ふうき の妹です。
おはようございます。
兄が旅立ってから季節が1つ、移りゆこうとしています。
何だか不思議な気持ちです。
本日が ふうき の四十九日。
法事自体は既に終えているのですが、ふうき は私たち家族のことを心配しながらも、還るべき場所へ還ってくれたようです。
(そう信じています。)
最近は時折。
「このブログ、今の兄にどうしたら見てもらう事が出来るんだろう?」
そんな事を考えたりします。
PCの画面をずっと開けっぱなしにしておいた方が良いのかな?とか。
それともプリントアウトし、どこか人目につかない場所へ兄のために置いて見てもらう方がいいのかな?とか。
そんな細かい事まで考えてしまいます。
あの世にパソコンがあれば一番ベストなのですが、果たしてどうなんでしょうか(笑)
話は大きく変わり。
生前に分からなかった故人のことが、亡くなってから色々わかることが多い。
この言葉をよく聞きます。
ふうき もこれに該当しました。
兄の身辺整理をしていたとき。
いつからか不明ですが、福祉団体に毎月コツコツと寄付していた事が分かりました。
私はもちろん、私の主人・私の父は、この事実を知り愕然としました。
恥ずかしい話、私は募金をこまめに行う事はしてこなかったし、ボランティアと言っても継続して行った経験は余りありません。
(気持ちはあれど…)
でも兄は自分が闘病の身になっても、変わらず寄付を続けていた。
この事実に、私は胸がえぐられるような衝撃を受けました。
きっと、こういうような経験を持たれているご遺族の方は多いのだろうと予想します。
そして、兄のこの事がキッカケで、私の父は考え方が少しずつ変わってきています。
父は募金する場所に遭遇すると、自ら進んで募金をするようになりました。
今までは「募金したお金が本当に必要な所へ回っているのか分からないから、気持ちが進まない」と言っていたのに。
そんな父だったのに、どういう気持ちの変化があったのか問うと、こういう返事でした。
「ふうき が、今みたいに募金できる場面に遭遇したら、あいつは絶対に募金してるはず!だから父さんもするんだ。」と…。
募金した自分のお金が、多少なりとも必要な場所へ渡るのであれば喜んでやろう。
そう考えが変わったんだとか。
募金に対して、どの考えが正しい・間違っているというのではなく。
自分の息子を通じ、父は色々と教わっているんだなと感動しました。
私も今回の事件(?)により、考え方が大きく変わった1人です。
自分が出来ること。
どんな小さなことでも良いから、自分が良いと思ったことは躊躇なくやってみよう。
自分への損得勘定は計算せず、やりたいと思ったことは全てやっていこう。
ふうき を通じ、私はそう思いました。
こういう事が「故人の遺志を継ぐ」というものなのかなぁ。
兄が若くして亡くなったのは、こういう事を(家族に)考えてもらい、各々のレベルアップを促すためだったのかも知れない。
そう思えてくる、今日この頃です。
まだまだ兄から教わることが多そうです。
≪追記≫
今後、この兄のブログをどうしていこうかを考えています…。
ずっと放置していて消えてしまったら勿体ないので何かの節目に更新し、存続させていくつもりでおりますが。
ただ、ここは兄のブログなので私が書くというのもなぁ…と迷います。
難しいですね。
こういうケース、他の皆さんはどうされているものなのでしょうか。
おはようございます。
兄が旅立ってから季節が1つ、移りゆこうとしています。
何だか不思議な気持ちです。
本日が ふうき の四十九日。
法事自体は既に終えているのですが、ふうき は私たち家族のことを心配しながらも、還るべき場所へ還ってくれたようです。
(そう信じています。)
最近は時折。
「このブログ、今の兄にどうしたら見てもらう事が出来るんだろう?」
そんな事を考えたりします。
PCの画面をずっと開けっぱなしにしておいた方が良いのかな?とか。
それともプリントアウトし、どこか人目につかない場所へ兄のために置いて見てもらう方がいいのかな?とか。
そんな細かい事まで考えてしまいます。
あの世にパソコンがあれば一番ベストなのですが、果たしてどうなんでしょうか(笑)
話は大きく変わり。
生前に分からなかった故人のことが、亡くなってから色々わかることが多い。
この言葉をよく聞きます。
ふうき もこれに該当しました。
兄の身辺整理をしていたとき。
いつからか不明ですが、福祉団体に毎月コツコツと寄付していた事が分かりました。
私はもちろん、私の主人・私の父は、この事実を知り愕然としました。
恥ずかしい話、私は募金をこまめに行う事はしてこなかったし、ボランティアと言っても継続して行った経験は余りありません。
(気持ちはあれど…)
でも兄は自分が闘病の身になっても、変わらず寄付を続けていた。
この事実に、私は胸がえぐられるような衝撃を受けました。
きっと、こういうような経験を持たれているご遺族の方は多いのだろうと予想します。
そして、兄のこの事がキッカケで、私の父は考え方が少しずつ変わってきています。
父は募金する場所に遭遇すると、自ら進んで募金をするようになりました。
今までは「募金したお金が本当に必要な所へ回っているのか分からないから、気持ちが進まない」と言っていたのに。
そんな父だったのに、どういう気持ちの変化があったのか問うと、こういう返事でした。
「ふうき が、今みたいに募金できる場面に遭遇したら、あいつは絶対に募金してるはず!だから父さんもするんだ。」と…。
募金した自分のお金が、多少なりとも必要な場所へ渡るのであれば喜んでやろう。
そう考えが変わったんだとか。
募金に対して、どの考えが正しい・間違っているというのではなく。
自分の息子を通じ、父は色々と教わっているんだなと感動しました。
私も今回の事件(?)により、考え方が大きく変わった1人です。
自分が出来ること。
どんな小さなことでも良いから、自分が良いと思ったことは躊躇なくやってみよう。
自分への損得勘定は計算せず、やりたいと思ったことは全てやっていこう。
ふうき を通じ、私はそう思いました。
こういう事が「故人の遺志を継ぐ」というものなのかなぁ。
兄が若くして亡くなったのは、こういう事を(家族に)考えてもらい、各々のレベルアップを促すためだったのかも知れない。
そう思えてくる、今日この頃です。
まだまだ兄から教わることが多そうです。
≪追記≫
今後、この兄のブログをどうしていこうかを考えています…。
ずっと放置していて消えてしまったら勿体ないので何かの節目に更新し、存続させていくつもりでおりますが。
ただ、ここは兄のブログなので私が書くというのもなぁ…と迷います。
難しいですね。
こういうケース、他の皆さんはどうされているものなのでしょうか。