誇りはどこにある

ノイジーマイノリティを叩き潰し、誇り高き日本を再建しよう。

みんなの党

みんなの党とリフレと私

池田信夫 blog : リフレ派の最後の砦 - ライブドアブログ



昨日、桜内文城議員がTwitterで高橋洋一氏の理論をオカルトだと喝破したのですが、私もややこしいことになってます。

まず、みんなの党が標榜する「デフレ脱却」「日銀法改正」ですが、これは桜内議員の訴えをもとにするとして、私個人は政治的に反対。ただし、理論的には桜内氏は正しいと思うし、実践としては「やって見るまでわからない」。だからこそ、そして今まで日本が財政政策で成功したことなどない(ただし、桜内氏はかつての財政出動と自身の政策には明確に一線を引いてます)と思うから、私はこの政策には反対なのです。

ただし、桜内氏は国会議員なのだし、国の経済と財政を責任をもって動かす権利と義務は彼にあるのだから、物理的にこれに反対することはできないと思ってます。

それとは別に、高橋洋一氏が主張するリフレ政策は理論的にもおかしいと思うし、観測データから言ってもおかしい。そして、彼の主張を旗頭にしてリフレを主張する人たちがみんなの党の政策を支持していることには「もう勘弁して欲しい」と思ってます。

私が思うに、中西健治氏はみんなの党の議員の中でも金融政策のプロですが、彼はリフレのようなものを語った試しがない。それに、小野次郎・山内康一・松田公太の各氏も金融政策についての言及がないと思います。

みんなの党の次世代を担う議員たちは、ひょっとするとリフレ派ではない。ただし、みんなの党が党としてこれを言い続けている以上は反論を自主規制しているんじゃないかと私は思っています。

これまで私はみんなの党の結党当初からの支持者として、そして一般党員として、リフレ政策には一貫して反論してきました。

ある意味、高橋洋一氏の言うような、貨幣数量説を論拠にするようなリフレ論者がいればかえって反論するのはたやすい。桜内氏のようなロジカルな説明が入ると、反論も論理ではなく単に政治的なものにならざるを得ません。

所詮私は「政府が何かしてくれれば景気は良くなる」には一貫して反対で、「政府のくびきから逃れることができれば日本の市場はきっと立ち直る」と思っています。これはおそらく、大蔵官僚(現財務省)や自治官僚(現総務省)にはありえない発想なのでしょう。

それにしても、桜内氏もみんなの党の議員として活動していても、弊ブログに「こういう議論がしたかった」とコメントを寄せてくるほど言論が表に出せないというのは、何か日本の政治(あるいはメディア)に物理的な問題点があるんじゃないかと感じます。

政治家が自分で発信する手段としてブログを使っていても、実際にはほとんど読んでもらえていません。政治家によっては新聞記事よりよほど読ませるものがあるにもかかわらず、です。

普通の人が普通に議員と意見交換する機会が、もっともっと増やせたらいいのにと思います。残念ながらネットで政治発信する一般人は、比率としてキチガイじみたものが非常に多い。ネット利用者の増加でこれは解決するはずなんですが、なかなかといったところでしょうか。


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「デフレ脱却」で喜ぶのは誰か?



あえて本エントリは「みんなの党」カテゴリで書きます。

「金融政策でデフレ脱却」などというものに政治家がかまけていれば、規制改革・財政再建・行政改革・年金改革など、なすべき政治課題に貴重な資源を投入できなくなり、一部高級官僚や既得権者の思う壺にはまるんじゃないかと危惧します。

ただでさえ、みんなの党は少数野党です。参議院において、議員立法提出権の最低数をクリアしたに過ぎない。お金も無いと言ってるくらいだから、政策立案を外注できるシンクタンクもないでしょう。

少ない戦力で戦線を拡大するのは戦略としていかがなものか、子供でも理解できることです。

日銀総裁を呼びつけて恫喝したり、リフレ派の経済学者のご進講を聞く暇があったら、鈴木亘教授に年金改革の制度設計を依頼するなり(もうほとんど出来ているはず)、八代尚宏教授に労働市場改革の方向を問う方がましです。

金融緩和で構造改革の痛み止めができると思うのも、甘い読みだと思います。

一つ目に、どんなに緩和してもインフレにはできなかったという日本経済の事実があります。もう一つには、構造改革を断行する限り、何をどう進めても必ず誰かは痛みを覚える。そして、痛む人は声を大にし、マスコミはこぞって取り上げます。三つ目として、制御不能なインフレになる恐れと、その恐れを抱かせることが市場のマインドにどう働くかがわからない。

円高阻止になるというのもおかしな話で、そもそも、米英の金利が高かったときに日本が不景気を理由にしてゼロ金利を続けてきたから、その間が異常な円安だったのです。米英の金利が下がれば円高になる余地を、日本側が作っていたと言われればそれまでのこと。マクロ経済学者でも、小泉時代に輸出が好調だったのは理論値よりも円安に振れていたからだ、という分析が主流だと思います。

そもそも、努力もしないで楽に儲かる、という発想をやめるべきでしょう。リフレ派の人達から聞こえてくることは、そうした話ばかりです。実体経済の改革はしないのに、日銀さえ頑張れば経済環境が良くなるというような、他力本願の考えはやめたほうがいい。

前々から指摘してきたことではありますが、リフレを推奨すると、実体の改革が先送りになる恐れがあります。改革を忌避する人が、「みんなの党がリフレをやってる間は大丈夫」と思ってるとしたら、これは大問題ではないでしょうか。
 

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みんなの党は保守でもリベラルでもなくまともなだけ



劉暁波さんの釈放を求める国会決議、中井洽の皇族に対する暴言の暴露、岡崎トミ子の問責決議と、このところみんなの党が自民党より保守派に近いんじゃないかという声を聞きました。

アンチ中共・皇室崇敬・反日左翼撃退は、どっちかというと自民党マンセー(一部、国新・たちあがれ)の皆さんが常日頃訴えているはずなのに、彼らが「第二民主党」などと言ってサヨク認定していたはずのみんなの党が、自民党よりも態度が明確なのはなぜか?

理由は簡単で、既得権益層への遠慮が要らないからです。無党派層の素朴な正義感に訴えるなら、こういう行き方になるに決まってるんです。あえて言うなら、これこそ究極のポピュリズム政治なんです。

みんなの党の衆議院議員をミギ(天皇崇拝・アンチ中露・愛国主義)からヒダリ(世界平和・万人平等・反米反軍)の順に並べると、渡辺喜美・柿沢未途・浅尾慶一郎・山内康一・江田憲司・川田龍平といった具合でしょうか、とにかくそっち方向のベクトルでは1つにまとまってません。でも、ミギは土木・外交・防衛などの利権で癒着し、ヒダリが労働団体の利権で癒着していることを思うと、(ミギ+ヒダリ)⇔みんなの党、という位置関係にあるのがわかるでしょう。

民主党の「脱官僚」が、単なる「高級官僚バッシング」であって、自分たちの支持母体である自治労・官公労にはまったく無力であるように、自民党も日教組などを口を極めて罵りながら、天下り官僚とは仲良くせざるをえないのだから、お互いに切れ味が鈍くなるんです。

政権交代によって一層そのことが浮き彫りになっただけでしょう。



本来ならば、意味のない「反日vs愛国」などという対立図式ではなく、本当の意味での「保守vsリベラル」の図式に則って政界再編して欲しいのです。その意味では、まだみんなの党も旗幟鮮明とは言いがたい。

本当のガラガラポンのあとでは、農業利権でつるむような人も、反日教育で盛り上がる人も、ごく一部の勢力になっているはずです。もっと大きな括りの中で、例えば次のような二大政党になっていくべきでしょう。

(1)保守党:歴史と伝統を重んじ、自助努力を旨とする。個人は国家と社会のために貢献することを喜びとし、弱き者には慈悲の心で臨む。安心よりも活力。社会保障が薄くても税金は安いほうが良い。

(2)平等党:政府によるより良き制度を求める。税金は高くても、手厚い社会保障。自由を制限してでもイカサマには厳しく対処する。活力より平等。運による不公平がないような制度設計。伝統よりも科学。

こうした括りの中で、世界と渡り合うための外交・防衛・市場競争などというものは、いかにして勝ち抜くかの手段を競い合う以外、争点にはならないわけです。そう考えると、今の民主党も自民党も、全く政党の体をなしていないと思いませんか?


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みんなの党・大嶋幸治氏の改革意欲を疑う



私はみんなの党の結成当初から当ブログ(iza時代)にて支持を公表し、党員募集にも即日で応募しました。昨年の衆議院選でもみんなの党に投票し、今年の参議院選ではみんなの党のためにできる限りの応援をしました。

ブログを通じた応援がどの程度の影響を持つのか知りませんが、私のもとには、Twitterないしブログを通じてみんなの党やその候補を知り、それがきっかけで投票したという報告が複数ありました。偶然見つけたみんなの党支持者のブロガーさんが、実は私の読者だったなんてこともあり、感激したこともあります。




前置きが長くなりましたが、そのなかで、名前を挙げて支持を表明した候補者の中に、表題の大嶋幸治氏がいます。

実業界と言っても経済団体を率いるような一部上場製造業ではなく、町の酒屋さんであり、その業界団体の理事長として改革手腕を振るったとありましたので、私は大いに尊敬していました。

しかし、このたびTwitterにおいて大嶋氏の暴言があり、釈明を求めたのに何ら回答がないので、以前のエントリも含めて、これまでの支持を撤回したいと思います。

大嶋氏の発言は以下のものです。

今、帰宅しました。今日は、JIフォーラムでの勉強会、事業仕訳について面白い話が聞けました。6人のパネラーがいましたが、その中で、光輝く話をしたのが、山内康一代議士でした。河野太郎衆議院議員の話は、声は大きいが、内容がなかった。ば〇太郎と言われる所以可も?


それに対して、私は

「内容がなかった」なら、具体的にどんな話があったのか、なぜそう感じたのかを述べるべきです。「ば○太郎」などという誹謗を加えるのは行き過ぎではないですか?あなたの品位にも関わると思いますよ。


リプライしたのですが、24時間以上経過した今も返答はありません。



読者の方はご存知でしょうが私の立場を述べておきますと、私は山内康一議員が自民党を離党する前からのファンでして、河野太郎議員についても自民党の中ではもっとも信頼しています。

そして、山内議員を含め、自民党の改革意欲に燃える2005年当選組(いわゆる小泉チルドレン)は、河野太郎を座長とする自民党無駄撲滅プロジェクトチームで一緒に汗をかいてきました。その意味でも、山内康一への支持は河野太郎への信頼と同一線上にあります。

だから、これは私の私憤と思っていただいてもいいのですが、河野議員を貶めながら山内議員をヨイショする大嶋氏の姿勢には、甚だ違和感を覚えます。具体的に、河野氏と山内氏の発言内容について納得の行く解釈をしていない以上、これは大嶋氏の失言として抗議します。

私に言わせれば、大嶋氏の上の発言は山内康一議員にとっても迷惑極まりないものです。




大嶋氏とはこれまでにもTwitterで何度か意見交換をしましたが、すれ違うことがありました。

例えば、ビールの代わりに発泡酒や第三の酒が売れるのは、政府の税制の歪みだろうと私が指摘するのに対して、大嶋氏はこれをデフレの問題であり、サラリーマンの所得が上がればビールは売れるはずだなどと仰る。それはそうかも知れませんが、高すぎるビールの税金を下げるだけで、デフレを解消しなくてもビールは売れます。というか、ビールのほうが美味しいなら、第三の酒との差額は税金だけなのだから、税制さえ改革すれば第三の酒のほうが売れるはずがない。

この、あたりまえの指摘に対して大嶋氏は「今はデフレの問題を話しているんだ」と、問題の所在をすり替えるようなことを言う。これは、本質を無視した議論と言わざるを得ません。プロの酒屋でありながらそれはないだろうと思うのです。

他にも大嶋氏のTwitterにおける話題は政策面での改革テーマはあまりなく、むしろ個人のご商売の話が多い。

もちろん、浪人中の身ですから、独立自尊で政治活動をするにはきれいな資金源は欠かせません。それにしても、どうも政策面の問い掛けが少ないと感じています。

そこへ来て、あの暴言を見て私は呆然としました。これ以上、氏を支持することはできないことを、この際明言しておきます。

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政府資産売却の効果は正か負か

みんなの党は「増税の前にやるべきことがある」として、大きく分けると以下のことを提唱しています。
  1. 行政改革による歳出削減
  2. 政府資産売却による負債の帳消し
  3. 経済成長による税収増
これは自民党の「上げ潮派」とほとんど同じ考え方で、財政再建を行う際の「増税」を除く全ての手段はこれに尽きるだろうと思います。

当然のことながら、「総論賛成・各論反対」はどこにでもあるせめぎ合いで、具体的な政策になると異論が噴出しますが、総論としてこの3項目に反対する人は少ないでしょう。(除:財政破綻はありえないという三橋信者)

ただ、私の中では単純な疑問があります。

それは、上に揚げた(2)が本当に財政再建に効果を発揮するかどうか、です。

企業や個人で考えると、資産をカットしてでも負債を減らすことは利払い費を減らすのでいいことだと思われがちです。ただ、成長の原資は投資であり、投資で得られる利益率よりも銀行の金利の方が高いのであれば、企業活動をする意味はなくなります。

もちろん、政府が企業のように効率的な投資ができるとは思えないし、投資に失敗してもおいそれと倒産しないぶんだけタチが悪いので、政府は余計な投資をして資産を抱え込むことのないようにする方が賢明でしょう。まして、今の日本でライフラインの維持を超えるほどの投資はほとんど意味が無いとも思います。

ただし、今ある資産を圧縮することが、本当に財政を良くするかどうかは冷静に見てみる必要があると思います。

何しろ、個人や企業と違ってとても膨大な資産です。資産売却の過程では、デフレ圧力がかかるでしょう。やり方を間違えれば、大損をするかもしれません。また、企業の資金調達が間接金融中心であり、銀行融資が不動産担保偏重である現状のままで、資産デフレが民間に及べば大変なことになります。財政再建のために実体経済がメチャメチャになっては元も子もありません。

それに、今のようなゼロ金利の状態では、資産を売却して負債を圧縮することの効果もあまり期待できません。逆に、金利が上がってからでは間に合わないとも言えるので、一概に言えない難しさがあります。

日本の政府は大きすぎると思っていますので、資産売却して政府のスケールを小さくする、という方向性は間違っていないにせよ、どんなやり方でも構わないとは思えないし、早ければ早いほど良いとも言えない気がします。

まあ、郵政民営化や公立保育園の民間委託でも批判が渦巻く日本の政治状況を思えば、(2)をとことん進めろと政治発信するのは正しい立ち位置かもしれません。ただ、現実問題としてはあまりこの方向にイケイケになるのは危険だろうということです。

きちんとした議論をするためには、マクロ経済学の先生にご登場願うべきでしょうけど、素人談義として、一見してもっとも良さそうに見える政策にも危険は潜んでいるということは注意していこうと思ってます。

それにしても、経済・財政の問題は、考えれば考えるほど難しい。あらゆる角度で見て、あらゆる批判を想定していかなければいけないし、かと言って政治が何も進めないわけにもいかない。公務員の身分保障撤廃のような、抵抗は強くても分かりやすいものから攻めていくのが却って無難なような気がします。



日銀に債権を押しこむよりも大事な目先の問題

みんなの党は、渡辺代表が高橋洋一の執拗な日銀攻撃に同調してリフレの旗頭のようになっていますが、もう少し冷静に状況判断をして欲しいものです。

諸外国の物価安定目標政策をもって「インフレ目標は国際標準だ」という人がいますが、これは大いに疑問です。

というのも、「インフレ目標」を掲げている国の政策金利の推移を見ると、2008年までは5%以上の金利を保っていた国がほとんどなのです。で、ここへ来て1%程度まで下げてきています。

政策金利が5%もある国の「インフレ目標」とはすなわち、物価上昇を抑えるためのルールを定めているということでしょう。そしてその後、1%にまで下がった金利を維持して量的緩和で対処し、デフレを回避しているようです。

それらの国の中銀の政策担当者に日本の状況を見せたとき、日銀と違う見解を示すかどうかが「国際標準」かどうかという話であって、全く状況の違う国の取っている政策を日本にそのまま当てはめるのが国際標準だとは思えません。

日本の政策金利は何年にもわたって0〜1%の間を這いつくばっていて、それでも自然利子率より高いためにデフレから抜け出すことのできない「流動性の罠」にはまり込んでいる、と言われています。利下げの余地が全くない中で量的緩和を行ない、結果デフレ脱却ができないばかりか、米国の不動産バブルに“貢献”した可能性すらあると言われているのです。

貨幣数量説は、貨幣の流通速度が一定の場合、貨幣の流通量が増えれば貨幣価値が下がって物価が上がる、というものです。しかし、日本の量的緩和時代には貨幣の流通速度が落ち込み、物価上昇にはいたらなかった、という観測データがあります。(参照:『ナビゲート!日本経済』

いずれにせよ、長引くゼロ金利のもとでデフレが続いている経済をインフレ基調にするための「インフレ・ターゲティング・ルール」が導入できるかどうか、というところで学者の議論も止まっているようで、「そんなものは存在しない」という証明が出来ていないだけ、と考えるのが自然なようなのです。




「インフレ目標」で長々と書いてしまいましたが、私がここで言いたいのはもっと目先の切実な話題です。

デフレが止まらないのは企業が投資を渋っているためであり、仮に銀行が唸るほどおカネを持っていても、企業が投資をするとはとても思えません。銀行融資の金利がマイナスなら、みんな真剣に検討するかもしれませんが・・・

零細企業の現場から言わせてもらえれば、日銀がマネーを刷るより大事なのは、中小・零細企業の資金繰りです。弊社は地域金融機関と長い付き合いですが、地元の会社が振り出した手形の割引にも即座に応じてくれない場合があり、売上が伸びた翌々月あたりが資金繰りの谷間になることがままあります。

バブルの頃までは、ゼネコンの振り出した手形を割引させて欲しいと、銀行の方から頭を下げてきたものです。中堅・大手の優良ゼネコンともなると、手形の取り合いのような状況だったそうです。

「天気のいい日に傘をさし出して、雨が振り出すとしまい込む」と言われる銀行融資ですが、建設会社の手形の扱いを見るとそのまま当てはまるので笑えてしまいます。(いや、商売柄笑ってられないのですが)

だから、中小企業が投資意欲に湧くまではいかないまでも、せめて決済資金を潤滑に流すことをしてみてはどうでしょうか?

金融庁が銀行を指導して、安定した取引先の手形を低利で素早く割り引いてくれれば、これほど助かることはありません。手形が落ちる日までは当然、割引額が増える分だけリスクは高まりますが、とにかく目先の仕入れ・給料・メンテナンスの資金が現金化できればかなりマインドが上昇します。また、手形で持っているよりも、現金化できれば仕入れの条件も有利になります。また与信のリスクは、第一に振り出し元、第二に受取人がかぶるのですから、銀行のリスクは知れているでしょう。

少なくとも、受取手形が安い手数料ですぐに現金化できれば、仕入れ先や従業員に迷惑を掛けないで済むのです。毎度の支払期限にビクビクする回数が減るだけでも、大きな効果があると思います。

繰り返しますが、中小企業が資金繰りで一番困るのは、売上が伸びた時なのです。「売上を増やしたくない」というインセンティブが働くのは非常に不健全な話です。

短期に資金循環を早めるには、目先の需要を満たしてやるほうが先決ですし、多くの真面目な企業経営者が救われると思うのですが、いかがでしょうか?


野党は「ねじれ国会」の汚名を返上せよ

私が望んでいたとおり、参議院選挙では与党が過半数を大きく割り込み、「ねじれ国会」となりました。しかも、今回は先の自公政権と違い、衆議院での3分の2がないため、予算以外の法案はほぼ全て、参議院を通過しないと成立しない、本格的なねじれです。

ねじれ国会について、世論調査では「望ましくない」という声が6割を超えているようです。

まあ、マスコミ各社が「ねじれで政治空白」のようなことを囃し立て、どこと連立するのかとしつこく問い詰めるので、見ている国民も、参議院で多数工作をしなくてはいけないような気分になってしまうのでしょう。




しかし、そもそもねじれ国会を利用して深刻な政治停滞に追い込んだのは、野党時代の民主党でした。政局至上主義で与党の揚げ足をとってはことごとく反対し、参議院の審議時間をすべて与野党対立のために使い果たし、衆議院の時間の多くを3分の2で再可決させるために浪費させたのです。

中でも国会同意人事では、ああでもないこうでもないと(自民党の人選にも問題はありましたが)、野党が難癖をつければ何時まで経っても採決できず、日銀総裁などの重要ポストが空位になりました。

しまいに麻生内閣は、参議院で棚晒しにされた法案が60日経過して「みなし否決」となって衆議院で再可決する、そのことを見越した審議日程を組まざるを得ませんでした。疑心暗鬼を生じてしまい、時間ばかりが浪費されたのです。



あの恐るべき政治停滞を、国民は肌で覚えています。「ねじれ国会はよくない」と思うのは、その間の混乱を覚えている人の人情でしょう。

でも、繰り返しになりますが、あの時政治停滞を余儀なくしたのは民主党なのです。その民主党が、総選挙で圧勝して政権を握ったあとで、「ねじれになったら大変だから、参議院でも民主党に勝たせてください」というのは、あまりに身勝手な話です。

だいいち、政権交代後の連立与党は、衆参両院で多数を握っているにも関わらず、野党の求める証人喚問や集中審議を片っ端から拒否して強引な国会運営をしました。その必然の結果として、わずか9ヶ月で10本もの強行採決を行なったにも関わらず、戦後最低の法案通過率を記録してしまいました。



国会の終盤では、議長までが与党のイエスマンとなってしまい、国権の最高機関としての権威を傷つけられました。この横暴な民主党に、参議院での多数を認めたくない、という国民の投票行動は正しかったと思います。

そもそも、民主党が「ねじれになってもいいのか」と恫喝すればするほど、国民の間では不思議な気分が醸成されたのではないでしょうか? 

というのも、安部内閣の時に生じた衆参ねじれをもっとも高く評価していたのが、他ならぬ民主党だったからです。

民主党の思いつきや我が儘で、与党は揺さぶられ続けました。それでも、与党のごまかしてきたことが一部でも明らかになると「ねじれの成果だ」と大宣伝してきたのは民主党なのです。 



その昔、米国の核兵器に猛反対をする“人権団体”が中・露の核配備に無頓着なので、「米国の核は汚い核で、中国の核はきれいな核?」というジョークが流行りましたが、今回の選挙戦における民主党の主張を聞くと、「自公政権のねじれは良いねじれで、民主党政権のねじれは悪いねじれ?」と聞き返したくなります。

今回のねじれは、政権担当能力に疑問を抱かれている民主党に対して、曲がりなりにも政権を担当してきた自民党が、適切にブレーキとアクセルを踏み分けるためのチャンスと捉えるべきです。

もちろん、11議席を持つみんなの党も、両者の思惑を見据えた上で国益最優先の判断をしていくべきでしょう。これまでの経緯を見る限り、国会はねじれで正常化するといえるのかもしれません。

今こそ野党は、民主党によって作られた「ねじれ国会」の汚名を返上するべきだと思います。
 


みんなの党は保守路線を堅持せよ

昨日Twitterで、柿沢未途・浅尾慶一郎両議員に向けて「デフレ脱却法案より他にやるべきことがある」旨の提案をしたところ、リフレ信者がまとめて絡んできててんてこ舞いになりました。暇だったのでいちいち応対したのだが、どうも彼らは普段からつるんでいたようです。

なかでも「みんなの党を支持して1票を投じた」という複数の人が「リフレを取り下げるなら公約違反」と言って噛み付いてきました。

でも、これは大変なお門違いで、弊ブログを継続的に訪れている人か、Twitterで春頃からフォローしてくれている人ならわかるように、私はみんなの党の経済政策のうち、リフレには常に反論してきました。

一般党員を含めてみんなの党の支持者(≠議員)が、みんなの党の政策について批判を加えたり反論したりすることの、どこがいけないというのか。

私は、自民党にせよ民主党にせよ、党内で大いに議論を戦わせるべきだし、支持者はそれぞれの立場で正しいと思うことを支持政党にぶつけるのが当然だと思います。




また興味深いことに、リフレを信奉するがゆえにみんなの党に投票したというその複数の人は、リフレ以外のみんなの党の政策(行政改革・規制緩和・FTA推進・地域主権・解雇規制緩和・社会保障制度改革など)にはほとんど興味がないらしいのです。

むしろ、リフレによる景気浮揚で「楽して儲かる」くらいの発想で投票した人がいるらしい――もしこれが本当で、相当数に上るとすれば、心配でさえあります。

脱官僚にせよ地域主権にせよ、中央政府は規制による縛りをかけない代わりに保護もしないことを意味します。個人や企業、地域の力で解決できることはする、ということです。

一方で、リフレによる景気浮揚ができると思っている人は、政府のおかげで景気が良くなるからみんなの党に投票さえすれば世の中は良くなる、という発想になります。これでは、アジェンダのごく一部だけを信じて自分たちの責任を放棄することにほかなりません。

小泉政権では「痛みをともなう改革」を旗印にし、「米百俵の精神」を説きました。みんなの党は基本的にその継承者であり、構造改革には痛みが伴うことと、明日の発展のための今日の困窮を、ほとんどの人が受け入れてきたはずです。

ところがいつの間にか、みんなの党は「小さな政府で大きな福祉」とか言い出して、見る人によっては「悪いのは中央政府の官僚と政治家、それを正せば庶民はみんな豊かになれる」という左翼お花畑に近づいているように見えます。

これは大いに反省すべきことではないでしょうか?

小さな政府や規制緩和は個人の力、地域の力、市場の力を信じるものです。これは私の主張する保守路線の根幹です。行政の力で何もかもしれくれる、というのはリベラルの発想にほかなりません。

しかし、リフレを信奉する一般人の少なからぬ人が、かつての財政出動で景気対策と言ってた人と、その発想において同じレベルに堕しているように思います。

「リフレ政策を前面に押し出すと、改革の機運が衰えるかもしれないから慎重であるべきだ」という私の警告が、ひょっとすると現実になっているかもしれません。

もう一度、原点に立ち返って「みんなの党は小さな政府の実現のために改革を断行する、そのための痛みを受け入れ、自分のことは自分でする」という保守路線を堅持すべきだと思います。

今はまだ、末端で「アンチみんなの党」がこうした煽動をしているだけかもしれませんが、この甘えた考えがみんなの党支持者の主流になることがあってはなりません。

みんなの党は政治家や官僚にも厳しいけれども、地方政府や企業や個人にも自律を求めるのであり、決して甘くはないんだということを、きちんと発信すべきではないでしょうか。 

みんなの党大躍進。おめでとう&ありがとう

まあ、途中で20とか30とか、景気のいい話もしていましたが、終わってみれば10議席獲得。これも、ゼロからの出発ですから、たいしたもんだと思います。

選挙区では、東京都:松田公太、千葉県:水野賢一、神奈川県:中西健治の3名が当選。(埼玉県残念!)

比例区では7議席、当選したのは柴田巧・江口克彦・上野宏史・寺田典城・小野次郎・桜内文城・小熊慎司でした。

近隣・親類・知人にお願いして、松田公太と桜内文城に投票してもらったこと、自宅と職場にヨッシーのポスターと桜内文城のポスターを貼ったこと、松田公太の公選はがきを友人やお世話になった方に送ったこと、などなど、これまでの協力が報われた思いです。

ブログやTwitterの発信もわずかながら貢献したと思います。投票する前に弊ブログをご覧になり、桜内文城と松田公太に1票を投じてくれた人がいらして、Twitterで報告してくれたときはほんとうに嬉しかったです。

こんなブログを毎日書いていても、どれだけの影響があるかなんてわかりません。1票獲得で十分だと思ってました。目標達成です。

大嶋幸治さんの個人名得票が最低だったのは残念でなりませんが、まだまだ伸び代があると思えば楽しみにできます。

あと、もうひとつ嬉しかったのは民主党がボロ負けしたこと。1人区で自民党が大逆転を演じてくれました。自民党候補の努力にもエールを贈りたい。

もし、ここを読んでみんなの党に投票してくれた方、民主党への投票を思いとどまってくれた方がいたら、本当に感謝します。ありがとうございました。

そして、コアな党員が言うのも何ですが、みんなの党の皆さん、おめでとうございます!

みんなの党 松田公太氏( @matsudakouta )は経営者の立場で増税に反対

昨日、松田公太氏の街頭演説を聞く機会がありました。街頭なので、消費税up反対論を筋道立てて丁寧に、という訳には行きませんが、モノを売る立場として反対する彼の理屈は筋が通っていると思います。

経済学では、消費者に課す税金であっても、現実には生産者が支払っている可能性を否定しません。法律に「消費者からさらに5%徴収する」と書いてあるからと言って、ではその5%分を誰が負担するのかは、現実に沿って見ていくわけです。

消費者はモノを買うときに、その値段が買うに値するか否かで決めます。980円のジーンズが飛ぶように売れるのは、多くの人が980円以上の価値があると思うからです。そこに消費税が5%含まれているか、10%含まれているかは、消費者の判断には含まれないでしょう。だから、消費税が10%になって売値が1000円になったとき、値下げしたとは感じないはずです。

モノがもっとも効率的に売れる価格は、受給の関係で自ずと決まります。消費税が上がったからと言って、その価格が上がるわけではありません。

まして、モノが余っていて給料が限られているデフレの世の中では、消費税upは売り手が負担する率が高くなるのです。「980円なら売れるが、1000円では売れない」状況であれば、5%の増税分を支払うのは売り手ないし生産者なのです。

経済学の知識のない福島瑞穂などは消費税が生活者(つまり消費者)の負担増だと思っているでしょうが、実は生産者(作り手・売り手)の負担増にもなっているのです。

むしろ、モノを安く売っても儲かるように、 法人税や所得税はもちろんのこと、労災保険や雇用保険などを含めたもろもろの企業負担を包括的に見直すべきだと思います。

みんなの党の選挙公約を読んでみよう

みんなの党アジェンダ2010html版

PDF版は↓こちらをクリック。
ヨッシー
公務員制度改革は、渡辺喜美が行革大臣として取り組んできた仕事であり、ともに仕事をしてきた高橋洋一や原英史(政策工房)がブレーンとして活動しています。

江田憲司も橋本内閣で首相秘書官として省庁再編の事務方をしてきた経歴があり、山内康一ももとは独立行政法人の職員。

「アジェンダ2010」には行革の工程がきちんと記されていますし、今回候補に上がってきた人も含め、「ミスター(orミス)行革」と言えるような人物が揃っています。

つまり、単なるお題目ではなく、実行力を伴う布陣で臨むということです。

財政再建には、なんといっても桜内ふみき候補の「国ナビ」とその根幹たる公会計の仕組みを導入しましょう。公約に明記されなかったのは残念ですが、実現すればすごいことになるでしょう。いま沸騰している消費税論議も、社会保障や公共インフラの維持整備などと連動して捉えなければ意味がありません。その連携がきっちり数字で表せるのが「国ナビ」と新しい公会計です。

政治改革もきちんと入ってます。議員定数の大幅削減し、将来的には一院制を目指すとしています。議員特権を廃止し、企業・団体献金の実質を伴う廃止。これらを担保するために政党法を制定する。現在は政党の地方支部を選出議員が個人で管理する仕組みになっていて、これは非常に問題が多い。小沢の裏金問題の一部もここにあります。小野次郎候補の動画に詳しいので興味のある方はどうぞ。

経済政策は「日本開国」、これが決め手でしょう。国内の規制も海外と比較検討していけば、自ずと世界標準が作っていけるでしょう。法整備の遅れた途上国に、標準的な規制を求めるのもアリでしょう。

日本は総じて気づかないようなところに細かな規制があり、普通に生活していると破り放題になってしまうのですが、それを個人の社会的良識で補っている面があります。「開国」すれば、日本では思いもよらないルール破りも出てくるし、気付かなかったおかしな規制も問題化するでしょう。

モノづくりの発想を転換し、サービス業の生産性アップと海外進出を目指すのもいい考えだと思います。法人税の引き下げも明記しています。寄付税制によるNPOの活性化は「新しい公共」の具体策であり、是非これも実現したい。

雇用政策もどこよりも先進的だと思います。民主党の派遣禁止法に反対、同一労働同一賃金、雇用の流動化はもとより、雇用保険と生活保護の隙間を埋める制度、ハローワークの民営化など、セーフティネット構築も現実的です。また、サービス残業の取り締まり強化などは、今の労働行政ではあまりに手薄でいけません。ここは体制整備・拡充としても良かったと思います。

税制や各種保険の抜本見直しはどうするんだということですが、これは地域主権型道州制を導入すれば、国が改革する必要はなくなります。

外交は日米同盟基軸をきちんと打ち出しており、当然のスタンスを見せています。拉致問題解決なども、これまで外務省と自民党が不透明なことを行なってきたおそれがあり、それらをきちんと検証することが必要だろうと思います。まあ、拉致だけはもう時間切れに近いものがあり憤慨してやまないのですが、とにかく前進させていかねばなりません。

リフレ政策は批判が多かったせいか、「アジェンダ2010」ではなりを潜めています。日銀の物価安定目標だけ書いてますが、これは本来的な意味ではインフレ阻止ですから、ちょっとずれてる印象をもちました。ま、どうしても一文入れたかったのでしょう。

というわけで、みんなの党の公約はよくまとまっています。個別具体的には議論すべきところもありますが、それをしてると長くなるのでやめにします。明らかにおかしなものがない、というだけで他党の追随を許さない仕上がりではないでしょうか(笑)
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「みんなの党は第二××党」論について

みんなの党の支持率が上がるにつけ、丁半博打的な「右か、左か」でしか判断できないような人達、あるいはそういう思考に人々を導こうとする人達によって、「みんなの党は民主党の補完勢力」とか、はたまた「みんなの党は自民党清和会の別働隊」などと言われるようになりました。

面白いことに、民主党支持者の間では「みんなの党は第二自民党」ということになっていて、自民党支持者の間では「みんなの党は第二民主党」ということになっています。

おそらく、どちらの支持者も自党の支持がみんなの党に流れるのを警戒しているのでしょう。だから「みんなの党に投票すると、あのにっくき自民党(民主党)を喜ばせるんだよ」と煽るのです。

こういう人達に聞いてみたいのは、「じゃああんたの支持する政党には何を期待しているの?」と言うことです。だって、政治というのは何かを実現するために活動することでしょ?アンチ何とかで結束するのは不健全です。

結局、自民党支持者も民主党支持者も、自党の魅力を語ることができなくなっているんです。自民党は麻生政権まで劣化して支持を失ってしまったし、民主党も政権奪取から半年でとんでもないダメ政党だったことが判明したからです。

みんなの党を否定したい人達は、おかしな陰謀論に頼らざるを得なかったり、他党の補完勢力だと言ってそれ以上の検証は行わない。政策本位でブレることのないみんなの党をたたき落とすことができるほど、政策を学んでいる人が少ないせいかも知れませんが。

とにかく、みんなの党を「アンチ××」でしか評価できない人の本心は、自分の支持する政党が半ばダメだと知りつつそれでも支持し続けたいだけなんだと思います。

みんなの党支持者としては、郵政改悪反対で自民党が結束してくれるならとてもありがたい事だと思っていますし、道路特定財源の一般財源化で福祉や教育を充実してくれるなら、民主党を支持したいのです。なぜなら、みんなの党単独ではそのような法案の提出すらできないからです。

でも、両方共ダメだから「みんなの党しかないよね」となってしまう。この簡単な事実をみんなが共有できるようになれば、政界再編も遠くないと思ってます。

それから念のために付け加えておきますと、政策面でブレない政党はもう一つあります。日本共産党です。この政党は共産主義は捨ててしまいましたが、ソ連崩壊後にきちんと政策面を鍛え直しており、ほぼすべての場面でブレることがありません。「正しく間違い続ける政党」と私は呼んでます。
 

「小さな政府」を求める保守派が支持できるのはみんなの党だけ

昨日のエントリで、保守主義者は小さな政府を望み、人為的な制度の見直しを常に考えていることを述べました。

経済学では「市場の失敗」ということを言います。簡単にいうと、市場の仕組みだけでは環境汚染を起こしたり、公共財のタダ乗りが防げない、ということです。

そこで、政府が経済主体として公共財を提供したり、環境基準を設けて規制する代わりに、その費用を徴税でまかなう仕組みを作っていきます。 

しかし、政府が規制を増やしすぎたり、失業対策や貧困対策として再分配機能を強めると、今度は「政府の失敗」を引き起こします。厳しすぎる規制の下に行政官の裁量が大きくなって利権化したり、再分配に守られる個人が努力を怠ったりして、市場本来の効率が阻害されるからです。

見てきたように、保守主義者は「市場の失敗」よりも「政府の失敗」の方が深刻だと捉えます。政府の介入を最小限にしようと試みます。



では、今の日本の政党で、小さな政府を提唱しているのはどこでしょうか?

民主党の政策のうち、子ども手当・暫定税率廃止・高速無料化は、減税と同じ効果をもたらします。予算の組み替えでこれらが実現できれば、政府はそれだけ小さくなります。しかし、財源確保ができない現状では、財政は膨らみ借金が増える一方ですから大きな政府ができてしまいました。

一方で、農家への戸別補償・高校無償化・後期高齢者制度見直し・郵政民営化見直し・生活保護の母子加算復活などは、最初から大きな政府志向です。

民主党が実際に政権をとってみて、結局は自民党時代の利権を剥がすことができないばかりか、その上に乗っかろうという動きすらあります。「選挙が第一」であったことは明白です。ひたすら「大きな政府」に向かっています。



一方の自民党は、総選挙の惨敗を受けて総裁選をしたものの、「小さな政府」を掲げる河野太郎氏を退けて、「みんなでやろうぜ」という単なる権力志向の目標で糾合しました。

民主党マニフェストのうちもっとも社会主義色の濃かった郵政においてすら、自民党は鋭く追及することができないのは、未だに党内に大きな政府派を残しているからです。



社民党と共産党は社会主義を明確に打ち出していますから、間違いなく大きな政府を目指しています。国民新党の亀井代表は実は分かりやすくて、いかなる場面でも財政が悪化する方向に向いています。公明党も主婦のワガママレベルの政策に予算を割くのが大好きです。



こうして見ると、日本の政党で小さな政府を目指しているのはみんなの党だけです。

今回の参議院選挙で、みんなの党は実業界の経営者、なかでも40代の未来志向の新人候補をたくさん出してきました。彼らは日本の財政の最大の問題は年金の積立不足であり、もっとも深刻な格差は年金・保険・徴税の世代間格差であることを見抜いています。

私はかねてから、公的年金を核とした社会保険の原則廃止を含めた抜本見直しを提唱してきました。明日から年金保険料を負担しなくてもいいなら、老後の年金はなくてもいいと思っています。そして、我が子にも「年金を払わない代わりに受け取らない」という選択肢を残したいと思います。

そこまで言うのは極端だ、と何度か言われました。しかし、そのくらいのところを議論の出発点にしないと、戦後日本を覆ってしまった政府依存・行政依存の体質は払拭できないだろうと思います。

個々の政策で、みんなの党とは相容れないものもあります。しかし、行政改革・財政再建・経済開国など、保守派が支持できるのはみんなの党しかない。



民主党政権になってから、政治の劣化がますます進みました。私の家内など、「こんな状態で日の丸を掲げたり君が代を歌ったりするのは嫌になる」と言っています。祖国に誇りを持てなくなるのは最悪の事態です。

田中角栄のころから自民党が進めてきた社会主義路線を排除し、小泉構造改革が中途半端で終わってしまった我が国を立て直せるのはみんなの党しか無いと私は思っています。

(5月25日)桜内ふみき君を励ます会

弊ブログで何度かご紹介している、みんなの党の比例区候補、桜内文城さんのパーティに参加してきました。

PA0_0015一口2万円の資金集めパーティなのですが、素人ブロガーに過ぎない私でもわずかながら奉仕してきましたので、今回はご招待いただきました。

渡辺喜美代表の挨拶、桜内文城本人の挨拶、その後松田公太氏の挨拶と続きました。

桜内さんと直接会うのは初めてなのですが、ブログやメールでやり取りしていたせいか、初対面という感じはしませんでした。すごく人懐っこい感じで、渡辺代表が「2枚目の投票用紙には3枚目の桜内ふみき」 と言ったように、親しみのもてる風貌です。

ガンダムにたとえるのは失礼かもしれませんが、ガンタンクのように、地味で真面目で温かみを感じさせる、それでいて安定感抜群、と言ったところでしょうか。著作を読んだときには切れ味抜群の学者さんだと思ったんですが、いい意味で裏切られました。

頭の良い人にも2種類あって、クイズ番組で勝ち残るような瞬発力のある人と、長い時間かけて業績を積み上げる持久力のある人がいます。桜内さんはどうも後者のようです。

そういえば、桜内さんは愛媛の人です。私は学生時代、縁あって愛媛の人とはかなり親しくさせていただきましたが、とても穏やかで明るい人が多かった。『坊ちゃん』では愛媛の人があまり良く描かれていない感じがしましたが、私が接した愛媛の人は「この人本当に損得勘定大丈夫だろうか?」という人ばかりでした。桜内候補も例外ではなさそうです。

桜内さんの挨拶の骨子は以下の3点でした。
  1. 5月6日に高速道路で運転する自動車がパンク、スピンする事故にあったが誰にも影響なく、自分も怪我せず。「天は我を見捨てていない」と啓示を受けた(笑)
  2. 公会計の分野から財政をきちんと見て行く。3年後の国のバランスシートをシミュレーションしたが、すでに破綻してしまっている。国会でここを正していかねばならない。
  3. 日本の国際化は喫緊の課題。地方の疲弊もそこに根がある。シンガポールを見習うべきだ。


松田公太さんの挨拶も、当然ながら政治家らしさがなく、挨拶慣れした実業家、という感じでもなく、 本当に素直で真面目な印象を受けました。パーティ向けのパフォーマンスより仕事の現場で魅力を発揮する人なんだろうと思います。

私が松田さんを知ったのはみんなの党の公認発表の時でした。それまで、タリーズコーヒーなんてのは外資が日本の大金持ちのバックアップか何かであちこちに店舗を出したんだろうと想像していました。

松田さんが27歳の時単身でシアトルまで交渉に行ってタリーズコーヒージャパンを設立したことなど知る由もありませんでした。(単に私が物知らずなだけかもしれませんが)

さっそく地元の図書館で『仕事は5年でやめなさい。』(松田公太)を取り寄せて、これを読んだのがちょうど昨日。ひょっとすると桜内さんの会に来られるかも知れないと思いながら急いで読みました。

仕事は5年でやめなさい。仕事は5年でやめなさい。
著者:松田 公太
販売元:サンマーク出版
発売日:2008-05-23
おすすめ度:4.0
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会場で松田さんの姿を見たときは不思議な気持ちになりました。ある人の著書を初めて読み、同じ日にその人に初めて生で合う、というのはなかなか無いことだと思います。 

予め読んでいたおかげで松田さんの挨拶はすべて理解できました。その内容をやはり3点で要約すると、
  1. 日本での事業に成功して、シンガポールで仕事をしていて外から日本を見たとき「日本やばいぞ」と直感した。楽天の三木谷さんなど経営者同士で話をしたりすると、結局政治の話になる。政治を変えていくしかない。
  2.  政治を変えられるのはみんなの党だけ。既存の団体や組織にバックアップを受けている政党では改革はできない。
  3. 桜内候補とは初対面で意気投合。桜内氏と自分の共通の特徴は、数字で物事を捉えることができることと、海外経験が豊富で国際感覚があること。

まあこんな感じでしょうか。


松田さんのような向上心は私にはなく、凡人でいる幸せを噛みしめて生きているのであのような生き方は真似したいとも思えませんが、小さな事業を営むものとして非常に共感できるのはただ一点、それは「最悪の事態を覚悟しておく」ということです。

建設業関連は斜陽産業だし、そうなっていくべきだと思っています。だから、今の商売はいずれダメになるだろう、それは明日かもしれないし今日かもしれない。では、子ども3人抱えてどうやって生きていけるだろうか、と思い、周囲のコンビニや飲食店の求人広告を見ました。

意外なことに、歩いていける範囲でいくらでも求人はあります。もちろん私がその採用条件に合う人なのかどうかはわかりませんが、仮にどこかで働けるとしたら、夫婦で今以上に気合入れて働けばなんとかなる、ということがわかりました。

そう思っていると、意外と落ち着いて仕事に取り組めます。商売なんてのは毎日が小さなギャンブルですが、人生そのものがギャンブルだと思っていればいい。人生で振り返られるのは結果だけで、タラレバは話のタネに過ぎないのですからね。

話がずいぶん脱線しましたが、思っていた以上に沢山の人が集まっていて圧倒されました。昨日のパーティは大盛況でした。桜内さん、招待してくれてありがとう!

(追記あり)【中野区長選|きじけんじ候補】中野区民の本物の選択肢ができた

【追記】この記事は4年前の中野区長選挙のときに書かれたものであり、現在の同候補を応援する意思は筆者にはありません。現在の同候補のHPを見ましても、行政の肥大化を心配させるような記述が目立つし、全く支持できない政治家から支援を受けていることが伺われます。その点を踏まえて御覧下さい。




ピクチャ 3
←画像はクリックで拡大します。

http://www.kiji-kenji.jpより 

中野区長選に、民間から素晴らしい人物が立候補しました。一昨日ニュース検索に引っかかって私もはじめて知ったのですが、みんなの党が中野区長候補に喜治賢次さんを推薦しました。

昨日(5月16日)中野駅前でみんなの党の川田龍平・柿沢未途・江田憲司各議員が喜治賢次さんの応援のために街頭演説をしました。私もTwitterで柿沢さんから予定を教わり、都合がついたので伺いました。

ちょうど柿沢未途さんと江田憲司さんが登場するところに駅前に着きました。柿沢・江田両議員が、今国政で起きていることに絡め、喜治賢次さんがもっとも身近な区政に必要であることを強調。民主党の公務員制度改革が全くのインチキであるように、身近な区政でも今の政権は出鱈目であり、喜治賢次さんの「公務員改革」という直球のスローガンが区民にとって、そして真面目に働く公務員にとっても望ましいものであることを訴えました。そして、30%台の低い投票率をもっともっと増やし、区民の手で区長を変え、区政を変えようと訴えました。



上のリンク先を見ていただければわかるように、喜治賢次さんはご自身が公務員でした。新宿区と最近話題のUR都市再生機構に勤め、公務員の働き方に問題意識を持って退職。志の高い公務員を育てようと決意し、公務員養成塾を民間で始めました。

昨今の民主党の事業仕分けでは行政刷新会議の事務方として乞われて入り、枝野大臣率いる仕分け人をサポートしてきました。

しかし、自ら進めてきた「志高い公務員の育成」では何時まで経っても行政は良くならない、そして自ら中野区民として行政サービスを受ける側から見て今の中野区は区長を変えなければ何も始まらない、そうした思いで出馬を決意したそうです。

江田憲司さんが演説の中で言ってました。みんなの党の公認が欲しい人、推薦が欲しい人は全国から押し寄せているそうです。しかし、政策と覚悟が一致していない人は決して受け入れないため、江田憲司は厳しすぎると言われているそうです。その中で、みんなの党の推薦の快諾を得た喜治さんは本物だろうと思います。



喜治賢次さんのHPから今の中野区政の問題点について引用しましょう。
引用元:「きじけんじ|中野区政のここがおかしい

ICカードによる出勤管理 → 不正打刻を容認
ハンコによる出勤簿をやめ、ICカードによるタイムカード方式に。これで正確な出勤管理が行えると思ったら、総務部長と前総務課長が欠勤中の総務部参事のために彼のカードを1ヶ月半も打刻。不正給与支払いが。「当然、クビかな?」って予想に反し、「1ヶ月の減給10%」のゆるい処分のみ!しかも、前総務課長は副区長、前総務課長は教育長に抜擢!特別職として区の中枢を担っています。

おいおい、マジかよって感じですね。本当だったら刑事罰を与えたいほどの案件ですよね。もしこれが嘘だったら喜治さんを名誉毀損で訴えるべきですね。まあ、事実なんでしょう。


区民との対話集会を開催 →「対話」にならず、参加者激減
区長就任以来、毎月二回「区民との対話集会」を欠かさず開催。 最初は物珍しさもあって、100人以上の人が参加。 しかし、寄せられた質問、意見に誠実な回答がなく「対話」が不成立。 最近では参加者が10人以下のことが少なくなく、区職員の数の方がが多いことも。しかも、給与の高い管理職がズラリ。最も少なかった時の参加人数は、なんと一人!

本当に行政に反映されていれば100人までは行かなくともかなり盛り上がったでしょうし、取材が入ることもあったでしょうに・・・


学校を統廃合 → 危険な道を遠距離通学
田中区政2期8年の間に、小学校3校、中学校2校を廃校。東中野小学校の廃校によって、最長で1.5キロ以上歩いて通学することに。低学年児童の足では、30分程度かかってしまいます。しかも、交通量の多い幹線道路を...  だから、多くの児童が通いやすい新宿区の学校に転校。何のための統廃合?  子どもを育てやすい環境を提供するのが区の役割でしょう。

これは私も思うんですが、隣の区の方が近いことはあるんですね。現行法でできるかどうかは別問題ですが、隣接区と協調して上手に閉鎖するのは現実問題としてありだと思います。でも、代替措置もなく子供に不便を強いるのはアウトですね。


中野区基本構成改訂 → 大規模開発へのお膳立て
二年以上の時間をかけて「中野区基本構想」を改訂。これを実践するために「新しい中野をつくる10か年計画」、毎年度の「区政目標」の作成、達成評価。顧客満足度(だれのこと?)を高めるための「おもてなし運動」等々...  計画策定ばかりに人とお金と時間を注ぎ込んで、誰が喜ぶの?  実のある仕事をした方がいいのでは?  結果、生まれた「新しい中野をつくる10か年計画」には中野駅週へ地域を中心とする整備計画が...  お墨付きを与えられた大規模家開発に税金が大量に投入されます。

(誤字が気になりますが)ご子息を保育園に預けた時のひどい話が駅頭演説で聞けました。良くするべきことは身近に転がってるのにね・・・何やってんだかってことでしょう。


職員2,000人体制の構築へ → 区役所職員のヤル気が激減
「職員定数の削減を進め、10年後の職員2,000人体制の実現を図ります」ってのはいいけど、方策が「退職者不補充」のみ!  結果、20代の職員は殆どいなく、30代ですら少数派。一方で定年退職しても年金支給開始までは「再任用」として雇用を約束。結果、士気の低下を招いているだけ。世間には公務員になりたい優秀な若い人がたくさんいるのに...  さらにトップダウンで仕事が押しつけられるだけだから、職員のモチベーションはさらにダウン。 新しい中野の10年後ってなんだ?

これ、民主党の原口大臣が「国家公務員削減」でやろうとしていることと一緒!働かない中高年の職員の椅子と給料を守っておいて、どうして若い子にそのしわ寄せをするんでしょう?職場も閉塞的になる一方じゃないですか。


中野区民の皆さん、経験・実績・決意すべて備わっているのは喜治賢次さんだと思います。今度の日曜日はぜひ投票所に行って、「きじ」と書きましょう!
 
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『公会計革命』(桜内文城)が提唱する「国ナビ」を支持する(3)

前回エントリと重複する部分もありますが、ここからは会計の基本の説明から、NPMと桜内公会計の大きな違いについて記しておきます。



■会計の大目的=アカウンタビリティ

企業会計でも公会計でも、その目的は「財産管理者が受託者としての責任を明確にすること」です。これをアカウンタビリティと呼びます。

例えば株式会社では、「主権者」は株主であり、「受託者」は経営者です。経営者はまず、経営に関するあらゆる意思決定と業務執行を司ります。そして同時進行ですべての取引を帳面に記録し、それをもとに年度末には財務諸表を作成し、主権者である株主のもとに情報開示します。

株主はそれを承認することで経営者の受託者責任が解除されます。そのさい、株主の承認が得られなかったら、受託者は何らかの責任を求められ、最終的には経営者の解任となります。これが「受託者責任の明確化」です。

では、公会計ではどうでしょうか?



■国家は誰のものか

我が国では主権者は国民であり、政府は受託者であると言えます。従って、政府はその受託者責任をまっとうするために、まず年間予算の執行を管理し、年度末にはその執行の結果を国民の前に開示して承認を得なければなりません。

そのために公会計の制度が必要なのです。

前回エントリで少し触れましたが、桜内さんによれば、英米のNPMはこの部分で公会計の基本から逸脱しています。

NPMでは国民は政府の顧客であり、国家の実質的所有者とはみなされません。具体的には、アカウンタビリティに基づいて行政府が受託者責任を負う相手方は議会、つまり「主権者は議会」となってしまうのです。

これについて反論するとすれば、間接民主制のもとでは議会が国民の主権を代行するのだ、ということが言えそうです。 

ただ、国民を行政サービスに対して税を支払う顧客としてみなすゆえ、単なる政府の取引相手であり国家の部外者として位置づけられてしまうのには大きな違和感が残ります。

もうひとつここで問題になるのは、税を収益とみなすか出資とみなすかの違いです。 

税が国民からの収益であるなら、顧客満足度を満たした上で国家が利益を上げるべく努力することになります。しかし、他国との競争においてならいざしらず、国内の行政活動が利益を生むという発想はかなりおかしいと言わざるを得ません。一方で、税を出資とみなせば国民は国家の実質的所有者であり、文字通りの主権者となります。

税を収益とみなすか出資とみなすかは、会計では勘定科目の違いとして表れます。会計学ではこの違いを曖昧に済ませるわけには行かないでしょう。



■国民を顧客として扱う危険性

さらに、国民の顧客満足度を国家の目的とすることが危険性を生むのは、タックス・イーターの存在です。

タックス・イーターとは「税金を食べる人」ないしは「税金で食べる人」です。

弊ブログの読者にはお分かりでしょうが、税金の使い道を決めるのに、今までは色々なルートで陳情が上がり、声の大きなところ、力の強いところに税が配分されてきました。

官僚は自分の省や局で使う予算を増やしたものが優秀とされ、政治家は地元に税支出を引っ張ってきたものが優秀とされました。

これは、国民を国家の顧客と見た場合、致し方の無いことになってしまいます。国民は国家の経営体力を知る必要はなく、なるべく少ない税負担でなるべく多くの便益を受け取ろうとするでしょう。

しかし、国民が出資者として税の使い道を知り、主権を発揮することで、合理性の無いものや国益の観点からして必要性の低いものへの出費を止めることができ、さらにはこれから生まれてくる将来世代の負担にまで関知することができるようになります。

国家経営の責任を国民の前に明らかにすること、これが公会計の大目的になっていくべきであると思います。

そのためには、我々国民も、国家の出資者であり所有者であること、そして我々が政治家と政権を選ぶとき、将来世代のための受託者責任も同時に与えていることを自覚するべきではないでしょうか。

そう、桜内公会計は、国民にも国家経営の一翼を担う責任を求めるものなのです。
 

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『公会計革命』(桜内文城)が提唱する「国ナビ」を支持する(2)

前回ご紹介した「国ナビ」の設計思想とも言うべき、桜内さんの公会計概念について、2回にわたって掘り下げたいと思います。


■英米法における信託とは

例えば、ひと財産築いた資産家が、老境に入ってその資産を孫や曾孫に残したいと考えたとしましょう。

孫はまだ幼く、曾孫はもちろん生まれていません。でも、そのまだ見ぬ子孫に自分の遺産を残すために、資産管理のノウハウを持った銀行に財産を信託することにしました。

現金や株であれば、預金通帳や証券を保管しておけば済みます。しかし、テナントビルや山林などは適切な管理をして収益を上げなければなりません。ですから、そのために銀行は所有権を譲り受けます。

この場合、信託を形成する3者の位置づけは以下のようになります。

委託者:資産家
受託者:銀行
受益者:孫と曾孫

委託者から受託者へ、表向きの財産の所有権は移転します。つまり、受託者は取引先(例:テナントビルの借主)との間では全権を委任されたと同じことになります。このことで、取引先は安心して受託者と取引ができます。

しかし、信託財産には受益者の権利が及びます。つまり、受益者の利益に反することを、受託者はしてはいけません。利益に反する場合、受益者は受託者を解任することもできます。

英米法の信託で重要な特徴は、受益者が信託財産に対して物権(≠債権)を有することと、受益者の権利能力を問わない、つまり、まだ生まれていない子どもでも受益者に指名できる、ということです。



■日本国憲法における信託

憲法前文には以下の記述があります。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
 

さらに憲法には以下の条文があります。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。


第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。


このように、日本国憲法には英米法の信託の理念が生きている、と桜内さんは指摘します。

さて、97条は国民が受託者であるかのように読めますが、その原文とされる英文ではどうなっていたか、見てみましょう。

The fundamental human rights by this constitution guaranteed to the people of japan are fruits of the age-old struggle of man to be free; they have survived the many exacting tests for durability and are conferred upon this and future generations in trust, to be held for all time inviolate.
引用元:  http://home.c07.itscom.net/sampei/kenpo/kenpo.html

ネットで適当に見つけてきたものですが、たぶんこれでいいんだと思います。この太字部分を直訳すると、<基本的人権は信託の中で現代及び将来世代に対して授けられた>となります。つまり、国民は信託の受益者である、と解釈できるのです。



■国民は顧客か受益者か

さて、英米で取り入れられ、日本よりも進んだ公会計手法といわれているNPM(ニュー・パブリック・マネジメント)は、国民を顧客とみなします。しかし、桜内理論では国民は上に見てきたような信託における受益者です。

顧客と受益者では言葉の上では同じように見えますが、全く違うものです。

あなたが自動車を買うとき、自動車の性能・寸法・デザイン・価格などを考慮するでしょう。しかし、自動車会社の経営が健全かどうかはあまり考慮しないはずです。合理的な顧客はむしろ、自動車会社の経営を圧迫するインセンティブを持ちます。簡単に言えば「良い車を安く買いたい」と思うはずです。

しかし、上に見た受益者の立場では全く違ってきます。国民は政府から受けるサービスの対価として税金を払うのではなく、将来に渡って委託していると考えると、国民は財政の中に位置づけられるわけです。

ここでは、以下のような信託の関係が見いだせます。

委託者:最終的決定権者としての有権者の総体
受託者:政府
受益者:現在及び将来の国民

だいたいご理解いただけたでしょうか。これが、英米法の信託に基づき、憲法の裏打ちを得た、桜内さんの公会計理論の骨格です。

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大嶋幸治|みんなの党の比例区候補紹介(1)

みんなの党の参議院選挙公認候補がかなり出揃ったので、まずは比例区の候補を順次、見ていきたいと思います。

順不同かつ不定期ですので、ご了承下さい。



トップバッターは大嶋幸治さん。

この人は町の酒屋さんです。酒屋さんの同業者組合の理事長などを歴任し、そこで組合員の浄財を食い潰していた天下り職員の首を切りました。

また、地元小金井市では、いま事業仕分けで話題になったUR(都市再生機構)が計画していたハコモノ行政に猛反発。

中小企業という日本の経済活動の現場で、現実に天下りやハコモノと戦ってきた勇士です。



実は、私の父も20年くらい前に業界組合の理事長などを歴任しました。

健康保険組合には東京都の天下りが指定ポストを持っていて、ロクに仕事をしないくせに一部の天下りが職員の給料の大部分を占めていました。

どうしてそんなことが続いていたかというと、組合職員がジョブローテーションをしなかったからなんです。10年勤めているのに、隣の机でやっている業務を理解していないんです。父は、これをまず改めました。

大抵の仕事は、2年ごとにローテーションをすればこなせるようになれます。つまり、天下りがいないとできない業務など、なくなるのです。

そうした改革をして、翌年度からは天下りを受け入れないことに決めました。

この天下りのシステムと言うのが実に巧妙でした。天下りは役所の指示ではなく、天下りを受け入れている機関が「コレコレの人材を手配いたしたく候」と書くのです。だから「役所の斡旋ではなくて求めに応じて手配しただけ」とか言うんですね。

そこで父は「来年からはそうした斡旋願いを出しません」と言いました。すると、東京都から様々な理由で呼び出しを食らうのです。で、呼び出したらいろんな嫌がらせをします。

様々な嫌がらせにあいながらも、父は組合への天下りを拒否しました。これは、ちょうど最後に天下った役人が「もう天下りは終わりにしましょう」と言うほど、理想高き人だったからでもあるのですが。



このように、どの業界にも公益法人のようなものがはびこっていて、役人の天下りが絶えないのです。現実にこの問題に対処した大嶋さんに、是非国政の場で暴れていただきたい。

ここで取り上げたのは業界組合・組合健保だけですけど、そのほかに年金基金とか、卸組合とかその他どうしようもない団体は山ほどあります。

これからの政治がそうしたものをきちんと仕分けして欲しいと思っています。

みんなの党の姿勢について横浜市議の質問攻めにあった・・

どうもこの市議さん、「若い議員の発言権が上がること」が改革だと思い込んでいる節がある。先の総裁選で「河野太郎」と書いた人にも、河野太郎が進めようとしている改革実現ではなく、その尻馬に乗って権力をつかみたいと考える若手もいるのかもしれない。

もちろん、そういう人間を利用しなければ改革が進まない面もありますが、「改革派」にもいろいろな顔があるということが見えてきますね。

昨日は頭痛に襲われていてブログにまとまったことを書く気力はなかったのですが、Twitterでこういう事になると余計に書けなくなりますね。まあ、別にどうということも無いけど。

途中で私もこぼしているように、どうして匿名ブロガーが政治家に国政のあるべき姿を問われて答えなきゃいけないんだろう、と虚しい気分にもなりました。まあでも、トンデモな方向に発散しなかっただけでもありがたいと思うべきかも。Twitterではとんでもない自称ジャーナリスト等がうようよ(ウヨ・サヨか?www)してますからね。

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『公会計革命』(桜内文城)が提唱する「国ナビ」を支持する(1)

公会計革命 (講談社現代新書)公会計革命 (講談社現代新書)
著者:桜内 文城
販売元:講談社
発売日:2004-10-19
おすすめ度:4.0
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昨年の総選挙で無所属・みんなの党推薦で愛媛4区から立候補して敗れ、今回の参議院選にみんなの党比例区から立候補予定の、桜内文城さんの著書です。

弊ブログでは「石原都政の最大の功績は、新しい公会計制度の導入である」などと言ったこともありましたが、桜内さんが財務省時代に世界一先進的な公会計制度を提案し、「国ナビ」「自治ナビ」というシステムまで完成させていたことは全く知りませんでした。

東京都は企業会計のシステムに準拠するあまり、公会計制度としては致命的な欠陥を抱えているようです。
(桜内さんの公会計の設計思想はこちらを読んでみて下さい。だいたいのエッセンスはつかめます。桜内研究室のサイトもどうぞ。)




本書では政府の予算に関する意思決定のレベルをガバナンスレベルとマネジメントレベルに峻別しています。政治家は国民福祉の最大化を目指して資源を配分すると言うガバナンスレベルの意思決定をし、官庁は予算の範囲内で最も効率的な運営をするためのマネジメントレベルの意思決定を行う。

「国ナビ」を使えば、総理大臣の政治判断が予算にそのまま反映されます。そして、現役世代と将来世代の受益と負担のあり方もそこで明らかになります。簡単にいえば、時の総理が将来世代にどれだけしわ寄せをしたかが検証でき、データとして後々まで残せるのです。

また、国防やインフラの整備はガバナンスレベルの意思決定で行ない、執行に係る予算はマネジメントレベルで管理する、という、当たり前の姿になります。政治家が政治判断をし、官僚は執行マシーンになるのです。



企業会計では主にマネジメントレベルの判断が重視され、ガバナンスレベルの意思決定は監査と株主総会における事後報告に集約されます。しかし公会計では事業の選択という予算の段階で、ガバナンスレベルの前向きな意思決定がなされるべき、ということです。

そう考えて行くといまの民主党がやっている“事業仕分け”もマネジメントレベルの話が主体であり、ガバナンスレベルの案件には1つの意見として提言するくらいが限界です。そもそも予算全体を見渡して資源配分をするという発想がないのに個別の案件を査定するだけの作業は、いくらやっても焼け石に水であることがだんだんわかってきたことでしょう。

これまでは昨年度予算をベースにしてそれを増減すると言う比較的細かな作業に政治家や官僚が大きな労力を費やしてきましたし、昨年までについた予算が既得権化して新しい予算は組みにくいという制約がありました。「国ナビ」を使って総理大臣がトップダウンで予算編成をすれば、本当の政治判断で大所を掴むことができ、民主党が公約していた(そして全くできなかった)「ゼロベースの組み換え」も夢ではないし、逆に継続性の必要なものは複数年での予算管理もできます。




新しい公会計制度では、企業会計の発生主義と、従来の公会計の現金主義の両者を包括した仕組みになります。

ガバナンスレベルの意思決定は、企業会計で把握される損益勘定ではなく、「処分・蓄積勘定」という勘定科目に仕訳されます。具体的には、貸借対照表・損益計算書・収支報告書に加えて、「損益外純資産変動計算書」という財務諸表が出来上がります。

これは私も誤解していたところですが、公会計において現金主義の単式簿記が採用されているのには「損益外の資金の流出入を漏れなく記録する」という意義があり、損益を確定するために優れた発生主義の複式簿記は公会計のそもそもの目的に合致していないのです。例えば、社会保障給付や補助金の支給、公共インフラへの投資などは企業会計の損益把握の外になるからです。しかし、政府が長年にわたって利用可能な資産を形成するようになった(そしてそのための借り入れが膨大になった)今日において、資産と負債が全く把握できない現金主義にももちろん大きな問題があります。

そこで、国民の資産を増減させたり国民に配ったりするという政府本来の役割を数値化する「処分・蓄積勘定」が必要になるわけです。

ですから、現金主義の単式簿記は時代遅れだ、という単純な理解は公会計の認識を誤らせることになります。これが上に述べた東京都の会計制度の欠陥につながります。つまり、企業会計と同じ発生主義では行政活動が把握しきれないのです。

公会計が現金主義に立脚していた理由については、別の機会にもう少しわかりやすく説明してみようと思います。

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