新海監督の話題の映画「君の名は。」を鑑賞してきたので、感想をば。
まるで深海。新海ではなく。
「秒速5センチメートル」や「ほしのこえ」を鑑賞して感じたのは、心のどこかで願うハッピーエンドや、劇中では描かれない未来に対する希望の手がかりを残さないまま走り去り、鑑賞者たる我々をもどかしさの海に平然と置き去りにする独特のスタイル。
放置された我々は、ひとしきり、劇中の主人公たちの感情をなぞり、その後の未来に思いを巡らせる。ここまではふつうの映画でもあることだろう。しかし、新海監督の作品はそこでおわらない。映画で感じたもどかしさはいつのまにか自分の過去にあるもどかしかった体験にさかのぼり、その思いの延長にある、あったかもしれないもうひとつの未来に思いを巡らせ、悶絶を繰り返す。海の上に浮かんでいたはずなのに、いつの間にか深海の底。さらなる悶絶の深海に誘うのだ。
普通であれば「中途半端」という烙印を押されて終わりのはずなのに、ここまで人の心に残り続けるのは、登場人物たちのキャラクターがあまり「立っていない」ことにも要因があるのかもしれない。男たちにいまいち冴えないダメ男たちが多いのも男性から見ると同一化しやすく、共感しやすいポイントかもしれない。そして、普段視界に入っているはずの通勤電車、人の流れ、信号機や高層ビル群を下から見上げる視点と鳥瞰的な視点を織り交ぜて魅せることで、普段見ているものがかくのことく美しく、自分たちの世界を彩っていることを気づかせるのも、内面に誘うひとつの要因だろう。
今回の「君の名は。」はアニメ映画としての完成度は高いし、面白い作品と思う。
でも、映画の冒頭のシーンで社会人になったであろう二人の描写を見たとき、「ああ、ふたりはいまもこの世界で生きているのかな」とひとつの答えが見えてしまった僕は安心をしてしまった。最後まで安心して鑑賞することが出来たのだ。エンドロールが終わったあと、すれちがう階段で二人は名前を聞いたあと、どんな行動を取るのかなというところに少し思いを巡らせたところで終わってしまった。
でも、映画の冒頭のシーンで社会人になったであろう二人の描写を見たとき、「ああ、ふたりはいまもこの世界で生きているのかな」とひとつの答えが見えてしまった僕は安心をしてしまった。最後まで安心して鑑賞することが出来たのだ。エンドロールが終わったあと、すれちがう階段で二人は名前を聞いたあと、どんな行動を取るのかなというところに少し思いを巡らせたところで終わってしまった。
なんだろう、たしかに絵も綺麗で本当にアニメーションなのだろうかと息を飲むカットが沢山あったし、「秒速5センチメートル」を彷彿させるシーンも沢山盛り込まれていた。たしかに美しい。間違いなく新海監督の映画だ。さらに今回はキャラクターもかわいいし、描写も文句なし。俺もラブレター書いて突撃したくなった。
だけど、そこにはいつもの「もどかしさ」がない。
そのもどかしさがもたらすいつもの「深海への誘い」は無かったように僕は感じた。
この映画を機会に新海監督がよりメジャーになっていくのは一ファンとしては非常にうれしい。過去の作品が良かったとは僕は言わないし、言いたくない。でも、この映画で新海監督のことを知り、「君の名は。」のような内容を期待してカップルで過去作品を鑑賞しちゃうと、映画を見終わったあと気まずい沈黙が訪れると思う。まずは短編「言の葉の庭」を見るのがお勧め。でもこの作品は未来への希望が、心のつながった証がちゃんと見て取れるからある意味で、今回の「君の名は。」につながる変化の兆候だったのかもしれない。次に「秒速5センチメートル」を進める。でもこれは出来れば男子諸君に勧めたい。できれば一人で鑑賞をすることを追加で進める。つぎの「ほしのこえ」を見る。メカは見るな、許してあげて、距離感を存分に味わえ。「くものむこう、約束の場所」「星を追うこども」は評価が分かれるかな。僕としては、暇があれば、こういう作品にもチャレンジしてみたのね、と優しく見てあげてほしい作品。
映画を見る時は他人の映画の評判は一切読まず、監督のインタビュー等の事前情報は一切インプットせずに鑑賞するようにしている。もしかして僕の勘違いかもしれないし、間違っていることもあるかと思う。「秒速5センチメートル」で沼にはまった人間のひとつの見方だと思ってもらえれば幸いだ。
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