いまだ父の退院日は決まらず、母は一人で落ち込みつつ、1日ごとに父の病棟に献身的にお見舞いに行くものの、補聴器をしても聞こえず、要領を得ず、父に怒られ、せっかく頑張って病院に行ったのに疲れて帰ってくるという行為を繰り返し行っていた。
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で、室内で転倒、頭部打つというパターン。
幸い前回のように出血はなく、しばらく様子見のために急遽また帰省し、在宅。
正直こちらもずっと終活は帰省状態であり、仕事にも支障をきたしている状態。
状態が安定したのを見計らって、
母をわたしの家に拉致する計画を従姉に相談し、5月31日に決行。


いやがる母を適当に話題をそらしながら準備し、タクシーGOで呼んだタクシーに同乗し、駅まで。2名分の切符を買い、新幹線に乗車。車内でサンドイッチをふたりで分けて、数十年ぶり、いや、30年ぶりくらいの母との新幹線旅行(笑) 在来線の乗り換え、タクシーで自宅に到着。

大阪の街を見て
「あの焼け野原が、ここまで復興してまあ」とつぶやく母

いつの時代にタイムスリップしたんだろう(;^_^A
心配になって、今昭和何年と聞いたら、3秒後に令和とかえってきたので一安心。

行く途中も、あれが忘れた、これが忘れた、と引き返す理由を次々と思いだす母を却下しながら進めたが、拉致された拉致されたと何度もいう。いうとけいうとけ。

チーズケーキを食べておいしいという、コロッケ食べておいしいという。母が飯を食べておいしいと聞いたのは何年ぶりだろう。

6月1日
昼に掃除を手伝ってもらった。
今日はちょっとなんぎした。どうしてわたしだけこんな体調なんだ、こっちで遊んでいるのになんでお見舞いにこないんだと入院している父に怒られる、施設のひとたちに夫を置いて逃げたと言われているにちがいない、妻の役目を果たせてない、帰らなきゃ、とまあ、あーだーこーだーと言い出す。

全部、他人の話だよねえ、あなたが思うほど他人は気にしていない。
なによりも、お見舞い行きたいの?と聞いたら、
頑張って頑張って行ったのに、どなられて怒られる、何のために行ったんだろうと思うと愚痴をこぼす。あー、なるほどねえ。とりあえず、それだそれ。昭和一桁の悪習だな

まずは体を休めること
忘れていた自分の感覚を取り戻すこと
(美味しいという感覚もわすれていたでしょ)
自分だけに向き合え
考えるな

その後、嫁さんが一緒に風呂に入ってくれた。
さっぱりしてだいぶ落ち着く
一緒に飯を食う
あー、もう施設には帰りたくない
ここに置いてくれー(さっきの話はどこ行った(笑)
だって

まあ、たぶん退院前に帰りたくなるだろう。
しっかりおしゃべりして自分を取り戻してほしい。