兵庫

2009年01月19日

出石焼

出石焼(いずしやき)は兵庫県豊岡市出石町一帯で焼かれる磁器。

国内でも珍しい、白磁を中心とした焼き物である。透き通るように白い磁肌に、浮き彫りや透かし彫りによる精緻な紋様が際だつ。また一切の釉薬を用いないのも特徴で、素地独特の味を醸し出している。

出石は江戸時代の文化文政期より有田に倣った染付、赤絵などの色物磁器の生産が盛んであった。現在の出石焼きに対して古出石焼と呼ばれているものである。しかし次第に衰退し盛衰を繰り返した後、明治時代に勃興した盈進社が白磁を生み出すことに成功した。1980年3月に経済産業大臣指定経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されている。


fuzoku_master at 10:51|Permalink

2008年10月01日

神戸弁

神戸弁(こうべべん)は、兵庫県南東部、神戸市周辺で用いられる日本語の方言。近畿方言のうちの一つ。アクセントは京阪式を基本とする。摂津弁の一種とされることが多いが、播州弁の影響が強く、大阪市や大阪府北摂地域・阪神地域の摂津弁と切り離して播州弁と同じグループに属するとされることも多い。

近畿方言の代表格である大阪弁と、アクの強い播州弁の影響をそれぞれから強く受けている。そのため、神戸弁の独自色は薄いが、大阪弁と比べたり播州弁と比べたりすることでその差異が明確になる。大阪弁から見た場合の神戸弁の違いは語尾の変化にあり、 播州弁から見ると子音の無音化がない所に違いがある。この特徴がある背景としては、神戸が交通網の整備された明治以降に発展した街であるという歴史の浅さに負うところが多く、阪神間から広く人を集めた神戸の言葉は方言のミックスになっていったものと考えられる。また、神戸人は関西人の中では近畿方言に対するこだわりが薄い所もあり、標準語が必要な際にはあっさりと標準語を利用でき、大阪に行くと大阪弁を利用できる。これも言語を利用した風俗文化交流のスムーズ化が必須であった港町という地理に拠るところが多い。

fuzoku_master at 11:54|Permalink

デカンショ節

デカンショ節(でかんしょぶし)は、兵庫県篠山市を中心に盆踊り歌として歌われる風俗民謡であり、学生歌としても広く歌われた。篠山節、篠山デカンショ節ということもある。

江戸時代から篠山市域で歌われていた「みつ節」が変形したものであると伝えられている。大正時代には、デッコンショ節などとも呼ばれていたようだが、次第にデカンショ節という名称に収斂していった。

デカンショ節が学生歌として全国に普及したきっかけとして、以下のような伝承がある。

旧篠山藩主の青山家は、明治維新後は学問を奨励し、篠山に鳳鳴義塾等の私立の中学校を作り、その中の優秀な者は東京に寄宿舎を作り遊学させた。

篠山からの遊学生は、例年、夏には千葉県の八幡の浜で過ごしていた。明治31年(1898年)の夏、宿泊先の江戸屋の二階で元藩主青山忠誠の子青山忠允をはじめとする篠山出身の若者達が郷土の盆踊り歌を蛮声を張り上げうたっていた。それをたまたま階下に宿泊していた旧制一高の水泳部員の塩谷温達がこの歌を聞きとめ、たちまち気に入ったという。

そこで、一高水泳部員達は、篠山出身の若者たちに付添っていた亘理章三郎(後の東京高等師範学校教授)などから歌の指導をうけ、意気投合した。そして、東京に戻ってからも歌ったのであった。これによって多くの学生や若者の共鳴を受けて愛唱されるようになり、全国に広まった。また、デカンショ節の歌詞の多くを亘理章三郎が作成したという伝承もある。

篠山市域での盆踊り歌は、みつ節が衰退し、播州音頭などが中心になっていた。そこへ学生歌として高唱されていたデカンショ節が逆輸入される。

戦後は、観光資源としてデカンショ祭をはじめとして積極的に利用されるようになる。これによって、現代ではデカンショ節は篠山市を代表する民謡となっている。


fuzoku_master at 11:52|Permalink

兵庫の歴史

兵庫県の名は、現在の神戸市兵庫区に役所が置かれたことに因る。ここにある兵庫港(旧称は大輪田泊、現在の神戸港の一部)が古くから国際貿易港として開港していたためである。また、一説には安政の五か国条約によって兵庫港開港を約束しながら実際の開港地が神戸に変更されたために、諸外国から条約違反とする非難を避けるために「神戸」ではなく「兵庫」を県名に用いて神戸をその管轄区域に含めてお茶を濁したとする説がある。

「兵庫」の由来は、天智天皇の治世に兵の武器の倉庫の意味である「つわものぐら(兵庫)」があったことからも由来する。

県域は古代の播磨国全域、但馬国全域、淡路国全域、摂津国有馬郡、川辺郡、武庫郡、菟原郡、八部郡、丹波国多紀郡、氷上郡に跨る。加えて、1896年(明治29年)美作国に属していた岡山県吉野郡石井村と讃甘村の一部が兵庫県佐用郡に越県編入される。また、1963年(昭和38年)には備前国に属していた兵庫県赤穂市福浦が岡山県和気郡日生町(現・備前市)より越県編入された。それは、同地の備前福河駅に名残を残す。

生田神社古墳18,351ヵ所は日本第1位、遺跡28,882ヵ所は日本第2位であり、上古より拓けていた地が多いとされる。
著名な延喜式大社としては播磨国明石郡の海神社、揖保郡の揖保坐天照神社、宍粟郡の伊和坐大名持御魂神社、淡路国津名郡の伊弉諾神宮、三原郡の大和大国魂神社、摂津国武庫郡の廣田神社、伊和志津神社、八部郡の生田神社、長田神社、有馬郡の温泉神社、丹波国多紀郡の櫛石窓神社等がある。

fuzoku_master at 11:50|Permalink