日経ビジネスオンラインで竹内氏が主張している提案は過激ですが、このくらいの意見があってもいいでしょう。
何しろ、震災復興の第1次補正予算の財源に高齢者への過剰な給付の見直しなど無く、子ども手当を削り、年金積立金を取り崩し(将来世代の年金原資です)、ODAを削減する(日本のノブレス・オブリージュを放棄?)体たらくですから、将来世代の意見はもっともっと過剰に反映されてもいいと感じます。そしてその程度の意見が出ない限り、一歩も進まない気もしています。
電車で高齢者に席を譲らないと言って日本の若者のマナーを嘆く向きにも同情しますが、一方で「子供なんか立たせておけばいい」という暴論にもよく出くわします。実際には、公共の乗物は子供が安全に乗れる設計にはなっていないので、小さな子には席を譲るべきです。
最近ようやくベビーカーのまま乗車してもいい電車やバスが増えました。それまではベビーカーの子を抱っこして、ベビーカーをたたんで持ち上げて乗車するルールになっていました。
ベビーカーの構造によっては、座席の下の荷物まで取り出して一旦抱えなければいけません。母親ひとりの力でこれをするのはかなり大変だし、赤ちゃんのいるお母さんにはまだ幼い上の子がいたり次の子を妊娠していたりで、事実上無理な話です。
そういう人は電車やバスには乗るなと言ってるようなもんですね。
恥ずかしながら私はそのルールを知らず(知っていても破った可能性大)、子供の乗ったベビーカーを押して電車に乗っていました。一度、まとまった人数で乗車中にJRの閉まるドアにベビーカーを挟まれてパニックに陥ったことがあります。あの時は無性に腹が立ちましたが、抗議すれば「ルール違反だからお前のほうが悪い」と言われたのでしょう。
電車の自動改札もベビーカーではすれすれの幅で、混雑時にちょっとでも左右に傾いて引っかかろうものなら後ろの人に押される恐怖感を味わいました。とにかく今までの街の設計は小さな子を連れた人には厳しい。
ベビーカーでもう一つだけ言うと、ベビーカーはエスカレーターの利用が禁止されているのに、エレベーターでベビーカーを優先してくれる場所は非常に少ない。黙っていれば足の早い人から乗るというのがあたりまえになっていて、車椅子すら追い越して乗る人々を見た時には呆れ返りました。
核家族化で日曜のお出かけなどはどんな小さな子でも一緒に連れて歩くしかないのに、出かけた先では「あんな小さな子を連れてくる場所か?」という心ない言葉を聞こえよがしに浴びせられたこともあります。子供のおもちゃや靴を買い、母親の肌着や父親のネクタイを選んで夕飯の材料を仕入れる、その間昼食もどこかに入らなければならない、そのあらゆる場面に乳幼児を連れ歩くしかない家族は沢山います。
こういう人達に対する少しずつの不便さが少子化に拍車をかけているとすれば、それを除去する提言が少子化対策として各方面からあるべきでしょう。
穿った見方かもしれないですが、子ども手当によって子を持つ親の資金力が増すことは、結果的にそうした「子連れに不便な社会」を解消するのにも役立つだろうと思います。子ども手当が始まるときに、育児・教育関連の業界が沸騰気味になったのは眼に見えてわかりました。眼に見えない効果はもっと広範にあるでしょう。
最近になってビジネス誌系列のネット記事で、世代間格差や政治における老人既得権の話が毎号のように見られるようになりました。テレビや新聞はおそらく周回遅れでしょうが、広く一般にこの問題意識を共有してもらいたいと願わずにはいられません。
ブログランキングに参加しています。ご賛同いただける方はバナーをクリックしてください。
↓