誇りはどこにある

ノイジーマイノリティを叩き潰し、誇り高き日本を再建しよう。

主に政治・経済について、思うことを語っていきます。基本的に、天邪鬼の独り言だと思ってくださってけっこうです。日本人の意識改革、教育のあり方なども時折触れてまいります。

フェスに左翼を登場させる違和感について

フジロックに津田大介・奥田愛基両氏が出演するとの発表を受けて「ロックフェスに政治とかかんべんしてくれよ」というロックファンの声が上がったようで、それに対して「音楽って元々政治主張をする場所だよね?」というツッコミが随所から入っていました。

確かに音楽シーンはかねてより政治主張と切り離せないのですが、今回反対の声が上がったのには十分な理由と背景があると思います。

特に若者の音楽が政治性を持つのは社会の古い因習や政治権力からの解放を訴える時で、ベトナム戦争の頃の反戦フォークやヒッピーなどはその筆頭でしょう。

翻って、今回フジロックに呼ばれた両氏の政治主張はそれに値するのでしょうか?

彼らは反原発・反安保法制・反安倍を明確にしており、その主張も行動も日本共産党と共同歩調を取っております。

日本が言論の自由の危機であるとか、憲法が破壊されて戦争国家に突き進むなどと言っておりますが、その日本が安閑としていられない原因を作っているお隣の中国・北朝鮮の人権状況や侵略意図については華麗にスルーなさっていますね。

ベ平連などで盛り上がったオールド左翼の伝統そのままに、反日反米親中親北という立場を基準としているので、彼らの"平和"も"自由"も恐るべきダブルスタンダードを醸しています。

若者の右傾化が心配される()中でオールド左翼の代弁をしてくれるという貴重な存在であるが故に、まともに勉強もしないで国会に呼ばれるほどに勝ち上がってしまった"無能勝ち組"の奥田くんが、果たしてどんな熱い思いをロックファンたちと共有できるのでしょうか?

ロックファンたちが愛し憧れる今の若いバンドの子たちは、小さなライブハウスや高校の部活動などから始まって数千組・数万組のオーディションを実力だけで勝ち上がってきた真面目な人達です。彼らも政治が嫌いとか勉強ができないから音楽をやっているのではなく、血の滲むような努力と情熱を音楽に傾けてきているわけで、小学校の社会科の教科書に何が載ってるかもわからないようなバカが隣で政治を熱く語ることに違和感を感じたとしてもそんなことにかかずらわって自分たちの音楽の品性を疑われるのはまっぴらごめんだと思うのではないでしょうか。

そもそも奥田くんのシールズのような主張が何かからの自由や解放を訴えてると思うのは当事者だけで、あの主張こそ今の40代の我々が学生時代に"絶対善"として先生から強要された反戦社会主義思想なのです。彼らのダブスタや現実無視の空理空論、異論に暴力で対抗する理不尽さからようやく私たちは解放され、若者にあのようなバカを伝染してはならないと誓った結果が所謂「若者の右傾化」であり、こんなのは政治を語る以前の常識の問題だと私などは思っております。

私が20代の頃に聞いたTHE BLUE HEARTSは「イメージ」という曲の中で以下の様な歌詞を歌っております。

お金があるときゃ そりゃ酒でもおごってやるよ
お金がなけりゃ 嫌なことでもやらなきゃならねえ

くだらねえ仕事でも 仕事は仕事
働く場所があるだけラッキーだろう

どっかのボウズが 親のすねかじりながら
どっかのボウズが 原発は要らねえってよ

どうやらそれが新しい流行りなんだな 明日は一体何が流行るんだろう

イメージ イメージ イメージが大切だ
中身はなくても イメージがあればいいよ

はい、私たちが「原発反対と叫ぶことが美しい」と教えられたあの教室に向かってツバを吐きかけるようなパンクな歌詞ですね。

60年安保の当時の反権力の思想は、10数年の歳月を経てすでに密室で子供たちを教化する"権力"になっていたわけです。私たちの世代ですでに、反骨とは「非論理な反政府・反戦・反米・反日と立ち向かうこと」だったんです。

そしてその後、曲がりなりにも日本も米国も自由と平等に向かって歩を進めてきたわけですが、オールド左翼の手本となった旧社会主義諸国は未だに戦争と抑圧と差別を際立たせています。

原発反対も戦争反対も正しく主張してくれるんならいいけど、それを最も強力に推進している中国に向かって何も言わず、1回の敗戦と1回の原発事故でビビってしまって何もできない日本政府に向けてなぜあんなにムキになって運動するのでしょうか?全く訳がわからない。

 オールド左翼の立ち位置を必死で守るがゆえにあのような体たらくになってしまっているのですね。違うというなら何が違うのか明確に説明して欲しいところです。

古い古い因習を背負って老人のような声を上げながら若者を抑圧しようとしてるのは津田くんや奥田くんのような諸氏であり、そういうのを公式でやってんじゃねえよ音楽聴きに来てんだろうがというロックファンの切実な声のほうがよほどまともで自由でロックなのではないでしょうか?

 

戦時国際法を無視する日弁連

日弁連が「安保法は立憲主義に反し憲法違反です」という面白い題材をくれたので久々にブログを更新してみます。このタイトルも井上武史氏が指摘するように不正確な言葉遣いですが、素人向けに作られた3コマ漫画にその主張のおかしさはにじみ出ています。

漫画の3コマ目で日本の一般市民が紛争相手国からの報復宣言に戦慄してる場面があります。しかし、もしこのあと日本が攻撃された場合、非戦闘地域の非戦闘員への攻撃なので明らかに戦時国際法違反です。

「戦時国際法」という名の通り、これは「戦争中であっても"何でもあり"というのはやめよう、最低限のルールは守りましょう」というもので、日本が極東軍事裁判で裁かれたのも建前上はこの法律に対する違反でした。当然、日本国憲法よりも歴史は古いのです。

日弁連は、日本国憲法の前文「日本国民は、(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」を信じているのに、仮に戦争になれば他国は戦時国際法も守ってくれないという想定なのでしょうか?

日本が憲法を守っていれば、戦時国際法も守れない国が日本への攻撃をためらうというのでしょうか?とても不思議な世界です。

この不思議世界、ネトウヨさんからいつも「お花畑」と揶揄される脳内妄想は漫画の1コマ目にもよく現れています。

それはまるで日本国憲法が他国の戦争から日本列島を守ってくれているかのような描きっぷりだからです。

漫画は憲法が日本政府に対して「ダメ!」と制止しているように描かれていますが、この絵はあたかも「日本国憲法が日本国民を戦争から守っている」かのように受け取れます。では、現実はそうなのでしょうか?

日本国憲法は当然他国を縛る規定ではないし、その権能もありません。だから実際には憲法は他国から日本を守ることはできない。どう頑張っても日本の参戦を阻止する機能しかないわけです。

しかし日本国憲法が他国にとって無能だとしても、戦時国際法は存在します。もちろん実態は紳士協定のようなものですが、少なくとも「諸国民の公正と信義に信頼」する日本国民はこれが守られるという前提を疑ってはいけないはずです。

なのになぜ、日弁連の漫画では日本国民が戦時国際法で自分たちを守れることになってないのでしょうか?

日本国憲法があれば世界の誰も手出しできないのに、なくなった途端に戦時国際法も無視するような非道な世界がそこにあるのでしょうか?

日本国憲法にはそんな魔力があるのでしょうか?不思議で不思議でたまりません。
 

集団的自衛権は「違憲」、じゃあどうする?

Twitterでくだくだ書くことに抵抗があるので、こっちでまとめて書いておきます。

御存知の通り国会の憲法審査会で、与党が招いた学者を含め全員が「今度の安保法制は憲法違反だ」と断言した話です。

私も学者さんの言う通り、違憲だと思うので憲法を変えるべきだと思います。ただ、憲法の改正規定が厳しいだけでなく反対するしか能のない野党が一定数どうしてもいるので、改正を待っていたら日本が潰れるかもしれないからやむをえないか、という程度のことです。

集団的自衛権に関する今回の法律がどうなってるかとか問題を複雑化すると深みにハマりますので、ここではもっと単純に、「自衛隊は合憲か違憲か」から入ることにしましょう。

自衛隊は合憲か、それとも違憲か。

これは、制度的には最高裁が判定すべきことですが、憲法学の先生に議論してもらっても一定の結論は出ると思います。そういう意味で、学術的判断のレベルです。

それとは別に、自衛隊は必要か不要か。

これは、その時の政治的要請によるものであって、論理的にいくら考えても答えは出ないと思います。この分野の専門家は外交もしくは軍事の専門家であって、法律の専門家が判断すべきものではありません。つまり、政治的判断のレベルです。

この、学術的判断と政治的判断の2つのレベルで分類すると、次のようになるのは小学生でもわかりますね。

(1)自衛隊は合憲で、必要である
(2)自衛隊は合憲で、不要である
(3)自衛隊は違憲で、必要である
(4)自衛隊は違憲で、不要である

(1)がこれまでの政府の立場。社会党党首の村山政権や、民主党の鳩山・菅・野田政権だって、この立場を崩しませんでした。

(3)が私の立場。だから憲法を変えて世界標準の軍隊を作ろう、と考える人が一定数います。チャンネル桜方面(私は違いますよ?)はこの立場が多いはず。

(4)がいわゆる「憲法九条守れ!」と大声を上げている反戦平和の方々の立場。ところが政党でこれに該当するのは日本共産党だけですね。

ちょっと不思議なことに、(2)の人を私は見たことがない。

自衛隊は合憲であると認めたところで、憲法に「自衛隊はこれを保持すべし」と書いてないのだから、無くしちゃってもそれは政治判断として認めるべきなんだけど、そういう人を私は1人も知りません。これは合憲とするのが論理的に無理がある上に、不要とするのが現実的に無理があるからではないでしょうか。

(2)の立場を取る人がいないことをよくよく考えると、ずるい大人の本音が見えてきます。

私の推測では、自民党も憲法改正が党是となってる以上、本音では(3)なんだと思います。ただ、改憲の手続きは現実的に無理なくらい厳しいので、改憲を待っていたら自衛隊などいつまでももてない、これでは日本が潰れてしまう、という現実的要請によって憲法違反が行なわれているのが実態でしょう。

私も自民党のこの判断は政治的には正しかったと思います。カップラーメンに「必ず沸騰したお湯で作ってください」と書いてあっても、60度位のお湯しかどうしても手に入らない場合は、餓死する前に60度のお湯で作って食べるでしょう。 背に腹は代えられません。

ただし、政権与党が憲法を破るというのでは体面が保てないので苦し紛れに「合憲」の解釈論を展開してきました。

自民党の問題は、憲法の方を変えずに違憲の自衛隊を政治的要請でなし崩しに色々いじってしまってることです。これは、自衛隊の方から見ても同じ思いがあるだろうと勝手に思っています。

私はこの際、集団的自衛権が憲法違反だと学者の人に権威を持って言ってもらえたのはいい機会だと思います。自衛隊も晴れて憲法に認められる存在となるために、憲法を変えることをそろそろ真剣に考えるべきです。

先ほど申した通り、憲法を変えなくても憲法解釈がどうであれ「政治的必要性がない」といえば自衛隊は無くせるはずですが、そう主張する人はいない。つまり、自衛隊を無くして欲しい人の拠り所はもはや空文と化した憲法9条しかないわけです。

自衛隊がなくてもいいという人は圧倒的少数だと思うので、「このまま違憲でいいのですか?」という訴えをきちんとすべき。そして、国政を預かる政治家は自らの信念に殉じる覚悟で改憲の是非を語るべきです。日本共産党の議員が軍備を無くして日本を守れるというなら、それも節を曲げることがあってはならない。

たまにはガチンコで行きましょうよ。

あら、集団的自衛権の是非が完全にすっ飛んでしまいました。

…まあいい(よくない)。

集団的自衛権なんてのは軍隊にとって国家にとってアタリマエのことだと思うんですが、それも「現行憲法の解釈内で」なんていうケチなことではいけないと私は思ってます。

政治的に、集団的自衛権が先で憲法が後というのもありだと思ってますが、論理的にはトンデモの部類ですからね。

国家の存立を他国まかせになどせず、「国民の不断の努力によって平和を維持し国家の安寧を図る」くらい書いとけば集団的自衛権に縛りを課すものでもないし、主権在民の主権国家として十分だと私は思いますけど、詳しくは憲法の先生にお譲りしたいと思います。

法学部生時代、憲法の時間にほとんど寝ていたのはここだけの秘密ですww
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新人類世代、3児の父です。
都内で建設業関連の商売をしています。

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