アゴラの記事「間違いだらけのNHKスペシャル『メルトダウン・知られざる大量放出』」を読んでの感想。
事実関係についてはアゴラの記事を信頼することにして、その検証はここではしません。
ここで問題にするのは、記事中で指摘されている「既知の情報をあたかも初めて明らかにしたかのような報道」についてです。私はこの手の報道は虚報でありデマであると思うからです。
原発事故後4年もたってから、当時すでにわかっていたことを初めて知ったかのように言うのはかなり悪質なデマです。そしてこの手のデマは、事故直後から繰り返し撒き散らされてきました。
政府や公の研究機関などで明らかにしている事実を、まるで自分で突き止めたかのように書くのは、
・政府が無能なのではないか
・政府がその事実を隠蔽しているのではないか
という疑いを招きます。
これは、わかった上でやっているのなら政府の信用失墜を狙ったサボタージュ工作です。
仮にそこまでの意図がなく、単に自分の有能さをアピールしたいためのハッタリだとしても、その情報で右往左往する人が出た場合の結果責任は負うべきでしょう。
まして、事故後4年というタイムラグのあとでこれをすればどうなるか…
私を含めて一般の人は、原発事故で何が起きたとしても、それを自分の力で解決するすべを持ちません。
だから、政府や公式な機関が何らかの事実を突き止めて公表したならば、それに基づいて何らかの対策を施しているだろうととりあえず信頼した上で生活しています。
そういう前提で、政府が大事な事実を知らなかったとすれば、肝心の対策が打てないまま4年もたってしまったことになります。政府が隠蔽してたとするともっと事は重大です。事態を把握してたけれどももう手の施しようがないから伏せておくという判断をしたのだろう、と想像できます。
この手のデマを発信する報道機関は、「この事実はなぜ政府が知らなかったのか」とか「この事実を政府は隠蔽してきたのだ」と明確に言う必要はない。そうした構図を、報道を見た読者・視聴者は頭のなかで補完して作り上げてしまう。これが虚報による誘導の最たるものです。
そして、仮に私がこのような番組を家族で見たとき、アゴラに書いてあるようなことを私が知っていても、その場で指摘して家族に本当のことを教えるのは難しい。
だいいち、「その事実は正しい」のです。「それは既にわかっている」という反論しかできないんです。 すると、「じゃあテレビは合ってるんだね」「嘘はついてないね」で終了してしまう。
でも、肝心なのは「今回の取材で明らかになった」こと、つまり「それまでは誰も知らなかったか、知ってて黙っていた」というのがこの報道の核心です。
ある事象が起きていたかいなかったかという事実を間違えれば誤報と言われるけど、それが知られていたかそうでなかったかの違いについて、私達は意外と鈍感です。その割に、隠蔽されたというキーワードには非常に強く反応します。この心理作用を利用したデマは、最初に申し上げた通り、事故直後からイヤになるほど繰り返し行われてきました。
以上が、アゴラ記事内に明確に書かれていないけれども筆者が強く訴えたかったことの一つだと私は思いました。
感想終わり。
事実関係についてはアゴラの記事を信頼することにして、その検証はここではしません。
ここで問題にするのは、記事中で指摘されている「既知の情報をあたかも初めて明らかにしたかのような報道」についてです。私はこの手の報道は虚報でありデマであると思うからです。
原発事故後4年もたってから、当時すでにわかっていたことを初めて知ったかのように言うのはかなり悪質なデマです。そしてこの手のデマは、事故直後から繰り返し撒き散らされてきました。
政府や公の研究機関などで明らかにしている事実を、まるで自分で突き止めたかのように書くのは、
・政府が無能なのではないか
・政府がその事実を隠蔽しているのではないか
という疑いを招きます。
これは、わかった上でやっているのなら政府の信用失墜を狙ったサボタージュ工作です。
仮にそこまでの意図がなく、単に自分の有能さをアピールしたいためのハッタリだとしても、その情報で右往左往する人が出た場合の結果責任は負うべきでしょう。
まして、事故後4年というタイムラグのあとでこれをすればどうなるか…
私を含めて一般の人は、原発事故で何が起きたとしても、それを自分の力で解決するすべを持ちません。
だから、政府や公式な機関が何らかの事実を突き止めて公表したならば、それに基づいて何らかの対策を施しているだろうととりあえず信頼した上で生活しています。
そういう前提で、政府が大事な事実を知らなかったとすれば、肝心の対策が打てないまま4年もたってしまったことになります。政府が隠蔽してたとするともっと事は重大です。事態を把握してたけれどももう手の施しようがないから伏せておくという判断をしたのだろう、と想像できます。
この手のデマを発信する報道機関は、「この事実はなぜ政府が知らなかったのか」とか「この事実を政府は隠蔽してきたのだ」と明確に言う必要はない。そうした構図を、報道を見た読者・視聴者は頭のなかで補完して作り上げてしまう。これが虚報による誘導の最たるものです。
そして、仮に私がこのような番組を家族で見たとき、アゴラに書いてあるようなことを私が知っていても、その場で指摘して家族に本当のことを教えるのは難しい。
だいいち、「その事実は正しい」のです。「それは既にわかっている」という反論しかできないんです。 すると、「じゃあテレビは合ってるんだね」「嘘はついてないね」で終了してしまう。
でも、肝心なのは「今回の取材で明らかになった」こと、つまり「それまでは誰も知らなかったか、知ってて黙っていた」というのがこの報道の核心です。
ある事象が起きていたかいなかったかという事実を間違えれば誤報と言われるけど、それが知られていたかそうでなかったかの違いについて、私達は意外と鈍感です。その割に、隠蔽されたというキーワードには非常に強く反応します。この心理作用を利用したデマは、最初に申し上げた通り、事故直後からイヤになるほど繰り返し行われてきました。
以上が、アゴラ記事内に明確に書かれていないけれども筆者が強く訴えたかったことの一つだと私は思いました。
感想終わり。