こちら極東基地

私的探偵小説読書録。

長編

『しあわせの書 迷探偵ヨギ・ガンジーの心霊術』 著:泡坂妻夫

 新潮文庫『しあわせの書 迷探偵ヨギ・ガンジーの心霊術』

 二代目教祖の継承問題で揺れる宗教団体・惟霊講会。一方、超能力を見込まれて失踪した信者の行方を追うこととなったガンジー。ガンジーはその過程で布教用小冊子「しあわせの書」に出会う。さらに惟霊講会に踏み込んだガンジーは初代教祖より二名にまで絞り込んだ候補者から二代目教祖選出する助力を求められる……。

 泡坂妻夫は「DL2号機事件」で第一回幻影城新人賞に佳作入選しデビュー。その後『乱れからくり』で日本推理作家協会賞を授賞。逆説的な作風から「日本のチェスタトン」とも呼ばれている。『しあわせの書 〜』は1987年に発表された書下ろし長編である。

 ヨガを主としながらも宗教家として様々な宗教に精通し、時に応じてヨガ以外で金稼ぎを行う飄々としたヨギ・ガンジーというキャラクター。そのガンジーを師と仰ぎともに旅をする と 。魅力的なキャラクターにより話は展開する。話の中心となる新興宗教の継承問題とガンジーたちとの関わりなど、人物設定から話の展開にいたるまでリアルというものは全く無視されたライトな物語となっている。作中の謎、そして謎の解決も思わず微笑ましく感じてしまうほどである。

 この作品に限らず泡坂氏の『亜愛一郎シリーズ』にも見られるようにライトな作風が氏の特徴の一つといってしまえばそこまでであるが、この作品に限っては真の真相に読後の衝撃を集中させるための手段であるように感じられる。

 あの一文でひっくり返された、最後の一文が衝撃だった、という作品は決して少なくはないが、マジシャンとしての顔も持つ泡坂氏がこの作品のトリックは最後のガンジーのセリフを下に実験を行い改めて驚かされる文章を超越した作品である。このような驚かされ方をする作品は二つとしてないものである。

『人間の証明』 著:森村誠一

 角川文庫『人間の証明』

 目的の階に到着しながらエレベーターを下りようとしない客を不審に思ったエレベーターガールが客に近づくと、その客の胸にはナイフが突き立てられ息絶えていた。警察は殺人事件として捜査を進めるが、被害者がアメリカに住んでいた黒人であったことからアメリカの警察でも捜査が行われる。一方、時を同じくして一人の女性が夫と不倫相手の前から突如姿を消す。
 全く接点が見られないと思われた事象が細い糸を辿り一点に近づいていく。

 1969年『高層の死角』(※1)で第十五回江戸川乱歩賞を受賞した森村誠一が『人間の証明』を発表したのは1976年。この作品は当時角川書店の社長だった角川春樹から映画化を前提に依頼されて執筆されたものである。また森村誠一執筆の人気シリーズ「棟居刑事シリーズ」の第一弾でもある。

 『人間の証明』は仮にジャンル分けを行うのであれば社会派推理小説に属する作品となるのであろう。しかしながら、作中登場する伏線の弱さや事件の解決を犯人の良心に委ねるなど、そもそも推理小説としての色合いは非常に薄い。代わりに不確定多数の容疑者の中から犯人を絞り込んでいく展開が可能な社会派推理小説の特長を活かし、生活環境の異なる様々な人々の内面を描くことに力を入れている。殊に富裕層・貧困層それぞれの退廃した一面に焦点を当てており、若者の退廃を描いた村上龍『限りなく透明に近いブルー』を想起させるシーンも見られる。日本だけでなく当時近代文明の最先端を走っていたアメリカ・ニューヨークの社会構造に着目した辺り、人間関係が希薄化した社会に対する著者のメッセージがこめられており、終章「人間の証明」で描かれる人間の良心という部分に繋がっていくと思われる。

 尚、トリックに関して日本語と英語という言葉の発音・発声理解を利用した推理は完成されたものではないが面白い着眼点である。文章で音というものを表現することは不可能なため、単語として明確にしなければならない不便がある中果敢に挑戦している。

 推理小説としてではなく、一つの小説として読んでいただくといいのではなかろうか。


(※1)…『高層の死角』ハルキ文庫

『本陣殺人事件』 著:横溝正史

角川文庫『本陣殺人事件』収録
春陽文庫『本陣殺人事件』収録
出版芸術社『横溝正史自選集 1』収録
双葉文庫『日本推理作家協会賞受賞作全集 1』

 江戸時代、本陣を営む家として栄えてきた名家・一柳家。昭和十一年一柳家の当主・賢蔵は周りの反対を押し切り、小作人の娘・久保克子を妻として迎え式を挙げる。婚礼の日の夜、皆が寝静まる中突如一柳家に奇怪な琴の音が鳴り響く。琴の音がしたとされる離れに皆が向かうと、離れで夜をともにしていた新婚夫婦が惨殺された状態で発見される。離れは雨戸が閉められており、周りは足跡一つ無い雪の密室、しかしその雪の上に突き刺さる凶器と思しき一本の日本刀。
 克子の育ての親で伯父の久保銀蔵は自分の妻へ向けて一通の電報を打つ。「克子死ス 金田一氏ヲヨコセ」

 事件の設定年代から十年後の昭和二十一年、雑誌『宝石』にて連載された横溝正史の戦後第一作長編にして、名探偵・金田一耕助登場第一作目の作品、そして戦後本格ブームの到来を告げた記念碑的作品である。

 本陣という家柄、封建的な思想、琴に代表される小道具などなど非常に日本的な設定の中に、雪に突き刺さる血に濡れた日本刀、真夜中に響き渡る琴の音、指紋のない三本指の血の跡など日本的でありながら探偵小説的な小道具が飾られている。当時またはそれ以前、探偵小説といえば西洋的な屋敷で起こるものとされ、場所も小道具も西洋的であった中、その常識を打ち破り純日本的な要素に彩られた作品となっている。特に日本家屋では不可能とされた密室殺人を描いた点からは横溝正史の野心を感じられる。作中金田一耕助と一柳賢蔵の弟・三郎との密室推理小説談義や、ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』を意識したと思われる離れが赤塗りという設定、これらはそれ以前に発表された密室トリックに対する挑戦という意図が含まれていたのであろう。日本的設定や作風は同時期に発表された『本陣〜』と双璧をなす本格の嚆矢、角田喜久雄『高木家の惨劇』と比較すると面白い。

 発表当時、誰も見向きをしなかった地方性・純日本的文化、独創的なトリックに彩られた『本陣〜』は江戸川乱歩(※1)を始め多くの探偵作家・評論家(※2)によって語られている。多くある研究それぞれが興味深く面白いものであるが、その中にあって特に戦後横溝正史作品の一面を見抜いていると思われるのが大衆文学研究家・小松史生子の論(※3)である。小松氏は、

 『肝心なのは、右の(作品冒頭の)一柳家の描写が、単なる家屋の建築構造ではなく、その家屋が建つ周辺の土地を含めてのいわゆるたたずまい描写である点なのだ。たたずまいとは、生活の場を領域化する、すなわち定着の状態(中略)特に自然環境を含めて把握する居住状態全般をさす。『本陣殺人事件』が「家を巡る物語」であることは従来から指摘されているとおりであるとしても、見逃されやすいのは、ここで物語られようとしている「家」が、歩くという経験行為を持って体感されるたたずまいとしての家である点だ。』

と述べ、地理的イメージが容易なこれらの描写が作品発表当時一般の人々が抱いていた「定着状態への憧憬」に繋がるとしている。いわれてみれば氏の指摘は『本陣〜』に限ったものではなく、村への交通手段を示した『八つ墓村』などでその一端を見ることができる。作家・真中仁も『獄門島』を例に挙げ、金田一耕助が歩みながら体感する光景のリアリティが読者を作品に引き込む、と述べている(※4)。

 土地・地理的表現も確かに特徴的であるが、個人的には戦後横溝正史の味は文章でありながら、視覚的に訴える力があることにあると思う。『獄門島』や『悪魔の手毬唄』の死体装飾、『病院坂の首縊りの家』の風鈴に模した生首、「毒の矢」のトランプの刺青などなど例を挙げれば切りがない。例に挙げたものはどれも死体に関するものであるが、『本陣殺人事件』の場合は視覚的効果がトリックに現れる。読んでいただければわかっていただけると思うが、非常に大胆且つ大掛かりで、そしてどこか美しい。そんなトリックがこの作品に収められている。

 ストーリーになかなか触れていなかったが、『本陣〜』はストーリーもまた忘れがたい。こと人と人の係わり合いの果てに訪れる真相は哀愁漂うやりきれないものとなっている。どこまでも救いがたい。心にしこりの残る結末。この積み重ねが後に描かれることになる金田一耕助の習性につながっていく。

 『本陣殺人事件』には戦後横溝正史の全てが詰まっている。

(※1)…江戸川乱歩「『本陣殺人事件』を評す」(『横溝正史読本』収録 角川文庫)
(※2)…権田萬治「田園の夜の恐怖=横溝正史論」(『日本探偵作家論』収録 双葉文庫)や、荒正人「横溝正史論」(『幻影城増刊 横溝正史の世界』収録 幻影城)など。
(※3)…小松史生子「横溝正史『本陣殺人事件』再考」(『探偵小説と日本近代』収録 青弓社)
(※4)…『NHK知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 2008年6月 横溝正史』

『13階段』 著:高野和明

 講談社文庫『13階段』

 喧嘩で人を殺し仮釈放中の青年と、犯罪者の矯正に絶望した刑務官。彼らに持ちかけられた仕事は記憶を失った死刑囚の事件の捜査を行い、冤罪を晴らすこと。タイムリミットは三ヶ月。捜査の中で二人の過去が交錯し、事件は思わぬ展開を見せることとなる……。

 平成十三(2001)年に発表された、映像関係の仕事に携わっていた著者の作家デビュー作品にして、第四十七回江戸川乱歩賞授賞作品である。

 俗に死刑執行に使用される死刑台への階段の段数が13といわれるが、その通り死刑執行の迫った、まさに13段の階段を上り始めた死刑囚の冤罪を晴らすという目的でストーリーは進行していく。その中で主人公の一人である仮釈放中の青年は一人の男を殺したという罪、そしてその罪が生み出した家族や大切な人への影響について苦しみながら。刑務官は死・罪人と隣り合わせの生業から一歩離れた自分の内なる環境に悩みを抱く。二人はそれぞれ人には言えない苦しみを、悩みを抱きながら捜査に向かう。非常に暗く、救いが見出せない。

 冒頭に描かれる青年の家族とのお互いにどのように振舞っていいか、困惑しながら接するシーン、また殺してしまった相手の父親に面会するシーンは非常に重く、心に突き刺さるシーンである。仮釈放中の人物と接する、ということは身近にはなかなか感じられない事柄ではあるが、「もし」と考えたとききっと見方は変わってくるだろう。

 重いテーマで重い暗闇のようなストーリーが展開されていく一方で、しっかりと伏線は張られており、突如発生した新たな謎と、その真相が明らかにされていく過程は崖から転げ落ちていくような衝撃の連続である。

 そして、その衝撃の果てに訪れる主人公の二人が抱えていた影の真相。どこまでも救いがない。この作品で救われた人物がいるとすれば、それはたった一人しかいないのであろう。

 推理小説としてのトリックは一つしかないが乱歩賞らしい専門的なものであり、この一点がこの作品を読者の謎解きとしての推理小説という形を拒否しているといっていい。謎を解こうとする人々を描く小説である。とはいえこの作品の魅力が失われるというわけではなく、要は読み手が推理小説に何を求めるかということになろう。

『占星術殺人事件』 著:島田荘司

 講談社文庫『占星術殺人事件』
 講談社『改訂完全版・占星術殺人事件』

 1936年2月26日二・二六事件と同日に発生した画家・梅沢平吉殺人事件。梅沢の遺書には、自身に関係する6人の六人の女性を占星術に対応させて身体の一部を切り取り、一つの完璧な肉体を持つ女性「アゾート」なるものを製造しようとする内容が記されていた。その後遺書に記された6人の女性が遺書通りに体を切り取られて殺害され発見された。警察は事件を解決することができず迷宮入りとなったが、1979年御手洗潔は石岡和己からこの事件のあらましを聞かされる……。

 作家・島田荘司と名探偵・御手洗潔のデビュー作が昭和五十六(1981)年発表の『占星術殺人事件』である。島田荘司はデビュー以降『斜め屋敷の殺人』『異邦の騎士』などの作品を発表する一方で、綾辻行人・我孫子武丸・歌野昌午といった新本格の波を起こした才能を推薦し、推理小説界の活性化に努めている。

 『占星術殺人事件』を手に取ると真っ先に驚かされるのは冒頭の占星術についての考察であろう。占星術の思想を基にした怪しくもグロテスクな文章に圧倒される。

 御手洗の物怖じしない自信家のキャラクターと友人の石岡によって過去に発生した占星術殺人事件の姿が明らかにされていくが、キャラクターの正確と異なり語られる事件の内容は密室殺人から日本の広い範囲に投棄されたある画家一家の令嬢たちのバラバラ殺人という、血なまぐさい展開へと発展していく。

 こと広範囲にばら撒かれたバラバラ殺人事件の衝撃は大きい。冒頭の手記との関係性も強く、推理小説の中でも非常に異質な事件である。広範囲の事件となると松本清張や西村京太郎が好む時刻表トリックが想起されるが、状況がそれを許さない。輸送手段に関しては物語の進行とともに明らかにされるが、犯人の殺害トリックと犯人の正体に関しては誰もが度肝を抜かされる。幾多の推理小説に触れた読者でも予測不可能な盲点だ。古今東西様々なバラバラ殺人のトリックがあるが、これほどトリックと直結したバラバラ殺人トリックはない。

 漫画『金田一少年の事件簿』でトリックが流用されて問題になったが、それほどまでに異様で魅力的なトリックであるということだろう。物理トリックに枯渇した現代だからこそ是非読んでいただきたい一冊である。
プロフ

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