関瞭二郎
NHKスポーツアナウンサーとして活躍していた頃の関瞭二郎さん

 テレビ放送 草創期にNHKアナウンサーとなった

関瞭二郎さん逝く

 昨年12月18日、元NHKアナウンサーの関瞭二郎さんが亡くなられたという知らせをお孫さんからいただきました。86歳のご生涯でした。実は私の前任地の教会のお隣が関さんのご自宅であったところから長年にわたり親しくご一家とお交わりをさせていただいておりました。

 

 テレビ放送草創期にNHKアナウンサーとなり、特にスポーツ中継で活躍していた関瞭二郎さんから直接お聞きするお話は私にとっても興味深いお話ばかりでした。関瞭二郎さんに対する哀悼の意を込めて、関さんからお聞きしたそのお話とお働きの一部をご紹介いたします。

 

1)テレビ  スポーツ中継アナウンサーとしての試行錯誤

 

 関瞭二郎さんがNHKアナウンサーとして入局したのは1951年ですが、その2年後の1953年にNHKのテレビ放送が開始されています。当時の人気コンテンツはすでにラジオ中継でも人気があった大相撲とプロ野球の中継でした。しかし、すでにアナウンサーのラジオ放送中継スタイルが確立していたものをテレビ中継ではどうすべきかということに関してはゼロの状態でした。そのためにかなりの試行錯誤、ご苦労があったようです。

 

 たとえば、大相撲中継で「残った、残った」という表現も画面を見ていれば残っていることが当然のように分かるので大げさな表現はできません。しかしあまり控えめな表現にすると、ラジオ放送に比べて中継に盛り上がりが欠けます。観て分かるものをどのように表現するか、このバランスをとるのにご苦労され、現在のような放送スタイルが出来上がってきたのです。

 


川上監督
             巨人軍の川上哲治監督にインタビューする関瞭二郎さん

 

)野球中継中の小西得郎さんとのコンビ

 

 プロ野球中継の解説者と言えば、モノマネで必ずのように出てきたのが小西得郎さんでした。小西得郎さんは、関瞭二郎さんの先輩にあたる志村正順アナウンサーとのコンビが知られていますが、関瞭二郎さんもスポーツアナウンサーとして小西得郎さんとコンビを組んで数多くのプロ野球中継をされています。

 

 「何と申しましょうか」というフレーズで有名な小西得郎さんですが、新聞社からの原稿依頼もあり、締め切り時間の関係で中継中に原稿を書くこともあったようです。そのような時は小西得郎さんに解説を求めると、「関さんの言う通りですよ」とたびたび答えられていたと言うのです。解説者として伝説的な存在である小西得郎さんの知られざるエピソードをお聞きした時は、歴史の出来事の舞台裏を直接当事者からお聞きしたような思いになりました。 

 

3)東京オリンピック サッカー日本対アルゼンチン戦中継アナウンサー

 

 関瞭二郎さんは、東京オリンピックのサッカー日本対アルゼンチン戦の歴史的な試合の中継アナウンサーとして、劇的な勝利を日本中に伝えました。日本チームはアルゼンチンとイタリヤと同組のグループDに属し、アルゼンチンにはとても勝利できないという予想を覆し逆転で勝利し準々決勝に勝ち上がることになるのです。ちなみに、Jリーグ初代チェアマンとなった川淵三郎さんは、この試合でゴールを決めています。

 

 スポーツデスクやNHKアナウンサー室長を経て、退職後は日本語を教える方々への指導や聴力者障害者のための字幕制作ライターとしての働きをされた関瞭二郎さんは、その日本語を話すプロフェッショナルとしての能力を社会に還元されました。日本のテレビ放送草創期の歴史的な出来事に関わり、輝かしい実績をお持ちにかかわらず、関瞭二郎さんは過去の実績を誇ることもなく、一般人として私とお交わりくださいました。隣人としての良き出会いがあったことを今、心から感謝いたしております。

 

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関瞭二郎さん


「今日の聖書のみことば」コリント人への手紙第一 13章4〜8節 
 
 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。愛は決して絶えることがありません。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。