日本が世界一の長寿国となった理由のひとつとして、「過剰な延命治療」だという意見があります。

確かに他の先進国と比較して過剰な部分があるのかもしれません。

この延命治療とは、「人工呼吸器や心肺蘇生装置を着けたり、点滴や消化器系に直接管を通して、栄養補給をしたりなどして生命を維持するだけの治療」のことです。

簡単にいうと、

自分で呼吸できないのに機器を使って呼吸させたり、

口から食べれないのに、別の理由で栄養を補給して、

生命を維持させる行為のことです。

これが良いか、悪いかの議論はここでするつもりはありません。

先日、ある先輩が休みだった日に、代行でリハビリさせて頂いた方との関わりで気づいたことがあります。

その方は、年齢は80歳代で、口から栄養をとることができずにお腹側から胃に直接穴を通して、そこから栄養をとっています。

また、気管切開(喉に直接穴をあけてそこから呼吸)し、酸素も投与しています。

こちらの話した内容が簡単なものはわかりますが、曖昧な面もあり、自分で言葉を発することができません。

そして、その日私はその方のやりたいことが歩く事だと確認した後、

「◯○さんの好きなだけ歩いていいですよ」「疲れたら休みましょう!」といって本人にどれだけ歩くかと決めてもらうことにした。

そしたら何とひたすら歩き続けるのです。

そのひたむきに頑張るその姿に涙がでそうになりました。

明らかに何かの目標、目的があることが一目で感じるような、未来に焦点を当てた強いエネルギーでした。

身体がもう少し軽く、年齢も若く、家族みんなで暮らしていても、「歩くことなんてめんどくさい」、「もういいや」という人もいれば、

身体が大変な状態で、年齢が高齢であっても、何かのためにひたすら努力する人もいる。

どちらが良いとかではないが、この方のその時の一生懸命な表情や行動は、私の心に強烈に突刺さったことだけは確かです。

延命治療を否定してしまえば、その方はもしかしたらもうこの世に存在していないかもしれません。
しかし、現に私の目の前にその人は存在し、私の心に大きな影響を与えてくれました。

どんな形でも生命がある以上、大きい、小さいは関係なく、人に対して、つまり地球に対して、価値ある影響を与えています。

目の前の現場で起きている現象を考えずして、延命治療が良い!悪い!の議論をすることに意味はないように思えてならないのです。

またまたそのような医療があって、自分がどう選択したいかだけだと思います。
このような現場の声を少しでも多く届けるのは私の役目だとも思っています。

究極はどんな正論よりも、目の前の人に何ができるか、目の前の人から何を受け取るかのほうが重要なものに思えてなりません。