神社

2010年08月27日

表木神社と裏木神社2

先日、長野の田舎にタンボの雑草とりに行った。

が。

ワタシャ、メインは、もしかしたら信濃国開闢(かいびゃく)の祖神とされる、ふた柱の神様の奉られている神社に行くことだったり(*・ω・*)/。

※「諏訪系の神社である全国の★末社★はだいたい夫婦神様はひとつところに奉られるのに対して、
表木裏木神社は、現在の諏訪大社とおなじように、
夫婦神がそれぞれ「上社・下社と★別々に★奉られている」原型を持っている。

弥生式土器やヤジリなども境内や、あちこちのタンボから出土している経緯から、歴史としても人の住み着いたのは古く、ケヤキの樹齢からみても1800年から1900年と軽くいっているかもしれない。おそらく初期の諏訪大社の★原型★ではないか?」という推理を、「和親記HP」の太田氏は語る。「」カッコ内は、要約です。
・和親記はコチラ→http://www13.ueda.ne.jp/~ko525l7/s05.htm
・表木神社のご神木?のMY記事→http://plaza.rakuten.co.jp/fusiuwave/diary/201004050000

で、

「表木神社と裏木神社」の所在地確認と、由来を近所の方に軽く聞き込みしてきた。
お嫁さんや婿さんが多く、詳しい話はあまり知らないという。
■裏木神社の場所は、表木神社から亥(北々西)~北(子)方面に向かって歩いてゆくと、国道144号線のとおりに沿ってポツリと鎮座していた。

表木神社がテニスコートほどの大きさだとしたら、かなり小さな神社でタタミ6~8畳ほどの敷地。鳥居には表札?もかかっていない。

あの通りには昔、線路が通っていたので、もしかしたら敷地を大幅に削られた可能性。
また、敷地にはご神木も立っていたとされたが、老木枯損で斧を入れられ斬られたのち、切り株は保存したといわれてる。
どっか行けば見れるんだろうな。

■お祭りの日取りは、
表木神社は春と秋に年二回(秋は9/20過ぎ。27~30日の日曜日あたり)。
4月には獅子舞があるそうな(*・ω・*)/囃し立てる掛け声も「あ、そうか」「あ、どうした」と、十林寺地区の獅子舞情報だが、変わってるとか。

■裏木神社は春一回(日にち不明)。

地域の自治センターか公民館などからオミコシが出発し→表木神社に立ち寄り→裏木神社に向かって→センターへ帰る。

そのとき、神主さんが各神社に祝詞を奏上奉納されるという。
どんな祝詞をあげるかや、神社の由来は、神主さんに聞くとわかるかなと思ったが、神主さんは2~3年前にお亡くなりになっていて、今は奥さんが女神主さんとして地鎮祭などあげるそうだ。

地元には祭神を知っているヒトは全くいなかったが、夫婦(めおと)の神様という認識はしていた。

神社を管理しているのは山家神社なので、女神主さんに何か聞けるかもしれないが、用意もあるので次回。草取りで筋肉痛です。

ふた神社はつながったので、すっきり。
敷地にたっているおやしろに、端から祝詞をあげてきたら、本殿とされるお社より、あるひとつの石のおやしろのほうが反応していた。
なんでやねん、と思い、わずかにみえる内部を確認すると、神様?らしき名前か、文章を書き連ねた木製の額が奉納されていた。

上は奥まで突っ込まれて判別しづらいが、何となく「建御名方」と書いてるっぽい。

ははあ、おもしろい。

この真田の土地には、日本武尊も立ち寄り、別所温泉のほか、タケミナカタにすれ違いざま挨拶したなど、さまざまな伝説をのこしていると伝わるから、じっくり調べ(られ)れば楽しいだろうなとオモタ(*・ω・*)。


fusiuwave at 04:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年01月19日

表木神社のご神木?が

テーブルに。
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意味わからん?
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まあまあ(・ω・)/))
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長野県上田の真田に、かちしんの親父の実家があるんだが、たまに田植えのために筋肉痛になって帰っている。
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無農薬で雑草も手作業でとっていて、結構お米の味の評判はよい。
今年やったら三年目か。まだ田植えルーキーですな。
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うちの先祖は善光寺のとなりにいたらしく、ダムが[善光寺ご本尊ご開帳]の時期にタイミングよく?決壊したため一族ごといまの山に移り住んだそうです。
また、応仁の乱(っていつだ)のころに功績をあげたそうで、橋に名前が残っている。
おそらくそのまえからいたと思うので、かなり古い家系らしい。
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で、その実家のお墓のとなりに[表木神社おもてぎ]という神社があり、ちんまりとしてるのだが、天然記念物の欅ケヤキの木が数本存在した。

した、というのは、なんでも昭和34年8月?に落雷か暴風雨で損傷し、やむなく伐ったそうな。
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で、欅の木の引き取り手がなかったため(こわがってだそうな^^;。うちは心臓に毛がはえてる我が道をゆく家系なのでカミナリ落ちようが気にしない)、かちしんの亡くなった叔父が神社からケヤキを買い取り、

★欅でテーブルをいくつかつくり★

神社やお寺に寄贈寄附したそうで、欅のたっていた跡に碑文が残っている。*
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で、欅の木は何本か立っているのだが、境内の敷地内の木、となると、ご神木あつかいされていたのかもと思い、ネットで調べていた。
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するとこーいうのがヒットした和親記*長野の信州上田の随筆集
http://www13.ueda.ne.jp/~ko525l7/index.htm
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表木神社と裏木神社http://www13.ueda.ne.jp/~ko525l7/s05.htm
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表木というのだから、[裏]もありそうだなと思ってたらホントにありました。
亥の方向に歩いて五丁ほど先に裏木神社が存在するという。
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ううーむ、行ってみたい。
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興味深いのは和親さんの考察で、表木神社も裏木神社も、アマテラス天津神系にやぶれた出雲系のタケミナカタがつくった、出雲の亡命政権ではないか、ということだった。
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よーするに、[長野県の]諏訪大社の前進が、表木神社と裏木神社ではないか?というのだ。
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超*そそられますなあ~(*ω*)

表木神社の祭神は大国主の子であるタケミナカタというのは、よくきく名前だが、

八坂刀売命は、日本書紀にはなく、信濃だけらしい。

…すげー、[八坂刀売命]、気になってしまった(ーωー)。

ナニモノ?

だれかしらんかな~。

うちのテーブルの正体は、ご神木か?(まじか?)

っすると、まさか信濃発祥の前身となったケヤキか?(おおお!自慢するか?)

…知恵熱でるまえに寝るか…(‐‐)。

うーむ。。


fusiuwave at 01:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)