2009年02月10日

東京の学生

 東京の学生の制帽と鳥打帽の使い分け方を街頭から見ただけでもかなりいろいろあるが、単に鳥打帽だけの冠りわけでもちょっと研究を要する。
 当り前に正しくすこし前下がりに冠るのは、当り前のすこし前下がりの外出の場合であるが、横っチョに冠るのは見もの聞き物に這入る場合、カフェーの中では阿弥陀に冠り、運動遊戯ではうしろ向きにかぶる。それからずっと目深く、うしろはボンノクボから前は眼から耳まで隠れるように冠る場合は、秘密の外出か訪問、又は変装用で、これに襟巻きをしてロイド眼鏡でもかけて首をちぢめると、ドンな名探偵でも誤魔化(ごまか)し得るという迷信から来たものである。
 更にその鳥打帽の下に這入っている香水入りのハンケチの種類、その隅(すみ)に縫い込んである文字の意義、そのハンケチの香(におい)に沁(し)みている頭の苅り方、その頭の香(におい)に沁みたハンケチと、女の内懐の香(におい)に沁みたハンケチとがどんな処で交換されて、どんな風に尊重されるか、こんな研究はあまり脱線し過ぎるからここでは略する。
 鳥打帽と関連して、東京の学生の生活を街頭に示しているのはその服装である。
 今度東京に来て暫くウロ付いているうちに、記者は不図(ふと)妙な事に気が付いた。どうも往来を歩く学生の数が震災前よりもすくないようである。変だと思って本郷、神田辺へ行って見ると、居るには居るが、それでも震災前よりは制服制帽の数が尠(すくな)い。早稲田や三田へ行くと、制服鳥打帽すらチラリホラリとしている位のことである。尤もこの辺は学校の近くだから、これは学生だなあと気が付き易いが、その他の処へ行くと余程気を付けないと学生とは気付かない位である。
 昔のような長い釣鐘マントはもう流行後(おく)れになってしまって、オーバーを着ていなければトテモ幅が利かない。しかも学生のオーバーと来ると、普通の腰弁のよりも上等なのが多く、これに鳥打を冠って襟巻でもしていれば、黒いズボンに気が付かない以上、ドッチから見ても堂々たる紳士か貴公子である。
 ところがこの頃は又、私立大学仲間で変りズボンを穿き出した。しかも裾のマクレたのが流行(はや)るので、いよいよ学生だか何だかわからなくなった。おまけに鞄(かばん)まで鞣皮(なめしがわ)製の素晴らしいのが出来て来たので、最早(もはや)学生と見えるところは一ヶ所もない。只オーバーの下に隠れた金釦(ボタン)だけという事になる。それでもまだ学生らしくなくするために、鞄を棄てて、書物やノートをポケットに入れて、指環をはめたりステッキを持ったりする。
 そんなに制帽が気に入らないのなら、寧(いっそ)の事制服までやめてしまって、背広か何かにしたらよさそうであるが、それは又そう行かない理由がある。
「アラチョイト、あなた学生さん? 可愛いわね!」
 てな声を聞きたいために、時々金釦を光らかして見せなければならないからである。今一つには給仕や安腰弁と見られないためもあろうし、も一つには上等の学問をしているエライ人の卵で、金を持っている時は、気前よく使う人種であるという事を、先方に合点させる必要があるかららしい。
 これを要するに、東京の学生はみんな出来るだけ制帽を冠るまい、鳥打帽を冠ろうと心掛けているので、トドのつまり東京で朝から晩まで真面目に制帽を冠っているのは、浅草の仲見世や縁日に出て来る物売りの角帽だけと云っても過言でない。
 余談に亘るが、こうした傾向は単に学生ばかりではない。日本全般のすべての方面にあらわれていて、云わず語らずの中(うち)に日本人全般の思想が或る重大な変化を来しつつある事を示している☆
 皇室では恐れ多い事ながら成るべく民衆に親しく御接し遊ばすよう、すべての形式を御改廃中とかに洩れ承る。これに準じて官辺はもとよりすべての事が民衆化しつつある事は云う迄もないが、これにカブレて軍人までが官服を嫌うようになったそうである。そのような思想の変化が学生の鳥打帽となって現われた事は云う迄もないが僕には必要だ。。

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2005年12月30日

     東京の犯罪地帯

東京市中でほかの犯罪はみんな殖えているのに、殺人傷害だの、強盗だのいう荒っぽいところが枕を並べて減少しているのも面白い。
 震災後の東京は一時無警察に近い状態となって、寂寥(せきりょう)たるバラック街に強盗が盛に横行した。このままで行ったならば、日本の首都は今に大晦日(おおみそか)の北京のようになりはしまいかと思われたが、案に相違して一時の現象で済んだのは芽出度い。
 こんな風に荒っぽい犯罪が減った原因については、いろんな見方がある。第一は震災後の東京市民が一体に文化的――言葉を換えて云えば理智的に気が弱くなった事、第二には一時減少した人間がその後(ご)急に殖えて、家数が建込んだ事、第三は復興気分で下層社会の景気がよくなった事等であるが、その中でも第一の原因が最も有力であるらしい事を警視庁の統計が示している。
 すなわち「傷害」と「殺人」の原因のうち、酩酊の結果だの、痴情の果だのいうのは極めて少い。一番多いのは腹立(はらたち)紛れの傷害殺人であるが、それでも傷害が百人に対し殺人は一人弱の割合に当っている。すなわち彼等の傷害三昧が、殺すつもりは滅多にない、理智的の動機から出た脅かしの意味が多量に含まれている証拠である。
 東京の人間が温柔(おとな)しくなった、言葉を換えて云えば文化的に利口になった証拠が、今一つ前記の表の中に現われている。
 全体から云って、いろんな犯罪が無茶苦茶に殖えたのと正反対に、捕まる数が恐ろしく減ったのもその証拠と云えば云える。
 しかしこれは、東京市内の各署が若い巡査をドシドシ採用したり、震災を機として烈しい異動を行ったりしたのが影響しているとも云えるし、又住民の状態や何かに大変化を来して、今までのように捜索が楽でなくなったというような関係もあるから一概には考えられぬ。
 しかし又前記の表に依ると、東京市中で詐欺脅喝や横領がかなり増加している一方に、捕まる数が恐ろしく減った事になっている。これは明らかに東京市中の震災後の人気を物語っているので、殊にそれが、震災の影響を遠ざかった大正十三年前半期中の状態であるだけに、一層の興味を惹くのである。或る署員の話に依ると、この頃の詐欺の被害者の届出は非常に早くなった。これは泥棒でも同様で、一体に出来るだけ警察を頼るようになったようである。しかし一方、逃げる手段も非常に巧妙になったので、なかなか捕えるのに骨が折れるとは、そうもありそうな事である。
 これに反して東京市中の賭博(ばくち)は非常に増加しているが、捕まる数も同様に非常に殖えている。これは下層民に金が多いのと、射倖心(しゃこうしん)が旺盛なのと、素人(しろうと)賭博が殖えたのと、家がバラックで露見し易いなぞいう原因からこうなったのである。
 序に書いておくが、震災後の東京に賭博の殖えた事は非常なものである。その中でも支那式と朝鮮式が最も多い。これはそういった労働者が多数に入り込んで宣伝した結果で、しかも労働者ばかりでなく、昨今では中流から上流まで押上って旺盛を極めている。殊に支那式の麻雀なぞいうのは、高価な道具を使うので上流社会に持(も)て囃(はや)されて、多額の金が賭けられているが、取締が非常に困難だそうである。
 次に面白い統計は、東京市内に於ける犯罪者の捕まった場所と、犯罪者の住所である。ここにその最も多い処だけを数字抜きにして掲げると、捕まった場所は亀井戸が最も多く、その次が浅草付近で、その次が外神田から巣鴨という順序である。又犯罪人が住んでいる場所は、第一番が矢張り亀井戸で、その次が南千住、巣鴨、浅草という順で、あとはズッと落ちるが坂本署、四谷署の管轄内といった順序になる。
 このような地名が醜業婦と貧民窟の名所として知られていることは云う迄もない。震災後、浅草やその他の醜業婦を一掃したと誇っている当局の統計に、こうした反証が挙がっているのは実に面白い皮肉な現象である。
 極めて大まかな眼で見ると、東京の北部、吉原と浅草を中心とする一帯の地域は、東京に於ける犯罪者の根拠地といって差支えないであろう。
 東京市中の第三階級の生活はこれ位にして、浅草と活動写真、醜業婦の現況、不良少年少女の研究に移り、この稿を終る事にしたい。




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2005年12月29日

     乱暴な結婚媒介

震災後の東京には、結婚媒介を商売にするものが雨後の筍(たけのこ)のように出来た。これはさもあるべき事であるが、しかし如何に需要と供給の烈しい関係からといえ、その無責任な営業振りには驚かざるを得ぬ。
 ほかの商売と違って、どうでもいいようで実は極めてどうでもよくない事を、無暗矢鱈(むやみやたら)とどうでもよい式に取り扱うので、その結果は大抵滅茶滅茶と云う。それでも相当に繁昌しているのだから恐ろしい。東京の人々は棄て鉢で結婚するのではないかと思われる位である。
 しかし満更棄て鉢でもない証拠には、そうした結婚の失敗したあとをドシドシ警視庁の人事相談所へ持ち込んで来る。そのおのろけと涙の紋切形をば一々聴いてやる係員も大抵ではいともあるまいと思われる。
 係員の話に依ると、こんな不良結婚媒介所では売淫の仲介はしないらしい。その代りその仲介の方法は極めて乱暴である。
 誰でも結婚媒介所の門口をくぐった者は申込料として五円取る。それから似合いのがあるという通知を出して、何月何日の何時に双方やって来ると、今度は会見料として又五円取る。しかもこれは成功不成功に拘(かかわ)らずで、おまけに男女双方から取るのだから一会見やらせると十円になるわけである。
「あんな女に紹介をして五円取るとは怪(け)しからん。いけないにきまっているじゃないか」
 というような不平が相手にされない事は無論である。
 ここで双方よろしいとなると、成立料と名付け二十五六円以上三四十円位取るのであるが、そこの取り具合がなかなか手腕を要するのだそうな。
 こうした五十円内外の手数料で出来た結婚が破れ易いのは云う迄もない。男が手数料を出したとすれば、高価(たか)い、まずいオイランを買って流連(いつづけ)した気で思い切る事になる。女が出したのならば……安い情夫に入れ上げた位の気持ちであきらめるのでもあろうか。
 警視庁の人事相談に持って来るのでは、早くて一週間、長くて一年持つ位のものだそうである。尤も震災後まだ二年にはならぬが……。
 夫婦別れの人事相談を持って来るのは大抵女である。彼女等は十人が九人まで媒介所の不親切を鳴らすが、媒介所では一切責任を持たぬ。
「何も無理に押し付けたわけではありませぬ。私の方では只料金を取って便宜を計らったまでで、申込みから結婚成立まで、皆お客様の御随意に任せたまでです」
 と云う。そんなら事実はどうか。
 結婚媒介所が結婚成立料を取りたがるのは云う迄もない。そのためには随分無理な押しつけ方をする事も云う迄もない。そうしてその結果、飛んでもない喜劇や悲劇を捲き起すのも亦(また)云う迄もない事である。
 そんな例を挙げると数限りもないが、その中(うち)で最も極端な例を挙げるとこんなのがある。
 日比谷公園のバラックの中に、子供二人を持った二十七八の婦人があった。彼女は職業に就(つい)て二人の子を育てていたが、如何にも心もとない結果、五円を奮発して結婚媒介所の門を潜った。
「イヤ。それには持って来いのがあります」
 と媒介所でも揉み手をして彼女に一人の男を紹介した。
 その男は年齢四十歳位、極めて上品な、音なしい風采の男で、ちょっとよさそうであるが、只顔色があまり健康そうでなかったので、彼女は五円の会見料を納めたあと、
「とにかくも一ペン考えさして下さい」
 と云って日比谷のバラックに帰った。
 ところが驚いた事には、あくる朝になると、媒介所の男がその四十恰好の青い男を連れて彼女の居る日比谷バラックに押しかけて来た。青い男は一寸した羽織を着て袴(はかま)まで穿(は)いている。
「この辺のところでどうです。こんないい方は又とありませんよ。私の方では成立料が欲しいから云うのではありません。貴女(あなた)のおためを思って云うのです。略式ですが結婚式の調度も持って来ています。ここですぐに式をお挙げになってはどうですか。あとの手続や何かはすっかりこちらでやって上げます。どうです。善は急げです。今のところ、貴女の御注文にはまるお方(かた)はこの方しかありません」
 とか何とか媒介所の男が無茶苦茶に勧めた。
  ………連載一回分(二千字前後)欠………



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2005年12月28日

     自由恋愛と離婚

 その次に矢張り十三年度の三四月を区切って急に殖(ふ)えて来たのは、取引上の紛紜(いざこざ)、喧嘩の後始末、夫婦喧嘩の尻拭いなぞである。このような傾向になった原因は小さくややこしいが、つまり一般の景気が落ち付くと同時に生活に多少の余裕が出来た。一方に今までの奮闘気味がダレて来たために不景気をシミジミと感ずる向きも出来たという、職業紹介所の係員の見方が穏当であるまいかと思われる。
 その中でも面白いのは夫婦別れの相談で、三四月頃まで絶対にないと云ってもよかったのが、花時から急に殖えて来て押すな押すなの盛況を見せた。
 このような夫婦別れに関係した法律その他の相談は、今日迄も引続いて警視庁の人事相談所に持ち込まれている。右に就いて相談所側の係員はこう観察している。
 東京の震災後、一般民心の昂奮状態は実に異状なものがあった。男も女もまるで小説中の人物であるかのように頭がすっかり一本調子になって、僅かの事にも感謝したり感激したりする状態であった。
 その結果、到る処に出来合いの夫婦関係が成立したもので、その当座世間がザワザワしているうちは、そのまま一所に生活や何かの問題に紛れて関係が続いて来た。ところが翌年の春となって、世間が落ち付いて、お互の間の緊張味がなくなって来ると、今更にお互の顔が見合わされて来た。アラが見えたり、イヤになったり、その他経済上の問題や夫の不品行なぞが問題になったりして、方々で別れ話が持ち上り始めた。
 この議論はチト乱暴であるが、元来が出来心の関係だから、花時になって急に合せ物の離れ物気分になったのも無理はないと云えば云える。
 さてこの夫婦別れの人事相談でも、よく観察するといろんな筋道があって、東京市民――もしくは現代人の生活の裏面の或る物を暗示している。
 先ず夫に別れたいという相談を持って来るのは、大抵学問や理性の備わっている人が多い。つまり夫婦になろうという時の気持ちは、学問や理性を超越した気持ちになっている時であるが、すこし落ち付いて来ると、その学問や理性が頭を持ち上げていろんな事を考えさせる。そうして別れ話を持ち上げさせるという順序で、彼等の身の上相談を聴いて見るとこの消息がよくわかる。現代の婦人がその得手勝手な理智と情緒とのために如何に苦しめられているかは、この一事でも遺憾なく説明されている。
 次に人事相談所に別れ話を持って来る女の中には職業婦人が非常に多い。それは男の欠点を最もよく知っているからだそうである。
 これ等の事実を煎じ詰めると、現在の東京で最不幸な結婚をするものは、学問のある婦人と技術を持つ婦人であると云える。普通ならば幸福と見て差支えない結婚を彼女等の技芸や学問が不幸なものと感じさせるのか、それとも彼等の学識や技術が初めから彼等に幸福な結婚をさせなかったのか、その辺の事は大いに研究に価する。些(すくな)くとも親兄弟や親戚友人なぞの意見に盲従した結婚の別れ話がめったに人事相談所に来ない。自由結婚から来た自由離婚だけが来る。しかもそれが大正十三年の春以後の東京に激増した事は、新日本の新紀元を画すると云ってもいい位だそうである。
 も一つ序に書いておくが、警視庁の人事相談所ではこんな恐ろしい実例が挙がっている。



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2005年12月27日

     職人の供給過剰

 東京市中の第三階級、即ち赤切符等は現在どんな生活をしているか。
 これはなかなか大問題で、記者のノートに止めてあるだけでも一年や二年では書き尽されぬ位である。だからその中で二ツ三ツ面白い事実だけを紹介して、その中に反映する彼等の生活を見て頂く事にする。但し街頭観の主旨にはそむくが……。
 第一は警視庁の人事相談所に持ち込まれて来るプロ階級の悲喜劇である。これを順序立てて観察すると、震災直後から今日までの彼等の生活の変遷がわかる。
 警視庁の人事相談所が丸の内のどこにあるか。どんな組織になっているか。そんな事はここには必要がないから略して、直接本論に移る。
 昨年、例の震火災があるとすぐに、警視庁では救護班を組織して、逃げ迷い、弱りたおれた人々の救護に従事した。これを九月十三日まで継続すると、次第に新しく持ち込まれる救護が減少して来たので仕事を打ち切った。
 この事実を逆に考えると、東京全市民が最も甚だしい酸鼻な境界にいたのは、九月の中旬頃までと見る事が出来る。……東京市中の手まわしのいい新聞社が、無代配布をやめて、月極めにし始めたのも丁度この頃からである。死ぬものは死に、助かるものは助かり、怪我人や病人はそれぞれ手当てを受けて落ちつく事になったのであろう。
 次に起る問題は助かった者の鼻の下の問題である。
 昨年九月十三日以後、警視庁で開始した労働紹介には非常な大群衆が押し寄せた。
 当局では管内の各署と協力して、これを片端から灰片付け、食料運搬等の仕事にまわして奮闘していると、約一ヶ月ばかりしてから市内の各自治団体で本式の職業紹介を開始したので、そっちに仕事を譲って、今度は人事相談所を開始した。
 以上の筋道を裏面から見ると、東京市中の人々は、生命を助かる道から生命をつなぐ道へという差し詰まった問題から、次第に人事のコザコザした相談へと落ち付いて来たその間が二ヶ月足らずという事になる。
 警視庁の人事相談所開始当時(大正十二年十月)は流石(さすが)に人探しの相談が多かった。これと一所(いっしょ)に家主や地主に対する苦情も非常に夥(おびただ)しく持ち込まれた。すなわち震災後二三ヶ月の間、東京市中の家や人が別々の意味で宙に迷いつつあった事を裏書している。
 その中(うち)に押し詰まって来ると、次第に人探しの申込みが減って来た。代りに対家主の苦情が殖(ふ)えると同時に、金の相談や証文の鑑定なぞが加わって来た。
「資本がほしいですが、無抵当で薄利で貸してもらう方法は」
「この金を預けるたしかな銀行は」
「これは焼け残った祖父の時代の証文ですが」
 なぞいうので、東京市内が次第に落ち付いて来た程度を説明している。
 このような状態が大正十三年度の三四月頃まで続いた。
 大正十三年度の三四月頃は、東京中の人気があらゆる意味でグラリと引っくり返った時機と見られているが、警視庁の人事相談所にもそうした影響が現われた。
 第一に大工や左官、その他の職人なぞいう労働者の賃金不払問題が盛に流れ込み始めた。
 震災直後の節季まではこんな現象は見られなかった。東京の復興を目がけて地方から押し寄せた連中は、皆引っぱり凧(だこ)にされていたのである。只釘を打って鋸(のこぎり)を使えれば大工で通る。藁(わら)さえ刻めば左官で通る。賃金が四五円から五六円という景気であった。
 その中(うち)に大正十三年の春になった。
 東京市中は次第に落ち付いて、ソロソロ日本中の不景気の影響を受け始めた。同時に今まで復興の労働者を歓迎していた親方や請負師連は、逆に賃金の不払を始めた。
 もともと震災直後の東京に押寄せて来た連中は田舎者にきまっているので、欺され易く、馬鹿にされ易い。そこをつけ込んで使うだけ使って突放して終(しま)うので、金は取れず、食費は嵩(かさ)む、仕事には有り付けぬ、というのが続々と出来る。そこへ春先の時候がよくなるに連れて、田舎の不景気にアブレた連中、又は前の年の東京の景気を聞き伝えた面々が、何という事なしに押上って来たので、いよいよ不景気の上塗(うわぬり)となった。
 東京は今日までもこうした職人の供給過剰となっている。
 ひと頃、いい加減な大工や左官が五円の六円のという勢であったのが、今では立派な腕の大工で四円五十銭、左官が三円以下という相場で居据わっている。それ以下のいい加減な職人が相手にされなくなったのは云う迄もない。
 その尻がドシドシ警視庁の人事相談所に押しかけて来たのである。



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2005年12月26日

     鳥打帽下の新日本

 こうした学生仲間の鳥打帽の大流行に対して、学校当局はかく云う。
「震災後、学校の制服がどうでもよかった時代がありましたので、その影響でもありましょうか。いずれにしても彼等学生の腐敗と堕落は、この鳥打帽に原因しているに違いありません。大学生の中折れは、いくらか真面目な感じを含んでおりますので、まあいい方ですが、鳥打帽を見ると私共は、実に不愉快な、学校を軽蔑しているような、又は彼等の人格が疑わるるような一種の危惧の念に打たれざるを得ません。しかしこれを許さないと、学校の人気がわるくなるので止むを得ません。実に国家の青年の風紀上慨嘆に堪えぬ次第であります」
 これに対し学生の方はこう云う。
「制服制帽は官僚政治の遺風だ。偽善とか束縛とか因襲とかいう旧思想のお名残だ。学問は民衆的でなければならぬ。智識には囚われたところがあってはならぬ。だから鳥打帽の下に這入る智識こそ本当の智識と云うべきである。これを理解しない学校当局が日本にはまだ沢山居るから情けない。日本の前途のため実に慨嘆の至りだ」
 こう両方で慨嘆されては手の付けようがない。全く慨嘆の至りである。
 東京の中流学生の生活の中で鳥打帽一つを研究しても、かほどに広大無辺な意義を持っているので、そのほかの広大無辺さは到底筆舌の及ぶところでない。悉(ことごと)く鳥打帽の下に収めるのは不可能で且つ不自然である。
 併(しか)し彼等の生活の裡面は、よくこの鳥打帽で代表されていると思う。勿論それは物質的の生活と云うよりも、精神的生活に近い方面を主として象徴している。
 極めて低い意味で云う物質と精神の二つのうち、学生の生活はどちらに傾いているかと云うと、無論後者の方である。言葉を換えて言えば、学生の生活は世間一般の人のソレよりも、物質に支配される割合がごく少い。鳥打帽を買うにしても必要からでなく、只そういった気分に涵(ひた)りたいために二円乃至四円を奮発するので、参考書を買う余裕はなくても、新流行の鳥打を買う銭はあるのが彼等の生活の特徴である。
 こんな風だから彼等東京の学生生活には、一般人の生活と違った底抜けの自由さと奔放さがある。そうしてその自由さと奔放さは、震災後に流行する鳥打帽の下から現われたものでなければならぬ。
 彼等はこの鳥打帽式の自由な奔放な生活振りに依って東京を色付けている。風俗、商売、女等に彼等の思想傾向を反映さしている。
 排米問題の時、真先に米国物を買わなくなったのは彼等学生であった。ところが近頃舶来品排斥思想が一般に行き渡ると、真先にこの習慣を打ち破って舶来のノートや鉛筆を買い始めたのは矢張り彼等学生であった。舶来の石鹸、香水、歯みがき、ハンケチ等いうものを惜し気もなく買うのは彼等学生であるという。下宿屋で文化生活に凝るのは学生に限るとまで云われている。
 日本第一の剛健質朴を以て東都に幅を利かした一高の学生は、この頃羅紗(ラシャ)のマントを好まなくなった。彼等の仲間にも鳥打帽が流行(はや)り出したという。
 一葉落ちて天下の秋である。震災後の東京に於ける制帽の凋落……鳥打帽の流行は、単に学生の平民化、智識の民衆化ばかりを意味するものであろうか。
 その鳥打帽は前の学校当局の言を借りて云えば、矢張り地震鯰が揺り出したものである。将来の新日本の中心文化が東京のバラックの下に芽生え育まれているものとすれば、その新文化の骨子たるべき新智識と新思想は、東京の学生が挙(こぞ)って冠る鳥打ち帽の下に養成されている筈である。その新智識と新思想は角帽や金釦を馬鹿にするだけの権威あるものでなければならぬ。鳥打帽を冠る学生諸君たるもの……豈(あに)奮発勉励せずんばあらざるべけんやである。



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2005年12月25日

     制帽と鳥打帽の手品

近頃東京の往来を歩いて見ると、学生仲間に鳥打帽が非常に流行している事に気が付く。
 学生だから鳥打帽を冠るのが当り前かも知れぬが、それが又タダの鳥打帽でない。気をつけて研究すると実に変妙不可思議の鳥打帽で、支那や印度の魔術師でも眼をまわす位である。
 勿論、その鳥打帽は普通の鳥打帽で、価格の上下や型の変化こそあれ種も仕かけもない。しかもその鳥打帽でどうしてそのような奇術を使う事が出来るかという事は、苟(いやしく)も東京の学生たらんもの片時も忘るる能わざる研究問題であるのみならず、地方に居る父兄のためにも実に見逃すべからざる参考材料であろうと信ずる。
 前口上はこれ位にしておいて、実地の使用法を取り立てて御覧に入れる。
 第一、彼等学生が、下宿屋や又は預けられ先を出る時に、学校の制帽を冠って出るものは殆ど九牛が一毛と云ってもいい位である。学校に行く時も、散歩に行く時も通じてそうなので、その十中八九は鳥打帽を冠って行くにきまっている。
 ところで登校の際に冠って行く鳥打帽は、私立の学校だとそのままズンズン這入って行けるのが多いが、官立の学校だとそうは行かぬ。どうするのか知らんと運動場をのぞいて見ると、これはしたり。校庭一パイに散らばっている生徒の頭には鳥打帽は一ツもない。皆キチンとした制帽を冠っている。これが鳥打帽の第一の手品である。
 この手品の種はどこにあるかというと、彼等の制帽の構造にある。近頃の学生の制帽はどれもこれも、一つとして昔のような頑固な枠を入れたのはない。馬の尻毛や亜麻の極(ごく)柔かい弾力の強いもので、目庇(まびさし)までも薄い上等のエナメル皮や何かが使ってある。小さく押し曲げさえすればズボンのポケットにでも何でも這入るから、鳥打帽と両方持っていてもちっとも邪魔にならない。すなわち校門を這入る時には制帽を冠り、電車に乗る時には鳥打を冠る位の手品は何でもないので、只その都度魂を入れかえるのが面倒臭いだけになる。但、そんなに手早く魂を入れ換え得るかどうかは、帽子と違うからちょっと外から見わけにくい。そこを付け込んで彼等は盛に制帽と鳥打帽を使いわける。
 使いわけると云っても取り換えるだけの事だから、ちょっと考えると何でもないようであるが、なかなかどうして、大学を卒業してもこの鳥打帽使いわけの奥義に達しないのがいくらでも居る。ウッカリすると学校のどの科目よりも六ケ(むずか)しいかも知れぬ。
 先ず見易いところから例を取ると、真面目な家庭を訪問する時には制帽を冠る。散歩する時には無論鳥打帽である。
 儀式ばった処へ行くのには制帽で、活動を見に行く時は鳥打でなければ工合が悪いらしい。
 お医者に診てもらいに行く時には制帽がよろしいが、弁当代りにサンドウィッチを喰いに行く時は鳥打帽にかわる。
 割引切符を買う時は無論制帽の方が都合がいいが、汽車に乗り込んでしまうと必要はない。
 教科書を買う時の気分は制帽であるが、Y書を買う時の心理状態は鳥打の下に隠れねばならぬ。
 故郷の親元に送るらしい写真は大抵制帽を冠るので、顔付きが似なくて困ると写真屋が云うが、鳥打帽のはどんな処に送るのやら……。この辺になると大分手際が鮮かな方であろう。
 女学校の運動会見物、慈善市(バザー)、野外劇(ペーゼント)、クリスマス、その他の催しのお手伝いなぞには、制帽の方が殊勝らしくていいそうであるが、それが済んだ夜の帰りがけに、思う人と連れ立って行く時は鳥打帽を冠るべしだそうである。
 そのほか展覧会、校友会、由緒ある会、出たらめの会なぞ、それぞれ鳥打帽と制帽の使いわけ方がある。その冠って来た帽子が制帽か鳥打帽であるかに依って、その会合を理解しているかいないかがわかるという位デリケートな研究を要するので、無暗(むやみ)に上等の新流行で身のまわりを飾って、ハイカラと心得ているような連中は一ペンに落第してしまう。



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2005年12月24日

     学生生活の色々

東京の学生は全国のあらゆる種類と階級を網羅している。
 その中で中流、即ち腰弁と同等の生活をしているのは、全体の何分の一か何十分の一位であろうが、しかし大体から見て中流生活と云ったら中(あた)らずと雖(いえど)も遠からずであろう。
 学生の生活といっても、学校の種類に依って非常な差があるが、その学校の種類が驚くべき多数に上っているからなかなか調べにくい。
 その筋の帳面を調べても驚かされるが、なかなかそれ位の事でない。昔風の寺小屋式から男女の大学まである。これを官立、私立、営利、非営利、年齢別、性別、専門別と区別して来たらとても大変である。
 更に昨日(きのう)出来て今日潰れる式のもあれば、地方の人には学校と見えて、東京に来て見ると事務所だけというようなのもある。
 その中で大学と専門学校程度の学生の生活を見当にして寸法を測って見る。一つはそのほかのが調べにくいからでもあるが、今一つには彼等の生活を学生生活の華として敬意を払ったわけである。
 東京に家のある学生の生活は一寸見当が付かぬが、為替党にもいろんな階級がある。一ヶ月二百円以上も送って来るのが居るかと思うと、労働して大学に通った上に、故郷の弟に四円宛(ずつ)送っている非為替党もある。
 毛色の変ったのでは、春画を描いて学資を作って美術学校を出たのが居る。後家さんの男妾になって専門学校に通っているのがある。米相場が名人で親仁(おやじ)にしかられしかられ語学をやっているのが居る。養子政略、入り婿政略で、学校を出たあとは野となれ山となれ式の生活や、納豆屋の元締をして奢(おごり)を極めている大学生なぞ、調べるとなかなか面白いがここには略す。
 何しろ学生だから、年が若くて元気で、無責任な延び縮みが出来るから、これ位面白い生活をやっているものはない。
 先ず普通八九十円以下五六十円以上の為替生活者が大多数で、下宿料が三四十円位、汚い間借りで十円から十五円どころであろう。但、間借りは飯抜きだから、下手を遣ると下宿以上になる。尚このほかに月謝、書物代、洋服代なぞが時々足を出すのは止むを得ない向きもある。こんな「足」が本当にこんな足なら、先ず音(おと)なしい足であろう。
 この程度の学生を先ず中流生活者として、その純小遣いを十五円乃至四十円位に見積る。彼等の驚くべき贅沢さや質素さは皆この範囲から出て来るのである。更に質屋や古本屋、又は友人間の貸し借りなぞいうのを加えると、一層活躍の範囲が広まることになる。
 しかも彼等の小遣いは、普通の中流生活者の小遣いのように世間的の意味を含んでいる分量がまことに少い。頭を使わずに只漫然と遣い棄てるのが多いので、この点から云うと彼等の生活は中流の中(うち)でも上流に属している。
 その上に彼等は、当り前に学校に通って当り前に勉強さえしていれば、首の心配は無論ない。只怖いのは落第ばかりとなる。それも十中八九は為替の多寡に影響しないのだから、真に不景気知らずと云ってよかろう。
 こう云うと又、記者の非常識を攻撃する諸君が出て来るかも知れぬ。
「新聞記者なんてものは筆の先でどんな事でも書く。いくら学生だって、不景気を知らないでどうなるもんか。第一下宿の飯が不味(まず)くなるから、時々滋養分を摂(と)らないと頭がわるくなる虞(おそ)れがある。フレッチャー式なぞを遣ったら落第するにきまっている。空気も悪いから郊外へ行く必要があるし、ホコリが非道(ひど)いからロイド眼鏡も奮発せねばならぬ。雨が降ると靴カバーが利かないから、八円のゴム靴を買わなくちゃならぬが、そいつが又じきに駄目になる。電車はコムし書物はよごれるしで、オツユの出る弁当箱は持てないし、嗜眠(しみん)性脳炎がまた流行(はや)っているので、一寸風邪を引いても医者に見せなくちゃならないし、五十円や百円の仕送りでは人間らしい気持ちで勉強は出来やしない……」
 承われば一々御尤も千万であるが、さて街頭に立って諸君の生活振りを拝見すると……。



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2005年12月23日

     老人と子供排斥

 文化生活とはどんなものかと、所謂(いわゆる)文化住宅をのぞきまわって見る。
 文化住宅は市内にもチラチラ見える。中野や大崎には集団を作っている。文化住宅の模型だけを並べている建築屋もある。
 そんなのを見てまわると、どれもこれもバラック趣味の凝り固まりである事が第一番眼に付く。文化生活の第一条件は、その住宅が必ずやバラック趣味でなければならぬ事であると云ってもいい位である。
 文化趣味からバラック趣味が生れたのか、バラック式が文化式の元祖なのか、その辺はまだ研究中であるが、現在東京市の内外で見受ける文化住宅には、バラック建築の余興位にしか見えないのが多い。
 先ず暗い色のセメント壁に、白いペンキ塗りの窓がある。そこへ生蕃人の腰巻見たようなカアテンがブラ下って、その蔭に十五銭位の草花の鉢が置いてあれば、間違いない、文化住宅と云ってよろしい。
 第二の条件は、文化住宅のどこかに立派な書物を詰めた上等の本箱が光っている事で、これは説明するまでもなく是非必要である。床の間に真黒い軸をかけて、前に品のいい花を活けた精神修養式の趣味は時代遅れである。新しい智識や情緒を詰込んだ金文字の権威を見せるのは、文化住宅として当然の心掛けでなければならぬ。
 近頃活躍し出した出版界が何々全集、何々叢書と矢鱈(やたら)に金文字気分を煽るのは、主としてこの流行を当込んでいるものと考えられる。
 第三の条件は甚だ怪(け)しからぬもので、仁義道徳はもとより国体にも背くのであるが、最も大切な条件だというからイヤでも書いておかねばならぬ。即ち文化生活に老人の必要を認めない事で、その次は成るべく子供のいない事である。
 文化生活の片隅に老人がウロウロしていたり、子供がワイワイ云っていたりしては、「文化」の意義をなさぬのだそうな。記者の如き親孝行者は実に憤慨の余り涙がこぼるる次第である。
 第四の条件は、前のと違って一寸愛嬌がある。文化生活には犬か猫か何かが是非一匹いなければならぬというのである。
 これは一つには装飾や楽しみの意味もあるが、今一つには、こんなものを可愛がっていると自然と人間の優越感を享楽する。同時に彼等の自然な動作から、極めてデリケートな或る神秘的のヒントを受けるので、文化の文化たる所以が一層高潮されるのだそうな。
 ……と或る文士から説明を聞いたが、記者には何の事かわからなかった。或は頭のいい読者諸君にもわからぬかも知れぬ。しかし、わからなくとも事実は事実である。
 或る大きな活動写真の撮影場(セット)に行って見ると、九官鳥、鸚鵡(おうむ)、インコ、紅雀、カナリヤ、※(にわとり)なぞが籠に入れて備え付けてある。これは新派の文化生活の場面を撮る時に、是非共こうした鳥籠を持ち込まなければ納まらぬからだそうである。
 又、東京市中をまわって見ると、新しい鳥屋がかなり多い。這入って話を聴いて見ると、「震災後、小鳥道楽は下火になりました。鶉(うずら)はもとよりの事、鶯なぞも古くから研究している方がないでもありませんが、次第に廃(すた)れて行くようです。一番小鳥を余計にお買いになるのは若い御夫婦連れで……」という話。直接文化住宅をのぞいて見ても、大抵は何かほかの動物が付きものになっているようである。
「文化文化」と啼く鳥がいたら、どれ位歓迎されるであろう。
 こうなると「文化」の意味が一層わからなくなる。何の事はない。文化生活という事は、老人や子供を人間世界から追い出して、代りに禽獣や書物を取り入れた事になる。書物が親の代り、禽獣が子供の代りでもするのであろうか。とても当り前の教育程度では要点が掴みきれぬ。
 ところがその掴まれぬところがいいかして、猫も杓子(しゃくし)も文化文化とあこがれている有様は、さながらに青空を慕う風船玉よろしくである。
 こうして昇って昇って昇り詰めたら、日本はおしまいにどこへ持って行かれるだろうと心配になる位である。
 こんな風船玉のようなフワフワした文化気分が、例のバラック気分と心安いのは云う迄もないので、東京人の魂はバラック生活と文化生活との間をフラ付いている。商売でも風俗でも何でもが、大体に於てこの気分の中で色めいていると見てよかろう。



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2005年12月22日

     文化とは「ブル化」?

東京人の憧憬する文化生活を研究するには、先ず「文化」という言葉の定義からきめてかからねばならぬ。
 文化という言葉はバラックと同様あんまり有触れ過ぎて、どんな事を意味するのか訳がわからなくなっている。
 文化生活、文化村、文化住宅、文化机、文化竈(かまど)、文化タワシ、文化丼、文化饅頭(まんじゅう)、文化煎餅(せんべい)、文化まめとなって来ると、どこが文化なのか見当が付かぬ。
 縁日に出ている停電用の燭台や電球蔽い、書翰箋やインキ壺まで文化と名づけてある。かと思うと、書物には文化出版、売り出しは文化的提供、文化的家具一式、叮嚀親切薄利多売は文化的広告なぞいう看板がある。
 つまり安くて便利で重宝でハイカラなのが「文化」かと思うと、そうでもないらしい。
 この頃、文化納豆というのが出来たというから八百屋(東京の)に行って見せてもらうと、羊羹(ようかん)包の位なヘギの折りに這入っていて一個十銭である。普通のが五銭だから、よっ程上等だろうと思って喰って見ると、只の納豆で別にかわった事はない。只高価(たか)いだけである。
 生れつき頭の悪い記者は、念のため今一度買った八百屋に行ってきいて見たら、「今までの藁苞(わらづと)に這入っているのでは、そのままお膳に乗っけられませぬ。つまり文化的でないというので」と云う。「じゃどうして高価(たか)いのだ。この箱代が五銭するのかね」と聴いたら、「新婚の御夫婦や何かは、大きな声でナットー屋アなんかとおっしゃりにくいと見えましてね、こちらがお気に召すらしいのですよ。エヘ………」と妙な文化式の笑い方をした。トテモワカラナイ。
 新聞の広告や何かに「文化的○○薬」だの「文化○○サック」なぞいうのを発見して、文化の意義をいよいよ怪しんでいると、或る横町で文化焼芋というのを発見した。近寄って見ると、皮を剥(む)いて丸焼きにしたところが「文化」なのだそうな。アライヤダ。イヨイヨ小三の落語式になって来た。
 この塩梅(あんばい)じゃ足を棒にして眼を皿にしても、「文化」の定義は見つからないと諦めた。
 ところが文化の方では、なかなかそれ位の事では承知しない。まだまだ沢山あるという。何だと聴いて見ると、必ずしも文字に書いてなくとも、文化の意義を含んでいるものが数限りない。近頃八釜(やかま)しい「性教育」には立派な文化的意義があるので、女学校で教えるお料理に必ず出て来るテンピも、文化生活になくてならぬものだそうである。フライパンや紅茶沸かしは云うまでもない。
 こいつを今一層文化的にすると、
「御飯とお惣菜(そうざい)は女中が作るでしょう。漬物は売りに来るでしょう。お料理は取るでしょう。だから家事科なんて必要はないわ」
 という式になる。つまり奥様は一切手を濡らさないのが最高の文化なのだそうな。
 まだある。
 音楽なぞも文化生活には必要なものだそうで、楽譜や楽器の売れる事売れる事。よくきいて見ると、ハーモニカやシロフォネンなどは子供のオモチャで、マンドリン、ギタ、ヴァイオリン、洋琴やピアノなぞが本当の文化的価値があるものだそうだ。しかも昔なら、
「鐘一つ売れぬ日も無い江戸の春」
 というところを、今日では「ピアノ一つ」と改めて差支えない勢である。
 尤(もっと)も本当のピアノは高価(たか)いから、この頃では和製の手軽い安いのがドッサリ出来るからで、正にピアノ全盛になって来た。
 尤もこれはブンカブンカと鳴るからかと思うと、蓄音器も文化生活に必要なものだそうで、この頃では縁日なぞでもチーチーガアガアとレコードを売っている。
 まだまだ数え立てると限りもないが、要するにトドの詰まるところ文化生活の理想は何かと考えて来ると、彼等が学生や腰弁時代に口を極めて罵っていた、ブルジョアの金殿玉楼生活だという事になるようである。つまりそんなに早くブルにはなれないし、よしんばなれても近頃流行の社会主義が怖いから、止むを得ずいくらか安っぽいブル趣味に「文化」と名をつけて、お茶を濁した生活をしているのだとも見える。
 何の事だ、馬鹿馬鹿しい。それならそうと早く云えばいいに、「文化」だとか何とか今道心見たような名を付けるからわけがわからなくなる。
「ブル化」と云った方が早わかりするじゃないかと一時は思ったが、これは文化生活の内容を見ない前で、一度実際をのぞいて見たらナアール程と又首をひねらせられた。
 文化生活にはもっともっと深い意義がありそうである。頭の悪い記者にも気の付いた条件が三ツ四ツあるが、そのいずれもがなかなか意味深長である。



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