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2009年02月

健康法としての太極拳

健康法としての太極拳


東京陳式太極拳倶楽部 代表 鎗田 勝司



 太極拳は武術です。いうまでもないことですが、それを行なう人がどのような意識を持って練習しようが、太極拳そのものが武術であることは間違いがありません。
 私は試合用の套路については良くわかりませんが、武術として使う、使わないは別にしても、やはり套路の正しいやり方の基準は、武術の鍛錬として有効であるか否か、ということではないかと思っています。太極拳をやり始めた頃私は、いろいろな人がいろいろなことを言っていて、なにが正しいかわからなくなり混乱した経験があります。「3年かかっても良師をさがせ」という言葉がありますが、ほんとうにわかっている人は、言葉よりもその技で示してくれるものだと今では私はつくづく思います。現在では実力のある先生方が多く中国から来日され、また日本人の指導員も育ってきて、中国武術の武術としての優秀性が日本でも認められつつあるので、一愛好家として大変に喜ばしいことだと思っています。
 とは言っても、純粋に健康法として太極拳を愛好されていらっしゃる方も多いこともまた事実です。私は経験的に伝統の武術が、その正しいやり方を追求していくことで優れた健康法となると感じていますので、今回はこのことをテーマに少し述べてみたいと思います。

 私が「健康法としての太極拳」について書こうと思ったきっかけは、ある本の中で、以下のようにウォーキング効果が書いてある部分を読んだことによります。

「(1)血圧を下げる、脳卒中を予防する
  下半身の筋肉が発達することにより毛細血管も新生され、下半身に血液がプールされる。このため血圧が下がり、脳血管への負担が解消する
 (2)心臓病の予防・改善
  歩くことで第2の心臓と呼ばれる足の裏を刺激することになり、心臓の働きを助ける
 (3)ボケ予防
  歩くと下肢の筋肉(ふくらはぎ)、臀筋(お尻の筋肉)、背筋が鍛えられることになり、その結果、脳への覚醒刺激が増す
 (4)骨粗鬆症の予防・改善
  歩くことで自分の体重で骨と筋肉が刺激され、骨へのカルシウムの沈着が促される
 (5)腰痛・ヒザの痛みの予防・改善
  下肢・腰の筋肉が鍛えられることにより、腰の骨やヒザへの負担が軽くなる
 (6)糖尿病、高脂血症、脂肪肝、肥満の予防・改善
  人間の筋肉の70%以上を占める下半身を動かすことにより、筋肉が糖や脂肪を存分に消費してくれる
 (7)ストレス解消
  歩くと脳からα波(リラックスした時に出現する脳波)が出るうえ、快感ホルモンのβ−エンドルフィンも分泌されるので、自律神経失調症やノイローゼ、うつ病などの予防・改善になる
 (8)肺の機能強化
  歩くことで呼吸が深くなり、肺の病気(風邪、気管支炎、肺気腫など)の予防になる」

 (『「体を温める」と病気は必ず治る  石原結實 著』より)

 太極拳をやっている方はお気づきかと思いますが、この八つの効果は太極拳に全部当てはまります。むしろゆっくりと深呼吸に合わせた動きは、ウォーキング以上に上記八つの効果を高めてくれるのではないでしょうか。
 ウォーキングは動きを覚える必要がなく誰でも簡単にできる、という声が聞こえてきそうですが、逆に私は型を覚えようとするからこそ、脳のトレーニングにもなると思います。また変化ある動きは、多くの筋肉に刺激を与えることになりますし、飽きることなく続けることができる要因でもあります。型(套路)もさまざまな種類があり長さも違うので、自分に合ったものが選べます。また、高さを変えることで足の筋肉に対する負荷を変えることができ、同じ型でも体力に合わせて動くことができます。特別な道具も服も要らない、室内でもできることなど、太極拳にはウォーキングをしのぐ効用が充分にあると思います。
 私は自分の26年の体験から、太極拳は優れた健康法の一つであると、自信を持って言えます。
 ぜひ皆さんも太極拳で、強いからだと強い精神、そして共に汗をかく、すばらしい仲間を得ていただきたいと思っています。

fyotphskfyotphsk  at 23:32 この記事をクリップ! 

2009年3月練習日程

3月1日 通常練習(西神田コスモス館体育館B 13:30〜)
(3月8日 自主練習(文京スポーツセンター柔道場 15:30〜))
(3月15日 自主練習(西神田コスモス館音楽室 13:30〜))
3月22日 通常練習(西荻窪永谷ダンススタジオ 12:30〜)
3月29日 通常練習(西神田コスモス館体育館B 13:30〜)

* 3月の練習日程は事情により変則的になります。
 場所および時間の確認をお願いいたします。

* また、3月の特別講習会はお休みです。

fyotphskfyotphsk  at 10:24 この記事をクリップ! 

小説

 私が、初めて太極拳に触れたのは、家の近くにできたスポーツクラブのエクササイズのメニューの中にあった、太極拳簡化24式でした。練習は套路の繰り返しでしたが、何の気無しにやり始めて、その内なぜかその動きに夢中になり、そこの教室にも友達が何人かできてしばらくの間は楽しく練習していました。この頃は24式套路の順番を覚えたり、友達と足の位置や手の動きをああだこうだとおしゃべりしながら練習したりして、ただ楽しい・・・それ以外の事は何も気にかかりませんでした。
 その内太極拳にも色々あって、「陳式」と言う太極拳が「太極拳の元祖」みたいなものだという事をウッスラ聞きかじり、YouTubeの動画を見たりDVDを見たり、本をチラッと立ち読みしてみたり、その柔らかい独特の動きにだんだん興味を持ち始めました。でも「これって、強いのかな?」とか「力を抜いて套路の練習するのなら、24式と変わらないんじゃないかな?」などと思ったりして、でもチョットやって見たいかも・・・とたいして深くも考えず陳式太極拳の教室を探して、今在籍している東京陳式太極拳倶楽部に巡り会いました。

 気に入った本を購入したその時は、その時だけではなく何度も読み返す事があると思います。10代、20代、30代・・・同じ本を読んでいるのに、当然ではありますが、その時その時の年齢によって感じる事が違ってくるとおもいます。
 小学生や中学生のころは、夢中になって色々な小説を読んでは、胸の内を感動でみたしていました。この頃は、ひたすらに冒険や恋愛は、素敵な事だと思っていたように思います。たいがいの人はみんなそうだと思いますけれど、いつの間にかその単純な気持ちは、何人かの人に出会って、社会に出ていくうちに変わっていってしまいます。そんな時、昔読んだ小説をまた手に取ってみると、子供の頃とはひと味もふた味も違う感動を覚えるのは、私だけではないと思います。「ああ、昔読んだときはこんな事は考えなかったのに」とか「前読んだときはここがこうだとは気が付かなかった」などと色々思いだしてみたりして、懐かしんだ事も何回かありました。
 でも、私は、なぜか若かった頃の純粋さ、あの頃の気持に戻りたいと思った事は一度もありませんでした。・・・どちらにしても、知ってしまった以上、戻れるはずも無いのですけれど・・・

 「え!!24式辞めちゃうの?どうして・・・ああ・・・サトちゃんは実際に戦うような事が好きみたいだからね・・・」「何でそんなに一生懸命になるの?」と24式の教室を辞めるときにそこの友達に言われて、私は返ってビックリしました。私は「戦うのが好き」と思った事は一度も無いし「そんなに一生懸命」なつもりも無かったのです。・・・楽しいからなんとなく夢中なダケなのに・・・
 私は陳式太極拳の教室の練習メニューにある、推手の練習で、相手に合わせて動きながら相手の出方を意識する事がチョットできる様になりました。対打の練習では、関節技やぶつかりあいで相手に対してどう動くべきかチョット考え始めました。散打の練習では相手のパンチをよけながらどう体を動かしていったらいいかもチョット考え始めました。けれどチョットどころでは到底うまくなんていきません。うまくいかないと知らず知らずの内にもっと練習してみたくなって、一層夢中になってしまうありさまです。
 その内、套路の練習をしている時に「今、套路として生き残っている技は・・・」と先生が言われていた事を突然思いだし、・・・生き残っている・・・って命がけ?!・・・ケッコウ血みどろ・・・自分や家族の命を守るために何世代にも渡って・・・洗練されて隙がないわけだ、命がけなんだから・・・本当に・・・そんなに重い事なのだろうか?それはどういうことなのだろう?今、考えた所でわかるわけもありませんが・・・
 私は戦争や動乱を経験した事が無い幸せな世代の一人なので、今までウッスラ知ってはいても、そんな実践の場などあったわけでも無く、その様なことを意識する事はありませんでした。ただ友達と練習するのが面白くて単純に楽しかった思い出は、かけがえの無いもので、それはそれでとても良いことだったと思います。でもこのなんとも言えない辛い味、ただ楽しいからやっていただけではすまされない凄さを知ってしまったら、もうもとには戻れません。

 陳式太極拳という小説を私はまだ初めの方を読んでいるにすぎませんが、いつか一通り読み終えても、きっと何度も読み返す事になると感じています。この小説がハードボイルドか大河ドラマの様な物かはまだ解りませんし、恋愛物になるべくも無いのは残念ですが、再び読み返してみる未来、その時、どう思うのかチョット楽しみです。

 (散打の練習はヤッパリ怖いんですよ・・だってみんな強いんですから・・・それでも、私は相手に後に回られた時の怖さもチョットわかったので、自分の後も意識できるようになりました。チョットです。だからって何か技を繰り出せる訳でもないんですけど。)

 (Sさん よりいただいた練習の感想、第二弾です)

fyotphskfyotphsk  at 20:19 この記事をクリップ! 

反応

反応


東京陳式太極拳倶楽部 代表 鎗田 勝司



 先日、ある駅でのこと。到着した電車に乗り込もうとしたら、私の横で、女性が扉に手をかけながら、扉の脇に寄りかかっている人に向かって、何か話しかけていた。私はその横から電車の中に乗り込んだのだが、その時その女性が、「私は足が悪いので、誰か手を貸してください。」と言っているらしく思い、私は振り返りざま、反射的に手を差し伸べ彼女を車内へと導いた。駅に立っていた時は、車椅子でもないし、杖も持っていなかったので、足が悪いとは気づかなかったのだが、確かに電車が来て扉に手を突いていたときは動こうともしないのでおかしいな、とは感じていた。
 このとき彼女の前には若い女性が立っていたし、反対側には若い男性も立っていたが、声が聞こえなかったのか、誰かがやると思ったのか、手を貸そうとする様子はなかった。私は彼女の横から中へ入ろうとした時、言葉自体がはっきり聞こえたわけではないが、その様子と「誰か・・・」という言葉から判断して、手を差し伸べたわけである。おそらく扉にいた二人も私が手を差し伸べなければ、手を貸したであろう。私の前にいた中年の男性などは自分が乗り込むのに夢中なのかまったく無視したように乗り込んでいた。
 私はこのような動きができたことを誇りに思うと同時に、いつでもこのように動けるだろうかと自分自身に対する疑問をも感じた。周りには若い人がいる、近くに人がいるのだから誰かが助けるだろう、自分から動くのはなにか気恥ずかしい、等どこかで素直な動きを躊躇させる考えが頭をかすったら、すばやくは反応することができなかっただろう。最後には他人のせいにしていたかもしれない。もちろん、知らない人にいきなり手を貸すというのはあまりにも危険ではないか、と武術家らしい理由を考えたかもしれない。

 武術は、反応である。状況を瞬時に把握して適切な行動をとる、武術を修行するものはこのことを念頭において訓練しなければならない。私にとって日常こそが修行の場である、ということを改めて痛感した出来事であった。

fyotphskfyotphsk  at 14:00 この記事をクリップ!