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太極拳についてあれこれ

高齢者の鍛錬法としての太極拳

高齢者の鍛錬法としての太極拳


東京陳式太極拳倶楽部 代表
鎗田 勝司



 先日、バスのなかで、高齢者に交通ルールを守るように呼びかけたポスターを見た。昨今、交通事故そのものの件数は減少しているにもかかわらず、高齢者の交通事故は増加しているということだ。しかもその原因の多くは高齢者側にあるという。
 私も時々、横断歩道のない大きな通りを横切ったり、道路の真ん中をどうどうと歩いている高齢者を見かける。高齢者の方が運転する自転車がいきなり斜め横断して、走っている車の前を横切るのを目撃したこともある。
 歳をとると何事においても身体が重く感じられ、つい安易な方法をとろうとしてしまうのだろう。目や意識では危険だと思いつつも、身体が行ってしまうのかもしれない。老化という現象は防ぎようがないとしても、事故というものは被害者にとっても加害者にとっても不幸な出来事であり、一瞬の不注意で双方にとってもとんでもない人生を送ることになってしまう。できるだけ気をつけるにこしたことはない。
 このような老化による諸能力の低下を遅らせるためには、やはりそれなりの努力、訓練が必要であろう。もちろん、どのようなスポーツでもそれを日常的に行なえば、肉体を鍛錬し、反応の遅れを防ぐことはできるだろうが、もともと危機管理意識を養成する目的をもった武術の訓練こそは、このような能力の低下を遅らせるのにもっとも適した運動と言えるのではないだろうか。武術の達人と言われる人は比較的に長寿だというデータもある。私は、そのなかでも太極拳の練習はもっとも高齢者に適した、危機回避能力訓練法ではないかと思っている。
 
 太極拳は意の運動だといわれる。意によって気を導き、気で身体を導く。太極拳はゆっくりと鍛錬することにより、意識と肉体の統一をはかる。つまり、意識した瞬間に身体が反応するという状態をつくるのだ。
 かつて王西安先生が、「非常によく練習していたころ、道を歩いていて袖がすりあっただけで身体が反応した」ということを話されていたが、まさしく思考ではなく感じた瞬間に身体が動くようになるのである。
 頭では危険だとわかっていても、また目の前に危険が迫っていても、身体がつい動いてしまう、あるいは身体が正しく行動することを拒絶する結果、ルール違反や危険行動にでるのであろう。これは明らかな老化だ。面倒くさいからといってルールを破ってもいいとは思ってはいないのだが、身体がいうことをきかないのだ。

 身体に面倒くさいと言わせてはならない。クリアーな意識を持って判断し、行動する。そこに危機を回避する意識を働かせる必要があるのだ。

 太極拳は、一人で鍛錬する套路練習以外にも推手という練習法がある。近年この推手の形を競う試合種目があるようであるが、推手の本来の意味からすると型だけを美しく演じることはあまり意味がない。推手は相手の動きに合わせて変化し、自分を安定しつつ相手のバランスを崩して技を掛け合うという、反応力を養成する練習だからである。推手の時は、身体をリラックスさせるが意念は全身をめぐっている。相手の動きを触覚で捉え反応していくのである。
 リラックスした身体は、意識をクリアーにし、周囲の状況に敏感になることは、ヨガにおいても同じように言われていることである。
 武術的な太極拳の練習は、このような日常的な行為における危機管理能力の育成に役に立つのである。

fyotphskfyotphsk  at 00:28 この記事をクリップ!