理学療法士国家試験に合格する前(2005年)から始めたこのブログには、現在までの経過を見ることができる。


合同会社セルフエンパワーメント 代表 松木 寛 http://selfpower.jp/

表参道首藤クリニック付属統合医療研究所 統合医療カウンセラー
トランスフォーメショナルコーチ
理学療法士
日本抗加齢医学会認定指導士
全米ヨガアライアンス養成学校講師


リハビリテーション専門病院にて、理学療法士として10年間勤務後、表参道首藤クリニック付属統合医療研究所(東京・表参道)の統合医療カウンセラーとして活動中。

人の体の特徴を特定する知識・技術に加え、抗加齢医学・ヨガ(ヨガ哲学・瞑想・アーサナ)などの予防医学、科学的手法に基づいた潜在意識を扱う手法(NLP、LABプロファイル、ヒプノセラピーの枠を超えた言葉の技術)を融合し、自らに力を授ける独自の成功理論「セルフエンパワーメントメソッド」を確立。

理学療法、抗加齢医学という専門的な医療の知識をベースに、ヨガや瞑想や潜在意識を扱うことを融合した手法は、様々な対象者に受け入れやすいものとなっている。

そして、病気をやめたい方、人間関係の悩みがある方、人生の目標を見失っている方、モチベーションが低下したビジネスマン、アスリートにいたるまで、クライアントの潜在意識にある根本原因を瞬時に特定し、意識や身体状態や現実を変革させて続けている。

また、クライアントが見失っている”本来の自分”に気づきを与え、輝く状態にまで短期間で押し上げる手法は、従来のカウンセリングとは一線を画す。

目標達成、願望実現などのコーチングとしての後押しだけでなく、認知症、ガン、難病などをやめる状況をカウンセリングとして強烈にサポートしている(奇跡的変化の事例多数)。

現在は、「心に寄り添った新たな医療の枠組みを創造する」ために、病気に困っている方や病気を予防したい方だけでなく、医療従事者向け・法人向けにカウンセリング・コンサル・セミナー活動を実施。

そして、ヨガインストラクター養成学校にて、「心と身体の関係」「解剖・生理・運動学」などの講師活動や意識障害の方々と会話をするボランティアなどにおいて精力的に活動している。

人生は質?それとも量?

日本が世界一の長寿国となった理由のひとつとして、「過剰な延命治療」だという意見があります。

確かに他の先進国と比較して過剰な部分があるのかもしれません。

この延命治療とは、「人工呼吸器や心肺蘇生装置を着けたり、点滴や消化器系に直接管を通して、栄養補給をしたりなどして生命を維持するだけの治療」のことです。

簡単にいうと、

自分で呼吸できないのに機器を使って呼吸させたり、

口から食べれないのに、別の理由で栄養を補給して、

生命を維持させる行為のことです。

これが良いか、悪いかの議論はここでするつもりはありません。

先日、ある先輩が休みだった日に、代行でリハビリさせて頂いた方との関わりで気づいたことがあります。

その方は、年齢は80歳代で、口から栄養をとることができずにお腹側から胃に直接穴を通して、そこから栄養をとっています。

また、気管切開(喉に直接穴をあけてそこから呼吸)し、酸素も投与しています。

こちらの話した内容が簡単なものはわかりますが、曖昧な面もあり、自分で言葉を発することができません。

そして、その日私はその方のやりたいことが歩く事だと確認した後、

「◯○さんの好きなだけ歩いていいですよ」「疲れたら休みましょう!」といって本人にどれだけ歩くかと決めてもらうことにした。

そしたら何とひたすら歩き続けるのです。

そのひたむきに頑張るその姿に涙がでそうになりました。

明らかに何かの目標、目的があることが一目で感じるような、未来に焦点を当てた強いエネルギーでした。

身体がもう少し軽く、年齢も若く、家族みんなで暮らしていても、「歩くことなんてめんどくさい」、「もういいや」という人もいれば、

身体が大変な状態で、年齢が高齢であっても、何かのためにひたすら努力する人もいる。

どちらが良いとかではないが、この方のその時の一生懸命な表情や行動は、私の心に強烈に突刺さったことだけは確かです。

延命治療を否定してしまえば、その方はもしかしたらもうこの世に存在していないかもしれません。
しかし、現に私の目の前にその人は存在し、私の心に大きな影響を与えてくれました。

どんな形でも生命がある以上、大きい、小さいは関係なく、人に対して、つまり地球に対して、価値ある影響を与えています。

目の前の現場で起きている現象を考えずして、延命治療が良い!悪い!の議論をすることに意味はないように思えてならないのです。

またまたそのような医療があって、自分がどう選択したいかだけだと思います。
このような現場の声を少しでも多く届けるのは私の役目だとも思っています。

究極はどんな正論よりも、目の前の人に何ができるか、目の前の人から何を受け取るかのほうが重要なものに思えてなりません。

常識の外に隠れている宝物

先日、体当たり白雪姫プロジェクトというボランティアに参加させて頂いきました。

そこでは、一般的にはコミュニケーションが難しいと思われるご利用者様(誰もがコミュニケーションをあきらめそうな方)と指筆談といわれる方法で会話して、ご利用者さんの感じている思いを引き出している姿がありました。

指筆談というと簡単そうに考える方もいるかもしれません。
またはそんな方法があったのかと思われるかたもいるかもしれません。
またはそんなことできるわけがないと思われる方がいるかもしれません。

しかし、私の中にもあったかもしれない、そんな不安や疑問が一瞬で消え去るほど本物のコミュニケーションがそこにはありました。

指筆談は、対象者の指先の細かい感覚を頼りに動きを手伝い、温かく適切な言葉を丁寧に話しながら、こちら側の思い込みをなくしながらの関わりをする必要があるので、簡単にできるというものではありません。

そして、指筆談ではきれいで感動的な感謝される言葉だけがでてくるとは限りません。
このことを果たして家族に、そしていつも接している方々(介護職の方)に伝えていいのかな?と思えることもでてきたりします。

そのことがとても重要で、やる側がいい言葉だけほしいなどの変な先入観を持っているとその人の思いと違う会話をすることになります。

そうするとこの人は自分の都合のいいように会話しようとしているだけだとご利用者様は感じ、引き出すどころか心を閉ざしてしまうリスクがあります。

また、そのことがさらに第三者の疑いという思いを連鎖させ、せっかくの可能性をなくし、この活動自体が怪しいものだと勘違いされてしまうリスクすらあるのです。

だからこそ、丁寧にこのことを学んで、感じ、お伝えしていく必要があると思います。

この技術や知識や考え方は、医療関係者が知ることで大きな可能性があります。しかし、医療従事者であるからこそ、そんなことできるわけないなどの常識にとらわれた考え方から抜け出せずに、対象者の可能性を阻害してしまいやすいことも事実です。

私達はいかに曇りのない純粋な思考で目の前の対象者様の可能性を無限に信じてあげる必要があるのかもしれません。

そして、その日関わらせて頂いたご利用者様から私は、大切なメッセージを頂きました。

その方の思いは私の中に大きな気づきを与えてくれました。
そのご利用者様の思いは私の中にずっと残り続けます。
そして、必ずその思いを形にして、丁寧に世の中に伝えていきます。

思いはずっと残り続ける、そのことを真剣に考えるきっかけにもなりました。

人生の先輩は本当に多くの経験を持って私達にいろいろなことを教えてくださいます。

その形は言葉なのか、言葉以外でのコミュニケーションなのか、、、

常識の外に本当の宝があるのかもしれません。

久しぶりの書き込みです

いや〜ブログ更新久しぶりです。

ここ数年、理学療法以外でも多くのことについて、考え、悩み、もがき、感じていました。
今だからこそ、そのことは成長する過程に必要であったと確信できています。

「人は何のために存在するのか?(自分の役割とは)」
「人の命とは」
「この世の中の摂理とは」

などを中心に現在も日々学びを深めているところです。

少し前になりますが、自分の中で人生最大の落ち込む出来事が起きました。
心がとても動揺し、今まで感じたことのない感情が自分の中に存在することに気がつきました。

しかし、そこから自分というものを見つめ直し、人生が大きく変化しはじめたことに気がつきました。

その落ち込む出来事から状況は大きくは変化していないにも関わらず、今はとても幸せ・喜び・エネルギーに満ちあふれています。

まさに人の幸せは、環境ではなく、思考が作るということを身をもって感じることになりました。

そのきっかけは、あげればきりがないほど多くありますが、ひとつのキーワードは「常識にとらわれずに枠を超える」ことです。

「理学療法士という枠」
「所属している病院の職員という枠」
「人生こう進んでいくのかなと考えていた枠」

を超えて、今まで教えられてきた、学んできた常識の裏側を学ぶことで、自分が今何をするべきかが見えてきはじめていますし、それによってとてつもないエネルギーが内からこみ上げてくる感覚です。

ここ数年、特に今年に入ってからの自分の成長の実感は今まで味わったことのない経験です。それによって昨年までの私と今の私では、物事に対する考え方、価値観が大きく変化し、性格まで変化しているかもしれません。

そんな中、リハビリにも共通するいくつかのキーワードについて、今の自分の意見を未来の自分のためにも一部書いてみます。

「思い込み」

施術者(もしくは医師も)は自分が治しているという思い込みはないか?
治しているのではなく、対象者の力によって治っていくことに寄り添っているだけです。

まず、自分、人間の無力さを知った上で、目の前の課題に夢中になって取り組むことが大事なのだと最近やっと心の底から理解できています。

「自分が正しい治療家だ」、
「あの先生はすごいから正しい」

そんなのどうでもいい話です。

どんな人も実際は無力であり、目の前のことに真摯に一生懸命向き合う人は、例え新人であっても尊敬に値するし、対象者にとっても自分自身も光輝いているものだと思います。
※目の前の課題とは、他人にはわからないものという前提あり。

「押しつけ」

人には学ぶタイミングやルートが違います。
そして、ひとりとして同じ人は存在していません。

にも関わらず、教育という名のもと、同じ価値観で

「これを今知るべきだ」、
「これを知っていることが大前提」、
「この方法が一番いい学び方だ」、
「この治療が正しいので学びなさい」
「あの後輩は頑張っていないから指導する必要がある」

という声を耳にすることがあります。かつての私もそうでした。

ただ今は他人に自分の考えを伝えることは共感する仲間を見つけるために
必要な手段かもしれませんが、押し付けることは賛成できません。

マハトマ.ガンジーが「全ての宗教は同じ目的に向かう別の道」と表現したように、治療者も「患者さんによくなってもらう」という目的は同じはず。その道は複数あるのが当たり前だし、それらを尊重しながら切磋琢磨するべきだと思います。

「コントロール」

ヨガでは神様の恩恵を受けるには「自分が神ではないことを認める」という絶対条件がありますが、多くの人が自分は神様だなんで思っていないというと思います。

しかし、神様でもないのに他人を束縛したり、自分の考えに染めようとしたり、強く要求をしたりとコントロールしようとします。

神様のように全てをコントロールできるわけでもないのにコントロールしようとする行為そのものが自分が神ではないと認めていないということだそうです。

そういう意味でどれだけこの絶対条件を理解して実践している人がいるでしょうか。

「あの患者さん、なかなかわかってくれない、納得してくれない」
「あの患者さん、変化に気がつきにくいよね」

などという言葉は患者さんに対して、自分の考えを押し付けようとしているだけ、それによってコントロールしようとしていて、それが全く世の中の摂理をはかけ離れた行動であることを治療家は知っておくべきではないでしょうか。

筋トレのネガティブ効果

今年ももうすぐ終わりですね。

マッスルトレーニングというと、サルコペニア(筋肉の老化)の
視点からみると、非常に前向きな点が多く、文献でもたくさん
発表されています。

しかし、どんな内容でも逆の視点からみるとネガテイブな面が
あります。

そのよくない点も運動処方のプロとして、健康関連と関連して
整理していくのも悪くないかと思いまして、マッスルトレーニングの
非の立場からの内容を紹介させて頂きます。

血管の加齢は、ヒトの老化と密接に関連しています。
多くの先進国では、脳卒中や虚血性心疾患に代表される動脈の
加齢変化に依存した疾患が、死亡率の上位を占めています。

動脈の中でも大動脈や頸動脈は、上腕動脈や大腿動脈よりも
伸展性に富み、心臓の拍出に伴う血圧の変動を緩衝し、
脳や末梢組織への血流を、一定に変える役割を有しています。

この中心動脈の伸展性や弾力性は、中年期以降に硬くなり、
心臓血管病の独立した危険因子であることが示されています。

この中心動脈の硬さは有酸素性身体活動や運動で
改善する報告があります。

しかし、高強度の運動では逆にその硬さが増強してしまうと
いう報告が横断的研究やメタ解析で示唆されてきました。

そのメカニズムは十分な解明はなされていませんが、
筋トレ実施時の収縮機血圧は最大300mmHgに対し、
有酸素運動では収縮機血圧は180mmHgまでしか
上昇しないという違いは大変重要な要素だといわれています。

では、どうやったら筋トレによる動脈スティフネスの増加を
予防できるかといえば、中等度以下の運動にとどめるか、
有酸素運動の硬さを低下させる効果と
筋トレの好ましくない効果を相殺する方法を
組み合わせることで、動脈の硬さの増加を抑制されることが
示唆されているようです。続きを読む

対象者への触れ方

私達が人に触れる時、どのくらいの力が適切なのだろうか。

感覚は触れる部位、触れられる部位によって異なり、繊細な部分とそうでない部分が存在する。

そのため、触れる部位によって私達は、触れる強さや触れ方(手の形)そのものを変化させているし、触れられる側もそれに対応する反応を示す。

(柔らかいペットボトルを持つ手とビール瓶を持とうとする手では触れ方は違う)

我々セラピストが対象者(患者さん)に触れる時、対象者にとっては重心を揺らされることは外乱に感じるし、強すぎる触れ方(指先でのタッチなど)も逃避的な反応や緊張の増大を招くことになるだろう。

また、セラピストは、対象者に触れる手から何を感じる必要があるのだろうか。

例えば、対象者の重心の位置、床反力を感じる部位と方向、支持基底面の範囲
対象者の安定感(自由に姿勢を変化できる範囲はどのくらいか)、その触れたことで対象者がどういう反応を示すか(外乱になっていないか)、その触れた部位の硬さ(緊張具合い)、触れた場所が重心の極端な偏位なくどの程度自由に動けるのか、

など多くのことをセラピストは、触れたその手から探索し続ける必要がある。

そのために必要な強さをどうするべきかのヒントになる法則がある。

精神物理学に「ウェーバー・フェヒナーの法則」というものがある。

Ernst Heinrich Weber(1795 – 1878, ドイツの生理学者)
例えば、100の刺激が110になったときはじめて
「増加した」と気付くならば、
200の刺激が210に増加しても気付かず、
気付かせるためには220にする必要がある。

FechnerはWeberの弟子。
例えば、100の刺激が倍に増加して
200になるときの感覚量と、
200の刺激が倍に増加して
400になるときの感覚量は等しい。

この二人が導きだした法則から、触れた手からの微細な変化を感じとるためには、強く持たずに極力軽く触れる必要が理解しやすい。

実際の臨床(治療中)では、動かない対象者(患者さん)を動かそうとしすぎてしまい、触れている手に力が入り、それが対象者に対して不安定感を与えてしまい、緊張を強めてしまい、重くなったりすることがある。

逆に、“対象者の体が重い“と感じている時に触れてる手の力を抜き、手から先のようなことを改めて探ろうとするだけで、対象者の反応が起こり、とても軽くこちらが促したい方向に誘導しやすくなることもよくある。

人の脳(身体)の仕組みから考えても、私達の誘導は適切な運動を促す必要があり、それには対象者にどのような情報を触れた手から提供するべきかがとても重要になる。

難しい言葉を使えば、“脳は可塑性があるため”、私達セラピストの誘導や行う治療プログラムによって患者さんの身体は良くも悪くもなってしまう。

恐怖感や混乱を与えながら無理矢理動かしたり、痛みや不快感を生じながら誘導したりすれば、身体反応としては適切な方向には向かわずにセラピストが対象者の体に悪影響を及ぼす可能性があることもセラピストは理解しておかなければならない。

一生忘れられない出来事

先日、私が担当していた患者さんが上司に「担当をもっと上の人に変えてほしい」と要望された。

今までの理学療法士人生の中で、「担当を変えてほしい」といわれたことはなく、はじめての経験であった。

上司はその方に「担当は変更することはできない」と説明したそうだ。

今まで私が休みの日に、すごい結果を出す上司や先輩に代行(休みの日に私の代わりに別のスタッフがリハビリを行うこと)をお願いしても、そんな風にいわれたことがなかったからか、自分はその患者さんのことを一番考えているはずだからという変な自信を持っていたのかもしれない。

そんなことを上司にいったことから、その患者さんも私に会うことが気まずい状況なのではないか、そう考えると今後どう関わるべきかとても悩んだ。

そして、担当を変えてほしいといわれた先輩にも直接相談した。

そんな中、自分の無力さと悔しい気持ちが溢れ出て“男泣き”してしまった。

私の心の中は、悔しい気持ちが強かったが、不思議と感謝の気持ちも持っていた。

「こんなに悔しい気持ちを持つことはなかなかない」
「今までも私に対して担当を変えてほしいと思っていた患者さんはいたのかもしれないが、それを行動に移してくれたことで私に多くのことを気づかせてくれるきっかけとなった」という思いが湧いていた。

その方も相当な勇気を持って、自分の気持ちを行動にうつしてくれた。

そのことを考えると今後今回のことは触れずに関わることよりも、自分の正直な気持ちを伝えるほうがいいのではという結論(先輩のアドバイスも含め)に至った。

次の日、たまたまその方と屋外歩行訓練にいく機会があったため、私からその話を切り出した。

私「○○さん、担当変更の希望を伝えてくれたんですよね?」

私「それを聞いて私は“悔しい気持ち”にもなりましたけど、私に足りないものがあるということを勇気を出して伝えてくれた○○さんに心から感謝しています」

私「今までも○○さんと同じように考えた人がいたのかもしれませんが、実際に行動にうつしてくれた方はいませんでした。自分に足りないものがあることを気づかせてくれるきっかけを作ってくれて本当にありがとうございます」

私「ただ、実際は担当変更はできないという結果になってしまいましたが、私がリハビリしても、先輩がリハビリしても同じ料金が発生することになります。」

私「それでも、このまま私がリハビリを継続する形でもいいのでしょうか?」

○○さん「もちろん、いいわよ。私も自分の思いを言えてスッキリしたわ!」

○○さん「前に入院していた病院のリハビリより、ここの病院はリハビリが素晴らしいと感じてるの」

○○さん「あの時、この病院でリハビリしていたらもっとよくなっていたんじゃないかとかいろいろ考えると後悔した気持ちになってしまって、だから今回こそは後悔したくないという気持ちが湧いてきちゃったんだよね」

○○さん「でも、そんな風に考えてくれてたんだね。」

○○さん「そんな気持ちを聞けたからか、今思うのは、私はあなたが担当でよかったわ!今は本当にそう思う」

○○さん、「今日は本当に話せてよかった。ありがとう!これからもよろしくね。」

会話の一部を簡単に抜粋するとこのようなやり取りで、気まずい状況はある程度解消された。

先日、その方は無事退院された。

私は、今回の経験を通じて、この悔しい気持ちは二度としたくないと思うと同時に、そのためには“その時、その時”に対象者に満足してもらえるような関わり方や治療を行う必要性を痛感した。

そして、人はコミュニケーションを行うことで理解しあい、信頼しあい、前に向かって進むことができることを学んだ。

たぶん、一生忘れないこの気持ち、初心にかえりまた自己研鑽していきたいと思う。

対処療法ではない本質的なアプローチ

尊敬する先輩や上司の治療、講習会などに参加した際の著明な講師の方々の治療や考え方を目の当たりにして、私自身、過去の臨床経験の中、自分に自信を持ったことは一度もない。

自信を持てるような性格になりたいと思うこともあるし、その自信を持つことで今よりよい結果がでるかもと考えることはある。

しかし、それはたぶん自分に自信が持てるほど努力がまだできていないからなのかもしれない。

経験年数を重ねて、その時の結果は出せることが増えたのかもしれないが、逆にその時よくなったように見えても、翌日には元に戻ってしまうということも多い。

それはその時の結果が出せているとはいえないのだろう。

本質をついていない訓練を行っているから、翌日に訓練の効果が残りづらいのであって、“本当の問題を私が解決する方向に導けていない”のだと解釈している。

当たり前のことだが、硬くて痛いところをほぐして、関節が一時的に柔らかくなっても、硬くなる、痛みを生み出す原因を解決できていなければ根本的な治療とはならずに対処療法になってしまっている。

その根本原因を見つけること、ピンポイントで治療することが現在の私には全く足りていない部分でもある。

先日、ある脳卒中の方のリハビリをした。

その日、ある目的を持って、四つ這い、膝立ち、パピーなどの動作訓練などを行った。麻痺の影響で強固な非対称な姿勢ではあったが、その中でも活動性の低下しているであろう部分を積極的に使用していった。

そして、治療後にその方が2〜3歩歩いた際に「身体が軽すぎる、何でだろう、信じられない、嬉しい・・・」と泣き崩れてしまった。

脳卒中の影響でやや感情のコントロールが十分ではないとはいえ、こんなに感動している方を見るのは初めてかもしれない状況に私も泣きそうになった。

そのまま、うれし泣きのような状態で部屋まで歩いて帰り、継続していた腰痛も全くないと喜ばれていた。

そして、何よりびっくりしたのが、いつも部屋に帰ると「少し横にならせてください」とすぐに寝てしまうその方が、「リハビリはこれで終わりですが、横になりますか?それとも座って起きてますか?」との私の問いに「いやこの余韻に浸りたいので起きていたいです」と発言された。

たぶん、この時だけは少なくとも本質的なアプローチができたのだと思う。その訓練は、本人の身体的な自覚としても明確であり、そして「起きていたい」という情動の部分にまで大きく影響していた。

「楽になったよ」「軽くなったよ」「痛みが治まったよ」ということはあっても、今回のような経験は、私には残念ながら少ない。

それは私が日々行っている臨床そのものが、本質的な訓練を提供できていない、努力不足によって知識・技術、実力が不足していることが原因であることを改めて確信する機会となった。

この経験をもとに、日々の臨床で短絡的になりやすい思考を“よい時は何でよかったのか、よくなったのが次の日まで継続されているか?”“悪かったのはなんで悪かったのか、次に何をするべきか?”など今一度自分に問いただし、見直していく必要を強く感じる。

筋肉が硬いとき

先日肩関節の勉強会に参加してきた。

改めて評価の質、触診・誘導技術の重要性を感じる機会となった。

自分なりに若干アレンジして簡単に紹介したい。

関節可動域制限の原因として、ゞ旙蚕漫spasm)なのか、筋短縮(shortening)なのかを分ける必要がある。

もちろん、その姿勢自体が安定していなければ、姿勢制御機構の影響も強くでる(健常人でも影響は+)が、ここでは簡略的に解釈するために上記2つにわける。

ゞ旙蚕漫紛撻好僖坤燹砲蓮△修龍攸反イ魏,靴浸の痛み(圧痛)がみられ、筋肉を緩めた状態(筋の起始と停止を近づけた)であっても緊張が高いままである。

筋短縮(ショートニング)では、圧痛はなく、筋の起始と停止を近づけた時には、筋の緊張は低く、ダルンダルン状態になる。

両者とも限界まで伸張すると痛みを伴う(伸張痛+)。なので、これでは鑑別できない。しかし、治療結果としての評価の指標には利用できる。

この両者をわける目的は、治療方針が異なるからで、スパズムであれば、■シナプス抑制機構を活用しどう“リラックス”されるかがポイントとなり、短縮であれば、“□ストレッチ”を活用し、どう伸ばしていけるかがポイントになる。

■シナプス抑制機構について
 Ia抑制:緊張している筋肉の反対の筋肉(拮抗筋)を十分に収縮させると緊張している筋が弛緩する。(抑制の介在ニューロンを介して拮抗筋のα運動ニューロンを抑制)
 例:上腕三頭筋(肘伸展筋)の筋スパズムがあれば、上腕二頭筋(肘屈曲筋)の十分が収縮を促す。

 Ib抑制:ゴルジ腱器官は張力によって、主動作筋のα運動ニューロンを抑制介在ニューロンを介して抑制される。ゴルジ腱器官は、筋腱移行部に多く、筋と直列である。そのため、筋の起始と停止を動かさずに筋肉を収縮させる(等尺性収縮)ことで腱は伸びずに筋腹が縮み、同時に筋腱移行部が伸張される。
※直接ストレッチしてもいいが、筋腱移行部の正確な解剖学的位置の知識が必要である。
また、ゴルジ腱器官は機能的には張力の受容器であり、外力で筋の伸張したときの閾値は5〜200gであるが、筋収縮による張力発生では0.3〜3gにも応じるとされる。
つまり、外力によって伸張されるよりも筋収縮を利用した(等尺性)伸張のほうが簡単にこの抑制機構を利用できるのかもしれない。
 例:上腕二頭筋が緊張していれば、肘を曲げないように止めた位置で肘を曲げる方向に力を入れてもらう。

 反回抑制:脊髄運動神経細胞で見られるフィードバック型抑制のこと。運動ニューロンの反回側枝を介して、興奮性の入力が脊髄にある介在ニューロン(レンショウ細胞)に入る。レンショウ細胞は運動ニューロンに投射し、抑制性のシナプスをつくることによって、2シナプス性に運動ニューロンの抑制が起こる。反回抑制の主な働きは、運動ニューロンの出力の利得を調節することである。
 例:上腕二頭筋が緊張している場合、なるべく大きく(全可動域が理想)肘を屈曲伸展運動を対象者の協力のもと繰り返す(代償運動が入りやすい場合などは最初は協力しないように指示することもある)。

□ストレッチについて
 腱板構成筋のサルコメア(筋節)長の特徴として、筋の短縮はサルコメアの数に依存し、サルコメアの長さは変わらないという報告がある。つまり、サルコメアの数を増やしてあげる必要がある。フィラメントは筋腱移行部ですべて作っているため、サルコメア再生には筋腱移行部のストレッチ刺激が重要になる。

ちなみに短縮筋の血管形態の変化として、対象となる関節を固定して約一ヶ月筋肉が伸張できない状態でも血管形態に変化はないが、それ以上では血管形態にも変化がでてくる。つまり、その筋肉がいつ頃から伸びなくなったのか?などの情報収集も重要になってくるし、それが2ヶ月経過しているとすれば、伸張されるためには血管にも影響を及ぼしながら変化していくことが想像できるため、回復には時間がかかるのかもしれない。

今回はスパズムか短縮かで2つにわけたが、実際は混合していることが多い。しかし、この内容を理解していれば、圧痛の確認は何のためにしているか?、何を狙ってストレッチしているのか?、単純に伸ばすだけでいいのか?、自主トレは種類は何にするか?普段何気なく考えずに処方している内容もすべて意味がある。

また、その組織を限局したり、起始と停止を正確に近づけたり、話したりのコントロールには解剖学・運動学の知識はもちろん、触診技術が必ず必要であることを改めに認識する機会となった。
実際に上記のようなことを意識して介入すると、今まで結果がでていなかったものがすぐに結果につながったりする機会も増えた。

ここの痛みな何となく、ここのアライメント修正が大事だとか、腰が痛いときには腹部を活性化したらいいのでは?などと短絡的に考えるのではなく、腹部活動が乏しいままでも腰痛がない腰部を構築できるような知識・技術も重要であるように思う。

もちろん、局所だけみていれば、全身のつながりをみれないと動作やADLにつながらないので木を見て、森も見れるセラピストになれるよう一生努力が必要である。

質の高いCPRから学ぶこと

先日、日本救急医療教育機構の一次救命処置(BLS)の実技講習会に参加した。

BLSを自分なりの解釈で簡単に説明すると意識を失い、呼吸も心臓も止まってしまっている人を見かけた際に一時的に対応する処置のことである。

その中心となるのが、心配蘇生法(CPR)である。

BLSについては院内で何度か実技講習を行った経験はあったが、いざという時に自分がすぐに対応できるレベルにはなく自信もなかった。

しかし、今回の講習では一日かけて講義形式なだけではなく、実技試験も行ったため、現時点では、実際の緊急事態が発生したら他人がやるより自分がやるべきだと思えるようになった。

なぜ自分がやるべきだと思えるかというと、質の高いCPRを提供したほうが蘇生確率があがることを理解し、実際に質の高いCPRを実施できる自信を持っているからである。

では、質の高いCPRとは何か、この問いに答えられないと質の高いCPRができるとはいえないだろう。

その問いも含めて、CPRを行う上での理論的背景を学んできたので、その一部だけでも紹介したいと思う。

まず、心臓も呼吸も止まっている状況では、できるだけ早急に心臓マッサージにて酸素化された血液を冠動脈に入れてあげる必要がある。

何のために心臓マッサージをするか問われると、多くの人は脳に血液を送ることを最優先に考えている。しかし、脳が機能しなくなっても心臓が動いていることがあっても、心臓が止まってしまっては必ず死に至る。

つまり、最も重要なのは心臓を他動的にでも機能させ続ける必要があり、冠動脈に酸素化した血液を送り続けることが最重要なポイントである。

じゃあ、冠動脈に血流が入るのは、収縮期か?拡張期か?と聞かれると拡張期であり、心臓マッサージでいう押した手を戻す際である。(人間が復活するタイミングも戻す時)

(脳に血流が送られるのは収縮期、つまり心臓を圧迫した時。)

胸骨圧迫の際、「脳に血流を送らないと!」と意識してしまうとどうしても押すことだけに意識が向いてしまうが、「冠動脈に血流を送る!」と意識することで“戻すこと”を意識できるのである。

つまり、胸骨圧迫の際、“戻し”のクオリティーを追求しているか?をいうのも重要で、“胸壁が完全に元に戻るところ”まで戻すことが質の高いCPRとしてのひとつのポイントである。

もちろん、質といっても“戻す”だけではなく“圧迫の場所”は「胸骨下半分」で、“圧迫のスピード”は、「少なくとも100回/分」で、“圧迫の深さ”は成人では「少なくとも5cmの深さ」で圧迫する、“圧迫と人工呼吸のサイクルの比率”は成人で「30(圧迫):2(人工呼吸)」で行うなども質のひとつである。

(小児では心停止の原因が呼吸原性が多いことから15:2といわれている)

また、当たり前のことだが、人工呼吸器や人工心肺の医療機器を止める人はいない。

しかし、なぜか胸骨圧迫は平気で止める人がいる。

これは、胸骨圧迫している人に自分たち自身がその方の生命維持装置である自覚がないからである。

CPR施行する状況では、対象者は心臓の弁も機能していないため、通常の1/3の血流量しかない虚血状態である。

そのことからも胸骨圧迫は何がなんでも継続しなければならないのである。

では、胸骨圧迫した際に、肋骨が折れたらどうすればいいの?

さて、肋骨が折れる前は対象者は生きているんですか?

肋骨が折れることで死に至りますか?

表現が適切がどうかはわかりませんが、目の前の対象者は心臓が停止し、すでに死んでいます。

それを復活させるための胸骨圧迫なら、それを止めてまでやらなければいけないことはない。

しかし、酸素化された血流を冠動脈に送るには対象者の口に空気を入れてあげる必要がある。そのためには一時的に手をとめるべきタイミングがある。

そのタイミングはできるだけ短いほうがいいのだが、その根拠として・・・

まず、胸骨圧迫している時は収縮期が70mmHgの血圧であるが、全身に循環するためには最低でも60mmHgの血圧が必要である。しかも、胸骨圧迫1秒中止するごとに10mmHgの圧が低下するため、仮に7秒胸骨圧迫を停止してしまったら、血圧が0になってしまう。

そして、0から60mmHgまで上昇させるために、8秒かかるといわれている。つまり最適必要な循環が保てない時間が7秒止めていただけで発生してしまうことになる。

そのサイクルが何度も繰り返されていっても助かるわけがない。

では2秒間だけ止めて、人工呼吸を行ったとしたら、どうだろう。実際に循環が止まっている時間は3秒程度ですむのである。

わずか数秒間で循環や自己心肺生存率が大きくことなってくる。

つまり、この少ない中断時間をどのように行うのかも最大の質のポイントといっていいだろう。

このように簡単に説明しても、質の高いCPRを提供するためには知識に加え、それを実践できる実技訓練が必要不可欠である。

私の参加した日本救急医療教育機構(BLSの講習会)はたぶん日本で最も質の高い組織だと思う。医療従事者に限らずぜひ、皆さんも質の高いCPRを学びに参加してみてください。

また、意識を失う方の多くは、自宅にいる時であるため、自宅にひとつAEDをレンタルまたは購入しておき、家族みんながいざというときに質の高いCPRを提供できる状態にしておくことが、家族を救う上では最も重要なことだと思った。

さらに講習を終了して、何のためにその手技を行うのか?、その理論的背景は何なのか?ガイドラインは本当に正しいのか?、知識だけでなく実際に手技として行えるのか?など理学療法としてかなり共通する大事なことを学ばせてもらった。

この講習会は、一度でれば一年間無料で再び講習会に参加して実技の練習なども行えるなどのメリットもあり、今後も参加してさらに実践できる能力を身に付けたいと思う。

ホームページをCPRの具体的手順を下記にのせておきます。

http://www.aha-tts.com/

具体的手順
声掛けなどで意識を確認。
呼吸を耳で聞きながら、胸の上がりを確認(5秒以上、10秒未満)
助けを呼ぶ(自動体外式除細動器:AEDを依頼。可能なら緊急カートもお願いする。)
胸骨の下半分を、両手で少なくとも100回/分のテンポで押し続ける。(心臓マッサージ)
30回したら、フェイスマスク、バッグマスク、人工呼吸にて、二回換気する。
再び、30回心臓マッサージ
※ぁ銑Δ魴り返す。AED到着したらまた行う。AEDで離れてくださいといわれるタイミング意外は胸骨圧迫を継続。

励ましのメッセージ

ブログネタ
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先日、ある女性を担当させていただいた。

その方は、前の病院にて数回の手術を受け約1ヶ月程動けない状態であった。

そして、リハビリ目的にて私の在籍する病院に転院してくる2〜3日程前にやっと歩きだしたところだった。

思っている言葉がでてきにくい症状(軽い失語症)が残っていたが、幸い麻痺は軽度で当院へ来た時にはどちらが麻痺側かわからないほどで、すぐに「病院内は杖をもたなくても歩いていいよ」という状況になった。

今までの経験上多くの方が、症状が軽く退院できると思った時点ですぐにでも退院したいという気持ちを訴えてくる。

入院期間がしばらく経過した時期に「気持ちとしては、早く退院したくなりますか?」とたずねると、「もうしばらく入院して診て頂きたい」といった。

そんな中、はじめての外泊日となった土曜日に、早く帰りたい気持ちもある中、朝ひとつだけリハビリを受けていきたいという。

しかも、それが「理学療法…」

身体的には、日常生活では困らないレベル(細かく評価するといろいろあるが…)であるにも関わらず、その日希望されたリハビリが理学療法であったことは素直に嬉しかった。

多くの方は「すぐにでも退院したい」だとか、「疲れるし、きついし、時には痛いし」ということで「理学療法はしなくてもいいから早く帰りたい」と思うのにどうしてそんなに理学療法を必要と考えるのがたずねた。

そしたら、こんな答えが返ってきた。

「あなたほど、私の身体をわかっている人はいない、そのすばらしい知識と技術がある環境を大切にしたいから身を任せたいと思う」

自分の知識や技術が頭の中で整理できず、自信を失いかけていた矢先にこのような言葉を頂き、いい意味で自信を持つことができた。

まさに患者さんから「しっかりしなさい」と励まされるような気持ちになった。

しかし、現在の私では嬉しい言葉をかけられて調子のれる状況にはない。

明らかに私自身がセラピストとしてあまりに未熟なため、本当にその方の期待にそえるように今まで以上に緊張感を持って臨床に臨む必要がある。

その方の身体を毎日のようにみれるのは担当セラピストである私であるし、その私が一番身体のことをわかっているのは当然であって、そのわかっている内容の質や量をより高めていかなければならない。

そのためには日々の臨床で考え、悩み、試し、反応を感じ、動きをみて、本人の感想を聞く繰り返しが重要になってくるのだろう。

病院という閉ざされた環境にいるといろいろな面で麻痺してくるが、日本の社会保障制度が逼迫している中、私の日々の治療が診療報酬として意味のあるものなのか、そしてその対象者にとって必要なものなのか、常に自分に問いかけながら臨床をおこなっていく必要がある。

そして、その対象者の治療ばかりに目を向けず、退院後の生活、そしてもう発症しない身体づくりに少しでも貢献できるようアプローチしていきたいと思う。
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