日本に帰ってきてまず食べたいのは、蕎麦です。早速大好きな蕎麦屋へ荷物(キャスター付でない登山用リュックサック)を背負って駆け付けました。やはりこのダシの味は堪りません!贅沢に天ぷらも頼んでしまいました。ああ、パリで食べた料理も素晴らしかったが、和食はやっぱり美味しい!ご飯が食べたい!ミソ汁も納豆もヌカ漬けも梅干しも!贅沢に寿司も!!やっぱり日本人です。
家にたどり着き荷物を下ろしてホッとしたのも束の間、アパートが揺れ始めました。“日本に拒否されてるな、オレ”などと冗談を言っていたら冗談ではない揺れになってきました。かなり長い時間揺れました。これは只事ではないと思い揺れが治まると外に出ました。近所の人達もワラワラ出てきました。お向かいさんが
「うちのばあさん寝たっきりだから」と言うので背負って外に連れ出しました。すると同じアパートの女性が泣き崩れています。阪神大震災を経験していて思い出してしまったそうです。若い女性なので私が介護するのを躊躇していると大家さんが察知してくれてその女性を介護してくれました。その後何事も起こらなかったので部屋に戻り、テレビがないのでラジオをつけました。東北で大きな地震があり、津波のおそれがあると伝えています。阪神大震災の時名古屋にいたのですがそれでも揺れで目が覚めました。その時よりも大きな揺れを感じました。と、地響きと共に再度大きな揺れです。治まってまた外に出ると人々がまたワラワラと出てきます。先程の若い女性はもうアパートに戻ろうとしません。寝たきりのお婆さんは息子さんが帰るまで庭に移動しました。その後も余震が続くのでラジオをつけっ放しにしておきました。あまりのことに買い物を忘れていました。冷蔵庫には何もありません。夜9時を過ぎ、お腹が空いたので今夜は弁当を買おうと思い第一京浜に出ました。そこで異常な光景を目にします。車は動かず人々が道に溢れかえっています。そして弁当屋に食べ物
がなく、仕方なくコンビニエンスストアを四件回りましたが食べ物をほとんど手に入れることが出来ずに帰ってきました。帰国したばかりでお風呂に入りたいのですが、もし入っている時に大きな地震が来たらと考えてしまうと…諦めました。横になる時も懐中電灯を持ち豆電球とラジオを付けておきました。
パリ紀行の最終日に、日本が大きく変わろうとしているのを感じながら。