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2009年10月

第二十四回特別講習会

講師 鎗田 勝司
内容 陳式太極拳老架一路と推手および用法
日時 11月8日(日) 13:00〜17:00
場所 千代田区立スポーツセンター 剣道場
   内神田2-1-8
   JR・地下鉄神田駅から徒歩5分
   地下鉄大手町駅A2出口から徒歩5分
千代田区立スポーツセンター地図
受講料 2,000円

*詳細は事務局までお問い合わせください。

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2009年11月練習日程

11月1日 通常練習(西神田コスモス館体育館B 13:30〜)
11月8日 第二十四回特別講習会(千代田区立スポーツセンター 13:00〜)
11月15日 通常練習(西荻窪永谷ダンススタジオ 12:30〜)
11月22日 通常練習(西荻窪永谷ダンススタジオ 12:30〜)
11月29日 通常練習(西神田コスモス館体育館B 13:30〜)

* 場所および時間が変則的になります。確認をお願いいたします。

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東京陳式太極拳倶楽部 代表 鎗田 勝司



 今年の夏休みは、車で出かけることが多かった。サンデー・ドライバーの私は長距離の運転が苦手だ。長く運転していると疲れてしまう。運転している時は、アドレナリンが出続けていてとまらないかと思えるくらい神経が張りつめた状態でいる。もう少し運転を楽しくリラックスしてやれればといつも思うのだが、なかなか慣れない。
しかしこの夏休みは比較的長距離を走ったせいか、車を運転することが少し楽しくなった。長く運転したので身体が慣れたと言えなくもないが、それでも運転した後はどっと疲れが出たので、楽ではないことは変わらない。それならばなぜ運転することが楽しくなったのだろう。
 そこのところを自分でよくよく考えてみたところ、運転することそのものではなく、道を探りながら走るということが楽しい、ということに気づいたのだ。
 まだ一度も通ったことがない道を地図で探り、そこを実際に走る。知らない道を走っていると突然以前通ったことのある道に出て驚いたり、電車の中から見たときと車で走ってみたときとでは、同じ道でも景色がずいぶん違うことに気づいたりと、新たな発見とスリルを感じることが多かった。

 私の車にはナビがない。知らない道を行く時は、ロードマップと看板が頼りなのだ。だから時々道を間違えたり、思わぬ渋滞に巻き込まれたりする。そんなときはもちろんあせったり、イライラしたりする。しかし車を運転する人ならわかると思うが、道というものは間違うことによって覚えるものなのだ。まちがえついでにこの道行ってみるかなんて走っていると、意外な道につながっているのがわかったりして面白い。もちろん時間的な余裕がない時にはそんな暢気なこと言ってはいられないので、一応地図を頭に叩き込むのだが、地図にない新しい道ができていたり、地図に目印として書いてあるお店が変わっていたりして地図に頼っていると意外に危険なのである。曲がるべき道をまっすぐに行ってしまったり、行き過ぎて後戻りして、そしてまた迷ったりと余分な時間を費やしてしまう。ナビとは違ってタイムリーな情報の地図というのがないので、やはり最後は自分の感覚を頼りに行くことが多い。

 かつての日本人は何でも「道」とつけるのが好きであった。華道、書道などの芸事はもとより、武術においても柔術、剣術、合気柔術を、それぞれ柔道、剣道、合気道とした。「道」とつけることにより、先達たちは、技術を磨くことで人格形成の道としたのである。このような日本的な考え方を私はすばらしいとは思うが、現実としてこのような目的意識を持ち続けて修行することの難しさは、芸に精通した人が必ずしも人格的にも優れているといえない例が多いのを見ても、充分窺い知ることができる。しかしながら私はこのような考え方に意味がない、と言いたいわけではない。むしろ完全な人間はいないし、人格に優れているということも、何をもって優れているといえるのか、はなはだあいまいなものである。芸の追及が人を精神的に高めるかどうかは別にしても、何事においてもこうした目的意識を持たせようとさせる日本人の考え方に、私はたいへん共感を覚えるのである。

 人格の完成などは程遠い私だが、道を歩むということの楽しみ方を、車の運転から学んだような気がする。目的地を目指し、我々は先達たちが残してくれた地図を見ながら、試行錯誤をくりかえし、進んでいくのである。時には間違えた道を進み、おかしいなと思ったら、そこでまた考え、選び直してまた歩んでいく。まちがっていたと思ったことも実は正しいやり方のヒントになっていることもある。また遠回りの道もあれば、最短の道もある。最短の道だからといって、通りやすいかどうかはわからない。また通りやすいと思ったところが実はとんでもない方向に向かっていることもある。いやでも通らざるをえないこともあるだろうし、意外にいやだと思った道が楽なこともある。自分に合ったペースで、自分で選んだ方法で進んでいくしかないのである。

 師ができるのは、何かを教えるのではなく、弟子になにができるかを気づかせることだという。忘れてはならないことは、我々は自らの力で道を歩かなければならない、ということだ。師がすべての面倒を見てくれるわけではない。失敗を恐れることなく、目的に向かって歩いていく人こそが進歩していくのである。

 私は太極拳の道をどこまで行けるわからないが、車で道を尋ねるように、自分なりのやり方で歩んでいきたいと思う。

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