誇りはどこにある

ノイジーマイノリティを叩き潰し、誇り高き日本を再建しよう。

主に政治・経済について、思うことを語っていきます。基本的に、天邪鬼の独り言だと思ってくださってけっこうです。日本人の意識改革、教育のあり方なども時折触れてまいります。

私の中のアルコール依存症

あと2ヶ月で、自分がアルコール依存症であることを知ってから5年になります。この特異な闘病生活が5年という節目でもあるので、私の依存症というのはどういうものであったのかをここに整理しておこうと思います。

長文になります。興味ない人には何の役にも立たない情報ですのでこのままタブを閉じてください。なお、闘病が始まった頃の記事もありますので興味のある方はご参照ください。

私の持病について 

依存症にも様々な段階や現れ方があると思うので、以下は私についてのことです。


■遺伝的ななりやすさ

依存症は遺伝に大きく関わりがあるようで、血族に患者がいる人は発症確率が高いそうです。それからアルコールの分解酵素を持ってる人、いわゆる下戸でない人だけが基本的になる病気のようです。

その意味では私はなりやすかった。母方の祖父と叔父・従兄弟にも明らかな依存症がおり、暴力的な酒乱でした。父方は穏やかな酒ですが、やはり酒豪といえる家系です。

私は酔っても暴力を振るうことはなかったので、父方の「良い酒飲み」だとばかり思っていました。家族や周囲も最初はそうだと思ってたんです。



■依存症になるまでの経緯

私は高校時代までに口にしたアルコールはビールにしてコップ2〜3倍に過ぎず、昔の子供が大人に冗談で飲まされた域にとどまっています。よって、飲酒の習慣ができたのは大学入学からです。

最初はこわごわと飲んでいたので日本酒1〜2合も入ればそこそこいい気分で目が回っていたのですが、クラブの先輩の豪快な飲みっぷりを見て「おお、これでいいのか」という感じで急性アル中1歩手前まで飲んだことが数回あり、それから「飲むなら潰れるまで飲む」というのが習慣になってしまいました。

いま思うとこれが依存症への序章だったわけですが、依存症についても無知だったし自分がそうなるとも思っていませんでした。


■依存症の始まり

大学の2年目か3年目には、すでに依存症は始まってたのかもしれないです。というのも、決心して数日間お酒を断っても、また必ず飲みだしてしまう。そして、1杯飲むと倒れるまで飲まないと気がすまない体になっていました。

友達と飲みに行くのでなくても、自宅に1升瓶を置いて飲む。飲み足りないと深夜でも買いに行く。そういう生活になりました。

学生時分は昼間でも飲もうと思えば飲めたのですが、それはあまりなく、主に夜飲んで倒れ、朝起きて二日酔いでぼんやりし、また夕方から飲むような生活でした。

この延長でそのまま社会人になり、仕事が終わると晩酌し、潰れるまで飲んで翌朝重い体を奮い立たせて出勤するという日々でした。

当然、仕事も辛かったし職場でも臭いと言われたことがあり、やめなきゃいけないという思いはすごくあるのですが、当時は仕事もハードで体の疲れを酒で癒やすという結構最悪な依存症生活に入っていきます。

結婚し子供ができてからは仕事の量は減りましたが、酒量は少しずつ増えたようです。


■依存症の程度

アルコール依存症というと、朝から晩まで飲む、飲むと性格が変わって暴れだす、お酒が切れると体が震えて顔つきまで変わる、という廃人のイメージが濃いかと思います。

しかし私の場合はよほどでなければ朝は仕事に行ってました。仕事中はもちろん飲まないし、夜でも車の運転が必要なときは飲まずに我慢できました。それは我慢というより至極普通だったので、自分は依存症ではないという言い訳ができるほどでした。

晩酌中、翌朝の仕事は気になっているので、早く飲んで潰れてしまいたい、潰れて寝てしまえば翌朝は起きられる、という意識でいました。だから、私の晩酌を邪魔する要因があると人知れずイライラしたものです。

もちろん休日前は時間を気にせず好きなだけ飲むのですが、もはや楽しみというよりは義務もしくは定例作業に成り果てていました。

飲む量としては1晩にビール500mlと日本酒1L程度。これより少ないときは体調が悪かったのかな、という感じでした。

休日は昼間から飲みたいのですが、子供を連れて運転することが多かったためにあまり飲む機会がなく、いま思うと自分の意志とは裏腹にこれが少し良かったのかもと思います。


■外での飲みっぷり

学生時代は利害関係もない、気の合う仲間と飲んでただけなので、意識を失うまで飲んでたくさん迷惑はかけたけれども自分でもさほど反省することはなかったです。

迷惑をかけた相手にはすごく怒られたりしたけど、慣れると相手も先に防御線を張ってくれるので、実質的に加害行為が少なく済んだのだと思います。酒癖としては女性を口説いて触る、思い通りにならないと暴言を吐く、という具合で、暴力にまでは至ってなかったそうです。

「そうです」というと他人事のようですが、全く意識も記憶もないので自分のこととは思えないのです。

従って、翌朝目が覚めた時に自分が何をしてしまったのか怖くなり、前夜に飲んだ仲間に会うのがつらく、嫌味を言われても全くなんのことかわからず、誰にどう謝ったらいいのかもわからないという悲惨な状態でした。

いや、自分から見たら悲惨なのですが、他人から見たら最悪の男になってたわけです。

まあそういうのも、相手が慣れてしまうと「酔ったらあいつに近寄るな」ということで何事も起きずに済んだようです。何しろ私はもう記憶を失っているので、酔った私を人間扱いする必要もないわけです。それでいいと、私も周囲に言っていました。

問題はそういうことが通用しなくなる社会人になってからですね。

初めてのメンツで飲むときには緊張してるので、失敗の無いようセーブして飲んでますが、慣れてくるとそうは行かない。割と大事な話をしていたのにすっかり忘れていたり、私が前夜に力説したことを自分で忘れている(そもそも本心ではないから聞いても思い出せない)ので失望されたりしました。

そこで私が取った防御策は、二次会に行かないということでした。

一次会で飲食・談話して、盛り上がって二次会へ…というところで私は退散し、自宅で一人で飲んでました。

こうして自分の殻に閉じこもっていくのも、依存症が抱える宿命なのですね。もちろん依存症の自覚などなく、ダメな自分をさらけ出さないための工夫でした。


■依存症時代の葛藤

飲んだあとの自分が何をするかわからない、これは非常に怖いことです。しかも、記憶に無いので翌日にはケロッとしている。「あいつは昨日のこと覚えてないのか」「知らないとは言わせないぞ」「酔って出た言葉は本心だろう」と言われても、全くわからない。

自分が加害者なのに、被害者であるかのような感覚になります。

私のことを真剣にかばってくれたり心配してくれる友人もいましたが、いま思うと彼ら・彼女らに私はちゃんと恩を返せたのか、甚だ心もとない。

飲んではいけないと思う。飲んでも乱れてはいけないと思う。でも、飲まずにいられない。一口飲むと止められない。たくさん飲むと自分とは別人格の自分がろくでもないことをする。

飲んで悪さをした自分が恥ずかしい。我慢ならない。昼間小さくなって過ごし、夜にはまた酒に溺れる。自宅で一人飲みしてる時だけは全能感に浸れる。

これはもうまるっきり依存症の典型ですよね。

それでも、5年前に悪夢にうなされるまでは気づかなかった。


■現在の闘病生活

上のリンクにも書いてますが、私は普通の人の治療は行っていません。

ネットで情報を得て自己診断し、家族の協力を得て自力で断酒しています。これまでの不始末を許してくれた家族、特に家内には本当に感謝してます。

この後一口でも飲酒してしまったら近所の心療内科に駆け込むことにしています。それは、家内にも宣言しました。

そうして追い込んだ上で、絶対に飲まないと心に誓いました。

普通は心療内科に通い、薬をもらったりアドバイスを得て地域の断酒会やAAという集まりに参加するそうです。私はそういうことを一度もしたことがないけど、なんとかなっています。

周囲の理解は絶対必要だと思います。特に、依存症を「お前のだらしないせいだ」などと言われたらいじけて飲んでしまうかもしれないからです。

でもこうして、運よく、周囲にも恵まれたおかげで、5年弱は断酒を続けることができました。

先日同窓会があり、乾杯のビールを飲むふりをしたところ、ビールの匂いが気持ち悪くてがっかりするやら安心するやらで、どうやら順調なようです。


■依存症のあなたへ、自分ではわかってないあなたへ

だから、同じような悩みを持ってる人がいたら、そう感じるような人が周囲にいたら、この文章を読んで気がついて欲しいです。

それはあなたの悩みではない。アルコール依存症という病気であると。

体がボロボロになってもやめられない、自分の体面を失っても手が勝手に動いてしまう。自分の意思だと思ってるけど、実はそうではない、これは病魔によって飲まされてるんです。

二日酔いで死ぬ思いして仕事に出かける自分を客観視してみてください。それは病魔に殺されようとしているあなた自身です。自分が弱くて可哀想な人間であることを、自覚してください。

この病魔には、飲むのをやめることでしか抵抗できない。そして、再び飲んだらまた病魔はあなたの身体に居座ってしまう。

どうか、戦ってください。他のすべてを失う覚悟で、お酒だけはやめること。そうすれば、もっと大事なものが取り戻せるはずです。

こういう私もいつなんどき、また元に戻ってしまうかわからない。

一日一日を大事に、負けずに生きていきましょう。 

保育を福祉から普通の産業にするメリット

前回エントリの補足。

政府補助金を保育手当に差し替えると、何が起きるか。前回は「待機児童の解消」「自宅保育の家計が助かる」という話でしたが、さらに市場原理が働くことでメリットがあります。



■保育サービスの品質向上

まず、自己負担額が10万円だと保育園の需要が一気にしぼみます。単純には、月収10万円が見込めない親は預けないで自宅保育したほうが儲かるからです。

こうなると、保育園に入れたくて並んでいた親御さんの行列は一挙に解消します。逆に、保育園の定員割れが起きるかもしれません。

待機児童で悩んでいた地域は保育園の側から見ると「気に入らない客は断っても構わない」くらいに余裕の状態です。しかし、定員割れとなると存続の危機です。預かり児童数がすなわち売上高なので、「保育園による児童の奪い合い」が起きます。

ま…普通の産業で起きてる需要不足ですよね。どの産業でもこうなればやるべきことは業務効率化と品質向上しかないわけです。

かつては収入源が政府補助金でしたから、親に喜ばれるサービスよりも政府の都合に合わせて経営してればよかったわけです。変な話、政治家の圧力を受けて地元の名士のお嬢様を能力が低いのに保育士として雇ったり、出入り業者に役人の"ヒモ付き"がいたりしたかもしれません。

しかしもう政府からの収入はなく、親に気に入られなければ経営が危うい。こうなると、情実人事や不明朗な取引をやめて経営効率化と品質向上に取り組まねばなりません。

能力の高い人を高い給料を払ってでも雇う必要が出てきます。安くて品質の良いものを入れてくれる仕入れ業者を選定するでしょう。こうして普通の産業になるわけです。



■ 新規業者の参入

保育園には様々な規制があるため、意欲とお金があっても新規参入が難しいのですが、仮にこの規制がなかったとしても現在の政府補助金を受けている保育園と同じ土俵で戦うのは無理でした。

あなたがアイスクリーム屋をするとき、原価が80円だから100円で売りたいのに、隣のアイスクリーム屋が同じものを20円で売っていたら起業を諦めるしかないでしょう。なぜ20円で売れるのか聞いたら「1個売るごとに政府から80円の補助金が出るから」というのだから太刀打ちできません。

保育園も同じ事情で新規参入が阻止されてきたわけです。政府補助金さえなければ、参入のハードルは一気に下がります。1人10万円の保育料が取れるのなら保育園を開業したいという業者はたくさんいるでしょう。

保育園を増やすためにたくさんの税金を使うより、"お金に目のくらんだ民間業者"が自己責任で保育園を作ってくれるのだから、願ったり叶ったりですね。

保育園に限ったことではありません。少し離れた場所にお子さんの祖父母がいて預かってくれるなら、祖父母にタクシーを使ってもらっても保育園より安いので、保育園を使わずにお母さんは仕事に行けます。あるいは、お母さんの自宅保育を助ける便利グッズがバカ売れするかもしれません。

保育園の補助金をやめたおかげで他の産業に売上がシフトするのです。これも広い意味で新規業者の参入といえます。

別に、保育園に入れられなくても子供が健全に成長し、お母さんの生活が成り立てばそれでいいのです。



■ 真の女性人材の活用

これまでは入園希望者が多く「保育は福祉」という考えだったので、すでに共働きの家庭や所得の少ない家庭に優先して保育園が割り当てられてきました。

しかし、保育料が10万円でも預ける人は多くは、「子供を預けたら10万円以上稼げる」というお母さんになるでしょう。つまり、高い能力を持った働き手が優先して保育を受けられるようになる。

これによって、今まで就労を諦めていた高度な人材が労働市場に供給されてくるわけです。

保育園のキャパを増やさなくても、納得して自宅保育に切り替える人と、入れ替わりに高収入を得るために保育園を利用する人が現れれば、社会全体としての生産性は上がります。

例えば、身体が弱くて月収3万円しか稼げないお母さんでも保育料2万円なら預けるけれども、保育料10万円で保育手当5万円になったら仕事をやめて自宅保育にするでしょう。その代わり、今まで待機していた正社員になれるお母さんが外に出てバリバリ働くのです。

本当に女性が活躍できる社会というのはこういうことではないでしょうか。



■パート賃金の上昇

保育料2万円で仕事を得ていたお母さんは最低でも2万円稼げれば元は取れたので、安い時給のパートしかなくても働いていたかもしれません。

しかしそういう人材の供給がなくなれば、企業もこれまでより高い時給を提示しないと人が雇えなくなります。

経済は循環するので、保育園に入れた政府の補助金はこのように、パート労働者を雇う企業への間接的な補助金になってた可能性があります。

賃金を上げなくても企業が求人に困らない場合は「保育園に預けているお母さんのせいで仕事に就けなかった人」が雇われてることになり、これも就業機会が広がったことになります。

低賃金労働の賃金が上がるか、それともこれまで失業してた人が雇われるか。いずれにせよ、税金を投入しないで実現できるのならこんなにいいことはありません。


以上見てきたように、保育を普通の産業にするだけで、様々なメリットが考えられます。もちろんデメリットについても考察すべきと思いますので、そこはもう少し頭の良い人や現場を熟知した人に考えて欲しいところです。


 

待機児童と政府の補助金について

いまさらながらに待機児童問題について。

Twitterでしつこいほど書いてますが、やはり簡単にまとめたほうが伝わりやすいかと思うので、数字を使って説明しましょう。

待機児童問題が起きるのは単純な理由で、それは「今の認可保育園に入園すると経済的に圧倒的に有利だから」に尽きます。

保育園に子供を預けるとお母さんは外で働けるので家計が助かります。でも、それは保育料が安いからであって、保育料がお母さんのパート収入より高かったらほとんどの人は預けないでしょう。

保育料の仕組みが複雑で自治体によって金額も違うので整理しにくいのですが、ここでは政策の方向性さえわかればいいので理解の助けのために数字を一つに絞ります。

現行の保育園の仕組みでは、表1
(クリックで拡大)のようになります。33

本当は児童一人に10万円もかかる「至れり尽くせり」のサービスを、たったの2万円で受けられるのですね。これは政府が8万円を保育園に支払ってるからです。つまり、我々の税金ですね。

保育園に入れるとお母さんはパートに出ることができるので、月収8万円でも家計収支は6万円もプラスになります。それに比べ、保育園に入れられない人は外で収入を得られないので、家計収支は1円も増えません。
 
普通の家庭で月6万円の違いは大きいので、大抵の人は保育園に入れたいと思うでしょう。待機児童が増えるのは当たり前ですね。

そしてこの表を見れば、保育園に落ちたお母さんが「死ね」と言いたくなるのもわかりますよね。だって、他のお母さんには政府補助金の8万円が下りるのに、なぜ自分はその恩恵にあずかれないのかと。

もともと「働きに出ないと死んでしまうようなお母さんの代わりに子供を預かってあげる福祉施設」という位置づけが、時代の変化もしくは制度疲労によりこのような不公平を生むだけの施設になってしまったわけです。

じゃあ、この補助金をやめればいい。今まで保育園にだけ児童一人あたり8万円払ってたのをゼロにして、仮に未就学児を持つ親全員に5万円を配る「保育手当」を創設するとどうなるか。これが表2
(クリックで拡大)です。

10

 



これだと保育園に預けてる人は保育料が10万円なので、パートで8万円稼いでも赤字です。ただ、保育手当5万円があるから家計収支はプラス3万円。一方、自宅保育の人は保育手当がそのまま手に入ってプラス5万円。ただし、自宅保育も経費がかかるので、そんなに不公平でもなさそうです。


必要な財政負担はこれまで保育園児にだけ払っていた8万円をやめて、全員に5万円を配る分だけ。

ざっくり計算した範囲ではそんなでもなさそうだし、だいいち与野党議員さんが「子育て支援を充実します」と公約する中で、こんなはした金も出せないとはまさか言いませんよね?

表2を見たら、保育園に入れたがるお母さんは激減するでしょう。「需要減により待機児童を解消する」というと、なんだか福祉を後退させたように感じますけど、全員の家計がプラスになるのでむしろ公平になったのではないでしょうか。

「お金持ちにも保育手当を配るのはいかがなものか」等と言ってると何も進みません。むしろ、そういう格差対策は所得税などで調整すべき課題であり、子供一人にかかる手間を差別していいとは思いません。

問題は、何故どの政党も表2の提案をしないのか、というところにあると思います。

いやー、保育利権って深いですねwwww 

 
livedoor プロフィール
Twitter プロフィール
↓必ず読んで下さい↓
[コメントのお約束]

izaブログ開設:08年4月4日
当ブログ開設:09年11月16日


タイトル末尾に「iza」と付いているのは、izaブログからのコピーです。

家族の様子はアメブロ支店に書いてます。

新人類世代、3児の父です。
都内で建設業関連の商売をしています。

QRコード
QRコード
Add to Google
月別アーカイブ
記事検索
  • ライブドアブログ