2018.06.01 富山県東部の上市大岩のソーメン、18
 県東部にある上市町には真言密教の大岩山日石寺があり、室町期から僧兵1600人の保存食として食されていたソーメンについて、ロカル歴史ついてここに記すことにする。
(1)ソバとうどんの違いから
 うどんは小麦からつくる。農家が米を収穫した後に小麦を植えて、うどんの原料小麦粉をつくる。これに対してソバは米のとれない土地として水の少ない山間地において栽培される。したがって、うどんの名産は平地であり、そば派や街となっているのがよくわかる。
(2)うどんとソーメンの違いから
 うどんもソーメンも冷や麦も、うどん族である。違いは面にした時の太さにあり、それぞれは次のとおりである。
  ソーメン:直径1.3mm未満、
  冷麦  :1.3mm~1.9mm、
  うどん :1.9mm以上
 では、太さの性能は如何に。太い麵は腰強がつよい。これに対して、細い麺は腰が柔らかいのは当然であり、腰よりも汁味との共演が魅力となる。要は汁が面に絡まるといったことである。また、細い麺は早く乾燥させることができるので、保存食に向いている。
(3)大岩のソーメンのいわれから
 大岩山日石寺は真言密教寺院であり、室町期には僧兵が1600人もいたという。彼ら用の保存食や日常の食として細い麺すなわちソーメンがうってつけであった。また、麺が当地生産でなくても、当地の新鮮な冷たい水がソーメンのさっぱり感やさわやか感を引き出して味は抜群ということで、味が大岩ソーメンのブランドを作ったといえる。
(4)さらに味について
 ソーメンといえば「つけソーメン」が一般であり、「かけソーメン」はあまり聞かない。(汁にソーメンをひたす) かけの場合でも汁の味が素晴らしいので、さいしょから麺に味をしみこませているともいえる。とはいえ、その汁味もしつこくなく、昆布と鰹節でつくる汁や、煮干しとシイタケでつくる汁とがある。これに味のアクセントを添える形ですりおろしショウガが効いている。なお、麺に関しては、三年間ねかして油分を取り去っているという。

2018.04.07 富山の民衆の三大歴史事象、17

 風物には歴史も含めて紹介としている。
 
富山の民主主義の歴史で特筆すべき事象として、イタイイタイ病
(イ病)、越中米騒動、泊事件がある。これら事象の概要は以下のとおりである。
   イ病については、三井鉱山を相手に民衆が鉱毒垂れ流しに厳しく抗議。
   米騒動では、コメ価格を不当に吊り上げる社会に厳しく抗議、
   泊事件では、言論弾圧に厳しく抗議。
 いずれの事象も、民衆が生活を守るために声を大にして抗議し、運動を展開して全国に嵐がかけめぐったのであり、戦後の民主主義の原点ともいえる運動である。これが富山を発祥の地としているのである。最近は、民衆の歴史よりも観光が富山でも主となってきているが、民主主義あっての平和であり、かつ観光である。こうした観点で、富山の民衆運動について理解したい。

なお、泊事件については、直接的な住民行動ではないが、米騒動の事実の記録について中心的な役割を担った細川嘉六もまた巻き込まれたので、ここに項目を起こした次第である。

2018.03.30 風物のブログの16,17年度総目次、16

 

 16年3月から風物についてブログを書くことになり、気が付いたら早1年。ここに総目次を作った。とはいっても16本の記事だけだが、地域の封筒が届けれたら、の思いを持っている。

2017.11.19
 富山県東部にある中新川郡の鉄道歴史、15
2017.11.10
 富山県上市の黒川遺跡について、14
2017.09.23
 桜の名所、吉野について、13
2017.07.23
 立山信仰のルートについて、12
2017.07.16
 山が何処からも見えればそれは親近感となっていく、11

2017.06.13 風景の鑑賞の仕方として山について雑感、10

2017.06.11 富山の自然条件と人間模様、09

2017.06.06 富山、地形と植生、08

2017.06.04 地域や風土にも個性の尊重を、07

2017.03.30 日本の奇矯の一つ、富山県黒部川の愛本橋について、風物06

2017.03.15 進化は常に一方向にあらず、05
2017.03.14
 生物界は三種で回しあう、04
2017.03.13
 扇状地にある水田の特徴は、03
2017.03.12
 酸性水の河川の実態、富山県常願川の様子、風物02
2017.03.11
 地元の紹介のブログ 富山の風物詩、
01


2017.11.19 富山県東部にある中新川郡の鉄道歴史、15
 富山県東部のかなりローカルな話。
  富山では、その昔、東から西に向けて、黒部、滑川、水橋、岩瀬、新湊、、、といったように湾岸一帯にいくつもの町が発展していた。こうした町が内陸部に(主に南方向に)ある町をいくつも繋げて交易を次第に賑わせていった。これは、南北に走る河川を活用した水運のおかげである。
 中新川の場合を見てみると、滑川から上市、五百石、と南北方向に町が連なり、陸路も南北で整備されていった。これには、今ひとつ理由がある。陸路では、河川が陸路による東西の交易を阻んでいた。当時、大河川に橋をかけることが出来なかったことが理由としてあげられる。
 時代が下だり鉄道時代に入っても、南北方向に分布する町を繋ぐように、鉄道もまた南北方向に走っていた。これが立山軽便鉄道であり、1913年には滑川から上市を経て五百石まで敷設された。その後1921年には五百石から立山(岩峅寺)まで延長となった。
 さらに時代が下って、1931年には推進母体が富山電気鉄道となってからは、県都として発展する「富山」と各地が直接結びかつ輸送力強化をめざして、国内標準軌道で電化が進められ、常願寺川という大河を横断する悲願の鉄橋を完成させ、上市から寺田を通り富山まで結ばれた。
 また上市から滑川まではこれまでの軽便鉄道を改軌電化してリニューアルした。一方、五百石もまた富山との直接接続を求めて、寺田から五百石までは新規に鉄道が敷設された。これをもって、これまでの交易路であった上市から五百石までは寺田経由となった。
 ともかく、1931年に現在の鉄道網が整備されたのであり、上市も五百石も富山と直結し、これまでの南北から東西へと交易路が完全に変わった。

2017.11.10 富山県上市の黒川遺跡について、14
 地元上市町の黒川地区には平安から鎌倉室町にかけて、真言宗系の一大宗教施設があり、とりわけ円念寺山経塚、上山墓跡、伝真興寺(古寺)跡という国指定史跡がよく知られています。
 そんな地域では年に一回、黒川フェステイバルと称してそうした文化史跡をめぐるツアーや関連の講演会を軸にお祭りが11月第一日曜(今年は11月5日)にありました。開催の意図は、地元の文化意識向上をめざし、かつ観光の下地作りを定着させたいことにあります。かくいう私も、さっそく出向いて地元の方が作るミョウガ寿司や何やらを食し楽しんできました。
 そしてお祭りの目玉である史跡巡りも楽しみました。特に古寺跡を見分してきました。古寺は、山の中腹を切り開いて建立され、何回も立て直しがあったといわれていますが、礎石がどれなのか見極めるのが難しく、それだけ長きにわたって荒れていたということの様です。確かに池跡も見れるし、参道とも取れる跡も見れますので、かなりの立派な寺であったようです。
 そんな跡地に立っていますと、古寺のイメージが自由に描けれて、想像は尽きない、といったことで、かえって楽しみが増えました。

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