誇りはどこにある

ノイジーマイノリティを叩き潰し、誇り高き日本を再建しよう。

消費税は逆進税ではない

消費税は逆進的であるから税率を減らすべきだ、あるいは廃止すべきだ、という意見が多いので、簡単に反論しておきます。

所得の少ないAさんと多いBさんについて考えてみましょう。

ここでは"収入から消費税以外の課税や社会保険料を除外したもの"を可処分所得として考えます。また議論を単純化するため、2人の所得以外の要素(親の遺産や生まれ持った能力等)は全く同一であると仮定します。

Aの生涯可処分所得が1億円。この全てを消費にまわした場合、消費税を10%とすると生涯の消費税課税額は1000万円。Bの生涯可処分所得が3億円としましょう。このうち1億円だけを消費にまわすと同じく課税額は1000万円。
 

Bは2億円も残したのに同じ納税額である。これは不公平だろうか?・・・という問いです。

消費税の逆進性を訴える人は、ズバリこの問いを発しているんだと思います。すなわち、所得の低い人はすべてを消費に回すので所得の全部に課税されているけれども、所得の高い人は消費しなかった分に課税されてないので不公平である、という意見です。 


しかし上記の設定で、BはAより恵まれているのでしょうか?

BがAよりも良い生活をしたと実感できるのなら不公平かもしれません。しかしAと同じ消費額なので(ごく単純化して考えると)同じ家賃の家に住み、同じ服を着て、同じものを食い、同じものを買って使ったただけ。さらに、Bはおそらく若い時に苦労して勉強をし、責任の重い仕事についてきたことでしょう。
 

BはAよりも仕事で辛い思いをし、消費額がAと同じであるなら、むしろ貧しい生活をしてたと言えるのではないでしょうか。


いうなればBの生活は、2億円の借金を返すために余分に働かされたようなもの。私から見ればとても幸福とは思えません。


このように、私たちはお金を稼ぐことで満足を得るのではなく、使うことで満足を得ています。所得を増やしたいのは、消費を増やしたいからです。貯蓄が増えて嬉しいのは、将来の消費を増やせそうだからです。その原則に従うなら、お金を多く使うほど課税額が増える消費税の仕組みは何ら不公平ではないでしょう。


仮に今の所得が大きくて貯蓄に回せる人がその貯蓄分に消費税を課されないとしても、その貯蓄を生かすためにはいつか消費をする必要があり、やはりそのとき課税されます。逃れる手段はありません。年を追うごとに税率が上がっていくなら、さらに貯蓄の効果は薄れます。

逆に、消費税率を下げたり撤廃してしまうと、それまで貯蓄に励んできた人から消費税として徴税することはできなくなります(*1)。 


消費税に累進課税はないため、多く使う人からは同率の、つまり多額の納税をしてもらうことはできますが、懲罰的な課税をすることはできません。取られる税率が同じなら、消費を増やすほど生活満足度は上がります。
 

これを〝逆進的〟と呼ぶのは、私たちが所得税や相続税の累進課税に慣れ過ぎてしまい、お金の多い人に懲罰的な税率を付加しないのは不公平であるという歪んだ認識をしてしまっているからです。


仮に貯蓄に懲罰したいのであれば(私はその意見に賛同しないけど)、消費税を段階的に引き上げるほうが効果的。なぜなら、所得税や預金課税には簡単な課税逃れの手段が残されているからです。

 
*1.これが「消費税は老人からもとれる公平な税である」に直結します。若い時に課税されず貯蓄に回せた老年世代は現在の消費としてその恩恵を享受しています。現在の消費に課税すればその分だけ、世代間不公平は解消できます。 ≫本文へ

IS-LMモデルの肝のキモ

※本エントリは私の覚え書きであり正しさを全く保証しません。

『マクロ経済学』(有斐閣)を3度目くらいに勉強していて、IS-LMモデルがどうしてわかりにくいのかようやく理解できたという話。

IS-LMモデルは縦軸に金利、横軸に総所得を取り、(総所得,金利)の組み合わせがどのように決定されるかを分析するもの。

この2次元空間に2本の曲線を仮想する。

IS曲線:投資貯蓄バランスが成り立つような (総所得,金利)の点の集合。
LM曲線:貨幣需要と貨幣供給が一致するような (総所得,金利)の点の集合。

この2曲線が交わる点で(総所得,金利)の組み合わせが実現する。

IS曲線は投資が金利の関数になっている事に着目して、金利の変動が投資を変動させ、投資の変動が総所得を変動させるメカニズムを数式化したもの。

LM曲線は貨幣需要が総所得と金利の関数になっている事に着目して、総所得を金利の関数として
(あるいは金利を総所得の関数とみなしてもよい。1本の曲線だから対応は1対1であり、どちらに解釈しても結局は同じ)記述したもの。 

IS曲線に含まれる点は、金利が上がるほど総所得が減るという性質に則っている。
LM曲線に含まれる点は、総所得が増えるほど金利が上がるという性質に則っている。 

この2つの曲線に含まれる点は1点しかない、というモデルだ。

こうして俯瞰的に理解できると難しいことは特にない。

ただ、教科書の記述を丹念に追い続けているだけでは一体何のためにこうした考察を進めているのかが非常にわかりにくい。 

緊急事態宣言を解除すべきこれだけの理由

1°事実確認

首相は4/7の緊急事態宣言発出を決めた記者会見で、 発出時期を決めた根拠を以下のように語っています。

東京都では感染者の累計が1,000人を超えました。足元では5日で2倍になるペースで感染者が増加を続けており、このペースで感染拡大が続けば、2週間後には1万人、1か月後には8万人を超えることとなります。  

これを指数関数で簡単に検証してみましょう。4/7時点の東京の累計感染者数が1194人。これが14日後に1万人、28日後に8万人となるケースを算出します。

a^x=1194
a^(x+14)=10000

この2つの式の両辺を割ると

a^14=10000/1194

これを関数電卓にぶち込んで、a=1.1639...

27日後:a^(x+27)=1194×1.1639^27=71899
28日後:a^(x+28)=1194×1.1639^28=83684
 
なので、2週間で1万人、1か月で8万人の計算根拠は多分これですね。

ちなみにa^5=2.135...なので、5日で倍増というのも合ってます。

さて、この2週間後の数字ですが、政府専門家会議の提言では以下のようになっています。

感染から発病に要する潜伏期間の平均値は約5日間であり、発病から診断され報告までに要している平均日数は約8日間となっています。そのため、我々が今日見ているデータは、その約2週間前の新規感染の状況を捉えたものである

これはテレビや報道でも繰り返し言われている、「我々の2週間前の行動の結果が今日明らかになる」というアレですね。

つまり、首相が会見で言った「東京では2週間後に1万人になる」というのは、発言時点での感染状況を指していたわけです。

もう1万人は既定事実であり、放置すると2週間で8万人になる…これは恐ろしい…という話ですね。


で、実際はどうであったのか。

東京都の4月21日報道発表資料によるとこの日の感染者数が123人、患者数は累計で3307人。

先の指数関数に当てはめると、新規感染者数は4/21には1400人あまりとなるはずでしたが、実際はこれまでの新規感染者数は最大で4/17の201人、そこから減り続けています。

つまり、首相が会見を行った日にはすでに山を越え、減り始めていた。しかもその山自体が、最大1400人というような大きさではなかった、ということになります。

これは大変な誤算であり、数字を出した専門家の大失態ではないでしょうか。



2°緊急事態宣言の費用と利益

ではこの大失態の問題の大きさを経済面で見てみましょう。

野村総研木内登英氏の試算では7都府県の自粛により6.8兆円の個人消費が失われ、年間GDPの1.2%に相当する大損害になります。「全国民が1年間で納める消費税の3%分」というとよりイメージしやすいでしょうか。 

これで十分な人の命が救えるのなら政策目的は果たせます。当初の政策意図は30日後に11万人以上に膨れ上がる患者数を最大値1万人に抑え込むものでした。30日の累計を単純に2倍として2万人、患者数の9万人減少ですね。ちなみに東京だけの数字なので、7都府県ではさらに大きな効果を見込んでいたでしょう。

しかし、実際は今見た通り200人を頂点とし、このまま100人ずつ増えたとしても5000人弱。緊急事態宣言前にもう減っていたのだから、宣言なしでも2万人以内に収まると見ていい。

となると、上で見た6.8兆円のマイナス経済効果だけが残ってしまう、おそるべき経済破壊政策であったことになる。

少なくとも医療崩壊阻止に関してこれは全く無効であったということです。



3°緊急事態宣言の法的な問題

経済被害だけではありません。そもそもこの緊急事態宣言は新型インフルエンザ等特措法に基づくものです。その第5条には基本的人権の尊重として以下の規定があります。

(基本的人権の尊重)
第五条 国民の自由と権利が尊重されるべきことに鑑み、新型インフルエンザ等対策を実施する場合において、国民の自由と権利に制限が加えられるときであっても、その制限は当該新型インフルエンザ等対策を実施するため必要最小限のものでなければならない。  

首相は会見で「2週間後に1万人になる緊急事態」を前提にしていたのだから、そのもとで行われた施策は相当に過剰であったことになります。過剰であったことが判明した4月21日の時点から、この過剰政策を1日延期するごとに第5条に違反する行為が続けられることになる。

また、緊急事態宣言を規定している第32条5項には、以下の規定もあります。

5 政府対策本部長は、新型インフルエンザ等緊急事態宣言をした後、新型インフルエンザ等緊急事態措置を実施する必要がなくなったと認めるときは、速やかに、新型インフルエンザ等緊急事態解除宣言(新型インフルエンザ等緊急事態が終了した旨の公示をいう。)をし、及び国会に報告するものとする。

これ、完全に違法状態ではないでしょうか?


4°政治的な問題

政府といえども21日に発表される数値を7日時点で把握することは予知に属するので、間違えることもあるでしょう。その間に起きた損害は、首相に与えられた権限の行使の結果として我々有権者は甘受すべきものと思います。

しかし、これが誤った情報によるものであることが判明した以上、即座にその間違いを認め、要因の検証とともに善後策を練り直す必要があります。というか、作戦計画の中に「どういう数値が出たらどのような対応をするか」という想定と準備がなければいけません。

コロナウイルスの被害を重視する立場の人であっても、これは同じだと思います。仮に政府の見込みが全然甘くて「フタを開けてみたら感染者数が20万人を越えていた」というような場合は「もっと強硬な手段をすぐに取るべきだ」と主張するでしょう。

しかるに、21日からこのブログを書くまでの1週間に渡り、首相から政策変更に関するアナウンスがない。政権批判を期待されているはずの野党やマスコミからも、こうした観点からの批判が全くなされていない。あまつさえ、5月6日の緊急事態解除は難しいのではないかなどという全く逆方向の観測気球まで上がっています。

これは「コロナウイルス撃退のために経済を停止し人々の生活を締め上げろ」という空気に支配された翼賛体制ができあがってるのと何ら変わりありません。

首相は「解除は専門家の提言もいただきながら判断したい」と言っていますが、これは政治責任の放棄であり、また自ら数値で出した仮定が崩壊してなお作戦を変えないことこそが非科学的な政治判断であるといえます


そもそも緊急事態宣言は必要な要件が揃った時にだけ発出が許されるものであり、要件が1つでも欠けたらその効力を無効とすべきなのではないでしょうか。緊急事態をデフォルトであるかのように考え始めている空気にも非常に恐ろしいものを感じています。

前提が崩壊した緊急事態は今すぐにでも解除すべきです。


プロフィール

故郷求めて

Twitter プロフィール
↓必ず読んで下さい↓
[コメントのお約束]

izaブログ開設:08年4月4日
当ブログ開設:09年11月16日


タイトル末尾に「iza」と付いているのは、izaブログからのコピーです。

家族の様子はアメブロ支店に書いてます。

新人類世代、3児の父です。
都内で建設業関連の商売をしています。

QRコード
QRコード
Add to Google
月別アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ