2020.06.11 富山の人物歴史、24
 富山は割合狭くまとまった地域であるので、歴史的偉人としての自物も割合、広く県民に共有されている。富山を盛り上げた人物を述べていこう。
(1)万葉時代:なんといっても大伴家持である。平安期の歌人で超有名である。都から越中の国司として赴任し、5年間、仕事をする傍ら、歌を詠んでいた。万葉集編纂は大きな業績である。
(2)平安末期:ゆきずりの武将として木曽義仲がいる。基礎から端をは死して越後上越を経て北陸道を西行し、砺波平野や倶利伽羅峠での平氏との合戦で名をはせている。何分、越中の住人ではなかったもかかわらず、倶利伽羅の合戦が有名なだけに、人気があるといったところであろう。
(3)鎌倉期:都や何処かから、やってきて住み着いた地方豪族が居る。神保氏をはじめ県東部では土肥氏など。地方豪族なだけに地域でもさほど知られてはいない。
(4)戦国期:佐々成正があげられる。尾張から信長の武将として、富山城を築き、神通川では堤防を築いたことがしられている。また秀吉方に攻められ、徳川に援軍を要請しに、冬の立山連峰を超えたことが、特に佐々の人気を高めた。
(5)江戸期:佐々以降、前田がやってきて、富山の主要部を加賀藩としてしたがえた。また富山城を含むほんのわずかな領地が富山藩であり、前田政甫(利家の孫)の時代に版の産業振興として富山の薬を全国展開で商ったことが有名である。なお、富山における加賀藩として高岡の地では、加賀文化が花を開いている。富山イコール加賀藩前田だという捉え方が今も主流である。
(6)明治以降近代:政治家では正力松太郎が読売新聞社主として名をはせている。また大谷財閥の大谷氏、浅野セメントの浅野氏が名をはせている。しかし、彼らはすべて県西部の人間であるので、富山イコール富山県東部という捉え方が主なだけに富山全体では知名度がいまいちである。もっとも、彼らはすべて東京に出て行ったせいもあり、地元では縁が薄くなったこともあろう。
(7)現代:文化人や芸能人など、富山出身者が多いが、単に出身だけであって、居住はしていないので、富山に貢献ということにはなってはいない。それに、今のようなグローバル化では、地域云々の話が育ちにくいのである。それだけに、過去の歴史的偉人が却って、存在感を増している、といえる。これをもってまとめとしたい。