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ピアノの発勁

 何週間か前の練習中に、鎗田先生が…あの時は春日カイロに行かれた後だったと思います…“骨”の話を少しされていました。そのとき確か「力は骨より発し…」とおっしゃっていたと思います。私はその時“なぜ硬い骨から力が出るのだろう??力は筋肉から出すのでは??”と不思議に思っていました。でも私はいつもの様に、疑問はそのまま放ったらかしにて、何週間もボーッと過ごし、今、何となく”発勁”という熟語をネットのウィキぺディアで検索して読んでいました。

 その中に『力は骨より発し、勁は筋より発する』という一文が目にとまりました。この言葉を見た瞬間、鎗田先生と、なぜか後もう一人の先生の事を思い出して衝撃をうけました。私のボーッとしている脳に突き刺さったもう一人の先生は、…本当は痛くなんか無いはずなのに…私の頭の前側より少し上の方に突き刺さったきり、今でもビリビリ痛みを感じます。

 T先生というその方は、私の小学校の頃のピアノの先生でした。この先生に、初めてお会いした時、「何か弾いてみろ」と言われ、私は渋々、バッハの曲の一つを弾きました。弾き終わる最後まで、先生が黙っていらしたのは、作曲家バッハに対する敬意のためだけだった様で、弾き終わってホットしている私の頭ごなしに、「全く弾き方が違う!!」と口惜しそうに言われ、「ピアノの才能は全く無い。それでもピアノを弾きたいのか!?」と言われました。黙り込んでしまった親を尻目に、私は泣きながら「弾きたい」と言い返してしまいました。「練習は厳しいぞ!!」と念のためにダメダシもされました。それからは、確かに厳しい練習が始まりました。その厳しい練習とは、基本練習どころかそれ以前の練習で、それだけを3ヶ月以上やっていたと思います。(その後,その練習方法は、調子が出ない時やスランプに陥ったときの…運動をする前の準備体操の前の深呼吸の様に…私の大切な練習方法になっています。)

 その練習内容は、ピアノの椅子の座り方に始まり、先生の指示した姿勢で、先生の指示した肩の位置、肘の位置、手首の位置で、ピアノの鍵盤の上に先生の指示した形で指を置き、座って正しい姿勢を保つ程度の筋力以外は全ての力を抜いて、右手と左手の親指でそれぞれの位置の“ド”を弾くというものでした。しばらくの間、私は先生に「まだ力が入っているぞ!!」と怒鳴られ、弾いている最中に「ここに力が入っているんだ!!」と手首や肘、肩をグリグリつかまれ、“先生がつかんでいるから弾けないんだ”と心の中でののしり、泣きながら鼻水を垂らして歯を食いしばりピアノの“ド”を弾いていたのを覚えています。(泣くのも歯を食いしばるのも力が入るのでダメなんですけど。)

 …もちろん、ピアノの鍵盤というのは、ある程度の速さと力を使わなければ押すことはできないし、鍵盤を押す事によって、その先にあるハンマーを振り上げて、ピアノ線を叩かなければ全く音など出ません…で、ピアノの鍵盤に、力を抜いて指をのせただけの私は、初めのうちは音さえも出す事はできませんでした。私の家族もこの練習方法にはびっくりして、本当にこれが先生の教え方なのかと心配していました。そのうち、腰周辺の筋肉を少し動かして(両足は椅子の前側1/3 に掛けただけの腰を支えるためだけに少し足をひらいて、力を抜いてゆかの上に置いておきます。)からだ全体の重みを指先にこめる事が出来る様になりました。その“こつ”をつかんでからは、信じられないくらい指を速く動かせる様になりました。小さい音も大きい音も表現は思いのままで、しかも、力を入れて弾いていないので、疲れずに何時間も練習することができるようになりました。

 どんなに大きな音を出すときも指を鍵盤から離さないのは、指を高速で動かさなければならないので距離が有ると時間がかかるし、正確に動かせないからで(ピアニストがよく大げさに腕を振り上げたりするのは、感情的な高ぶりを表現しているだけに過ぎません。)、体のほとんどの力を抜くのは、筋肉が緊張していたら腰周辺の小さな動きがそれぞれの関節に伝わらない上、自在な関節の動きの妨げになりますし、最終的にその動きを、指先に伝えて鍵盤を押すことができないからでした。でも、この基本的な弾き方が出来る様になっても、指揮棒で手の甲をたたかれ、怒鳴られる練習はその後もずっと続きましたが…ピアノのレッスンにも体育会系があるようです。

・力は骨に由り、肩背に没して発することが出来ない
・勁は筋に由り、能く発して四肢に達することが出来る
・力は有形であり、勁は無形である
・力は方(四角)であり、勁は円である
・力は滞り、勁は暢やかである
・力は遅く、勁は速い
・力は散じ、勁は集まる
・力は浮き、勁は沈む
・力は鈍く、勁は鋭い
 
 陳炎林談

 ウィキペディアの説明を読み進めながら、「肘や手首は左右、あるいは上下に円を描く様に回しながら指の位置を変えるんだ!!」とピアノの先生の言葉をようやくはっきり思いだした私は、この…太極拳に似ていなくも無い…貴重な思い出をこれからドーやって生かしていったら良いのか、また、ボーッと考えています。

 追:子供の頃は怒ってばかりいるピアノの先生が怖かったのですが、何故か嫌いではありませんでした。その理由はスッカリ大人になってから解りました。先生はピアノに対して、音楽に対して真面目で真剣だったからでした。泣きべそをかいて鼻をズルズルさせている私を脇に立たせて、先生がいつもお手本で曲を弾いてくださった時、どんなに簡単なフレーズであろうとそのピアノを弾く姿は真摯でした。そこには、“たとえ一音でも音楽である。ゆえにそこには常に理想がある。”という態度が表れていたからでしょうか、子供であっても何となく感じる物があったのだと思います。

 (Sさん よりいただいた練習の感想です)

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