公務員制度改革の要は、省庁縦割りと年功序列だと思います。



中央官庁は国益のために働くべきなのに、採用から退官までの人事を省庁ごとに行なっているため、官僚は国益より省益で動いてしまいます。最近になって「横串」という言葉が好んで用いられますが、そもそも所管行政ごとに縦割りにしたものを、中の人事権までそのまま採用するからいけないのです。

これについて、みんなの党の姿勢は明快です。例えば、今のように財務省や文科省がそれぞれの役人を採用するのではなく、内閣人事局が役人の採用試験を行い、各省に配置する。民間からの登用も行ない、部長以上は内閣人事局が政治任用する。

ある意味、省庁縦割りはこうした制度的なもので簡単に打破できるような気がします。



ただ、もうひとつの課題である年功序列の廃止は、霞が関の文化であり、日本の慣習でもあるため、なかなか難しいような気がしています。

『私の中の日本軍』(山本七平)によれば、旧陸軍でも階級より年次がモノをいったそうです。俗に「星の数よりメンコ[註1]の数」と言われ、本来軍隊にはありえないはずの「何年生」という言葉があり、初年兵はイジメの対象だったそうです。

だとすると、霞が関の年次至上主義は彼らの中だけで通用する文化ではなく、日本人の行動様式そのものではないかと考えてしまうわけです。

高校や大学で微妙だったのが、浪人して入学してきた仲間の扱いでした。同級生だけれど年齢は上、というケースならまだ話は簡単です。同級生として対等に付き合っていくうちに、違和感はなくなります。下級生でも年齢が上の人の扱いが少々微妙ですが、後から入ってきた以上、やはり後輩扱いでした。[註2]

それまで年齢と学年が一致しており、「年上を敬え」という儒教の教えがそのまま「上級生に従え」という命令に一致してたから、ある意味やりやすかったのです。

官僚の世界も年次がモノを言い、「何年入省組」という「メンコの数」が退官するまでつきまといます。これはちょうど、私たちがいくつになっても「学年は上だね」などと言うのと同じ感覚なのでしょう。

こう考えてみると、企業の採用が新卒至上主義と言われるのも、ある程度理解できます。

会社を1つの学校やクラブのようなコミュニティと考えた場合、そこに入ってきた1年生が、入社3年目の人より人生経験が長かったり、仕事ができるのでいきなり上司になったりするのはマズイわけです。

これまでも中途採用とかはあったわけですが、それはあくまで例外でした。特に、大企業の正社員はほとんどが新卒の社会経験ゼロの状態で入ってきて、社会人1年生はそれぞれ独自の企業文化の中で育っていき、良く言えば他社の色に染まっていない純粋な「○○マン」になり、悪く言えば他社では使いものにならないような人材になっていきます。

本来どこの会社に入っても同じ様式で済むはずの様々なことが、社内だけのシキタリのようになっているのも、そこに古くから住んでいる人が新人に優越するためにあるのかも知れません。

「硬直的な雇用市場」を批判しても、我々の中に年功序列意識があるかぎり、改めるのは難しいのかも知れません。

これを根底から覆すのに何が必要か、と言ってもなかなか答えは見当たりませんが、例えば、学校で飛び級を認めるとか、学年ではなく到達度別のクラスを作るとか、そうしたことを考えてみてもいいような気がします。



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[註1]メンコとは飯を盛る器のこと。何年飯を食ってきたか、の象徴だそうです。 ≫戻る

[註2]同じ学校の出身で、もと先輩=いま後輩、というのは非常にやりにくいのではないかと思ったりします。私の知る限りでは、もと同級生=いま後輩、は実際にあり ました。 ≫戻る