り込み座ろうとしたらシートが泥だらけです。多分泥のついた靴をシートの上に乗せたのでしょう。旅行者もたくさん利用するのでフランス人がやったか分かりませんがこれはいただけません。
 空港に着き、チェックインカウンターに並びました。航空会社側は三人で仕事をしていましたが、ある時従業員の二人が、長蛇の列で待つ客を横目に楽しく会話をしながら去って行きました。残った一人も普通に仕事をこなしていて二人に不平を言うこともないのです。私としては早く搭乗したいので最低全員チェックインするまで働けよと思いました。しかしヤニックと話した時のことを思い出しました。フランスは労働者の権利が強いのだそうです。サービス残業など信じられない、単身赴任も信じられないそうです。人生を家族と謳歌するために労働しているのであって労働するために生きているのではない。経営者、管理者になるなら分かるが労働者でいるなら自分の人生や家族を犠牲にして労働するのに何か意味があるのか。社会はその権利を認めなければいけないし、制度を作らなければならない、と。日本人は多分平社員も全員で乗り切ろうという意識が強く、経営者側にはありがたい労働力だろうと思います。“おれは帰ります”という人を“あいよ”という人はなかなかいないでしょうね。
 機内に乗り込む前に残った小銭でビールを注文し、パリとお別れしました。
 日本への直行便なので日本人が大半です。パリを離れ日本に帰るんだなあと感じました。機内では道尾秀介の“向日葵の咲かない夏”を読みました。前半は、ん?と思っていたのですが読み続けるうちに先が知りたくて止まりません。二転三転してこちらの想像を裏切り続けます。ラストまで裏切り続けてくれます。結局寝ずに読んでしまいました。

2011年3月9日(水)

朝食を済ませ、まだ入ったことのないエロティシズム博物館に行って来ました。二階は男根崇拝用のものなど世界の土着的宗教的なシンボルとしてのものが展示してあり、階が上がるごとに現代に近付いていきます。日本のものをあげれば浮世絵の春画などがあり、面白いのは女性の股で割るクルミ割人形や男性器がコルク抜きになっているものとか、日本の秘宝館みたいなものでした。だから笑えます!ただ、現代の展示の階まで来るとエロ本や個人の露骨な写真になってきて面白くなくなってきたので帰ることにしました。朝来るところではなかったです。
気分を変えるために、昨日時間がなくて入れなかった写真集専門の店に行きました。篠山紀信やアラーキーの写真集もあります。動物や花、顔や手だけのもの、建物や乗物、戦争や裸体、あらゆるジャンルのものがあり見ていて飽きません。お土産に四冊ほど買いました。
荷造りをし、ルーヴル美術館に向かいました。今夜は第七劇場の山田裕子さんと美術観賞です。裕子さんが持っているチケットで一人無料でルーヴル美術館に入いることが出来るそうなのです。ありがたや、ありがたや!今回は全く絵画を見ていないので今夜ぐらいはじっくり見ようかと思ったのだが広すぎます、時間が足りません。見取り図を見ながらモナリザにサモトラケのニケ、ガブリエル・デストレとビヤール公爵夫人の肖像画など、心惹かれるものをじっくり見て周りました。途中二人でこの絵から想像する物語ゲームをしました。くだらなくて楽しかったです。アッと言う間に閉館時間になってしまいました。
その後、裕子さんと飲みに行き、まだ二人共食べていないエスカルゴを頼みました。すごくニンニクが効いていてつまみには最高です。
裕子さんと私が近所だったことが発覚し盛り上がり日本に帰ったらぜひ近所付き合いをしようということになりました。裕子さんは第一印象は華奢でフワフワした感じなのですが、いざ話をしてみると芯のしっかりしている人です。芝居についての自身の考えや将来についてよく熟考し行動している人です。こういう人と話をするといつも、自分はあまりにもものを考えず行動し、先を考えてないことを痛感させられます。

2011年3月8日(火)

朝食はヤニック特製クレープです。と言っても砂糖にレモン少々という実にシンプルなものなのだがこれがうまい!野菜を形がなくなるまで煮込んだスープもおいしい。 朝食を平らげストラスブルグ駅へ。大通りを一本裏に入ると商店街である。服屋や雑貨屋、文房具屋など。食べ物屋もカレー屋にケバブ屋に中華屋。人も、白人に黒人に東洋人、インド人にアラブ人(多分)、いろいろな人達がいます。この人種のるつぼもまたパリだと感じました。その人達を見ながらケバブを食べました。 その後オペレッタを観るためテアトル・アントワーヌに行きました。内容は、北欧の貴族がフランスの友達に会いにきてパリでロマンスを楽しみたいからその間、妻を誘惑してくれないかと頼む。フランス人もその女性に恋心をもっているので引き受けるといった話で、何も深いものではない。ただ演出がおもしろく、役者は私服でまだ誰がなんの役かは決まっておらず順番に役をやって行くオーディション形式。もちろんその間も話は進みます。王冠を被っているのが北欧の貴族、扇をもつのがその妻、友達は杖とそれぞれの記号を持ち、それをもつ者がその役をやります。みんなそれぞれの思う北欧貴族やその妻、フランス人を演じます。その違いを観ているだけでも面白い。話が進むにつれ役が決まっていき、裏方役の役者が衣装を着せたり、舞台を同時に造っていきます。気がつくといつの間にか役が舞台が完成していて話のクライマックスへと進むのでした。役者さんもすばらしく、演じ、歌い踊りそして楽器を演奏するのです。本当に芸達者でした。 そして夜は、評判になっていると聞いた現代劇をみるためアトリエ・ベルティエに向かいました。当日券を購入しようとしたら既に完売でした。開演二時間前が売り出し時間だったのです。三十分前に行った私が甘かったです。劇場前には何やら紙を持って立っている者が三人います。フランス語でなんて書いていいか分からないので “Ticket Please”と書いて立つことにしました。他の三人は皆女性で、一人、また一人とチケットを回してもらっています。ダフ屋ではなく当日来られなくなった連れのチケットを売っているようです。しかし三人の女性にチケットを売った人達は全員ジャケットをキチンと着た年配(と言っても40代かな)の男性達で、私に売りには来ないわなぁ。一人の女性が棄てた紙を新たに持ち、待ち続けたが誰も売ってはくれず、とうとう劇場の人に、日本からこれを観るために来た、でも明日帰らなければならない、お願いします、観させて、お願いします。と頼んでみたが請け合ってはもらえませんでした…空しく退散しました。今夜のパリは寒い…

2011年3月7日(月)

 朝食を食べ、近くの公園で読みかけの本を読破する。
 
 昼、ななみさんとW山田ゆうこさんが来ました。近くの惣菜屋でサラダやパテ、肉料理などを買い込み、船上で宴の再開です。昨夜とは違って外でのパーティは解放感があってまた格別です。遊覧船が通ると手を振ったりしてました。ななみさんもダンサーの山田悠子さんも話をしていてとても楽しい。ななみさんは豊富な人生体験から色々と面白い話をして下さるし、山田悠子さんは話と話の間に次に繋がる種を撒いてくれます。するとまたそこから会話が膨らむのです。パリで彼らと出会えたことは有意義でした。今度はぜひダンスを観たいです。

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 彼らと分かれ夜は友達のヘミとヤニック、そして二人の娘のメイと船内パーティをしました。流石に夜は外では寒すぎます。パックス制度についての話になりました。結婚と同じ公的保証があって離婚しやすい制度だそうで、それだけ聞くとなんだそれ!?と思うのですが、もともとは同性愛者達の同棲を制度的に補うために始まったもののようです。しかし、それがまだ結婚にまでは踏切れないカップルや金が無く同居している友達同志などにも適用されるらしいのです。日本でもぜひほしい制度です。

2011年3月6日(日)

 疲れていたのか昼頃起きました。溜まっていた洗濯物を持ってコインランドリーへ。帰りに高架下でのみの市を発見しました。早速帰り洗濯物を干すとのみの市に向かいました。何に使えるのか分からないネジやガラスの破片、決して使いたくないぐらい汚いフライパンやヤカン。骨董はなくガラクタばかりです。でも歩いて見ているのは楽しいのでブラブラしていました。するとろうそくや燭台を扱っている店がありました。私ろうそくに目がありません。早速物色しました。蜜蝋や30センチはあるかと思われるもの、七色のねじ曲がったものなどなど、50点ほど置いてあります。七色のねじねじ君も気に入ったのですが、日本に持って帰る間に破損しそうなので断念しました。そして、直径15センチくらいの球形でモスグリーンのろうそくを購入しました。船内(部屋)に飾ると、かわいい~

 今夜はダンサーのななみさん家に招待されておりビールを持って待ち合わせ場所へ。迎えに来て下さったのは、お世話になったベルタンポワレのスタッフのマルゴーさんでした。そしてマンションに着くとマルゴーさんが
「ここが私のうちよ」と、言うので
「ああ、ななみさん家じゃなくて、マルゴーさん家でパーティやるんだ」と、私が答えるとマルゴーさんが
「二人の家だから、私達結婚してるから」…聞いてないよお…
「別に言う必要も今までなかったから」と、マルゴーさん。ちょっとショックな私でありました。その理由はご想像にお任せします。

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 今夜お呼ばれされたのは私と第七劇場の山田ゆうこさん。そしてダンサーの山田ゆうこさん。二人の女性は名前の漢字は違えど、響きは同姓同名。しかも同い年の魚座で血液型がA型。ビックリです。一気に二人が意気投合したのは言うまでもありません。料理のメインは牛肉の赤ワイン煮込みです。肉が軟らかく、最高の一品です。話はななみさんの貧乏旅行で盛り上がりました。海外でお金が無くなって仕方なく踊って、電車賃と食べ物代を稼いでいたことがあったそうです。その時のななみさんに会ったマルゴーさんは鬼気迫るものを感じたそうです。今目の前のななみさんからは想像出来ません。それにしても素晴らしき愚か者がいる世界は楽しく愉快だ!
 
 私が船に寝泊まりしていることが話題になり、明日マルゴーさん以外の三人が遊びに来ることになりました。ななみさん、マルゴーさん、ご馳走さまでした!!


2011年3月5日(土)

朝10時起床。備え付けのエスプレッソマシーンでエスプレッソを飲み船上へ、軽く運動、空気はまだ冷たい。近くのパン屋でバゲットを買い、歩きながら食べました。日本ではあまりパンを食べませんが、パリでは旨い!特に焼きたては最高です。船上でワインを飲みながら魚卵のディップやハムなどといっしょにパンを頬張ります。朝から贅沢だなあ。

まだ、エッフェル塔近辺を探索していないので、早速散歩することにしました。セーヌ川を渡りトロカデロ広場へ。庭園やシャイヨ宮、国立劇場があり、あっ、思い出した。始めてパリに来て右も左も分からず、でも芝居を観に劇場へ行き、その劇場で何を観たかは既に忘れたが、休憩中にバルコニーのドアが開け放たれており、そこからライトアップされたエッフェル塔がそびえ立っていました。あれはもう15年も前のこと…考えるのはやめよう…。その後エッフェル塔の下をくぐりシャン・ド・マルス公園へ。広くてなかなか平和の壁までたどり着きません。でも天気はいいし気持ちよかった。

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お腹が空いたのでお店に入りました。肉料理が食べたかったので羊肉を注文しました。表面だけ焼いて中は赤身の残った具合が堪りません!全く硬くなく臭みもなし。本当に旨かったあ!!またもやワインがすすむすすむ。

夕方はテアトル・ドゥラトリエにチェーホフの小説を舞台化した“退屈な話(わびしい話)”を観に行きました。余命少ない医者で教授である主人公と、彼が後見人になったカーチャとの関係が話の中心に絞られているのだが、前半はまるで親子のような二人が、後半になるにつれ恋人同士のようになり、ラストシーンでは決して実ることのない二人の関係から去って行くカーチャと私には感じました。この小説は10年ほど前に読んだのでうる覚えですが、死ぬと自覚した医者で教授である主人公が、勤勉に生き、名誉も名声も手に入れたが結局はまわりの愚劣さに埋もれて空しく人生を終えようとしている、ような話として読んだので、カーチャー彼女は芸術を愛し女優になるがまわりの愚劣さに馴染めず、親が残した財産で怠惰に生きている。しかし本当は自分に役者としての才能がないことも知っている。そして、まわりをバカにしながらでも自分は何もしない。教授に何をすべきかいつも聞いている。これは、そのままの意味でとらえていたが、教授への愛の ささやきともとらえられるなどと、観終わった後考えてました。

その後、ヘミと合流し、コメディーフランセーズでテネシーウィリアムズの“欲望という名の電車”を観に行きました。昨夜の教訓を活かしキャンセル待ちすることにしました。開演5分前に一階席の端っこの席を手に入れることが出来ました。始まると素舞台を暴走族の集団がバイクで走ってくる。ビンビールを飲み、奇声をあげて去って行く。電車の絵の描かれた板が何枚も左右にスライドしている。そして電車の絵がなくなると舞台中央にブランチが立っている。舞台美術は、ブランチとスタンリーの言い合いのシーンに水墨画の龍と虎の絵が出てたり、カードゲームをしているシーンは江戸小紋の巨大カードがぶら下がっててそれを黒子がゲーム進行に合わせ揃えていくなど、和風なものになっていました。スタンリー役の役者さんは昨夜ソリョーヌイ役の役者さんでした。粗野で暴力的なのだが欲望に忠実な人間として観ていて滑稽で嫌いになれない人物でした。ステラにカードゲームの邪魔をされ、殴り付けたスタンリーが家に帰ってきてくれと哀願するスタンリー。舞台をウロウロしながら獣のような声でステラステラと叫んでいる。根負けしたステラがバルコニーからスタンリーにダイビング!ウワッと思っていたら安全ベルトがしてあってスタンリーを抱き締めた二人は天へと昇っていった。ううッだまされたが嬉しい。巨体なミッチがブランチに惚れて見せる純朴さと、ブランチに騙されていたことを知り仕返しにきた時の憎悪のギャップが素晴らしかった。ミッチにフラれた次のシーンからは現実と虚構が混じりあった演出になっていく。鏡の前で一人喋るブランチのまわりには黒子達がいて、スタンリーに追い詰められるシーンでは黒子達も参加している。全てがブランチの想像なのか、スタンリーに手込めにされたシーンもどちらともとれる。最後、医者と看護婦は、私にはブランチを遊覧船に誘った金持ちの紳士と無き夫アラン(集金に来た青年役をやっていた役者さんだった)に感じた。人間の虚構を剥いだら出てきたのは粗野で暴力的な欲望に忠実な人間だった。

2011年3月4日(金)Ⅱ

第七劇場の皆さんを見送り、ただ一人フランスに残った裕子さんとパリ中心部に戻り、友達のチエヘミに会うため、ルクセンブルグ駅へ。遅刻し、待てど暮せどやってこない。携帯電話を持たない私は公衆電話からかけるしかなく、連絡すると、出口を間違えたらしく、私が動くとまた面倒なことになるからと、広いルクセンブルグ公園を乳母車を走らせながらヘミがやってきました。相当怒ってました。娘の芽衣もご機嫌ななめです。ごめんなさい。 

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遅い昼食を食べながら、旦那さんのヤニックを待つことに。メインに鴨を頼んだのだけれど、これが本当に美味しい!ビールとワインがすすむすすむー心地よいところへヤニックが登場し、私が泊まる宿へ酔い醒ましもかねて散歩しました。ガイドブックには載ってないお店や裏道などをまわり、着いたところはエッフェル塔前のセーヌ川に浮かぶ船!?パリでは船も居住地として認められているところがあるらしく、ヤニックの妹さんが住居兼宿として所有しているものらしい。まさかセーヌ川に浮かぶ船で寝泊まりするとは考えもしなかった!イヤッホーイ!!宿は操縦室を改造した部屋でバスタブもあり。冷蔵庫はないがこの季節、外の日陰に置いておけばビールも冷えるし野菜やハム、チーズも大丈夫。揺れが心配だったが生活に支障を来たす程ではなく一安心。 船上でヘミ夫妻とビールで乾杯し、その後二人と分かれ、私はコメディーフランセーズへチェーホフの“三人姉妹”を観に行きました。

当日券を買いに開演一時間前に劇場に着くと既に50人近く並んでました。老若男女いろんな人々が並んでます。パリでは観劇することが日常に浸透しているんだなあと痛感しました。 なんとか当日券を手にし、いざ劇場内へ。指定された席に行くとギャラリー席の端っこ、4階席の柱が邪魔で尚且高い場所だから舞台奥は見えません…しかしほぼ満席なので移動することも出来ず…開演するとほとんど舞台前での演技だったので観ることができたが遠過ぎて表情までは分かりません。そんな感じで前半が終り休憩になった時、トイレにも行かず真っ先に一階席の端っこの席に移動しました!開場中に観察して空いている席をチェックしておいたのです。‘隣席に先程まで居なかった奴が来たぞ’などといった顔は全くされません。劇場スタッフと目が合いましたが全く気にしていない様子。いいなあこのおおらかさ。

後半が始まると前半と違って表情どころか唾しぶきさえよく見えるし、セリフが私の体に響いてきます。やっぱりこうでなくては!生なんだもん!!  ナターシャ役の俳優さんが好きでした。一幕はまわりに馴染めず失敗しては恥ずかしがっている田舎娘だが、四幕では家を支配する嫌みなオバサンになっていた。歩き方や声までが変化していた。あとは三幕で愛しのイリーナに部屋から出ていくように言われ、“男爵はよくておれはダメなのか”と言った時のソリョーヌイの憎悪と哀愁の混じったような出で立ち。オーリガに“私を追い出さないで下さい”と懇願する乳母のアンフィーサの背中の曲がり具合。“私ベルシーニンを愛してる”と姉妹二人に告白した時のマーシャの押さえた声と高揚した表情、震える手。マーシャを怯えながら探し続けるクルィギン。男爵の死亡報告を聞いた瞬間のイリーナの滝のように流れる涙。全て好きでした。そこに皆さん存在していました。モスクワ(ユートピア)には決してたどり着くことが出来ないが、それでも人間は生きていくんだと感じました。

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休憩入れて三時間以上。急いで家(船?)に帰り湯船に浸かりながらワインとキャビア、ハムでエッフェル塔に乾杯!ああなんて贅沢!!

2011年3月4日(金)

午前中に荷物をまとめて空港へ。途中電車乗り間違えたりハプニングはありましたが無事に空港に着き、第七劇場の皆さんはチェックインしていきました。皆さん、お疲れ様でした!

そして、私はパリの中心部へとまたまた向かうのであった。これからが私の本題で、一週間思いっ切り遊ぶぞおーー!!!

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2011年3月3日(木)

本番二日目、千秋楽。
なのに、劇場集合は夕方、それまで自由時間、皆さんまたまた観光へ。私は洗濯物も溜まってきたので、洗濯しながら読書をする。パリでこの優雅な時間堪りません。その後、パン屋で買ったサンドウィッチを頬張りながら劇場まで散歩する。本当にパンがおいしい。日本でほとんどパンを食べないが、おいしいパン屋に当たるとこんなにおいしいのかと思う。
劇場に着くと、字幕の修正をして本番へ、通し稽古もなし。私なら本当に怖いよう、このまま本番なんて。
本日もほぼ満席。昨夜の公演より役者さん達はリラックスしていて、より自由を感じる。お客さんはやはり開いた感覚で集中している。またまたアッという間に終わってしまった。今夜も拍手が続く。
バラシは手際よく、ついでに劇場の次回公演のための照明吊りまでしてしまう。打ち上げは宿で簡単に済ます。皆さん慣れていて大はしゃぎしない、生活の一環として公演があるようだ。私だけが本番あとの興奮で寝ることが出来ないまま日付が変わっても呑み続けていた。

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