アラカンライダーの憂鬱

モトグッツィに乗るアラカン世代のへなちょこライダーのつぶやき

2010年07月

歴車6 スズキバンディット 1989

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今もラインアップに名を残すネイキッドモデルだ。
ボディは、ブルーとアルミグレーとチタングレーとでもいうのか
鯖の切り身のような色あいだったので、周りから「シメサバ号」と呼ばれる。

この頃になると、バイクブームの熱も冷め、会社のバイク乗りも
ひとり減り、ふたり減りとなり、自分だけになる。
そして、乗る間隔がだんだん開いていって、ほとんど乗らなくなっていった。

何年か置きっぱなし、遂にエンジンが掛からなくなっていた。

その後、欲しいというので、会社の後輩に譲る。
山陰までツーリングに行ったりしていたが、
今は休眠中とのこと。また動かなくなっているらしい。
かわいそうだね。

歴車5 ヤマハFZR 1988

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バイクでの不幸が重なり、乗りたいバイクも見つからず、しばらく間が空く。
レーサーレプリカばかりで、大人の男が乗るバイクがないと嘆いていたら、
FZRの新型が発売される。そして、そのカラーに、
「漆ブラック」というカラーがあることを知った。
これは渋いぞと、購入した。

漆ブラックといっても、漆塗りになっている訳ではなく、
黒の塗装の下に赤が沈んで見えているような塗装だった。

スズキ車と違い、新車の時点からエンジンが軽快に回った。
スズキ車はどちらかというと、回り方が硬い印象。
(決して回らないということではない)
フルカウル仕様で、400ccクラスとしては、大柄なバイクだった。

第3京浜を走っていると、時にスピードメーターは、針が回りすぎて、
目盛りの書いてないところまで回ってしまうという
不思議な(?)現象がたびたび起きていた。

アルミのぶっといフレームは、ミシリともいわない高い剛性で、
シュルシュルと軽い回転のエンジンとで、高性能なバイクであった。
だが、どうにもフルカウルのバイクは性に合わないのか、
ネイキッドのスズキバンディットに買い換えることになる。

FZRは、知人に貰われていった。その後の消息は不明。

映画とバイク 個人教授


バイクが登場する映画、といえばすぐ思いつくのは、イージーライダーだが、そんなメジャーなタイトルではなくても、バイクが小道具としてうまいこと使われていた映画を、これから思い出したり、出会ったら、紹介してみたいと思います。

個人教授 1968年 

主役はアイドルなみの人気のあった、ルノー・ベルレー、この映画の時はまだ新人だったと思う。共演はナタリー・ドロン、名前から分かるとおり、アラン・ドロンの奥さんだ(当時)。音楽は、あの白い恋人達のフランシス・レイ。


この映画に登場するのが、ホンダの「リトルホンダ」という名前の
自転車オートバイだ。


渋滞するパリの市内を、爆音をたてて走る黄色のランボルギーニ・ミウラ! 
運転するのは、プロのレーサーフォンタナ。

440そこに、学校帰りのオリビエ(ルノー・ベルレー)が、リトルホンダに乗って行き会う。スーパーカーは、信号と共にダッシュ! だが赤信号で止まると自転車オートバイに何度も追いつかれる。スーパーカーと原チャリといった対比は、大人でプロのレーサーと高校生という対比をも象徴している。そんな路上の出会いだが、その時は後に交錯するお互いの運命を知らないのであった。



441ある日、道の真ん中でエンストしている黄色のランボルギーニ・ミウラを見つける。渋滞の中で出会った車だ。運転しているのは、プロレーサーのフォンタナではなく、フォンタナの恋人であるフレデリク(ナタリー・ドロン)だった。




443こうして偶然出会った二人だったが、オリビエはすっかり年上のフレデリクに夢中。恋人のレーサーがインディのレースに出ると聞き、リトルホンダに、何とテレビをくくりつけて持っていくのである。










そんなこんなで、フレデリクもオリビエに心を許すようになる。パリの市内を、タンデムで走るシーンは、二人の恋を象徴するシーンとなる。

442もちろんリトルホンダに乗ってだ。25歳設定のフレデリクが、女子高生の制服みたいな服装なのは、狙った? 訳ないか、流行ってたんだろうね。とにかく当時の若者にとって、ときめきのシーンであった。



オリビエの願いが叶って、結ばれる二人。しかし、オリビエの愛に戸惑うフレデリクは、オリビエの手紙を破り捨てる。それを物陰から見てしまうオリビエ。その切ない表情はポスターにも使われていて、多くの女性ファンの胸をキュンとさせたにちがいない。

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そして、高校生には分からぬ、大人の愛のありよう。フォンタナとフレデリクの胸の内を知ると、オリビエは身を引く決心をし、小雨降るパリ市街をバイクに乗り、去ってゆく。
と、ストーリーはこんな話だ。


スーパーカーと自転車オートバイの比較。同級生達が乗るフランス製のバイク ソレックスは、黒なのに、主役の乗るホンダは赤。車種と色の使い方も見事だ。1967年公開の、007は二度死ぬでは、トヨタ200GTがボンドカーとして登場しているが、ほんの1シーンの登場だった。本編のリトルホンダは、助演賞をあげてもと思わせるほどの、活躍ぶりだった。

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歴車4 スズキギャグ 1986

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レーサータイプのカウルを纏った、ミニバイク。
エンジンはスズキバーディの4ストローク50cc。
ミニ・レーサーレプリカというジャンルの先駆けがGAGだった。
のちにホンダからNSR50、ヤマハからTSR50が発売された。
身長182cmの男が乗っているさまは、まさにギャグだっただろう。
セカンドバイクというか、遊びで買ったバイクだった。
知り合いに貸したまま、2度と戻ってこなかった。

伊豆スカイラインへ行った

梅雨も明けたし、前回紹介した雑誌の記事にあった、伊豆スカイラインでも
走ってみようかと出かけた。
いきなり、東名が渋滞、海老名サービスエリアも満員状態だった。
それにしても、今日は暑い。途中、富士山が見えた。
縦に筋状の雪が残る山頂の半分ぐらい雲で隠れていた。
富士山は、なかなか綺麗な姿を見せてくれない。

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小田原から箱根に登っていき、伊豆スカイラインへ。
さすがに山の上は涼しい。連休の中日、思ったより混んではいないようだ。

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十国峠で一休み。ここでは雲がかかって、富士山は見えなかった。
前を走る4輪とのスペースを保ちながら走る。
速いライダーなら、ちょっとストレスを感じてしまうようなペースだけれど、
前を走る4輪は休日のファミリーカーだし、初めて通る人も多いだろうから、
安全運転でね。

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次に亀石峠へ。休み休み行くのが肝心です。ここはライダーが多く集まっていた。
休憩していると、甲高い音を立てて、走り去るバイクが結構多かった。
気合い入りすぎじゃないのかな。

昼をどうするか決めていなかったが、通りすがりに、峠の茶屋を発見。立ち寄る。


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ここは古民家をそのまま店にしているような風情で、屋根は茅葺き、
店の手前の建物には、水車まで回っていた。
着いたときには、もう混んでいて、10人待ちの状態だったが、
休憩と思って待ちました。
この店は、とろろと蕎麦が名物らしく、そば丼を注文する。1,365円。

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これは、とろろ丼にそばが付いてくるセットだ。
そばは田舎風、やや平麺で結構コシのある麺でした。
とろろを喰う。旨い。つくづく思うのだが、とろろ飯は飲み物です!? 


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座敷を抜ける風が心地よかったのだが、
次から次と訪れる客に、
早々と店を出ることに。
次の冷川で伊豆スカイラインを
降りて、伊東へ向かう。




山から下りてくると猛烈に暑い。伊東では、伊東マリンタウンに寄る。

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ここは、道の駅であり、サンライズマリーナがあるので、海の駅でもあるのだ。
シーサイドスパがあり、デッキには関東最大級の全長43メートルもある足湯があったのだが、すごい暑さに足湯につかる気になんかならない。


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この辺まで来るとさすがに
海の水は透き通っていてきれいだ。
冷房の効いてる場所で休憩して、
帰りをどうするか考えたのだが、
来た道を帰るのも芸がないかと、
海沿いを帰ることにした。
バイクの温度計は、
ずっと37度以上を表示。
ヘルメットの中は、
いったい何度になっているのだろう、
涼しいメットが欲しいぃぃ・・・。





いきなり夏本番です、途中の海水浴場は、どこも混雑していました。

伊豆スカイラインは、奥多摩より走りやすかった。
次回は、もっと先まで行ってみようと思います。
夏のツーリングは、山に向かう方が涼しくていいのかな。



彩雲あらわる

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やっと晴れました。
いろいろあってバイクに乗るのは、およそ一ヶ月ぶり、
バイクの状態とライダーの状態の確認に近場へ。


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いつもの海岸は、多くの人々がやってきていました。ここは海水浴場ではないので、
波打ち際で遊んでいます。
そして、昼ご飯を食べに葉山へ向かいました。
葉山マリーナに着いたとき、空に虹色に輝く雲を発見。
彩雲というのだそうです。虹とも違う感動、雲の中がまさに虹色に輝いていました。
最初の写真がそれです。

さて、葉山に来たのは、あぶずり食堂に昼ご飯を食べに来たからです。
地元葉山のヨットマン御用達のこの食堂は、ああ、今日も満員です。
って、初めて来たんですけどね。

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炎天下待つのは嫌なので、
しばらくマリーナなどを見て
時間をつぶすことにしました。



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やっと店内に。選んだメニューは、サザエ丼750円。初めて食べます。
とりあえず、キリンフリーで喉を潤して待つことに。やってきましたサザエ丼!

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いってみれば、親子丼の鶏肉の代わりにサザエが入っているだけなのですが、サザエの歯ごたえと、サザエのワタの苦みがまざり、すんげー旨いとまでは言いませんが、なるほどなぁと納得の味でした。他のメニューもなかなか美味しそうでしたよ。


429あぶずり食堂のすぐ隣には、
葉山港湾食堂という店もあり、
海水浴の客など居ない
夏の穴場的な場所なのではないでしょうか。
バイクのメーターにある温度計は、
37度を表示していました。
帰ってきて初めて、
本日梅雨明けしたことを知りました。


あぶずり食堂
神奈川県三浦郡葉山町堀 内35

歴車3 二代目スズキインパルス 1986

バイクブームの中、会社の中に何人かのオートバイ乗りが増えた。
そんな仲間に連れられ、自分のバイクもついでに見て貰っているうちに、
通うバイク屋が替わっていた。
新しく買い換えようと、電話を入れると、今度限定車が出る、とのこと
写真も何も見ずに、注文を入れる。

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それがこの白いインパルスだ。
小さなカウルの付かないタイプは、
ライトのステー部分がトラス状になっていて、
一部では東京タワーとか言われていたらしいが、
我々の間では、鉄橋インパルスと呼んでいた。
自分以外の同じカラーのインパルスを見たことがなかったし、
雑誌などに載っていたという記憶もない。超レア車だったと思う。


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ある日の夜中、電話がかかってきた。
○○さんか? おたくのバイクが燃えているよ。
警察からの電話だった。
もともときちんと契約した駐車場があったわけでもなく。
いつもの場所に、知らない車が止まっていて、しょうがなく、
少し離れた場所にその日は止めたのだった。

慌てて部屋を出て、現場に向かう。
消火作業は済んだ後だった。消防車が来ていた。
バイクは倒され、タンクにはドライバーでこじ開けようとした跡があった。
近くの自転車なども、軒並み倒されていた。
幸い、2次被害、延焼もなく、それだけでも良かったと胸をなで下ろす。
ただ、燃やされ損。犯人は分からずじまい。

燃やされたショックで、バイクは現場に置いたままに、
今、冷静に思い返すと、バイクは丸焦げになった訳ではなく、
燃えたダメージは、部分的で済んでいただけのような気がする。
2〜3日もしないうちに、少しずつバイクのパーツが減っていった。
部品取りの仕事ぶりが、やけに丁寧でプロフェッショナルな感じがした。
数日の後、バイクは跡形もなく消え失せた。

2千キロちょっとしか、乗っていなかった。

訃報 つかこうへい

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つかこうへいが亡くなった。
この人が世の中に出てきた時のことをよく覚えている。
早稲田で演劇をしている友人から、今、すごく面白い奴が居る。
と誘われて、見に行ったのが最初だった。
それまでは、寺山修司か唐十郎が二大巨頭のように、演劇界を牽引していた。
そんな中に、登場してきたのが、つかこうへいだった。

当時、青山にVAN99HALLという小さなホールがあった。
今のブルックス・ブラザーズの辺りだ。
あの、VANが提供していたホールで、入場料は99円、席数も99席、
落語、演劇、ライブ、ボクシングの試合まで行っていた。
VANって、つくづくすごい会社だったんだなぁと
単にアパレルの会社というわけではなかったんです。
貧乏学生だった私は、そこで随分いろんなものを見せてもらった。

その99ホールに、つかの芝居がかかった時には、一週間に3回ほど通ったものだ。
なぜなら、つかの芝居は、毎日台詞が違うと言われていたからだ。
確かに、今日は出演者の○○の親戚が来ているから、台詞が多いだの、
ナイターで巨人がリードしているなど、ポンポンアドリブが入ってきていた。
そんなものだから、我々は百円玉を握りしめて、原宿駅から青山まで、
一心不乱に歩いたものだった。

小さなホールだったから、前のほうに座れた時には、役者の汗やツバが飛んでくる。
手を伸ばせば、役者の身体に触れるほどだった。
三浦洋一も、風間杜夫も、平田満も、加藤健一もみんな若かった。

やがて、彼らは99ホールを卒業して、紀伊国屋へと登っていく。
それからの活躍は、皆が知るとおりである。

何か当時の資料が残ってないかと、探したのだが、99ホールのものは残ってなかった。

最近、生の舞台見ていないなぁ・・・。

とにかく、あの機関銃のような台詞とあふれる情熱で
新しい演劇の世界を我々に見せてくれ、
また、その扉をこじ開けていく様を同時に見せてくれた。
つかこうへいと役者達。
何やら、痛快なこころもちを持たせてくれたような気がする。

あの時代、その現場で、自分も同時に体験していた、目撃していたひとりとして、
今日の訃報は、残念な思いでならない。

合掌




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