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2009年05月

第十九回特別講習会

講師 鎗田 勝司
内容 陳式太極拳老架一路と推手および用法
日時 6月14日(日) 12:00〜14:30
場所 品川総合体育館 地下二階柔道場

品川総合体育館
 〒141-0022 品川区東五反田2−11−2
アクセス
 JR山手線、りんかい線 大崎駅より徒歩6分
 JR山手線、都営浅草線、東急池上線 五反田駅より徒歩6分

受講料 2,000円

*詳細は事務局までお問い合わせください。

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2009年6月練習日程

6月7日 通常練習(西神田コスモス館体育館B 13:30〜)
6月14日 第十九回特別講習会(品川総合体育館 12:00〜)
6月21日 通常練習(西神田コスモス館音楽室 13:30〜)
6月28日 通常練習(西荻窪永谷ダンススタジオ 12:30〜)

* 場所および時間が変則的になります。確認をお願いいたします。

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太極拳学習論

太極拳学習論


東京陳式太極拳倶楽部 代表 鎗田 勝司



 先日陳家溝太極拳師四傑のひとり、王西安老師の講習会に参加させていただいた。老師とは13年ぶりの再会である。老師との再会、老師の太極拳について書くのは後日に譲るとして、定員をはるかに上回る参加者の中で、私が日本の太極拳事情について感じたこと、特に武術として学んでいく場合、どのようなことに注意していったらいいのかについて、私なりに考えたことを書いてみたい。純粋に太極拳を楽しんでやっている人、また健康法としてやっている方については、対象として念頭においているわけではないが、共通することがあるかもしれないので、参考にしていただければ幸いである。

 まず一般的に物事の学習順序について語学を例にとって解説してみたい。
 語学の学習の第一歩はもちろん単語を覚えることから始まる。そして単語を組み合わせることによって文を作り、コミュニケーションがとれるように意味を明確化するのだが、そのためには文法を知らなくてはならない。そして文法そのものを理論的に学んでも抽象的になってしまい理解しづらいので、文章の構造を理解するために、私たちはいくつかの基本的な単語を使った例文をもとにその仕組みを考える。その上でより複雑な文を学んでいき、単語さえわかればどのような文も理解できるようになる。その結果自分でも文章を書くことができるようになり、会話ができるようになるのである。
 私は武術として太極拳を学ぶこともまったく同じであると思う。というよりむしろこのような過程を経ることが、(少なくとも日本人にとって)武術としての太極拳を学ぶのに、必要なことだと思うのである。
 套路をとにかく覚えようと形を追っている段階は、基本的な単語を覚えている段階であり、内勁を意識するのは基本的な文法を学んでいる段階にあたる。二路や最近できた太極散手などもあるが、形を学んでいる段階であれば変わりはない。この段階では対人練習で技をあらそう事はできない。
 その次に、具体的に基本となるいくつかの技、つまり、打、拿、摔(手へんに率)などを学ぶ。太極拳は推手のなかでこれらを学ぶのである。ここでは勁というものをどういう風に技に生かすのかを、基本技を通して理解するのである。語学で言えば基本的な文法を理解し、簡単な文章なら読めるようになる段階である。基本文法を理解したら今度は応用として、よりむずかしい文章を読めるようにし、さらに自分でも簡単な文章を書けるよう練習する。そして何度も繰り返して文章に接していくうちに、書くことも読むことも自由自在にできるようになる。武術で言うならば勁を理解し、基本的な技を学んだ後、その原理を理解し、応用して実戦へと向かう段階である。もちろんそれぞれの段階での練習は充分行ない、武術的な動きを体に叩き込むことが必要なことは言うまでもない。

 これはあくまでも私の個人的な感想なのだが、日本で伝統的な太極拳をやっている人は、他の伝統武術、例えば八極拳や心意六合拳などをやっている人に比べて、武術として練習する意識が薄く、武術的な段階としては、10年は遅れているのではないかと思えて仕方がない。もちろん伝統太極拳を学んでいるすべての人というわけではない。しかし套路の動きや表面的な形の違いにこだわるばかりに、いかに使うかの意識に乏しく、武術としての本質から離れたところに重点を置き、恰もそれが太極拳のすべてだと思い込んでる節が多くの人に見受けられると感じるのは私だけであろうか。太極拳はこれらの拳法に比べて高級なので10年以上やらなければ武術としてつかえないとでも思っているのであろうか。彼らの多くは、内勁でさえも本当の意味を理解していない。そのため残念ながらいつまでもたっても同じところにとどまっているように私には思えてしまうのだ。
 私は、太極拳は理論的にも実戦的にも非常に優れた拳法だと思っているし、中国武術の優れた特性を代表する拳法だと思っているので、太極拳が10年やっても使えない拳法というのはどこかおかしいとしか思えない。中国の老師もおそらくもう少し先の段階を教えたくても、習う私たちの多くが、いつまでも同じ段階にとどまっているために教えようがないのであろう。
 それにはいくつかの理由がある。たとえば、纒絲勁の原理はむずかしいために時間がかかる、日本では武術的な指向をもってやる人が少ないので、老師がそこまで教える必要性を感じない、などが考えられるが、いずれも我々習うほうの意識に問題がある。

 日本で10年陳式太極拳をやっている人と10年八極拳をやっている人では、圧倒的に八極拳の人のほうが実戦的である。八極拳や心意六合拳をやっている人はとにかく功夫をつけるために苦しい練習を繰り返すが、陳式の人はどうも理屈が先に来るような印象を受ける。
 武術には完璧はありえない。常に修行である。練習を続けていれば、常に新しい発見がある。套路が完璧にできなければ対人練習がやれないのなら、いつまでたっても実用的にならない。勁の表現は無限であるといえるほど深いものであることは間違いないが、勁の表現とはなにかを考えれば、套路の本質が理解できるはずであり、精度の高低があったとしても対人技としての理解も深まるはずである。
 ある程度の技を覚え、用法を理解し、内勁を充実させていかなければ、それこそ絵に描いた餅であることは、太極拳だけではなくすべての中国武術に共通して言えることである。また、武術性ということを考えれば昔ながらの練習がすべてではなく、習ったものを研究、発展させ、現代の格闘技を研究し、新たな時代の太極拳を作っていくことも、今日的な流れとして当然出てくることも考えられる。
 
 当倶楽部では、初めの段階でも対人練習をする。それは対人ということに慣れてもらうためであり、また体ができてないうちは技が効かないということを、身をもって知ってもらうためでもある。だからもちろん無理な対人練習はけっしてしないが、それを行なうことで、套路で体をつくることの大切さを知り、套路の深さを理解できるのである。あくまでもそれを理解したうえで練習に励んでもらうために、簡単な技を練習するのである。中には、特に日本武術の経験者に多いのだが、套路や推手は武術として使える身体または能力を高めるための鍛錬として大変重要であるということを理解せず、対人練習ばかりやり、套路は体操ぐらいにしか考えない人がいる。これでは中国武術の本質をいつまでたっても悟ることはない。
 基本の原理を理解したうえで、次は応用で技を開発していく。套路にはそれを演じる人の中から、技を生み出させる力があることを忘れてはならない。当然その過程ではじめに老師から習った套路が変化していく。だから中国では同じ先生から習っても形が微妙に変わるのであるが、このことは日本の学生にはたいへん理解しにくいところでもある。
 内勁の基本を理解したら、表面的な形の変化に囚われる必要はない。いつまでも目に見えるところの変化に気を取られると本質を見失う。大自然の目で見えるものから、目に見えないものを探ることによって、人類の科学は進歩してきたのだ。これが科学的な研究というものでないだろうか。一つ一つの単語を覚えるところから文法、そして応用、自分なりの文章を書く(自己表現)、このような過程を経て語学を学ぶこと、またこのような過程を踏まえ語学を指導していくということは、武術として太極拳を学習または指導をしていく上でもまったく同じあると私は考える。

 我々は進歩し続けるべきであり、その場にとどまることはない。変化する形に貫く共通の原理を知り、それを技に応用するところに中国武術の醍醐味があるのであって、自己の感覚の段階でとどまっているうちは、やはり「絵に描いた餅」なのである。

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