2021.03.31 、25

2020.06.11 富山の人物歴史、24
 富山は割合狭くまとまった地域であるので、歴史的偉人としての自物も割合、広く県民に共有されている。富山を盛り上げた人物を述べていこう。
(1)万葉時代:なんといっても大伴家持である。平安期の歌人で超有名である。都から越中の国司として赴任し、5年間、仕事をする傍ら、歌を詠んでいた。万葉集編纂は大きな業績である。
(2)平安末期:ゆきずりの武将として木曽義仲がいる。基礎から端をは死して越後上越を経て北陸道を西行し、砺波平野や倶利伽羅峠での平氏との合戦で名をはせている。何分、越中の住人ではなかったもかかわらず、倶利伽羅の合戦が有名なだけに、人気があるといったところであろう。
(3)鎌倉期:都や何処かから、やってきて住み着いた地方豪族が居る。神保氏をはじめ県東部では土肥氏など。地方豪族なだけに地域でもさほど知られてはいない。
(4)戦国期:佐々成正があげられる。尾張から信長の武将として、富山城を築き、神通川では堤防を築いたことがしられている。また秀吉方に攻められ、徳川に援軍を要請しに、冬の立山連峰を超えたことが、特に佐々の人気を高めた。
(5)江戸期:佐々以降、前田がやってきて、富山の主要部を加賀藩としてしたがえた。また富山城を含むほんのわずかな領地が富山藩であり、前田政甫(利家の孫)の時代に版の産業振興として富山の薬を全国展開で商ったことが有名である。なお、富山における加賀藩として高岡の地では、加賀文化が花を開いている。富山イコール加賀藩前田だという捉え方が今も主流である。
(6)明治以降近代:政治家では正力松太郎が読売新聞社主として名をはせている。また大谷財閥の大谷氏、浅野セメントの浅野氏が名をはせている。しかし、彼らはすべて県西部の人間であるので、富山イコール富山県東部という捉え方が主なだけに富山全体では知名度がいまいちである。もっとも、彼らはすべて東京に出て行ったせいもあり、地元では縁が薄くなったこともあろう。
(7)現代:文化人や芸能人など、富山出身者が多いが、単に出身だけであって、居住はしていないので、富山に貢献ということにはなってはいない。それに、今のようなグローバル化では、地域云々の話が育ちにくいのである。それだけに、過去の歴史的偉人が却って、存在感を増している、といえる。これをもってまとめとしたい。

2020.06.05 富山県内の朝活やカフェの紹介、23
1.はじめに
 たまたま、地元の朝活zoomで、県内の朝活やカフェ(勉強会)について説明する機会がありました。20年6月4日の朝の1時間、ちょっと気取ったタイトル「朝活とカフェの巡り歩き風情」で、県内の交流や勉強の会について、面白さと楽しさを風情として紹介したく思います。ただし、写真はありません。
 紹介対象は;
  朝活では、朝活富山、朝活呉西、朝活かみいち、朝勝スキルアップclub(富山)
  カフェ軟派では、街中ゆったり(上市)、滑活(滑川)、他
  カフェ硬派では、哲学(高岡)、社会科(高岡)、憲法(立山)、他
  カフェ中間系では、まちのかたり場(富山)、ワールドカフェ(魚津)、他
  ボランテイア支援の行政企画;県民カレッジ自遊塾

2.若者ニーズが形になるまで、経緯
 世の中では、各種団体の地域貢献として市民向けに勉強会・講演会が結構企画運営されており、シルバー層には結構重宝がられている。しかしながら、若い方々にとっては、これまでの講演会などは、受身を供用される一方通行のものであり、自分の力を自ら伸ばすといったものでないだけに、以前から自分らのニーズを汲み取ってくれる何かを求めていた。しかも、今日的には、効率社会・分業社会のもとで自分の存在が肯定し難くなっていることに加えて、職場と良い卓の往復を強いられぎみであるので、余計に、若者として何かを求め、もっと勉強し、仲間を増やすといった主体的行動をとりたいと常々思っている。
 そんな状況下でここ十数年前から、朝活やカフェといった名称の交流・勉強・仲間作りなどが新しく動き出した。第一としてカフェについては、これはニュートン時代のイギリスで飲みながら議論に興じたことが始まりとされており、今日的なお茶文化とリンクして、各分野においてまた各地域にて設けられ運営されている。
 第二として朝活。これは日本独自で作られた。ことのこりは、10年程前、東京丸の内のビジネスマンのアイデアで、仕事前の朝の一時間を、勤務地付近の喫茶店を借り切って勉強会をしようというものであり、ここでは受身的に成らないよう、双方向を前提として学びを取り入れている。これに端を発して、各地で朝活が始まった。

3.朝活では
3.1 概要
 東京発症の朝活はたちどころに全国に拡散し、草分けが永吉さんが主宰する朝活富山であり、その後すぐに朝活呉西、朝勝suキルアップclubがつづき、遅まきとしては朝活かみいち、つづいて朝活黒部がある。
 富山の草分けからのれん分けではないが、こうした朝活で富山が活気付いた。今では、富山における朝活が若者文化にもなっている。
3.2 様相
 もともと朝活はビジネスマンが自らの自己研鑽、情報収集、勉学のためとあらば、どうしてもビジネス系が中心となり、とやまでもそれに準じている。一方、富山以外の各地においては、ビジネスよりも地元に根ざした人間性が大いに話題となり、朝活のモードが奥深さを見せている。
3.3 問題点
 朝活愛好家にとっては、朝活は何よりも大切であり、今では文化となっていることに自負さえ感じられる今日この頃である、しかしながら、朝活はひところのブームを過ぎて、新規に参加する方が少なくなっているのも事実であり、関心をもっと高め磨くといった気風はそんなに広く伝播していないという事実に直面知っている。これからの取り組みがものをいうようである。

4.カフェ
4.1  カフェはあくまでも知的交流の場であり、論議を基本としている。だからといって結集のメンバーの個性を紹介しあわないということではない。ここを間違えるカフェも県外にはあるのはいただけない。
 カフェは勉強ですが、対象をどう絞るかによって、軟派と硬派にわかれる。前者は言うに及ばす、交流中心で勉強もといったもので、その意味では朝活ののりである。一方の硬派については、分野を特定するので、当然のことながら、レベルが高くなる。硬派の場合、関心はやはり文科系のものである。硬軟ともに以下に記す。 
  カフェ軟派では、街中ゆったり(上市)、滑活(滑川)、他
  カフェ硬派では、哲学(高岡)、社会科(高岡)、憲法(立山)、他
  目立たない系では、まちのかたり場(富山)、ワールドカフェ(魚津)、他
4.2 問題点
 専門について玄人と素人の間に位置するいわばセミプロのような人間は朝活人口に比べればぐっと少なくなる。人間、前向きになるのはそれなりの素養があればいとも簡単に積極的になれるが、専門に向き合うとなると、たじろぐことが多い。そんな方々は専門の玄人にはかなわないだけに、やはり存在理由が不明確になりがちともいえる。そうなると、関連する専門は、分野が限られていてもグローバルな視点と特別デイテールな視点での積み上げとなる。例を挙げれば、それこそ、哲学や社会学、心理学、歴史学や文学が対象となっている。
 こうした専門の位置づけをするカフェでは、当然ながら、感じ入る方はそんなに多くないのか自明である。だからといって、専門家が増えればいいというわけではなく、それはそれでいいのかもしれない。

5.他の勉強会
 各地域では行政が地域貢献として講演会や勉強家を企画している。町民学園や市民大学講座などはそうした部類のものであり、特にシルバーはその恩恵をうけている。しかし、これは自主的なものとは違う。すなわち、講演会では聞きにいくことで勉強ということである。朝活やカフェは参加者自身の交流であり、企画側も参加者と同格ボランテイアなのである。この点が行政サイドのものにはまったく無い。ただひとつの例外として、県民カレッジ自遊塾である、これは、ボランテイア企画側に行政側の会場を提供とか、情報宣伝を肩代わりといった支援をするので、朝活とは違うが、受身の講演会とはわけがことなり、これには多くの市民がお世話になっている。
  ボランテイア支援の行政企画;県民カレッジ自遊塾

6.まとめ
 草の根的に市民の間で支持されている朝活とカフェについて、紹介した。今後、これらがもっと活発になって、文化としてゆるぎない貢献が可能となることを期待して、筆を置くことにする。
 

2020.03.31 各地の風物を書きとめて、風物19年度目次、fuubutsu、22
 全国各地をそれぞれ地域として風物の話題を書き留めたのが本ブログです。言ってみれば、地域という支店で全国各地に炊くm句して特徴ある地域論つぉい手風物を満喫できるように記したのです。このように書いていますので、全国から訪問者があってもいいんですが、未だにほとんど皆無の状態が続いています。
 2019年度のブログ記事の題目を記します。
 

2020.01.28 富山県大岩地域の文化について観光で支える、21
▲ 各地の観光地では、派手さは無いものの人への気遣いや心づくしで頑張っている方々がいる。ここでは富山県に曹洞宗の大寺院のある大岩地域にスポットを当てて、頑張り模様を述べてみたい。
▲ 当該地では、大寺院とその周りの旅館について扱う。
(1)まず大寺院では、室町時代から続く由緒ある大寺院「大岩山日石寺」について。密教のお寺らしく、奥地にある寺院であり、室町期には数千人の僧兵をかかえていたという。そんな寺院も数十年前に火災があって貴重な文化財が結構焼けてしまったが、それでも、山門や仏像が残って今に至っている。
 寺院を守る管長は女性のやり手の方であり、切り盛りに精を出されている。たとえば、参道の石垣壁の補修には、味も素っ気も無いコンクリートのみにすることなく、これまでの情緒を受け継ぐように工事がなされていた。何げないことであっても、大事な心づくしといいたい。
(2)次の旅館。
 大岩の日石寺の参道には7件歩どの旅館があった。今では、訪問客そのものが少なくなったことに加え、旅館を利用する人の減少がその理由である。そんな大岩ではなるが、残っている「だんごや」と「大岩館」は大岩の奥深い雰囲気をかもし出し、大いに気を吐いている。
 ここで、「だんごや」について述べたい。「だんごや」は五代目の女将が暖簾を守っておられる。まずは伝統的建物が築100年程の木造4階建て建築として威風堂々と大岩の雰囲気作り鬼かかわっている。また、大岩の雰囲気満載のソーメンや山菜料理は絶品であり、おもてなしの心づくしは最高である。また女将は趣味の民芸品作りはプロ級で、広い玄関をおしゃれに飾っておられ、いやがうえにも伝統が館内に満ちている。このように、女将の心づかいや心づくしが大岩のホスト側の心意気として、訪問者を受け入れているのである。
▲ 以上、大岩の雰囲気は過去からの伝統を受け継いで脈々と流れている。また、それに積極的にかかわって、メンタルに雰囲気作りも静かにさりげなくなされているのである。そこにははでざはなく、落ち着きそのものであるためか、愛好家が毎年多数訪れている。
 

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