こちら極東基地

私的探偵小説読書録。

「人工心臓」 著:小酒井不木

 国書刊行会『人工心臓』収録
 春陽文庫『大雷雨夜の殺人』収録

 人工心臓の製造を夢見る夫と、その研究を支える妻。彼らは様々な実験を繰り返し、研究を続け人工心臓を形あるものにしていく。しかし、その研究の途上で妻が病に倒れる……。

帝大の教授として活躍する一方で日本に探偵小説が根付く以前から探偵小説に興味を持ち、江戸川乱歩のデビュー作「二銭銅貨」に推薦文を寄せている小酒井不木。江戸川乱歩をデビューさせた雑誌『新青年』初代編集長・森下雨村の後押しもあり、小酒井不木は探偵小説に関するエッセイだけにとどまらず自ら創作活動に勤しむこととなる。探偵小説の黎明期を知るキーパーソンの一人である。

 大正十五年一月雑誌『大衆文芸』に発表された「人工心臓」は小酒井不木の代表作であると同時に、戦前探偵小説の体系を示す作品である。上記のあらすじにあるようにこの作品は人工的に心臓を作り出そうとするある研究家夫婦の様子を描いた作品であるが、一般に「探偵」あるいは「探偵小説」という言葉から想像されるだろう複雑難解な事件の解決というシーンは一つもない。現代の推理小説・ミステリーといった作品とは全く趣を異にする。

 当時日本にはSFという言葉がなく、探偵小説という名の下に出版されていた。単純にジャンルとして存在しなかっただけでなく、探偵小説として売り出すことで探偵小説を求める読者層に購買意欲を持たせようとした、とする考えもある(※1)。作家名を挙げると海野十三・蘭郁二郎・国枝四郎の諸作はその影響を大きく受けているといっていい。そのような意味において「人工心臓」は探偵小説なのである。日本探偵小説界の黎明期に発表されたこの作品が探偵小説とされることは、探偵小説から推理小説というジャンルの流れだけではなく、大衆文学にと探偵小説の関係を示す重要な資料の一つともいえるのではなかろうか。

 「人工心臓」のテーマは機械の限界と無機性にあると思われる。永遠の命を追い求め完成を目指す人の手により生み出される心臓。その果ての悲劇。現代では自然と機械の調和と謳われている様々なものを見かけるが、「人工心臓」では機械は生きる肉と消して相容れぬ存在としている。機械を無機性として決定付けている点に時代の思想の差異が感じられる。この悲劇が医学知識を持つ著者により、単なる荒唐無稽なSFで終わらずどこかリアリティを保持している印象の強さがが、この作品を後世に伝わる小酒井不木の代表作ならしめている最大の点ではなかろうか。

(※1)…講談社文庫『本格ミステリー宣言』島田荘司

『本陣殺人事件』 著:横溝正史

角川文庫『本陣殺人事件』収録
春陽文庫『本陣殺人事件』収録
出版芸術社『横溝正史自選集 1』収録
双葉文庫『日本推理作家協会賞受賞作全集 1』

 江戸時代、本陣を営む家として栄えてきた名家・一柳家。昭和十一年一柳家の当主・賢蔵は周りの反対を押し切り、小作人の娘・久保克子を妻として迎え式を挙げる。婚礼の日の夜、皆が寝静まる中突如一柳家に奇怪な琴の音が鳴り響く。琴の音がしたとされる離れに皆が向かうと、離れで夜をともにしていた新婚夫婦が惨殺された状態で発見される。離れは雨戸が閉められており、周りは足跡一つ無い雪の密室、しかしその雪の上に突き刺さる凶器と思しき一本の日本刀。
 克子の育ての親で伯父の久保銀蔵は自分の妻へ向けて一通の電報を打つ。「克子死ス 金田一氏ヲヨコセ」

 事件の設定年代から十年後の昭和二十一年、雑誌『宝石』にて連載された横溝正史の戦後第一作長編にして、名探偵・金田一耕助登場第一作目の作品、そして戦後本格ブームの到来を告げた記念碑的作品である。

 本陣という家柄、封建的な思想、琴に代表される小道具などなど非常に日本的な設定の中に、雪に突き刺さる血に濡れた日本刀、真夜中に響き渡る琴の音、指紋のない三本指の血の跡など日本的でありながら探偵小説的な小道具が飾られている。当時またはそれ以前、探偵小説といえば西洋的な屋敷で起こるものとされ、場所も小道具も西洋的であった中、その常識を打ち破り純日本的な要素に彩られた作品となっている。特に日本家屋では不可能とされた密室殺人を描いた点からは横溝正史の野心を感じられる。作中金田一耕助と一柳賢蔵の弟・三郎との密室推理小説談義や、ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』を意識したと思われる離れが赤塗りという設定、これらはそれ以前に発表された密室トリックに対する挑戦という意図が含まれていたのであろう。日本的設定や作風は同時期に発表された『本陣〜』と双璧をなす本格の嚆矢、角田喜久雄『高木家の惨劇』と比較すると面白い。

 発表当時、誰も見向きをしなかった地方性・純日本的文化、独創的なトリックに彩られた『本陣〜』は江戸川乱歩(※1)を始め多くの探偵作家・評論家(※2)によって語られている。多くある研究それぞれが興味深く面白いものであるが、その中にあって特に戦後横溝正史作品の一面を見抜いていると思われるのが大衆文学研究家・小松史生子の論(※3)である。小松氏は、

 『肝心なのは、右の(作品冒頭の)一柳家の描写が、単なる家屋の建築構造ではなく、その家屋が建つ周辺の土地を含めてのいわゆるたたずまい描写である点なのだ。たたずまいとは、生活の場を領域化する、すなわち定着の状態(中略)特に自然環境を含めて把握する居住状態全般をさす。『本陣殺人事件』が「家を巡る物語」であることは従来から指摘されているとおりであるとしても、見逃されやすいのは、ここで物語られようとしている「家」が、歩くという経験行為を持って体感されるたたずまいとしての家である点だ。』

と述べ、地理的イメージが容易なこれらの描写が作品発表当時一般の人々が抱いていた「定着状態への憧憬」に繋がるとしている。いわれてみれば氏の指摘は『本陣〜』に限ったものではなく、村への交通手段を示した『八つ墓村』などでその一端を見ることができる。作家・真中仁も『獄門島』を例に挙げ、金田一耕助が歩みながら体感する光景のリアリティが読者を作品に引き込む、と述べている(※4)。

 土地・地理的表現も確かに特徴的であるが、個人的には戦後横溝正史の味は文章でありながら、視覚的に訴える力があることにあると思う。『獄門島』や『悪魔の手毬唄』の死体装飾、『病院坂の首縊りの家』の風鈴に模した生首、「毒の矢」のトランプの刺青などなど例を挙げれば切りがない。例に挙げたものはどれも死体に関するものであるが、『本陣殺人事件』の場合は視覚的効果がトリックに現れる。読んでいただければわかっていただけると思うが、非常に大胆且つ大掛かりで、そしてどこか美しい。そんなトリックがこの作品に収められている。

 ストーリーになかなか触れていなかったが、『本陣〜』はストーリーもまた忘れがたい。こと人と人の係わり合いの果てに訪れる真相は哀愁漂うやりきれないものとなっている。どこまでも救いがたい。心にしこりの残る結末。この積み重ねが後に描かれることになる金田一耕助の習性につながっていく。

 『本陣殺人事件』には戦後横溝正史の全てが詰まっている。

(※1)…江戸川乱歩「『本陣殺人事件』を評す」(『横溝正史読本』収録 角川文庫)
(※2)…権田萬治「田園の夜の恐怖=横溝正史論」(『日本探偵作家論』収録 双葉文庫)や、荒正人「横溝正史論」(『幻影城増刊 横溝正史の世界』収録 幻影城)など。
(※3)…小松史生子「横溝正史『本陣殺人事件』再考」(『探偵小説と日本近代』収録 青弓社)
(※4)…『NHK知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 2008年6月 横溝正史』

『13階段』 著:高野和明

 講談社文庫『13階段』

 喧嘩で人を殺し仮釈放中の青年と、犯罪者の矯正に絶望した刑務官。彼らに持ちかけられた仕事は記憶を失った死刑囚の事件の捜査を行い、冤罪を晴らすこと。タイムリミットは三ヶ月。捜査の中で二人の過去が交錯し、事件は思わぬ展開を見せることとなる……。

 平成十三(2001)年に発表された、映像関係の仕事に携わっていた著者の作家デビュー作品にして、第四十七回江戸川乱歩賞授賞作品である。

 俗に死刑執行に使用される死刑台への階段の段数が13といわれるが、その通り死刑執行の迫った、まさに13段の階段を上り始めた死刑囚の冤罪を晴らすという目的でストーリーは進行していく。その中で主人公の一人である仮釈放中の青年は一人の男を殺したという罪、そしてその罪が生み出した家族や大切な人への影響について苦しみながら。刑務官は死・罪人と隣り合わせの生業から一歩離れた自分の内なる環境に悩みを抱く。二人はそれぞれ人には言えない苦しみを、悩みを抱きながら捜査に向かう。非常に暗く、救いが見出せない。

 冒頭に描かれる青年の家族とのお互いにどのように振舞っていいか、困惑しながら接するシーン、また殺してしまった相手の父親に面会するシーンは非常に重く、心に突き刺さるシーンである。仮釈放中の人物と接する、ということは身近にはなかなか感じられない事柄ではあるが、「もし」と考えたとききっと見方は変わってくるだろう。

 重いテーマで重い暗闇のようなストーリーが展開されていく一方で、しっかりと伏線は張られており、突如発生した新たな謎と、その真相が明らかにされていく過程は崖から転げ落ちていくような衝撃の連続である。

 そして、その衝撃の果てに訪れる主人公の二人が抱えていた影の真相。どこまでも救いがない。この作品で救われた人物がいるとすれば、それはたった一人しかいないのであろう。

 推理小説としてのトリックは一つしかないが乱歩賞らしい専門的なものであり、この一点がこの作品を読者の謎解きとしての推理小説という形を拒否しているといっていい。謎を解こうとする人々を描く小説である。とはいえこの作品の魅力が失われるというわけではなく、要は読み手が推理小説に何を求めるかということになろう。
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